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お盆の日の会話

 先週のお盆は、台風が西日本を縦断してタイヘンだった。被害に遭われた方々、謹んでお見舞い申し上げます。が、台風進路の真下に住む甥っ子は、自称「晴れ男」なので、神奈川の実家に戻っていて無事だった。
 うちはお盆に親族が集まる習慣がない。私は普通に新宿で仕事が入っていて、一方の甥っ子は夕方から新宿で飲み会だというので、ランチをご馳走することになった。

 新卒入社4年目。真面目に仕事のことを話し合える年頃である。
 4月に異動した設計チームで、リーダーの右腕役やってんだ、と自慢する。そのリーダーの歳が、予想以上に高かったので、思わず「何それ、けっこうイイ歳のオッサンじゃん」と言ってしまった。
 次の瞬間、その年齢が私自身と全く同じであることに気づく(爆)。
 「いや、だから、チームリーダーっていうから、もっと若いのかと思って」
 フォローのつもりが、これまた全然フォローになっていない。

 そこから話は発展し、技術の進歩が著しい今や、(時代遅れになってしまった)自分の過去の経験が価値だと勘違いしているオッサン・オバサンはイタい、という話になる。
 「じゃあ、きみたち若い世代が年長者に期待する力って、何?」
 と尋ねたら、速攻の答え。
 「人脈」
 どこで誰が何をしているのか、そういう情報はネットでいくらでも調べられるけれど、その人と実際に知り合って、信頼関係を築くには、時間がかかるでしょう。
メール1つで頼み事が出来るような人を何人も持つには、やっぱり歳を重ねないとね。
 なるほど。こいつ、若いのに、なかなかわかってる。

 とかいいながら、私の大学院のアンケート集計実習で、この甥っ子は100人の友達にアンケートを拡散してくれた。既にけっこうな人脈である。
 中学の頃から幹事キャラで、つい最近も行きつけのレストランのシェフとつるんで、50対50の大・合コンパーティを主催したという。
 「俺の父さん(=私の兄)も友達の面倒見いいじゃん。その血を継いだかも」
 「あ、それって、私もそう。高校も大学も万年幹事だよ。お父さん、って、あんたのおじいちゃんも、業界の標準化団体で知り合った人の飲み会の幹事、よくやってた。うちの血筋だね。そういえば…」
 父が亡くなったのは12月30日だったため、お通夜と告別式は三が日が明けるのを待ってから執り行ったのだが、父が幹事役をしていた同業他社の飲み会メンバーが大勢参列してくださった。私もよく知っている、そのうちの一人に、こうささやかれた。
 「ほんと、お父さんはいいときに亡くなってくれたよね。新年会にぴったりのタイミングで皆が集まる機会を作ってくれて、ホント感謝だよ」
 聞きようによっては大層失礼な発言を、甥っ子はとても喜んだ。
 「それって、すっごい、いいね~。俺の葬式もそういうふうにしたいぜ」

 この子は、瀬戸内海で釣りを始めた。
 デビューのときの釣り竿は、私の父が使っていたものだ。
 「やっぱ、ほんと、血だねぇ」
 と言いながら、ふと思い出した。
 「釣りはねえ、あの人の義理の父、つまりおばあちゃん(=私の母)のお父さん、だからあなたのひいおじいちゃんも好きでね。結婚前おじいちゃんが未来の舅の鮎釣りに付き合って、『可愛い婿』って喜ばれたらしい」
 登場人物が、どんどん増えていく。

 お盆だった。
 お経はもちろん、ぼんぼりもお供えもないけれど、こうやって話をすることが、ご先祖様たちへの一番の供養だったかもしれない。


by miltlumi | 2019-08-19 21:58 | 父の記憶 | Comments(0)

立秋のあとの夜

今年は夏の訪れが遅かった分、暑くなったと思ったらもう残暑見舞いの時節だ。

不思議なもので、梅雨明けは毎年気まぐれに早くなったり遅くなったりするくせに、

立秋を境に、夕暮れ時の風が涼しくなるその正確さは、決して時期を違えない。

今日の夕焼けは、もう初秋を先取りするような輝き方をしていた。


美容院に行って、その足でスポーツジムに行って、

それでもなんとなくうちに帰りたくなくて、外で夕食をとる。

ささやかな贅沢ついでに、食後のコーヒーを求めてスタバに入る。

クーラーの下で閉店までねばろうと心に決めている一人客たちを後目に、外に出ると、むしろ風が心地よい。


道草をさんざんして、ようやくうちにたどり着く。

開け放った窓から部屋へと、さきほどの風が流れ込んでくる。

飲みかけのアイスラテをダイニングテーブルの上におく。

思い付きで灯りを消してみる。

一瞬暗闇に沈んだ部屋が、だんだんとほのかな輪郭を取り戻してくる。

一週間前は鎌のようにくるりと細かった月が、今夜はもう半月より膨らんでいるのだ。


風鈴が、舌をほの白く揺らめかせながら、ちりんちりんと鳴る。

南部鉄の風鈴、わざわざ三連を選んだのに、入り乱れる高中低の音に耐え切れず、

二つの鐘にフェルトを巻いて鳴らないようにしてしまった。

音も暑さもそれ以外も、大目に見ることが難しかった、あの頃。


今年の夏は、低音のほうのカバーを外した。


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by miltlumi | 2019-08-13 08:02 | フォトアルバム | Comments(0)

手を握ってくれる相手

 類は友を呼ぶ。私の友達には、男勝りの女性(&バツいち)が多い。その中の一人、Aさんとの久しぶりのディナーで、こんな会話が展開された。

 A「母って、私に似て勝気なんですけど(いや、あなたが母に似たんでしょ)、最近手術してね、術後まだ麻酔で朦朧としてるとき、はぁ~って手を挙げたんですよ。そしたら、昭和の頑固オヤジを地で行く父が、はぁ~って、その手を握ったわけ」
 私「きゃ~、かんどー」
 A「いや~、夫婦って偉大。私は、そのあとすぐ弟に電話しましたね。『あんた、あたしが手術するときは、手ぇ握って頂戴よ』って」
 私「あ~、その気持ち、わかるぅ~」
 A「やっぱ、死ぬときとか、手を握ってくれるパートナー、欲しいですよね」

 真夏に火鍋をつつきながら、二人、しばし沈黙。それぞれ(おそらく)、現在過去未来の、あいつやこいつやどいつの顔を思い浮かべている。そして、おもむろに会話再開。

 私「ね、本当にパートナー、欲しい?」
 A「え、欲しいですよ~。欲しくないですか?」
 私「ん~。結婚はもういっかなぁ。死ぬ前に手を握ってもらうだけのために結婚するわけ?」
 A「手ぇ握るだけじゃないでしょ」
 私「だったら、他にどんなメリットがある?」
 A「え…」

 彼女も私も、自分一人を食わせるだけの稼ぎはある。幸い、というべきか、重いモノを運ぶ体力もある。
 私「スーパーからコメ5kg担いで帰るくらい、なんてことないしなあ」
 A「私だってそうですけど、そもそも最近はAmazonプライムが何でも配送してくれますよ」
 私「だったら余計に男手いらないじゃん。男ができること…、電気製品の修理は? この前、照明のスイッチが壊れて、わざわざ兄を呼びつけたのよ、私」
 A「あ、電気製品の修理なら、私得意です」
 
 電気関係が彼女の係なら、私は大工仕事だ。木製のダブルベッドを一人で組み立てた実績を誇りにしているのだ。さらに二人は、地図が読める。

 私「旅行も一人で行けちゃうしね」
 A「いっそ一人のほうが、他人に合わせたり気を使ったりしなくてラクですよね」
 私「ただ、女一人旅の唯一の難点は、繁華街に繰り出して真夜中まで飲み歩けないことかな」
 A「だったら、ホテルのバーで飲めばいいじゃないですか」
 私「というか、私たちって、そもそもお酒飲まないし」
 二人(大笑い)
 
 再び沈黙。鍋の〆のラーメンをすする。美味しい。
 
 私「ねぇ、やっぱりパートナー、欲しい?」
 A「…。そもそも、男性のほうが平均寿命短いですしね」
 私「生きてたとしても、手を握っていてほしい瞬間、そばにいるとは限らないしね」
 A「女友達に握ってもらうって方法もありますね」

 ちなみにAさんは、最近引っ越しをした。新居はちゃりで15分とかからない。他にも、うちから半径3km以内に住むシングルの女友達は五指に余る。最強の互助組合ができそう。日常の家屋のメンテナンスから旅行、そして最期は輪番で「手を握ってくれる」係を決めれば、ゼッタイ安心である。
 少子高齢化、単身世帯の未来は明るい(!?)。


by miltlumi | 2019-08-10 20:49 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

初夜

 「あのとき、ほんの一歩を踏み出していれば…」 ずっとあとになって気づいて、そのとき失ったものの大きさに呆然とすることがある。 けれど、あのとき、あの瞬間は、一歩を踏み出すことなんて夢にも思わなかったし、もし心に思い浮かんだとしても、それを実際にやるなんてあり得ない、と思っただろう。
 だからこそ、「今」になってこんな思いを味わわなくてはならないのだ。  

 「初夜」の話である。私の、ではなく、エドワードとフローレンスの。1962年という故き良き、そしてウブでナイーブな時代のイギリスでの、物語。以下、ネタばれご容赦ください。
 オックスフォードの教会での挙式後、新婚旅行先である海辺のホテルにやってきた二人。ローストビーフとぐだぐだの茹で野菜のディナーを前に緊張しまくるほほえましい描写から、それぞれの心境が赤裸々にひも解かれる。そして、その後の「失敗」(と言ったって、かのような主観的個人的体験で何を失敗とするかは難しいけど)。事後、浜辺での破局的な会話。「ごめんなさい」と言う一言を残してホテルへと戻ってゆく新妻を、あえて追うことをせず、砂を蹴散らし悪態をつく新郎。ようやく戻った部屋には、当然ながら彼女も彼女の荷物もなかった。

 …という、3時間くらいの出来事に、実に160頁が割かれている。もちろん、二人のなれそめや婚約時代の胸キュンデートのエピソードも込みだけど。
 そして、最後のたった10頁に、エドワードのその後の40年間が、ぎゅうぎゅう詰めで一気に描かれている。
 この、圧倒的な分量の差さに、最初はおののいてしまった。彼がその後再婚して離婚して、父親の介護のために実家に戻ったことさえ、たった3行で片付けられている。60代になって、実家の近くを散歩していて、40年前に初めてフローレンスが彼の家を訪れたときのことを思い出す。

 そして、ようやく認めるのだ。彼女のほかに、自分があれほど深く愛した人はいなかったという事実を。
 あのとき、あの砂浜で、背を向けた彼女を追うための一歩を踏み出しさえしていれば、彼女を失うことはなかった。実のところ、フローレンスはそれを期待していたのだから。
 結局のところ、あの砂浜で一歩を踏み出せなかった黄昏時からあとの彼の人生は、ただの付け足し、おまけみたいなものだった。3時間に160頁、40年に10頁というアンバランスは、取りも直さず、エドワード自身の、自分の人生に対する主観的な重みを反映しているのだ。

 ある精神科医が言っていた。「反省はしても後悔はするな」  
 でも、彼は後悔しているわけではない。では、反省をしているか? おそらく、否。
 とすると、彼の心の中にあるものは、何か。それはたぶん、ノスタルジーによるほろ苦くも甘やかな、束の間の現実逃避。自分自身の身に起こることが十分可能だった、その晴れやかな実現にまであと一歩のところまで近づいていた、幸せな日々に対する親密な空想。

 秘めやかな、ある意味ささやかな、でも「たられば」で片付けてしまうにはちょっとヘビーな、形のない想い。人はしばしば、そんな想いを、日々を生きていくための支えにしている。
 人生は、案外あっけないものである。


by miltlumi | 2019-08-06 21:39 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)