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ありがとう

私の犬のミルトが昨夜亡くなった。
14歳と35日だった。
メラノーマという犬に特有な腫瘍で、昨年11月に手術してから頑張っていたのだけれど
昨夜とうとう。。。

生後3ヶ月のときからずっとずっと一緒にいて、たくさん私を支えてくれてありがとう。
本当にありがとう。

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by miltlumi | 2010-02-28 13:47 | フォトアルバム | Comments(0)

しあわせになる方法

 しあわせの定義は人によってちがうけれど、一番手軽にしあわせになれる方法。それは「笑う」こと、「微笑む」こと。腹を抱えてゲラゲラ笑うことなんて、そう毎日あるもんじゃないけれど、そこまでしなくても、微笑むだけでいい。かわいい赤ちゃんとか綺麗な花が目の前にないのにただ微笑むなんてできないよ、と思う人は、単に口角を上げるだけでいい。
 10年くらい前、雑誌で「成功するハリウッド女優」みたいな特集があった。そこで大胆に言いきっていたのは「口角が上がっている女優は成功する!」キャメロン・ディアスとかメグ・ライアンとか、ね。(その後メグ・ライアンは、40歳過ぎたのを気にしすぎて整形手術しまくったので、天然口角上がりの幸せを自ら手離したと思う) 
 こんなつまらないことをなぜよく憶えているかというと、ちょうどその頃、まさに「面白くないのに笑えるか」的な鬱モードだったせい。この記事をみて、結構真面目に鏡に向かって口角を上げる練習をした。これは単に筋トレみたいなもんなので、わりと簡単にできる。朝起きたとき、道を歩いているとき、会社でつまんない会議に出ているとき、とにかく思い出すと口角を上げてみる。そのうち、自然といつでも口角が上がるようになる。
 そうすると、同僚から「最近表情が柔らかくなった」と嬉しいことを言われる。さらに不思議なことに、よく道を聞かれるようになった。犬とのんびり散歩しているときはもちろん、オフィス街の真ん中の朝の通勤途上とかでも。きっと「この人ならちゃんと教えてくれそう」と思われたからにちがいないと、これまた嬉しくなる。こんな小さなことが、毎日のささやかな幸せにつながる。

 もう少し上級編。リフトアップ専門のエステティシャンが教えてくれたのだが、元々人間の顔は左右非対称だけど、左側の方がリフトアップしやすく、年を重ねると口元の左側のほうが上がってる人が多い。鏡に向かって自然に微笑んでみると、確かに左の口角のほうが上がりやすい。いつも会う人達の顔を観察してみるといい。
だから、口角を上げる練習をするときは、努めて右側を意識して上げるようにすると、左右対称なきれいな笑顔が作れる。

 歴史に残る元総理大臣(故人)の娘に「口が曲がってるおっさん」呼ばわりされた政治家がいたが、彼は思いっきり右側が上がっている。普通の人と真逆な状態ということは、余程無理な表情を作って人生を渡ってきたのではないかと、ぞっとするような、ちょっと可哀そうな気がする。現政権の中で結構イケメンの前原国土交通相が、発足直後に比べると顔が曲がり始めていて、しかも右側が上がっているように見えるのが、妙に気になる。
by miltlumi | 2010-02-25 19:18 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

絵を描くこと、ものを考えること

 友人がTWITTERで「あなたは何をやっているのですか、というインテリぽいかっこいい質問」に「『・・? 絵を描いているのです』」というのは、「もっともまともな答えのひとつ」とつぶやいていた。
 彼女は「是蘭」という雅号を持つアーティスト(是蘭のブログはこちら)だから、上記の答えはしごく真っ当なものにちがいない。けれど、それをあえてTWITするということは、この答えがややもすると「まともでない」と受け止められる風潮が世間に存在するせいだろうか。 

 実際私はそのような経験をした。
 サラリーマンを辞める決意を固めた頃、久しぶりに大学のクラス会があった。近況報告の中で私が「もうすぐ会社辞める。そしたらエッセイ書いてパン屋で働く」と素直に言ったところ、その場にいた15人が全員固まった。「それで食べていけるの?」「やだ、冗談ばっかり」といった揶揄さえ出なかった。
 会社を辞めて、さすがにパン屋のバイトは時給が厳しいことに気付き、とりあえずぶらぶらしながら、かのアーティストにコラージュを教わった。BOOK OFFの美術書売り場に入り浸って素材を集め、頁をめくっては気になるオブジェを切りぬき、はさみとのりを丁寧に使用するのは純粋に楽しい。何かの拍子で、我ながら面白いと思う作品ができたりして、自己満足に浸る。そうこうするうち、別の友達が「どうしてるの?」と心配して電話してきてくれた。「コラージュ作ってる」と答えたら、外資系金融機関でばりばりと働いている彼女は電話口で一瞬凍りつき「…で、それ作ってどうすんの?」と低い声を出した。
 
 話はちょっとずれるが、高校時代の男友達が、確か大学卒業して間もない頃「休みの日は何してるんですかっていう質問に、休んでますって答えると変な顔されるんだ。休みの日には休むものだよな」と憤慨していたのを鮮明に憶えている。これまた至極まっとうな答えではないか。
 それから最近の電車の中。皆一様にケータイにむかってしゃかしゃかと指を動かしている。あるいは自動扉の上の液晶ディスプレイに次々映し出されるニュースや占いに見入っている。昔は電車の中といえば、数分の短い間であれば「物思いにふける」のが一番ポピュラーだったと思うのだが。最近、人々はどこで物思いにふけっているのだろうか。
 経済的に生産的な結果を産むとは限らない何かに、あるいは積極的に何も作りださない行為に、時間をかけることは、いい年した大人の「やること」ではないのだろうか。

 でも、アインシュタインはこう言っている。この”music”の後に”art”も加えてはどうかと思っている。

Thought is an end in itself, like music.
(出典:Compiled by Jerry Mayer & John P. Holms “Bite-Size Einstein”, St. Martin’s Press)

思考は、それ自体が目的である。音楽と同様に。
(Translated by miltlumi)


by miltlumi | 2010-02-23 21:18 | アインシュタインの言葉 | Comments(2)

加尾の「不純な動機」

 昨日の龍馬伝で、加尾が、岩崎弥太郎の塾に行ったのは学問がしたかったわけじゃなくて龍馬においてきぼりにされたくなかったから、と告白しているのをみて、「はあ~」と思った。私も江戸時代から変わってないじゃないの。

 中学3年の時、電車で3つめの地方都市で開催される進研ゼミ模擬試験は、友達の間で「不純な動機」の現場として認知されていた。始まりはリエコさん。彼女がスズキ某という両想いの相手とデートしたくて、でも中学生の分際で親に内緒でどっかにでかける勇気もなく、編み出したのが「模試」作戦。これなら親は喜んで電車代もランチ代も出してくれるし、少々帰りが遅くてもテスト後の気晴らしと大目に見てくれる。リエコさんは晴れてスズキ君と手と手を取って模試にでかけたのであった。以来「不純な動機」という言葉が密かに流行り、模試の帰りにマックでハンバーガーを食べるとか男の子と動物園に行くとかいう不純な(?)活動がさかんになった。中学1年までその街に住んでいた私は、ヒロミちゃんを引きこんで、小学時代のボーイフレンドの自宅を突撃訪問するということまでやってのけた。

 その後の人生も「不純な動機」に導かれている。運動音痴の私が大学時代に熱心にスキーをしたのは、彼と一緒にいたかったため。会社に入って3年目、自己申告制のキャリアプランに手を上げて異動したのは、同じ部署だった彼が異動したため「もうこの部にいる意味ないじゃん」と思ったのが真の動機である。日本で一番有名なオフィス街に転職した理由の一つは、あそこなら人口密度が高い分、出会いも多かろうと読んだためだった(その期待は見事に裏切られたが)。
 こんな不純な動機ばかりに気を取られているから、大事を成し遂げることができないのだ、と反省することもある。

 でも。大事を成し遂げ、立派な経歴と資産があり、そろそろのんびり引退なさっても…という方に最近会ったら、今度はその資産を活用して年率10%で回す事業をどうこう、と話していた。決して金の亡者ではないのに。ああ、と思い当たった。彼の奥さんは今でこそ儲からないビジネスを趣味でやっているが、結婚した頃はスーパーカーの輸入ディーラーだった。お見合いの席で彼女から年収を問われ、まだ駆け出しのサラリーマンだった彼が素直に答えたところ「月給ですか?」と言われたそうだ。不純な動機、と呼ぶのは失礼だが、本筋と違う事象がビジネスのモチベーションになっているのは確かだろう。
 ただ、おそらく本人は既にそれを忘れている。最初のモチベーションがなんであれ、それを起爆剤にして頑張る。頑張って結果が出ると、それから先は結果を出すことが目的になり、永遠に走り続ける。このすり替えに無意識に乗れるかどうかが、ビジネス界で成功する鍵なのだろうか。そういえば、岩崎弥太郎も同じことなのではないか。
by miltlumi | 2010-02-22 10:57 | 私は私・徒然なるまま | Comments(2)

マウスピースとアートメイク

 歯医者さんに勧められて、マウスピースを作ることにした。奥歯のでこぼこがすり減っていて、睡眠中の歯ぎしりが原因ではないかとのこと。自覚症状はないが、小さい頃から寝言・歯ぎしりは母に指摘されていたので、さもありなん。友達が「安眠できるようになって、もうマウスピース手離せない」と言っていたのも思い出し、型をとった。
 しかし実は、マウスピースがどんな形で何色なのか、全然知らない。プロボクサーが装着する、石膏みたいにがっちり白くてバットマンの歯みたいなやつを想像し、まずいと思った。そんなものが「手離せなく」なったりしたら、旅行の時どうしよう。恋人との部屋付き露天風呂・隠れ家温泉旅館1泊の旅。ゆっくりお湯につかって、地元の山の幸・海の幸に舌鼓を打って、寝しなに「こういうのつけてるからね」と断っても、普段は生活を共にしていない他人。彼が夜中にふと目覚めて寝ぼけ眼で隣の布団を覗いたら、青白く光る歯をにかっと見せながらぎりぎり歯ぎしりする生き物!? 心臓麻痺でも起こされたらそれこそ寝覚めが悪い。絶対まずい。自慢じゃないが、私はその類の旅行中に母とけんかする夢を見て、思いっきり大声で「いい加減にしてよ!!!」と寝言を叫び、相手を飛び上がらせた実績を既に持っているのだ。

 ところで、アートメイクというものがある。化粧に疎い男性向けに説明すると、簡易刺青みたいなもので、眉毛やアイラインにアートメイクを施すと、3・4年は化粧なしで、お風呂で顔を洗っても海に潜ってもいつでもキレイな線が維持される。初めてアートメイクをして、嬉々として女友達に披露したとき、彼女の第一声は「なるほど。それなら朝、化粧せずに新聞取りに外に出ても大丈夫ね」 …あのお、私、露天風呂対策なんですけど。

 当面そのような予定はないものの、そろそろ薄くなってきたアートメイクもやり直そうかなあ、と鏡をみた。最近近視が進んで眼鏡を作ったのだが、少し遠くから裸眼で鏡を見ると、さすがに顔の細部が見えにくい。その時、驚愕の事実に気付いてしまった。近眼なら鏡を近づければ見えるけど、もしも老眼になったら、鏡を近づけたら余計見えない。老眼鏡をかけたら、眉毛やアイラインの化粧ができない。ということは、必然的にアートメイクに頼らざるを得なくなるではないか。アートメイクが中高年女性に人気なのは、露天風呂対策ではなく、老眼鏡対策だったのか… 朝の新聞取りに次ぐ第三のアートメイクニーズに、私はなんだか暗澹たる気持ちになった。

 1週間後に仕上がったマウスピースは、厚さ1.5mm程度、透明なプラスチックが上の歯の高さ2/3程度をかっぽり覆う極めて控えめな姿。同居している犬に向かって「にかっ」と笑ってみたが、彼は何の反応も示さなかった。よかった。これでアートメイクを予約したら、あとは温泉相手を見つけるだけだ。
by miltlumi | 2010-02-19 19:00 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

忘れられない言葉-わかられてたまるか

 中学の国語のS先生は、お茶の水博士が痩せて草食系になったような風貌の方だった。私はS先生がとても好きだった。国語の授業でどんな教材が教科書に載っていたのか、先生の授業の仕方はどんなだったか、もうほとんど記憶にない。けれど、ひとつはっきりと憶えているのは、とある授業中にS先生がこうおっしゃったこと。
「他の誰も俺のことなんかわかっちゃくれない、というやつがいる。そうじゃない。俺のことなど他のやつらにわかられてたまるか、と思ってみろ。」

 人は絶海の孤島でたった一人で生きているのではない以上、他人の目を通した自分を「自分自身」として認識することが多いのではないか。だから、必然的に人は他人との関係に依存したくなる。依存どころか、自分を丸ごとわかってもらいたい、受け止めてもらいたい、という衝動は抑えがたい。
 そして、相手が自分をわかってくれていないと感じたり、うまく受け止めてもらえなかったとき、底なしの絶望感にさいなまれる。そんなことが複数の他人との間で生じると、「誰も俺のことなんかわかっちゃくれない」と拗ねて、世を儚むことになる。「あいつに裏切られた」と相手を恨むことになる。けれどもそうした否定的な感情は、「相手は自分をわかってくれるはず」という期待をこちらが抱いたせいで生じることであり、つまりそれは相手のせいではなく自分のせいなのだ。
 言い換えれば、相手に期待しない限り、裏切られることはありえない。むしろ、「期待するもんか」「俺のことなど他人にそう簡単にわかられてたまるか」と意地を張ってみる。そうすれば、相手がわかってくれなかったからと言って、悲しむ必要は全くない。もしもわかってくれたら、まさに僥倖というもの。自分を理解してくれた相手に対する無限大の感謝と、そのような相手に巡り合えた自分の幸運を手放しで喜べばいい。

 他人にわかってもらえるなんて期待しない、と言い切るのは、人間関係を諦めているようで、ある意味不遜かもしれない。けれど、ティーンエイジャーのケイタイメール三昧やMixi・TWITTER流行り、さらにはGDP世界第2位の国の首相が「絆」などと意味不明にセンチメンタルな言葉を吐く風潮を見るにつけ、表面的なつながりだけで他人とわかりあえた気になっているこの国のコミュニケーションレベルに不安を覚えるのは、私だけだろうか。
 S先生は、こんな21世紀をご覧になることなく、あの言葉を聞いた生徒達が中学を卒業した年の秋に亡くなった。
by miltlumi | 2010-02-18 09:56 | 忘れられない言葉 | Comments(0)

手段の目的化

 男性の自慢話をよく耳にする。「XX社とYY社から講演頼まれて忙しくって」「僕の親父は日本で初めてXX事業を立ち上げた草分けで」程度は全然かわいい方である。お祖父さんの代から受け継いだ合気道だか剣道だかが本業で「今の仕事は世をしのぶ仮の姿で… でも会社を黒字にするのも得意ですけど」とか、有名な大企業のサラリーマンが、数年前に社内表彰のなんとか賞をとったので、絶対に「前会長のXXさんは僕のこと憶えてますよ」とか。
 一番のヒットは、初対面の人事コンサル様。還暦に届こうかというキャリアカウンセラーなので、相手の能力を引き出す「聴く&訊く力」にさぞかし長けておられると期待したが、3時間のディナー中、終始一貫自分の経歴自慢に徹し、最後に「これが僕という者ですっ!」…すごくよくわかりました。でも、あなた、私のことわかってくれた?
 中途採用の面接試験なら精一杯キャリア自慢してくれていいけど、ただご飯食べながら会話を楽しみたいだけだから。話を聞かないのは男性の性と諦めるとしても、「すごいですね~」としか相槌のうちようがない話ばかり延々されても…

 一体どういう現象なんだろうと、公私とも経験豊富な年配の男性に聞いてみた。速攻の回答は
「そんなの、求愛行動に決まってるじゃないか
 世界都市東京に生きるオトコたちは、アマゾンの奥地に住むナントカ族のような伝統的求愛踊りは忘却の彼方。もちろん孔雀のようにメスを惹きつける美しい尾羽を持つわけでも、猿山のようにソサエティー全体に周知徹底された序列が決まっているわけでもない。オトコとしての価値・魅力を、公序良俗に反しない形で顕示せねばならない。そう言われてみると、キャリアカウンセラー氏とのディナーはちょっとお見合いセッティングだったかも。

 でも、少なくとも経験の半分以上は、私が光栄にも「女性」と扱われているとは到底思えない、単なる仕事関係の殿方。その証拠に、その後さらに進んだ「求愛行動」は一切ない。よく観察していると、私以外の女性どころか男性に対しても似たような話を開陳している。
 ということはつまり「求愛行動」という手段が目的になってしまったのではないか。特にマンモス度の高い男は、女をGETするために自慢話しているうちに、そのあとに展開されるであろう至福の時に想いを馳せて「パブロフの犬」状態に。もう自慢話するだけでエンドルフィンがぶわぶわ出て気持ちよくなっちゃう。
 獲物もいないのにがんがん自慢しちゃう人達は、明らかに仕事のほうもマンモス系である。そして大概マンモス肉=食事代くらい出してくれる。

 女性陣は「恋愛対象じゃない人にご馳走してもらうのは…」なんて遠慮する必要はない。エンドルフィン出させてあげただけで、彼らは満足なのである。

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by miltlumi | 2010-02-16 21:34 | マンモス系の生態 | Comments(3)

オリンピック嫌い

 夏と冬、2年ごとにめぐってくるオリンピックは、いつでも私をひるませてしまう。そもそもスポーツはやるのも苦手(小学校のときから一貫して運動音痴)。加えてTV嫌い(大学時代の寮生活でTVがある集会室に足を運んだのは3回くらい、生まれて初めての一人暮らしでは、最初の2年間TVなしでも不自由なかった)。
それでも、プロ野球は「贔屓のチームないの」とにこにこしていればいいし、流行りのTVドラマも「私TV観ないんだ」と言えばまあそれで済んでしまう。
 ところが、オリンピックはそうはいかない。普段は愛国精神なんて死語のはずなのに、オリンピックが始まると皆にわか「日本国民」に早変わり、応援しないと非国民扱いされる。時差も構わずリアルタイムでメダル候補者の決勝戦にかじりつき、翌朝は睡眠不足の目をこすりながら職場で劇的瞬間を反芻しあう。バンクーバーはこの週末に始まったばかりだから職場の光景には遭遇していないが、今日の昼過ぎに行ったスポーツジムのサウナで、私は上村愛子選手が4位だったことを知った。そこで「あら、そうだったんですか?」なんて時差ぼけなコメントをしようものなら、「えっ、まさか、ご覧になってなかったの?」と白い目で見られること必至。

 でも今回、オリンピックを観たくない本当の理由がわかった。トリノや北京のときに比べて時間的・精神的余裕が増えた今回、離れて暮らす母にせっつかれておつきあいで開会式を眺めていたとき。
 選手入場。夫々の国の代表選手たちのエピソードが簡潔に伝えられる。特に開会式当日に仲間を失ったグルジアの選手たちの腕章と笑顔なしの行進。
 カナダの歴史を表現したセッションは、アリューシャン列島から、我々日本人と同じ血を引くエスキモーの祖先がやってくるところから始まる。トーテムポールから、メープルリーフ。英仏による先住民の迫害の歴史を巧みにベールで覆い、「環境に配慮したオリンピック」を印象づける演出。選手入場のときに中央で踊っていた民族衣装の人達は、本当にもう何のわだかまりもないのだろうか。
 そして聖火入場。白い靄の中から現れる車椅子姿。最後の4人が輝く柱に点火したとき、4本目がないことに私は気付かなかいほど、画面にくぎ付けになっていた。

 こうしたプログラム一つ一つが全てドラマティック。最初から最後まで涙が止まらなかった。…そう。オリンピックは、世界の過去・現在・未来が凝縮されていて、多くの人々の人生が切り取られていて、こちら側の心が受け止めきれなくなるのだ。全てを感じとろう、感じたものをもう一度心の中に映しだしてみようとすると、たくさんのエネルギーが必要となって、疲れ果ててしまう。ゆっくり自分のペースで消化するには、2週間のスピードは速すぎる。

 感動するには、エネルギーがいる。だから、自分のエネルギーレベルに自信がないときは、極めて消極的な選択として、「観ない」ということになってしまうのだ。
by miltlumi | 2010-02-14 21:51 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

大原麗子シンドローム

 数日前、いつもメールやTwitterでおしゃべりしている女友達からの返事が、少しの間途絶えた。彼女はネット常時接続でPCのそばにいることが多く、旅行嫌い。しかも私から発信したのは彼女が聞きたがってる話題だったので、即レスしてこないはずがない。でも返事がない。どっか出かけてるのかなあ、としばらくそのままにしておいた。12時間たっても返事がない。どうしたのかなあと思い、ふと彼女のブログを覗くと、私に「聞かせて!」とTwitした直後にUPしたきり。毎日律儀にUPしてるから、次のブログはあと6時間後くらいかしら、と自分に言い聞かせる。彼女のブログUPから22時間後、ブログもメールもTwitterも何にも、アクセス形跡ゼロ
 ついに私はメールをだす。「生きてる?ちょっと心配になったんだけど」 一旦メールを発信してしまうと歯止めが効かなくなり、携帯メールはもちろんTwitterにまで「生きてますか!?」公開捜索開始。翌朝までに何にも返事がなかったら、彼女のマンションに行って管理人に掛け合うしかない。最近リフォームしたばかりのおしゃれなタイル床に倒れている彼女の、第一発見者ということになるのだろうか… 不安を抱えたまま眠りにつく。
 翌朝。枕もとに置いた携帯メールには受信なし。コーヒーも淹れないうちにPCをON。受信ボックスに彼女からの返事。はあ~~。よかった。生きてた。「友達と映画見て食事してました」って。そうだよね、人はそんなにカンタンに死んだりしないよね。

 昨年、大原麗子さんが亡くなった時、マスコミは「孤独死」と大仰に書きたてた。「大物女優の寂しい最期」といった過剰にメランコリックな報道には賛否両論あったものの、いずれにしろ女性にとっては、他人事とは思えない出来事だったのではないだろうか。事実、色々な新年会で久しぶりに会う友人が「大原麗子」を話題にしたのは2回や3回ではなかった。
「あれ、まずいよね。頻繁に連絡とりあおうねっ」と“遠くの親戚より近くの他人”を再確認しあうご近所の友達。
「どうせダンナは先に死んじゃうんだから、最後頼りになるのは女友達」と冷静に将来を見据えている、マンモス系銀行員の妻。
「孤独死っていうのは失礼だと思う。死んだらおしまいなんだし、大騒ぎすることないじゃん」というHere and now型マンモス系女性、パンパース経験あり。
「やっぱり健康が一番。80になっても皆で遊ぼうね」というのは医者の妻(でも干し肉作りが苦手ゆえ金融業界でマンモス狩ってるツワモノ)。
 私は、できれば誰かに看取られて死に、お葬式にはたくさんの人に来ていただきたい。だから、という打算的な意味ではないが、友達は何より大切。24時間音信不通事件(?)が起きれば、最悪の事態に備えてスタンバイをかける。

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by miltlumi | 2010-02-12 18:01 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

忘れられない言葉 -丸くなることと角がとれること

 去年の秋、日本初の無人宇宙船「HTV」が国際宇宙ステーションとのドッキングに成功したというニュースが色々報道された。その中で、スペースシャトルとHTVの大きな違いは、前者の出入り口が丸いのに対してHTVは四角いために、より大きな荷物が出し入れできる、という話があった。となればスペースシャトルの出入り口の○の直径は当然HTVの□の1辺と同じ長さでなければならない、などとつらつら考えていた。
 とそのとき、T氏の言葉がふいに思い出された。

 T氏は、私が新入社員だった頃の上司だった。文字通り何一つ知らない新人の私に、仕事のいろはを教えてくれたものだった。少しは仕事を覚えて一人前になった気になった私が、自ら手を上げて配置転換を実現させたときのこと。部署の送別会の席だっただろうか。いや、その翌日のオフィスの会議室だったかもしれない。T氏が私を会議室に呼び出して、白いレポート用紙を前におもむろに口を開いた。
「そこに四角を描いてみい。」彼は関西人で、蛇足だが私の両親の故郷とほど近い山間の村の出身だった。
「で次に、その四角の中に、四角の辺に接するように丸を描いてみい。」
「今度はその四角の外に、角が接するように丸を描いてみい。」
    a0165235_17335112.jpg    
つまりこんな感じ。
 何を今更こんな単純なお絵かきを…と、キツネにつままれたような顔の私に、まん丸の顔をしたT氏は微笑んだ。
「角がとれるっちゅうんは、この四角の中の丸ということや。でも丸くなるっちゅうのは、この外側の丸みたいに四角よりも大きくなることや。どちらも四角張ってるもんが丸くなるんに変わりないが、どっちの丸のほうが大きい? そや、人間、角がとれるんでなく、丸くならなあかん。」
 当時の私は、文字通り四角くて角張ってその鋭利な角で周りをぐさぐさと傷つけていたのかもしれない。異動を目前にした緊張のせいで、そのぎざぎざはさらに神経質な動きをしていたのかもしれない。T氏は、そんな私を若気の至りと黙って見守り、いつかは少しは大人しくなるだろうと放っておくこともできたかもしれない。でもそうなったとき、単に牙を抜かれた肉食動物のように、「角がとれる」ことを、彼は期待していなかった。その牙を、角を覆って余りある丸さを身につけよ。世間の荒波に揉まれて単に委縮するのではなく、元気を犠牲にすることなく、それを包含する優しさで自分をさらに大きくしろ。

 一昨年T氏は定年退職を迎え、今は故郷の兵庫県で晴耕雨読の生活だという。年賀状に書いたメールアドレスのおかげで、このブログを紹介し、そのお返しに、私は彼のMixi日記を購読するようになった。
by miltlumi | 2010-02-10 17:34 | 忘れられない言葉 | Comments(2)