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整理収納について

 整理収納がとても好きだ。
 オフィスでのファイリングは何よりも好きである。個人所有の書類やPC上のファイル整理はもちろん、社内のメンバーが共有する物理的・電子的スペースの整理も、自ら買って出て整理する。これまでの会社生活で社内外の異動を10回くらい経験したが、私が着任するまでおざなりだった部署のファイリングに手をつけた回数は7回を超えている。
 当然プライベートでも趣味は整理と言っていい。引っ越してしばらくは、暇さえあれば引き出しの整理。日ごろの動線や収納グッズの使い勝手とその物の使用頻度・形状など要素から総合的に判断して収納場所としまい方を決定する。基本A4ペーパーのみのオフィスに比べ、家にあるものは形も材質も使用目的も全くちがうものの集合体だから、やりがいは段違いである。とはいえ、所有物は有限だから、いつかは整理が完了する。その後は新しい物を購入するか、既存の物を廃棄するかしない限り、大がかりな再調整が不要なので、これだと永続的な趣味にならない。
 だから、最近は友人に対して「整理してあげる」としきりに誘いをかける。これまで出会った人々の中で「整理が好き」という趣味を共有できたのは2人くらい。つまり、世の中の需給関係は圧倒的に需要過多、つまり私の出番なのである。

 私の整理収納の原風景はどこにあるのか。三つ子の魂百まで、を座右の銘とする私は、幼い頃の自分をつらつらと思い返し、6歳くらいのところで、はたとある光景に思い当たった。平屋の社宅の3軒隣に住んでいた2つ年下の聡子ちゃんが、桜の木が植えられた四つ角を左から右へ、お母さんに付き添われて、ぎゃあぎゃあ泣いて私の名前を呼びながら歩いている。どうしたのかと近寄っていくと、お母さんが少し恐い顔で言った。「お片づけをしないで帰っちゃったでしょう。聡子のおもちゃを一緒に片づけてちょうだい」

 聡子ちゃんが持っている、ゴムでできた高さ7cmくらいのものすごくリアルな動物達が私のお気に入りだった。あの頃はどこのうちにも「おもちゃ箱」があり、そこに子供の全財産が雑多に投げ込まれている。聡子ちゃんのうちに行っては、そのおもちゃ箱からゴム動物をひとつずつとりだして並べるのが私の楽しみだった。
 いつものようにゴム動物をとっ散らかして遊んでいた私は、それらをおもちゃ箱に戻すことなく、とっとと聡子ちゃんのうちを後にしたらしい。後に残された聡子ちゃんは呆然として、自分の手に余るおもちゃの山を見て泣きだしたにちがいない。
 やばい。私は素直に彼らの後に従い、6畳間の3分の1くらいのスペースにばらまかれたおもちゃたちを黙っておもちゃ箱へと戻したのだった。
 今、友人のクローゼットやキッチンの片づけを手伝うのは、聡子ちゃんへの懺悔かもししれない。
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by miltlumi | 2010-03-31 19:26 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

月命日


昨日は、ミルトの月命日だった。a0165235_22281880.jpg

何をしたわけでもないけれど、
亡くなったその時間に合わせて、
ルミと一緒にミルトの写真を見た。

ついでに、というのもなんだが、
ミルトより14ヶ月ほど前に亡くなった父と
彼が亡くなる1年前に行った、
家族旅行のときの写真を見た。

照れくさかったのか、父の写真は1枚も撮っていない。
でも、何枚も撮っていた西伊豆の夕陽は
確かに、父と一緒に見た風景だ。
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by miltlumi | 2010-03-28 22:32 | フォトアルバム | Comments(2)

目標設定

 目標設定がものすごく苦手だ。最初にその傾向に気付いたのは小学校4年のとき。2学期の初めに、皆で「今学期の目標」を作りましょう、ということになり、画用紙を縦半分に切った短冊形を配られた。え、目標… 頭が真っ白になった。1日の猶予が与えられたが、うちに帰っても朝起きても、達成したいことなど思いも浮かばない。学校に行くと、普段授業ではさえない男の子も「一日一善」なんてかっちょいいことを書いている。苦し紛れに書いた私の短冊を見て、担任の廣井先生は、失望の交じった哀しげな表情を浮かべられた。
そうじをしっかりやる」…我ながらあまりに目線が低い。

 会社に入って2年目、「自己申告書」というものを渡された。過去1年の反省はともかく、向こう1年の目標は勿論、「3~5年後の自分の姿」とそれを実現するための「実行スケジュール(月単位)」まで書かれたフォーマットを見て、目の前がクラクラした。反射的に思いついたのは「半年後にお見合い、1年後に結婚式、3年後に第一子出産」だったが、さすがに会社と関係ないことを書くわけにはいかない。
 別の会社に移って、いわゆる「営業目標」を課された暁には、もうダメだと思った。できるわけがない。数値目標そのものもほぼ実現不可能な大変な大きさだったが、そんな数字をぶら下げられて、場末の競馬レースみたいにふがふがと走り回るなんて、はしたないことできるわけない。

 しかし、この傾向は私だけでなく、多くの女性に共通する。楽しく旅行雑誌の編集をしていた友達が編集長の打診を受けたが、部数目標や売上目標にきゅうきゅうとするのがいやで、あっさり会社を辞めてしまった。今はNGOの仕事をしているらしい。クリエイティブ系の仕事をしていた女性が、会社が小さいために営業もやらざるを得ず、コンペで淡々とプレゼンして受注を重ねるうちにトップセールス賞をとってしまい、営業統括に昇格されそうになった。でも正式にノルマや売上目標を課されるのがいやで、やはり会社を辞めて大学で教鞭をとることにしてしまった。こんな例は枚挙にいとまがない。

 女性は、本能的に「足るを知る」人種なのだ。必ず木の実150個集めなければ、なんて思わない。木の実がなければきのこ採るもん。一方男性は、女性に認めてもらうために(?)無尽蔵にマンモスを狩る。
「次々お目当てのジュエリー(目標か?)見つけて無尽蔵に買い漁る女がいるじゃないか」とおっしゃる殿方、それはマンモス肉を捧げてくれるはずの男性が、マンモス狩りそのものに夢中になっちゃって、肝心の女性をほっぽらかしにするから、「振り向いて!」という合図なんです。あるいは、振り向いてくれない輩に愛想を尽かして、別のマンモス男に秋波を送るための準備。
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by miltlumi | 2010-03-25 23:21 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

三つ子の魂

 ブログねたの発掘のため、昔から書き貯めている紙切れを漁ってみた。会社の昼休みとか旅先のカフェとか、普段の日記帳が手元にないときに書き散らした大小様々な紙切れ(ホテルのFAXヘッドやメモ紙だったり、会社の書類の裏紙やB5ノートの切れ端だったりする)が、クリアホルダーにごそごそと入っているのだ。
 そこで見つけた16年前の文章。驚いたことに、去年5月に書いた内容(未発表)と全く同じテーマ。そのきっかけとなるエピソードも一緒。ずっとエピソードが頭から離れず、書こう書こうと思って、去年ようやく文章にしたつもりだったのだが、16年も昔に既に書いていたとは。つまり私は16年間同じことをぐるぐる思い続けてきたわけだ。進歩がないというか、思考回路が固まっているというか。

 でも考えてみれば、人間の成長は20歳前後をピークに下降線をたどる。社会に出てから知的にも人間的にも大きく成長なさる立派な方もいらっしゃるが、多分、基本的なものの考え方とか価値観はおそらく20歳までに決まってしまう。
 実際のところ、私が16年間反芻してきたそのテーマは、ティーンエイジャーの私が本能的に温めていたことだ。あれから大学を卒業して社会に出て、色々な人の色々な価値観に出会った。「隣の芝生」状態になって、ふやふやだった18歳の価値観は隅のほうに追いやられて、「私もああならなきゃ」とか「もっと頑張らなきゃ」とか思って、他人の敷いたレールの上を走り始めた。そしてある日突然気づいた。どうしてこんなレールの上をがむしゃらに走っているのだろう。
 そのレールのほうが「社会的」には価値があって、衆目に認められる「立派」なものだったかもしれない。でも、気づいてしまった。そのまま走ったほうが、自分自身もある意味楽だったかもしれない。でも、ちがっていた。たくさんの人が「もったいない」と忠告してくれた。でも、決めてしまった。

 大学時代の親友が、あの頃は全然勉強なんかしなかったくせに、新卒で入った会社を辞めて留学して、今やなんと大学で教えている。彼女から、今秋「リーディングカンパニー」という新しい講義を開設する予定なので、私の「リーディングカンパニー」での経験を1時間話してほしい、と頼まれた。相手は大学3年生。21歳。最近は就活が早くスタートするから、彼らはきっともう隣の芝生を穴があくほど観察してすっかり「社会人」モードになっているだろう。
 ねえ、君たち。仕事を選ぶ時、人生の選択肢を選ぶ時、18歳のとき好きだったこと、大切に思っていたことを、忘れないようにしてほしい。それが、私が彼らに伝えたい唯一のメッセージ。
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by miltlumi | 2010-03-24 10:06 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

結婚の条件

(今日のエントリーは、エリート男性はお読みにならない方がいいかもしれません。刺激が強いかもしれないので。)

 聞いた話だが、とても優秀な大学の男子学生が、自分の大学のサークルでとても可憐な女子短大生と知り合った。彼はその大学を優秀な成績で卒業し、超一流企業に就職し、その女性大生と目出度くゴールインして、玉のような女の赤ちゃんにも恵まれ、めきめきと出世し、そして迎えた40代。年頃になった娘に、妻がこんこんと人生訓を説いているのを耳にした。
 「いい? 男は顔や性格じゃありません。学歴と就職先よ! アナタの彼はW大からM商事内定? よし、いいんじゃない。それで行きなさいっっ」
 娘が自室に引き上げたあと、彼はおそるおそる妻に尋ねた。「あのお、俺と結婚したのは、大学と会社のせい?」 妻は間髪いれず「当たり前でしょ」

 これぞパンパース女性の鑑。ここまで割り切れるものかと、恋愛や結婚に(いまだに)ロマンチックな要素を求めている私としては、脱帽するしかない。恋愛は結婚のプレリュード、結婚は子孫繁栄のための社会保障制度。優秀な子孫を残すには、優秀なDNAと掛け合わせるのが、生物始まって以来の鉄則。マンモス狩りの腕でDNAの優劣を測ることが不可能になった今、女は文部省や駿台・代ゼミ、東京証券取引所その他の公的機関による公開情報に基づいてDNA判定を行う。
 ちなみに、彼と彼女が属していたサークルは、同様なカップルが複数誕生したそうだ。フィーリングカップル5:5(古いね)全員がハッピーエンド、みたいな離れ業ができたのは、短大側があらかじめ厳密にアロケーションを決定したおかげ。1人の男性を2人の女性が奪い合うといった無駄なエネルギー消費を、計画的に回避する彼女らの作戦に再び脱帽。

 でもこの男性、「当たり前でしょ」と言われて、ぐわわわんん…と落ち込んだものの、だからと言っていきなり離婚を決意するわけでもない。発端はともあれ、既に20余年の月日を共にした糟糠の妻(古いね)。パンツも洗ってくれるし、一緒に旅行にも行ってくれる(行き先決定権は妻と娘に握られ、唯一自分が握っている財布のヒモも武装解除されて、毎年ハワイでDuty free shopping三昧されてるそうだが)。へたに離婚なんてしたら、この先の給料も退職金も年金もみーんな半分(+娘分)とってかれて、自分は慣れない手つきでお米なんぞ梳いたりして(最近は無洗米があるか)、みじめったらしい。

 結婚とは、恋愛の終着駅ではなく、単なるGesellschaftの一形態。
 「大学と会社」というシンプルな判断基準しか持たない妻は、天下泰平。
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by miltlumi | 2010-03-22 23:26 | マンモスの干し肉 | Comments(2)

いらいらしない

 VAIO PCのオプションでついていたMcAfeeウィルスソフトは、気が遠くなるほどだるい。ある日突然キーボードのインプットが停止したかと思うと、画面の右下の方で邪悪な赤い矢印がぐるぐる回っている。知り合いは「修行というか苦行」と言っていた。早くこのメール送信したいのに。早くAmazonでこの本買いたいのに。いらいらいらいら。腹立ち紛れにばんばんキーを叩いて、ソフトが止まったときに現れる意味不明の文字の羅列にまた腹を立てる。 
似たようなことは平日の通勤駅でも起こる。毎日几帳面に同じ時間に家を出て同じ電車に乗る人はともかく、そうでない場合や数分間隔でぼんぼん電車が来る路線の場合、ホームへの階段を降りつつあるときに発車のベルが聞こえると、反射的に駆け下りてしまう。運悪く鼻先でドアがしまると、つい「ちぇっ」と舌打ちをする。すごく損した気分になる。ぶつくさぶつくさぶつくさ。そして不貞腐れて3分後に来た次の電車に乗る。

 あるとき、どうして「損した気分」になるのか、何をしたいために3分早い電車に乗りたいのか、胸に手を当てて考えてみた。
①早く会社に着きたい。
②会社に着いて、早く仕事を始めたい。
③早く仕事を始めて、とっとと仕事を片づけたい。
④とっとと仕事を片づけて、早く家に帰りたい。
⑤家に帰って早く寝たい。
⑥早く寝て、早く起きたい …わけではなく、ただ少しでもたくさん寝たい。
 ここまで考え付いてようやく、階段を踏み外してずっころぶリスクを冒してまで3分早い電車に乗る意義のなさに気付いた。

 もしも「③9:30から始まる会議の資料を20部コピーをとらねばならない」とか「⑤23:00からのWBSを絶対観たい」とかいうなら、それなりにリスクテイクの意味はある。
 あるいは大多数の人は、単に「とにかく早くしたい」だけかもしれない。一種のゲーム感覚。ぎりぎりセーフで飛び乗れたら「勝った」と思う。その勝利の感覚、アドレナリン放出感が、負けた時のいらいら・ぶつくさを補って余りあるものだから、止められない。

 でも、「わけもなくいらいらする」「でもいらいらしたくない」という人は、一度上述のような分析をしてみてはいかがだろうか。大概は大した根拠のない思いこみ(心理学ではIrrational beliefと呼ぶ)に突き当たる。
 McAfeeが回り始めたら、いらいらする代わりに手近な書類を手にとる。いくつかのパラグラフを読み終わる頃には、さすがに矢印は消えているから、そのまま淡々とメールの続きを書き始める。電車を1本逃したら、夜ベッドで読むはずだった頁をホームで読むだけだもんね、と鞄から本を取り出す。
 かくして、日常生活は「いらいら」が極小化され、ネガティブなエネルギーを使うことなく、機嫌のいい時間ばかりになっていく。
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by miltlumi | 2010-03-21 11:50 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

時差

 旅行に行くと必ず「ここで暮らすのはどうだろう」と思いを巡らす。風光明媚なところに行くのが普通だから、目的地に着いた途端は「うわあ、空気が甘い。こんな土地でのんびり暮らせたらいいかなあ」と思う。

a0165235_22453046.jpga0165235_2242558.jpgほんの2日間、伊豆高原に行ってきた。今週初めの初夏の陽気のおかげで桜並木の蕾はぷんぷくりんの「ぷんぷく」くらいまでふくらみ、オープンテラスのカフェでコートなしでウグイスの声を楽しめるくらいの穏やかな日和。女友達と一緒に「干し肉ツアー」と称して、タイルモザイクの鍋敷き作りや陶芸体験などを堪能。おかげでかの地に定住(というとまるで登呂遺跡の縄文人みたいで失礼に聞こえるなあ)しているお教室の先生達と色々話ができた。
 いわく。「伊豆は観光で来る人達には親切だけど、東京から引っ越してきた私みたいな者には冷たいわよ。娘も学校で仲間はずれにあっていやになって、高校はオーストラリアに行っちゃったわよ」「主人とは陶芸で知り合ったんです。彼は東京出身。…冬は人が来ないから、夏に備えてテラス作ったり、あ、今外で大工仕事してるぽっちゃりした方が主人。こうやってどうにか耐え忍んでます(笑)」

 ふうむ。いずれも切迫感あふれる貴重なコメント。そもそも2時間のタイルモザイクの体験料が2人で1,600円也。しかもこのあと目地詰めや研磨の作業があり、それを箱詰めにして送ってくれるのだから、彼女の合計労働時間は少なくとも4時間。時給400円!? 陶芸だって、1.5時間で材料費・送料込みで2人で1万円ちょっと払ったけど、今日は気持ちよくろくろ回して形作っただけ。このあと彼女と彼は、私達の名前入れて乾かして釉薬塗って焼いてやすりかけて…。はああ。現実は厳しい。(ところで、「干し肉」とか「日頃の仕事のストレスを忘れてのんびり」とか言ってるわりに、こういうせこい計算をしてしまうこと自体が、既に金融資本主義に心を蝕まれている証拠かもしれない)
 帰りの電車の中、友人と「食費が安いのかなあ」「庭に野菜植えて自給自足?」「ああいう仕事してたらスーツとかパンプス買う必要なくて、ユニクロのTシャツとトレーナーだけでいいからお金かかんないかも」「あとは車のガソリン代か」などと地域経済評論に花を咲かせる。

 夕方自宅に帰ると、海外旅行に行ったわけでもないのに、時差ぼけのようなどんよりした頭の重みを感じる。いきなり携帯電話が鳴って「今度の月曜日、XXさんとXXさんちに行くから一緒に来ない?」というお誘い。友達が近くにいる現実世界。電車で2時間の旅行は、やはり無限大の時差がある異世界だ。
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by miltlumi | 2010-03-18 22:47 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

男らしさ・女らしさ

 友人(男性)から、このブログは「男っぽい文章だ」と言われて、とてもびっくりした。ロジカルで、こんな文章を書く女の人はあまり知らないという。取り上げている話題とか視点は明らかに女性的だと信じているので、おそらく文章構成とか話の展開の仕方が、ということか。
 日頃、仕事上は一応ロジカルに効率的に物事を処理しようと努力はしている。でも、ブログは単に思いついたこと・考えたことを書き散らしているだけ。人様の目に触れることを前提に、わかりやすく、読みやすくしようとか、800~1200字でおさめようとか、一応気は使っているものの、ロジカルにしようと思ったことはない。

 でも、そもそも「男らしい」「女らしい」という言葉は非常に危険である。ロジカルな文章が「男らしい」なら、「女らしい」文はロジックが通っていなくて感情に走ってるものなのだろうか。大体、近頃「女々しい男」が多すぎる(というふうに、突然話題が変わるのが「女らしい」女性の論理展開の特徴です)。
 あまりに多いので、もしかすると、世に言ういわゆる「女々しい」性格、つまりうじうじと過去のことに拘ったり、言いたいことがはっきり言えなかったり、決めるべきときにばしっと決められなくておろおろと悩んだりするのは、むしろ男性の典型的性格として、「男らしい」性格と呼んだほうがいいのではないか、と思ってしまう。

 私事で恐縮だが、離婚して家を出るときに、1カラットのダイヤモンドの婚約指輪を黙って金庫に置いてきてしまった。この話を男友達にしたら「男らしいね」と言われた。そうかなあ。
 別れた彼女に編んでもらったセーターを捨てられずにそのまま結婚して、新妻に詰め寄られて泣く泣く会社に持ってって捨てた(うちのゴミ箱には捨てるなと言われたらしい)という男性を知っている。これってすごく「男らしい」と思う。なぜなら女性の場合、別れた彼氏にもらったものは、気に入っていれば継続して使用するけど、あまり気に入らなかったものはとっとと捨てるもの。つきあっている最中は「この前の誕生日にあげたあのペンダント、どうした?」なんてうざいことを聞かれるから、不用意に捨てちゃうわけにはいかない。
 それから別れを「男らしく」はっきりと切り出せないのも男の特徴。「冷却期間を置こう」と男性に言われたら、それはつまりフラれた、ということだ。やんなったらやんなったって、はっきり言えよ!!と言いたくなる。仕方なく察してあげて、こちらが身を引いたりしたら、今度は未練がましく連絡してきたりする。

 これらは皆、私の身近だけで起こっているごく例外的なケースなのだろうか?
 上記の例において、「男」と書かれた部分を全て「女」に置き換えても通用するのだろうか?
 ところで、今日の文章はロジカルなのだろうか? 
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by miltlumi | 2010-03-16 20:38 | マンモスの干し肉 | Comments(4)

読書の経済価値

 最近とみに頭の回転が悪くなって、本を読んでいても何が書いてあるのか2・3回読み直さないと理解できないことが増えた。そんな中、理解できても理解できない文章に出くわした。 古井由吉氏の「人生の色気」の一節。
 「変な話ですが、日当が500円の時と日当が千円の時では、読書の意味が違ってくるのではないでしょうか。時間が金に換算されるようになれば、読書という行為ほど無駄なものはありません。」
 前後の脈絡からすると、日当が千円になると、1日本を読んでいるよりも働いたほうが明らかに金になるから、読書が経済行為として相対的に意味を持ちにくくなる、ということのようだ。最初に読んだとき、日当が500円から千円になれば同じ1時間で効率的に稼ぐことができるから、その分余裕ができて読書に割ける時間も増える、と言いたいのかと思ったが、そうではないらしい。
 友人の中には、とてもたくさんの年収があり、従って本を買い放題買っているけれど、肝心の読む時間がない人がいる。一定の年収を得るからには、読書したくても仕事に追われざるを得ない責任ある立場なのだろう。でも裏を返せば、結局のところ読書より働くほうにプライオリティーを置いているのだ。

 これまた頭の悪い話だが、以前勤めていた会社で、EVA(Economic Value Added)という概念を導入して各事業ユニットの評価を行うことになったとき、愕然とした記憶がある。うちの会社の価値が定量的な経済価値だけで表せるわけないじゃない、と本気で思ったのだ。20世紀型株主資本主義を全然理解していない、ナイーブな感情論。
 
 しかし。たとえ株式会社だとしても、ましてや読書というものの価値が、単に経済価値だけで測れるのだろうか。経済合理性だけで人間の行動を規定していったらタダのロボットになってしまう。しかも、経済合理性に基づいて純粋に経済価値向上を志向した挙句がリーマンショックだとしたら、なんともやるせない。
 誰だったか忘れたが、「経営者を目指す者は、経済書やノウハウ本を読むより、むしろ小説を読むべきだ」とおっしゃった経営者がいる。会社や経済を動かすのは人間。その人間の心の動きを理解せずして、経営ができるか。人情の機微や微妙な人間関係の揺らぎを学ぶにはフィクション・小説を置いて他にない。

 今、金融資本主義の行き詰まりを目の当たりにして、世界中で変革とか改革が叫ばれている。再び古井氏の言葉。
 「世の中の変わり目に、社会も一度、死をくぐるものです。最近の歴史を振り返ってみても、幕末期から明治初頭や第二次大戦のようなアナーキーをくぐって、はじめて変成が成ったわけです。(中略)文学者は、社会がアナーキーに突入する前に、あらかじめアナーキーの境に住んでいる番人みたいなものだと思っています。」


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by miltlumi | 2010-03-14 12:23 | 私は私・徒然なるまま | Comments(2)

渡し守

 今日は単なる私の自慢話です。ごめんなさい。
 今週水曜日、男友達とランチをした。3年前に転職した会社を辞めて、4月から日本人が経営している香港の会社に行くという。転職のときに私がちょっと関わったこともあり、「ちゃんと報告しておこうと思って」
 その日の真夜中、地方に単身赴任している大学時代の男友達から「起きてますか?」と携帯メール。「夜更かしできるよ」と返事すると電話が鳴り、4月の人事異動で東京に戻ることになったという。「正式な発令は金曜日だけど、誰かに話したくてさ」
 そして今朝、新卒で入った会社の同期だった男友達から電話があり、4月から中国赴任が決まったとの報告。「とり急ぎ連絡しとくよ」

 大学の友達以外は、そんなに頻繁に連絡をとりあう仲でもないのに、わざわざ連絡してきてくれたことが、なんだかとても嬉しかった。仕事の節目、人生のちょっとした変化があったとき、親族や仕事づきあいのある人に報告するのは当たり前として、なんでもない他人の私を思い出してくれたこと。ありがたいな、しあわせだな、と思った。

 高校の修学旅行で奈良の山の辺の道を歩いた時、どこだったか鄙びた寺院か神社の入り口にたたずんでいた立て札に、こんな歌が書かれていた。
    人をのみ渡し渡して おのが身は 岸に渡らぬ 渡守かな
 まだ17歳だった私は、その頃いわゆるリーダータイプで、体育祭の総務(予算を握って全体を仕切る役目です)、クラスの女子による男子生徒の人気投票主催、合唱大会の2次会の幹事、もろもろをやりまくっていた。それなのに、こんな歌にひどく心を動かされて写真まで撮った(だから今でも一言一句リフレインできるのだ)のはどういう心境だったのだろう。
 
 それからXX年を経て、ばりばりなリーダータイプ(でない人もいるけど)の男友達があちこち巣立っていく報告を受けては「よかったね」とか「頑張ってね」と声をかけている自分、そういう報告をもらえることを自慢に感じてしまう自分は、結局のところ渡守キャラだったのかな、と思う。そんな私の性格を、彼らは無意識のうちに感じ取ってくれているのだろうか。

 でももしかすると彼らは、単に友達の中で一番ヒマそうな私にとりあえず声をかけただけかもしれない。そういえば大学友達も同期友達も、最後の言葉は「歓送迎会よろしくね」だったっけ。
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by miltlumi | 2010-03-12 18:03 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)