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たなぼた、もしくは隣の芝生

 少し前、DINKSの友人から緊急事態発生の連絡が入った。だんな様がアメリカに赴任することになったという。3年前に転職した会社の仕事がようやく面白くなってきたところなのに、辞めてついていくか、しばらく彼に単身生活してもらうか。
 青天の霹靂、思いは千々に乱れ…状態の彼女には申し訳ないが、正直うらやましい!と思ってしまった。

 この歳になって(といっても、彼女は私より10歳近く若い)、いきなりアメリカで暮らすチャンスが訪れるなんて、でっかいたなぼたではないか。私は20代で一度海外暮らしをしたことがあるが、今ならまたちがった楽しみ方ができそう。
 何よりも、他人(もちろん生涯の伴侶だけど)が自分の人生にどっかーんと影響を与える、そのサプライズ感、意外性。

 シングルアゲインになったとき、1人で暮らす部屋のカーテンを買いに行き、ずらり並ぶサンプルを見て「これ、自分1人で勝手に選んでいいんだわ」と驚いた、あの時の感覚を思い出す。
 どんなことも、自分が決めて、自分が実行する。逆の見方をすれば、自分が決めない限り、自分の人生は1㎜も変化しない。自分では思いもつかなかった選択肢が、突然たなぼた式に落ちてくることは、決してない。
 カーテンの前で味わった「なんでも自分」感と、彼女を羨む「たなぼた感」が、心の中を交差する。

 先々週、別の友人が、こんな言葉を漏らした。
 「自分だけが行きたい所に、自分だけで行きたい。そして、そこに居たいだけ居たい」
 彼女は、だんな様と小さな息子さんの3人暮らし。週末は子供の行きたい公園で子供を遊ばせ、夏休みはだんな様の行きたい旅先で男2人をカメラに納めるお役目…のだろうか。

 一方の私は、自分が長年行きたかったセドナに年末行ってきた。あまたあるトレッキングコースの中、気に入った場所に、居たいだけ居た。「そこに居たい」という欲求を妨げるものは、自分自身の生理的欲求(ト○レ)だけだった。
 旅の後半、アメリカに住む友人が加わった。研究熱心な彼女が「行きたい」と選んでくれたレストランは、たなぼたならぬ、たなからフレンチイタリアンメキシカン、美味しいサプライズの連続。自分一人だったら、決して行かなかった(行けなかった)だろう。
 家族を始めとする他人に振り回される不自由さは、裏を返せば、他人がもたらしてくれる世界の拡大につながる。

 さて、先日の大雪である。
 暗くなる直前に帰宅した私は、ゴム長靴に履きかえるや否や、外に飛び出した。降りたての雪をざくざく踏む、だけのつもりが、童心に火が付いた。
 降りしきる雪の中、うちの隣にある神社の境内にしゃがみ込んで、小さな雪玉を作る。滑らかな雪の上をころころ転がすと、それは「雪だるま式」に大きくなっていく。
 ふと振り返ると、放り出した傘の場所から、ずるずるぐるぐる雪だるまとゴム長の跡。幸い神様以外は誰も見ていない。

 ガラケーで撮った雪だるまをFacebookにUPしたら、ブログ宣伝より多くの「いいね!」。中の一人(彼女も既婚、子供あり)が、感心してくれた。
 「私も一人は好きだけど、『一人雪だるま』はやったことがない」
 はい。やれますよ。自分でやろうと思えば、いつだって。
 でも、自分の意図せぬまま、たとえば子供に手を引かれて足を踏み入れた公園で、雪の白さにびっくり、なんていうたなぼた式サプライズは、ない。

 家族から「たなぼた」の嵐に遭っている人は、「自分で決める」ことに憧れ、
 「自分で決める」しかない人は、誰かからの「たなぼた」サプライズに憧れる。
 つまるところ、隣の芝生。
 隣の神社の雪は、まだ解け残っている。





第2回プラチナブロガーコンテスト



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by miltlumi | 2018-01-29 11:28 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

ゴキブリと中古本の共通点

 昨日の朝刊に、驚くべき記事が載っていた。某大学準教授が、ゴキブリの脱皮に関わる遺伝子に働く物質を開発して、ゴキブリが脱皮途中で死んでしまうのを確認。殺虫効果のあるこの物質の研究を進める、という。
 えええ~~、いくらなんでも、そりゃ可哀そすぎないか?! 電車内で思わず顔をしかめる。

 てらてらした不遜な姿、目にもとまらぬ速さで物陰に隠れたかと思うと、あらぬ方向からいきなり空中飛行する俊敏さ、そして言うまでもなく、バイキンの巣窟。人類のにっくき天敵の代表選手。
 とはいえ、遺伝子組み換え(というか、破壊?)してまで絶滅せんとするのは、ちょっと行き過ぎではないか。他の動物や生態系に与える影響は小さいというが、人間の料簡だけで遺伝子に手を加えるのって、やっぱり神への冒涜なんじゃないか。

 それより何より、窮屈になった古い皮から出られなくて、うんうんうなりながら死んでいくゴキブリさんを想像すると、なんだかいたたまれない。せめてもう少しピンコロ的に死なせてあげたほうが、私たちの寝覚めもよいのでは…。
 ゴキブリをティッシュごしに手づかみできる得意技を持つ私は、究極の殺虫剤開発の可能性を、手放しで喜ぶ気にはなれない。

 夕方うちに帰ると、Amazonで注文した本が届いていた。送り主の住所はUK。洋書の中古本である。封を切って中身を取り出したとたん、笑ってしまった。
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 まじ?とつい思ってしまったのは、納品書の、このたたみ方。四隅を揃えてないどころか、全部バラバラやんか~(笑)(笑)。

 昨今、Amazonの中古本コーナーの競争は熾烈さを増すばかりなのか、高い評価点を得るため、ニッポンの出品者は涙ぐましい努力をなさっている。中古本をビニール袋できっちり包み、セロテープを直角に貼って、さらにエアキャップでくるんで分厚い封筒、はもちろん、本の古さを紛らすためにヤスリをかけたり消臭剤を吹きかけたり。

 それに比べて、ったく、イギリス人ったら。でも、納品書の折り方で本の価値が変わるわけでもないし、そもそもこの本、欲しかったし。
 結局のところ、「おもてなし」精神満載の端正な包装資材は、びりびりと破かれて即ゴミ箱行きである。むしろ、破く時間と捨てる手間がもったいない。あれはちょっとやりすぎなんじゃないか、と思う。

 さて、このゴキブリと中古本の話の共通点は何か。
 それは、「過剰」という概念である。
  ゴキブリ、嫌ってもいいけど、遺伝子破壊は「過剰」じゃないか。
  中古本、丁寧なのはありがたいが、三重包装は「過剰」じゃないか。 

 純粋に学究的興味から研究に勤しむ学者様はさておき、「そこまでやらなくても」的な商品を開発したり、サービスを提供したりするのはどうなんだろう。しかもその苦労が適正な価値として認められて、価格に反映させられるならまだしも。
 世の中、イノベーションとか生産性向上とか言われるが、もう少しなんかどっかどうにかならないんだろうか、と思うのは、過剰反応だろうか。


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by miltlumi | 2018-01-23 23:19 | マンモス系の生態 | Comments(0)

ロマンチック・グッズ

朝いちにFacebookを開けたら、友人から、昔の彼がくれたプレゼントが引き出しの中なら出てきて懐かしかった、と言うメッセージが入っていた。
趣味で集めていた品、すべて両親からのお土産だとばかり思っていたら、彼からもらったものが混ざっていたという。

タイムワープ。
意外なときに、意外な場所から、意外な人からもらった、意外な物が出てくる。
あの頃は、意外どころか、必然中の必然、人生のすべてと言ってもいいくらいの、大きな存在だった人。
今は、思い出すことさえ稀になってしまった。

羨ましいなあ、と思いながら、自転車をこいで仕事場に向かう。

ちょっと胸キュンな、こういうサプライズは、非日常的なロマンチックグッズだからこそ味わうことができる。
物心ついて以来付き合ってきた、2つの手の指だけで余裕で数えられてしまう人たちからもらったプレゼントを、桜田通りの真ん中でつらつらと遡ってみる。
相手が現実的なタイプだったのか、私がアンチ・夢見る乙女だったのか、思い出すのはどれも実用的なものばかり。身に着けるペンダントだったり暖かなストールだったり、あるいは使い勝手のいい大きさの取り皿だったり。
だから、日常いつも目のつくところにある。飾り棚の片隅や引き出しの奥にひっそりと仕舞いこまれて、意外なときにサプライズ、というロマンチックな展開が期待できない。

ちなみに、アクセサリーの中でも、ロマンチックランクNo.1カテゴリーである指輪は、別れた後のセンチメンタルジャーニーで、マウイの海に投げ捨てた。
それって十分ロマンチックじゃないか。
しかし、別の指輪は、黙って相手に返した。そしていまだに、「あれを質屋に入れていたら…」という「たられば娘」的後悔に苛まれている。
それに、実はあまり好みではなかったアクセサリーや洋服は、別れた途端にゴミ箱に捨てた。アクセボックスに残っているのは、つまり単純に自分の趣味に合っていて「モノ」として価値を認めたものばかりだ。
所詮、私のロマンチシズムはそんな程度である。

ああ、でも。
私にとって最大のロマンは、こうした3Dの物体ではなかった。
二次元の手紙。古くは、中学1年生のときに○○君からもらったものから、新しくは△△さんまで。
「思い出ボックス」と称するベッドサイドのチェストの引き出しの中で、小学3年生からつけている何十冊もの日記帳とともに、彼らはひっそりと肩を寄せ合っている。
そこに仲間入りできていないのは、HDDの中に格納されたEメールたちである。

お互い人生後半に入っている件の友人とは、いつも断捨離の話をする。しかし、「思い出ボックス」の中のあれやこれやはやっぱり捨てられないね、という結論になる。
今際の際に、あの手紙の束どうしよう、と思ったりするのだろうか。
今のうちに、「あの引き出しの中のものはすべて棺に入れてください」という遺言書を書いておこうか。
そうだ、EメールはDVDに落として、引き出しに入れておこう。

(本文の趣旨と全く無関係ですが、「東京タラレバ娘」は面白いです)


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by miltlumi | 2018-01-18 14:32 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

冬の朝

 お風呂場で、服を着たまま急いで朝シャンをしていて、灼熱のカナリア諸島を思い出す。
 なぜかと言えば、服にシャワーのお湯がかからないように中腰で出来るだけ前かがみになると、お湯が鼻の中に入ってしまって鼻の奥がツンとして、それがプールの中で息継ぎを間違えたときと同じ感覚だからだ。

 大滝詠一の「ロングバケーション」に入っている「カナリア諸島にて」は大学時代からお気に入りの歌だった。10年以上前、「和楽」の旅行特集に掲載されたカナリア諸島のデザインホテルを見て、ロンドン・マドリッド経由、大西洋の孤島でショートバケーションしたことがある。
 6日間の滞在中、ホテルのプールで泳いでは読書、泳いでは昼寝、を繰り返した。平泳ぎやクロールに飽きると、潜水をしたり水中でくるりと回転したり。もともと泳ぎが得意でないから、すぐ鼻に水が入ってしまい、鼻の奥がツンとする。あ、やっちゃった、と思うけれど、しばらくするとまた水中クルリをしたくなり、またツンを味わう。
 椰子の木に囲まれた日差し眩しいプールサイドではなく、真冬の港区の狭いユニットバスの中であっても、顔にかかるのが大西洋から運んだ潮水ではなく東京都玉川浄水場の水道水であっても、鼻ツンの感覚はカナリア諸島と直結するのだ。
 今、カナリア諸島は、さぞかし暖かいだろう。

 東の窓から射し込むやわらかな朝陽は、部屋を暖めるだけの十分な力を持たない。寒いな、と思う。でも朝からエアコンを入れると、ただでさえドライアイなのが余計に乾燥して、PCに立ち向かおうにも目が痛くて仕事にならない。
 去年も一昨年も、小寒のこの時期エアコンなしで過ごすことが少なくなかったのに。寄る年波には勝てない。諦めかけて、突然思い出す。この季節は、ジーンズではなく裏フリースのあったかパンツを愛用していたのではなかったか。
 クローゼットから去年のパンツを引っ張り出し、ついでにフリースセーターを2枚重ねに着てみたら、すっかり安心の温かさが戻ってきた。
 よし。これで、エアコンなしで行けるところまで行てってみよう。
 南極探検に繰り出すような覚悟を決めて、室温12℃の中、コーヒーカップを両手で包み込んで暖をとる。

 朝食の食器を洗った後で、夕飯のお味噌汁用ににぼしを水につける。ついでにお米も洗っておく。お正月に、母がお裾分けしてくれた「年貢のお米」だ。兵庫県の片田舎に、父から兄へと受け継がれた先祖代々の田んぼがある。地元で米作を請け負ってくれる遠縁の親戚から母の元に、毎年秋になにがしかの新米が送られてくる。
 「本当にね、ものすごく美味しいのよ。ゆめぴりかよりも美味しい」
 ついでに大根も半分持って行かない?という母の声は断る。母の住む秦野から帰る小田急線の中、誤って鞄のふたが開いて、中からラップに包まれた昆布巻や伊達巻や松前漬けのみならず、大根が転げ出したら恥ずかしいではないか。
 そのじつ、年始のスーパーに並んだ「大根1/2本198円」の値札に、母の好意を有難く受け取るべきだったと密かな後悔を抱いたのだ。
 こんな寒い日は、根菜がたっぷり入ったさつま汁でも作って、細かく切った白ネギと唐辛子をたっぷりかけて、ふーふーしながら食べたい。

 1月。これからが寒さの本番。再びカナリア諸島に逃避行したい、と思いつつも、この透明な寒さを、味わい尽くしたい気もする。


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by miltlumi | 2018-01-09 13:54 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)