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大掃除

一軒家というのは、どうしてこんなに埃がたまるのだろう。
年末に実家に帰るたびに思う。
バリアフリーとはほど遠い、築30年以上の2階建て。
敷居にかまち、巾木とそこらじゅうがうっすらとぼやけている。
炊事手袋で武装して、片っぱしから拭き掃除。
意地になって壁まで拭きながら、
来年はもしかしたら、このうちがないかもしれないことを思い出す。

この夏、兄の家の隣に買った母の終の棲家
あのときは「しばらく引っ越さない」と言っていた母が、
荷物の整理を始めていた。

ここにもまた、ひとつのものを手離そうとしている人がいる。

ふいに、引っ越してもらいたくない、と思う。
彼女のためではなく、私のため。13歳から26歳を過ごしたこの家。
雑巾を持つ手に、力がこもる。

***

今年1月20日から始めたこのブログが、このエントリーで207になりました。
訪れてくださった皆様、ありがとうございました。
来年も気持ちよく続けていきたいと思いますので、引き続き応援よろしくお願い申し上げます。
2011年が皆様にとってすばらしい年になりますように。
よいお年をお迎えください。
by miltlumi | 2010-12-31 20:13 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

手離す

長年、大切にしていたものを失くした。
失くしたことに気づいた瞬間、
どうしよう、と思う一方で、少しほっとしている自分がいた。

ちょうどなくなるタイミングだったのかもしれない。
本当はもういらないのに、なければならないふりをしていただけ。

あちこち探し回る必要はないだろう。
そう思ったら、なんだかからだが軽くなった気がした。

ひとつのものを手離せば、新しいものがやってくる。
新しい年まであと1日。
きっと、新しいことが始まる。
by miltlumi | 2010-12-30 21:36 | 私は私・徒然なるまま | Comments(1)

二十歳すぎたら余生

 「二十歳過ぎたら余生」を標榜している。この高齢化社会、そんなこと言ったら夢も希望もないじゃん、と思われるだろうが、動物としての能力は二十歳前後がピークで、あとは衰える一方なのだから、これは真理である。必然的に、二十歳から後の人生は「暇つぶし」となる。

 先日、20年ぶりに高校のクラス会があった。私が幹事で、20歳違いの担任の先生までいらしてくださり、20名弱が5時間近く盛り上がった。ちょっと前にブログにご登場いただいたKさんは、ラグビー部のD君をさほど好きだったわけではないこと(私がT君に片想いしてたから、T君の想い人のKさんのことがデフォルメ記憶されてたのね)を30年ぶりに知った。
 で、そのD君いわく、「でも、クラスで一番可愛かったのはなんたってKKさんだよな~」とバクダン発言。KKさんはI君が好きで、I君は私に告白したM君の仲良しだった。ぐるぐるぐる…そこらのハーレクイン・ロマンスより込み入ってて面白いね(実に、このクラス会には、当のハーレクイン・ロマンス翻訳者も出席していた。うそのような本当の話)。

 後日、幹事として名簿と欠席者メッセージと集合写真と会計報告をメールする、というところまでは普通の展開。ところが、それをきっかけにぴゅんぴゅんメールが飛び交う。楽しかったね。すぐあの頃に戻れたね。またやろうね。みんな、仕事の合間だろうに。
 さらに、Kさんが、我がクラスが見事優勝した合唱コンクールの録音と準優勝の体育祭仮装音楽をMDで保管していて、それをH君がMP4に落とし、私がUPしたときからメールの数が倍増。欠席してた人まで飛び入り参加。あの週、雑音の入り混じった(そして確かに17・18歳の自分の声が混ざっているはずの)「韃靼人の踊り」のハーモニーに、何人が涙したことか。それにしても、音楽の力は偉大。一瞬であのときにワープできる。
 
 サラリーマンも自由業も、23区内住民も郊外在住者も、みんな等しくティーンエイジャーに戻っている。ね、やっぱりあの頃が一番でしょう。
 かの有名な、投資家にして億万長者であり、ティーンエイジャーの時に混乱のハンガリーから命からがらアメリカに渡った経歴を持つジョージ・ソロスは言う。
 「私が一番幸せだったのは、14歳のときである」 
 私が一番幸せだったのは、この人達と一緒に過ごしていた17歳。まあ、誤差と言えよう。

 1次会で飲み物を注文する時、ほとんどの人達がメニューを遠ざけながら眺めていた。あと5年もすると、レストラン選定のときには塩分とかコレステロールに気を使わなければならなくなるだろう。皆、ようやく私と一緒に「余生」を自覚できる年頃になってきた。  
 いちばんきらめいていた時間を共有した人達との暇つぶし。これから益々楽しみ。
by miltlumi | 2010-12-27 20:19 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(3)

クリスマスの色-愛情の赤

初めて一人暮らしを始めたとき、父が単身赴任で使っていた赤いトースターを譲り受けた。
そのおかげで、今でもうちのキッチンは赤を基調にしている。
赤いやかんや赤いおたまと一緒に料理をしていると、とても浮き浮きした気持ちになる。

クリスマスには、1年に1度しか使わないグリーンのテーブルクロスに赤いナプキンをセットする。
赤ピーマン緑ピーマン(ついでにオレンジピーマンもマリネ)。
トマトブロッコリー(主役はチキンだけど)。
人参ほうれん草のマカロニ(バジルソースで和える)。

クリスマスが終わると、いきなり年末大掃除モードになって、赤いトースターを磨く。
来年もまた。
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by miltlumi | 2010-12-25 20:45 | フォトアルバム | Comments(0)

クリスマスの色-純潔の白

白い服を着たくなるのは、a0165235_13515831.jpg
きまって何かが終わったあとで、
何かを始めたくなったとき。
そして確実に、何かが動き出した。
今から振り返ってみると。

白ならば、何色にでも染まることができる。
捨てれば心に空間ができて、
気づかぬうちに新しいものが入ってくる。

純潔が、聖母マリアの処女懐胎を
ほのめかしているのだとすると、
たいがいの大人は、なんとなく気まり悪くて
視線をそらしたくなるけれど、

いさぎよいこと、と思えばいい。
by miltlumi | 2010-12-24 13:54 | フォトアルバム | Comments(0)

クリスマスの色-永遠の緑

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           永遠ということばに、盲目的にロマンを感じるほど若くはない。
  
              人が永遠に憧れるのは、
              それがあらゆる事象に対して公平に、
              そして完全に実現不可能であることを、
              心のどこかで理解しているから。

              だからこの瞬間だけ、それだけでいい。
              それしかない、と強がってみる。
              でもやっぱり、そう思うそばから、
              永遠を望まずにはいられない。

              天使が降りてきて言う。
              この宇宙の真理を受け入れるくらいには
              もう大人になったのだから、
              永遠でない永続のしかたを編み出してごらん。
by miltlumi | 2010-12-23 22:58 | フォトアルバム | Comments(0)

まっすぐな木

まっすぐな木が好きだ。
そして、枝が完璧な円錐形を描く木が好きだ。
冬、葉を舞い散らせて枝だけになったとき、
その、まるで定規で計ったような、潔い姿が青空に映える。

外苑東通り沿いの赤坂御所の敷地内と、
広尾ガーデンタワーズの一番有栖川記念公園寄りに、
その木が2・3本並んでいて、
四季折々のそれらを見るたび、私は秘かに「落葉松は本当にきれい」とつぶやいていた。

メタセコイア、というのが本当の名前だと知ったのは、つい4日前のこと。
初冬の箱根で、やっぱり3本、仲良く寄りそっていた。
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by miltlumi | 2010-12-22 18:48 | フォトアルバム | Comments(1)

Being vs. Doing (男の視線から)

女の視点からのエントリーはこちら

 「いつも機嫌が悪いと、女にとって魅力ないわよ
 女が言った。彼女にとって「機嫌」の基盤となるべきものは、幸せ。彼女の回りにいる男といえば、世界に名だたる企業の前CEOなのにダンディでファッション雑誌に頻繁に取り上げられる爺さんとか、実家が日本有数の金持なのに趣味で世界最大のコンサルティング会社の日本法人社長をやっているおっさんとか、すんげぇー幸せなのが揃っている。
 でも、と俺は思う。「機嫌よくいる」というのは実は、状態(=be)であり、行動(=do)ではない。俺にとって、その状態とは、be crazy, be extraordinary。痺れる状態にいること、勝者であること。幸せはそのための手段の1つに過ぎない。もちろん、幸せ=人生の価値、という恵まれた奴もいる。それはえれぇ。たまたま俺がそういう人種ではないというだけのことだ。

 昔つきあっていた女は、商談や会議はもちろん、腕立てもスクワットも嫌いだった。「おまえって、こういう女じゃない?」と言われると、完璧にその言葉を無視した。自分が好きな小説や映画のことばかり、とても楽しそうに話していた。
 あの頃、勝者になりきれなかった俺がイラついていると、必ず「じゃああなたはどうありたいの?」と聞かれた。ちがう、beではなくdo。「ただ過激に、戦い続けていたい」というだけだったのだ。

 今、あえて言えば、その状態を保つための一番大切なdoは、戦闘である。極限状態で戦っていられるかどうかは、快感のバロメーター。プレッシャーが無くなると、アドレナリンが枯渇して戦えなくなる。本日の快感度、計測不能。最も危険な兆候だ。そうならないよう、常に恐怖と対面し、徹底的に自分を追い込んでいなければならない。
 でも彼女に説明する気はない。beこそ全て、と思っている女には、幸福が手段なんて言っても、負け惜しみだと逆説得にかかられるのがおちだから。そこまで考えて、黙って微笑んだ。目と目があった。彼女も黙って微笑んだが、口元が思いっきり歪んだ。
 負けた、と思った。

 結局のところ俺は男なので、女の気持ちはわからん。
  戦っている男より、機嫌のいい男のほうが魅力的なのか。
  機嫌のいい男より、生死の狭間で戦っている男のほうが、より魅力的ではないか。
  それより、戦いながら機嫌のいい男はどうか。
 俺に3番目は不可能だ。

***

上記は、私の文章ではない。
お互いゼッタイに理解しあえないことを深く理解しあっている、でも仕事上は絶妙の「あ・うん」でタグを組んで一緒にマンモス狩りに出かける(私とて、現代社会で生き伸びるため、たまには狩りに出ないといけないのだ)、I氏からの投稿である。一言一句変えていない。彼のオリジナル。
それにしても、こんなに見事に考え方がリバースするとは。
男と女の間には、深くて暗い川がある。それでもお互い、Row and row。
by miltlumi | 2010-12-21 21:04 | 忘れられない言葉 | Comments(1)

詩と感興

 ブログを読んでくださっている友達から、「よく毎日のように書くことがあるね」と言われる。「子供や犬がいなくてもブログが書けることがわかりました」という人もいた。日々成長していく子供や、一つ一つの動作が無条件にかわいいペットは、確かに毎日ブログねたを提供してくれるだろう。でも、そういう対象がなくても、常に人は何かしら考えているわけだから、それをただ文章にすればいいんですよ、…なんてことは決してない。
 
 中学か高校の国語の授業で「詩と感興」という文章を読まされたことがある。「感興」という言葉が新鮮だったので、よく憶えている。何か物事に遭遇したとき、それを見たり聞いたりしただけでは不十分で、そこから何かを感じ取ったり興味を持ったりすること=感興が生まれて初めて「詩」が書ける、というのである。

 もっと言えば、感動と感興はちがう。例えば、一昨日の朝の東京は快晴で、絶好のお散歩日和で、とても気持ちよかった。以上。おしまい。感動はしたけれど、ただ心が動かされただけで、そこから何も起こらない(興らない?)。これが文章なり絵画になるには、「感興」という心の作用の発展系が必要なのだ。青い空、風に舞う銀杏の落ち葉、もしくは平日の朝の地下鉄から地上への雑踏、といった事象から発展する一連の「思い」の流れとか、あるいは落ち葉をキーワードにした同様のいくつかの記憶とか、「感興」という化学反応を促す何か。
 心の調子のいいときは、スターマインの花火のように次々と新しい化学反応が起こって、一つの思いに触発された次の思いがどんどん花開き、きらきらと一つの絵になっていく。私はそれを見ながらすいすいと言葉にしていく。 
 普段から、化学反応に役立ちそうな火薬を心の中に色々と取り揃えておくことが大切だ。でも一方で、本当に感興が生まれる時は、これまでのストックを全く使わなくても、瞬時に新しい火薬が即時生成されてその場で火がつき始め、見たこともない花火が大きく広がる。

 友人のアーティストが言っていた。1日じゅう机に向かって何も創れなかったのに、お風呂に入ってパジャマに着替えて机の脇に立ったとき、座りもしないでちゃちゃちゃっと作品が出来上がることがあると。それから、プロとアマの違いは、10個の作品を作ったとき、すごくいいものが3つあったとして、プロは残りの7つもそこそこのクオリティーだけれど、アマの場合は過半数が全く使い物にならない代物だ、とも。

 「感興」が降りてきてくれないから今日は書けません。という日も、そこそこに文章を書く修行をせねばならない。道は遠い。
by miltlumi | 2010-12-19 21:59 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

Doing vs. Being (女の視点から)

男の視点からのエントリーはこちら

 「自分を確立しないと、男にとって魅力ないぞ」
 男性が言った。彼にとって「確立」の基盤となるべきものは、仕事。それも、不特定多数から注目を集め、社会に(できれば世界に)影響を及ぼすような仕事(Thank god, いくら儲けるか、という世俗的な項目は彼のクライテリアには含まれていない)。
 彼の回りにいる女性といえば、子供連れて米国に自費留学して会社興して上場させたとか、何代も続く伝統芸能の家元を継いで古い世界に新風を吹き込んだとか、ヘッドハンターとしてがんがん稼ぎながら10歳以上年下の彼に触発されてレスリングを始めたとか、すごい行動派ばかり揃っている。
 でも、と私は思う。「自分を確立する」というのは実は、状態(=be)であり、行動(=do)ではない。私にとって、その状態とは、be happy, be pleasant。幸せであること、機嫌良くいること。仕事はそのための手段の1つに過ぎない。もちろん、仕事=人生の幸せ、という幸せな人もいる。それは素晴らしい。たまたま私がそういう人種ではないというだけのこと。

 昔つきあっていた人は、心理学やカウンセリングはもちろん、星占いもおみくじも嫌いだった。「あなたって、こういう人じゃない?」と言われると、完璧にその言葉を無視した。自分が取り組んでいる仕事や趣味のことばかり、とても楽しそうに話していた。
 あの頃、幸せになりきれなかった私が悩んでいると、必ず「じゃああなたは何をしたいの?」と聞かれた。ちがう、doではなくbe。「自分らしく、機嫌良くありたい」というだけだったのに。

 今、あえて言えば、その状態を保つための一番大切なdoは、仕事ではなく物書きである。気持ちよくブログを書けるかどうかが、幸せかどうかのバロメーター。仕事が忙しくなり過ぎると、心の余裕がなくなって書けなくなる。本日の幸福度、計測不能。最も危険な兆候だ。そうならないよう、仕事は選んで、そこそこの時間だけ割くようにしなくてはならない。
 でも彼に説明する気はない。doこそ全て、と思っている人には、仕事が手段なんて言っても、負け惜しみだと逆説得にかかられるのがおちだから。そこまで考えて、黙って微笑んだ。目と目があった。彼も黙って微笑んだが、口元が少しだけ歪んだ
 勝った、と思った。

 結局のところ私は女なので、男の人の気持ちはわからない。
  機嫌のいい女性より、仕事をしている女性のほうが魅力的なのか。
  仕事をしている女性より、機嫌良く仕事をしている女性のほうが、より魅力的ではないか。
  それより、仕事をしながら機嫌のいい女性はどうか。
 私は、3番目を目指している。
by miltlumi | 2010-12-16 11:19 | 忘れられない言葉 | Comments(0)