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眠れぬ夜に

パジャマの上にくるぶしまでのコートを羽織っ真夜中のコンビニに行き
手持ち無沙汰のアルバイト店員に寒いですねとかこのケーキ美味しいかしらとか
いかにもただ単にひとと話をしたかっただけなの的な言葉をかけてみる

・・・なんてね
そういうことはしないものだと思い留まるだけの分別はどうにか保っている

こんなとき亡くなった犬たちのことを切に想う
あの子たちがいてくれたらこんな夜にひとりでいてもひとりじゃなかったのに
あの滑らかな毛並みや足の裏を舐める薄くて温かい舌の感触や
膝に二匹乗っている時のずっしりした重みまでもがたしかな現実感を伴って甦る

忙しく走り回る世間の人たちを尻目に一人だけぽつり時間を持て余していて
世界中の人たちがみんな乗れる寛大なるノアの方舟に一人だけ乗りそびれたみたいで
そうではないことを確かめるために私以外の誰かのぬくもりに触れたくて
でももうあの犬たちはここにいなくて人に電話するには時間が遅すぎて

いっそ眠らぬ街に繰り出してしまおうかと思うだけで
やっぱりそれもコンビニと同じで決して本当にやらかしたりはしないのだ
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by miltlumi | 2014-12-30 02:00 | フォトアルバム | Comments(0)

ストップ!詐欺被害

 自由業には「残業」という概念がなく、会議は大体6時には終わる(よう設定する)ので、会食がない限り夜はだいたい6時半過ぎにNHK首都圏ネットワークを見ながら(というより聴きながら)夕飯を作り始める。この時間にのんびりNHKを見る視聴者が、残業真っ只中の働き盛りサラリーマンやインターネット漬けの若者や塾通いに勤しむ小中学生であるわけはないので、おのずと番組内容は高年齢層を意識したものになる。
 中でも、毎回思わず包丁を止めて画面を見入ってしまうのは。「私は騙されない・ストップ!詐欺被害」という、オレオレ詐欺への注意喚起コーナー。

 「銀行員が来て、それはサギですよ、と言ったにもかかわらずうちの中にあった1,000万円を振り込んでしまいました」などという実話を聞くたび、そもそも1万円札が千枚もうちの中にある、という事実に驚愕する。よっぽどレアなケースなゃないかと思っていたが、つい最近還暦近い知り合いが、ご母堂様から「そろそろどうにかしないといけない気がして…」と相談を持ちかけられ、押入れの中から引っ張り出してきた100万円の札束20個ほどを見て「あっちゃ~」と思った、という話を聞いた。
 地球上に張り巡らされたデジタルネットワーク上で01のビット情報としてやりとりされるおカネとか、この条件であのおカネをあそこからあそこに動かしてちょっと間を置くだけで利ザヤが稼げます、といったフクザツな利殖プログラムなどBeyond my imaginationである高年齢の方々にとっては、うちの中に万札を100枚単位で保管することは決して非常識ではないのだ。
 だとしても、これだけサギ被害が頻発し、世間が「騙されるな」とカネやタイコで騒ぎ立てているのに、どうしてコロッと騙されてしまうのだろう。そこまでヒトはボケてしまうものだろうか。常々本当に不可思議であった。

 でも、お味噌汁のお味噌を溶きながら、ふと思った。おばあさんたちは、単に誰かの役に立ちたいのではないか。
 昔は夫の世話をし、子供に頼られ、明らかに家族の役に立っていた。8ケタのタンス預金ができるくらいの人なら、ちゃんと働いたこともあって上司や部下やお客様から「頼られる」経験も重ねてきたかもしれない。それが歳を取って引退してしまい、ボランティア活動をするにも身体が言うことをきかなくて、「誰かの役に立っている」という実感がどんどんなくなる。いい歳になった子供たちからも、労わられることこそあれ、「頼られる」ことはほとんどない。そこに、「助けてくれ!」というSOS。

 何の証左もない、きわめて個人的かつ直感的な見方である。けれど私自身、どこの組織にも属さず、毎日必ず特定の人と共に残業までして仕事に取り組んでいるわけではない気楽な自由業を続けていると、ふとした瞬間に「私は誰の役に立っているのかな」と心もとなくなることがある。頼まれもしないのに、業務委託先の若い子を呼び出してご飯をご馳走してみたりする。一応「現役」の人間ですら、こういう気持ちになることがあるのだ。
 人は、いくつになっても誰かの役に立っていたい。少子高齢化社会、医療や年金制度の見直しもいいけれど、それ以前に一人一人がやることもある気がする。
 いつも行くスーパーで、早々とおせち料理の食材が並んでいた。「丹波黒豆・特級品」を買って、母に郵送した。「おいしい黒豆炊いてね。よろしく♪」とメールしたら、「わかりました!」と即レスが返ってきた。
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by miltlumi | 2014-12-20 14:29 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

Residue

 収納スペースの片隅に、長らくその存在を忘れていたヴィトンのボストンバッグを見つけた。私にもブランド物に憧れた時期があったなあ、と、トロントの目抜き通りで買った四半世紀前を懐かしく思い出す。久しぶりに使おうと手に取ってみると、…くさい。カビくさいというか、ヘンな臭いがする。鞄の中に顔を突っ込んでくんくんしようとしてみると、内側に2㎝くらいのごく細いものがふわふわと付着している。犬の毛、である。

 雨の日に犬を病院に連れて行かなくてはならなくなったことがある。普段なら散歩がてら、あるいは自転車のカゴに乗せていくのに、雨だといずれの手段もとれない。だっこするにも、うちの犬は幼少期に私がペットフードの分量計算を間違えて大量に食べさせた結果標準体重の2倍に巨大化してしまった。仕方なくタクシーを使おうと思ったが、犬を直接乗せるのを嫌がる運転手もいるにちがいない。移動用のキャスターつきケージは大きすぎる。
 そこで思いついてヴィトンのボストンバッグに7.5kgの巨大ミニチュアダックスフンドを押し込めたのである。5・6分の乗車中、わずかに開けたファスナーから鼻先だけ出して、犬はバッグの中でもぞもぞと身体を動かしていた。

 もう5年も前のことである。病院に行かねばならなかった、その病気のせいで、犬は私の家からいなくなってしまった。一緒に暮らした14年の間じゅうずっと、身の回りには常に犬の毛がふわふわとしていた。部屋の片隅、冷蔵庫と壁の隙間、黒いセーター、流しの下の物入れ、etc.。亡くなってからもしばらくは、掃除機をかけるたび絹糸よりも細い茶色の毛がどこかしらに蹲っていて、余計に彼の不在を私に思い出させた。
 1年くらいしてようやく週1度の掃除中に犬を思い出さずにすむようになって、大掃除のときに洗濯機の横の隙間を雑巾で拭いたらごっそりと犬の毛が出てきて、ぎくっとしまった。ここ数年は、もうそんな不意打ちをくらうこともなくなっていた。

 それでも、道を歩いているとき、近くの公園を散歩するとき、ふとしたはずみで、犬が必ず立ち止まって用を足していた場所をじっと見つめてしまうことがある。
 最近の科学技術の発達のおかげで、何年も前の犯罪現場に残されたわずかな残滓から検出されたDNAを鑑定した結果、犯人が特定されることがある。今ここであのブロック塀の角を鑑定したら、私の犬のDNAは検出されるんだろうか。そんな突拍子もない想像をするのは、うちの犬が殺人事件に関わったことがあるためではない。単純に、あれが生きていた物理的な証拠がまだこの世のどこかにちゃんと存在しているという、その不可思議さと懐かしさを感じたいがためなのだ。

 Residue(英)=残りかす、残留物。日本語に訳してしまうと、色気もそっけもないこの単語を初めて目にしたのは、ビデオテープレコーダーの英文カタログだ。高性能なヘッドが何千回磁気テープを再生しても、テープに吹き付けた磁気材料の “Residue” がほとんど発生しません。その響きがなんとなくロマンチックで、すぐに覚えた。
 ボストンバッグに残っていた犬の毛を見て、この単語を思い浮かべた。久しぶりに遭遇した、愛犬の残り香。そうして、Residueの響きが「Adieu(仏)=さようなら」と似ていることに、突然気づいた。
 ボストンバッグを裏返して、しばらくベランダに干して、丹念に洋服ブラシをかけた。犬のResidueは、冬の陽を浴びながらふわりふわりとどこかへ飛んで行った。
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by miltlumi | 2014-12-11 11:21 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(2)