人気ブログランキング |

<   2010年 01月 ( 10 )   > この月の画像一覧

稲盛和夫氏のマンモス道

 稲盛和夫氏がJALのCEOに就任されたことが話題になっている。法的整理に追い詰められた巨艦を立て直すべく、報酬ゼロで重責を担われるその志は素晴らしいと思う。でも。ごめんなさい。私は、どうしても理解できない。なんで好き好んで(あるいはもしかしたら、好んでないかもしれないのに)あんなMission impossibleを引き受けるのか。世界的に功なり名を遂げ、(おそらく)余りある資産を手に入れ、そして何よりも77歳というご高齢で、どうして?
 この疑問を複数の男友達にぶつけたところ、「名声欲しさなんじゃないの?」という声もあれば、「世の中に対するご恩返しでしょう」という意見もあった。いずれにしても、私のように理解不能というコメントは皆無だった。
 でも。名声はとっくに獲得なさっているだろう。ご恩返しといったって、もう少し体力消耗の少ないやり方があるだろう。ではなぜ? 
偏狭な発想からは、どうしても「マンモス」DNAのなせる技、としか思えない。

 稲盛氏は、無名のベンチャーを立ち上げて以来数々の狩り場で活躍され、独自のノウハウを編み出し、多くのマンモスを倒してこられた。今や稲盛マンモスの分け前に与かっている人々((京セラやKDDIグループの従業員さん達)は10万人くらいいるのではないか。稲盛氏自身、もうマンモスなんて必要なはずがない(年をとると脂っこいものは食べたくなくなるし)。
でも、極めてしまった狩りのノウハウの集大成としてのJAL再生。そこにはもうマンモスはいないかもしれない。「これからの世の中、量じゃなくて質、大味なマンモスの肉よりジビエ」とかお客様から言われるかもしれない。でも、だからこそ、自分のこれまでのマンモス経験を全て投入して、未知の課題をクリアするのだっ 例え満身創痍になろうともっ 嗚呼、XY遺伝子の血沸き肉躍る瞬間!? (ごめんなさい、稲盛さん。そんな冗談でJAL再生ができるわけないことはわかってます。わからないけど)
 
 私の干し肉理論に共感してくれている友達からメールが届いた。マンモス系夫から、時の人が書いたものはさぞ面白かろうと稲盛氏執筆の本を手渡された。目次を見ると、「『前向きにマンモスを狩る心構え』『日々の努力がマンモスを射止める』『マンモスがいないときこそ筋トレをしろ』『より巨大なマンモスを求める生き方の極意』みたいな本で、『もう私は全然マンモス狩る気もないし興味もないもんねー』と思った」(メール原文のまま)そうだ。 
 のんびり干し肉干すことに本能的な喜びを見出す私達と、マンモス君達とは、絶対わかりあえない、と割り切ったほうがお互い幸せである。

にほんブログ村 恋愛ブログ 女の本音・女心へ
にほんブログ村
by miltlumi | 2010-01-31 14:59 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

香りの思い出

 香りと思い出が分かちがたく結びつくという経験は、多くの人にとってよくあることだと思う。私の場合、その最初の体験は16歳のときだった。
 中学を卒業し、生まれて初めて電車で長距離通学をするようになって2ヶ月余り、降りる駅まであと3つというとき、うたた寝から覚めた私の目に飛び込んできたのは、中学3年のときに憧れていたO君の姿だった。彼は私よりは地元に近い、でも同じ沿線の高校に進学したのだった。まさに夢から醒めやらぬ思いで、お互いの新しい学校の話などをし、同じ駅で降りた。それでもまだ何となく話し足りなくて、駅前のバス停の横にある大きな楠の下でしばらく立ち話をした。楠の白い小さな花が満開だった。淡い蜜のようなふうわりした香りは、以来O君との再会の思い出と重なる。毎年初夏になると、街角で漂うその香りに、ふと誰かの姿を探して振り返ってしまう自分がいる。

 それから、これもよくある話だが、昔つきあっていた彼のコロンの香り。少し前、友達の関係に美しくソフトランディングできた昔の彼と久しぶりに会う機会があった。店のカウンターに並んだ時、あの頃と同じコロンの香りがふと漂った。
 男性は女性より忠実というか保守的というか、あまりコロンのブランドを変えることはない、ように思う。数年間以上つきあった相手のうち、その間でコロンを変えた人を私は一人しか知らない。彼がコロンを変えた時期が、ある意味私達の破局の始まりだった、と私は確信している。

 そして昨日。いつもつけているボディーローションのストックが切れたので、旅行先のホテルから持ち帰った小瓶のコレクションの一つを手に取った。ふたを開けたとたん、私の目の前に、去年の春のイタリアの光景が鮮やかに甦った。その瓶は10連泊したローマのホテルのものだったのだ。人生の転機とも言える出来事の後、卒業旅行と称して思い立ったローマ一人旅。最初の数日のなんとなく心細い気分。それでも底抜けに明るい空の下、Appia街道の両脇に広がる黄色い花のじゅうたんに、引っ込み思案な気持ちがだんだんほぐれていった。海辺の遺跡を訪ねる頃は、一人でどこにでも行けると強気になっていた。あの、自分で自分を抱きしめたくなるような、地球全部に向かって思い切り手を広げたくなるような解放感。
 香りにまつわる思い出の中で、登場人物がただ一人なのは、ローマが初めてだろうか。

I live in that solitude that is in painful in youth but delicious in the years of maturity.
(出典:Compiled by Jerry Mayer & John P. Holms “Bite-Size Einstein”, St. Martin’s Press)
私は孤独の中に生きている。若い時には苦痛だが、成熟するにつれ芳しいものになる、その孤独の中に。(Translated by miltlumi)

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
にほんブログ村
にほんブログ村 恋愛ブログへ
にほんブログ村
by miltlumi | 2010-01-30 00:30 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

アインシュタインと干し肉

 ご存知の方もいらっしゃると思うが、「アインシュタイン150の言葉」という本がある。相対性理論とは必ずしも関係ない(あるものもあるが)彼の発言集の中には、いくつも私のお気に入りのフレーズがあり、しかも読む時々によって「!」と膝を打つ台詞が違っていたりして(つまり、その時々に私自身が直面している様々な問題にRelevantな言葉を、私が無意識のうちに選択している、ということだろう)、いつ読んでも面白い。

 最近、その日本語訳を読みながら、ふと英語の原文に触れたくなった。Amazonで探したら、案の定「Bite-Size Einstein」があって早速購入した。
 読み始めて驚いたのは、原本は150どころか300近い言葉が掲載されていたことだ。
ヒマにあかせて、かつ(一応自分の行動の正当化のために言えば)最近衰えの激しい英語力を少しでも持ち直させるため、これを和訳してみることにした。少なくとも「アインシュタイン150の言葉」で取り上げられている言葉のほうは、自分の和訳の答え合わせもできるし。
 この無目的な試みは、まだ三分の一くらいしか進んでいない。その中から、先の「干し肉理論」に呼応するであろう、そして「アインシュタイン150の言葉」の訳者の選から漏れた言葉をひとつ。

When women are in their homes, they are attached to their furniture. They run round it all day long and are always fussing over it. But when I am with a woman on a journey, I am the only piece of furniture she has available, and she cannot refrain from moving around me all day long and improving something about me. 
(出典:Compiled by Jerry Mayer & John P. Holms “Bite-Size Einstein”, St. Martin’s Press)

「女性はうちにいるときは家具に執心している。彼女らは日がな一日家具の周りを走り回っていつも大騒ぎしている。しかし、女性と一緒に旅行をする時、私が彼女の手元にある唯一の家具ということになってしまい、彼女は日がな一日私の周りを動き回って私のどこかを改善しようとする気持ちを抑えることができない。」

 この場合、インテリアコーディネート=干し肉。
アインシュタインを煩わせているこの女性の最大の失策は、マンモス(狩りをする男性)を干し肉の対象に据える、ということ。ただ、旅行中だけだからまだ許されるのだ。日常生活においても家具と旦那を混同してしまうと、悲劇が始まる。

アインシュタイン150の言葉
by miltlumi | 2010-01-28 10:44 | アインシュタインの言葉 | Comments(0)

マンモスの干し肉、もしくはパンパース―その7

「その6」を読む~

 21世紀の今日、科学技術や世の中の仕組みが驚くほど発展したために、太古の祖先から脈々と受け継いだ狩りの能力や体力のない女性でも、「マンモス狩り」=食料調達(をするためのお金を稼ぐこと、ひいては金を稼ぐための仕事をすること)を効率よく行うことができるようになった。一方、世の中がだんだん複雑になってきて、単なるマッチョなマンモス狩りノウハウだけでは仕事を全うすることが難しくなり、女性が得意とするパンパース的(口もきけない赤子の気持ちをくむように、お客様のニーズを先回りして丁寧にサービスする、等など)・干し肉的(こつこつと地道な作業を積み重ねる、限られた資源を大切に活用する、等など)ノウハウが求められる場面が多くなってきた。
 しかも資本主義の過度な発展のせいかどうか知らないが、お父さんが狩ってくるマンモスだけでは一家が食べていくのが難しくなり、パンパースと干し肉仕事だけで満足していたお母さんが否応なしに外で働かねばならないという状況も発生してきた。
 かくしてオトコ=マンモス、オンナ=パンパース&干し肉、という単純な共存関係が崩れ、オンナがマンモス狩りに出動することがごく当たり前の現象になってくる。マンモス狩りに夢中になっているうちにパンパースのタイミングを逃したり、そもそもパンパースの大前提となるパートナーさえ見つけられないとか、へたすると狩り場で活躍しすぎて男性陣の目に「オレのマンモスを横取りする憎きライバル」と映って熾烈な殲滅攻撃に合うとか、なんだか本末転倒なことが色々と起こり始める。もちろん、シンプルに結婚して旦那の帰りを待ちながらパンパースと干し肉の生活に留まる人や、無事にマンモス君とゴールインした後に忍耐強くマンモス君にパンパースのノウハウを教え込むことに成功する女性もいる。今や、結婚・未婚、子供あり・なし、働く・働かない、あらゆる順列組み合わせの選択肢が、現代女性の目前には広がっている。

 ただ、いずれにしても、どんな選択肢を取ったとしても、「干し肉」だけはXX遺伝子の最も深いところに根ざした重要な習性なのではないか。たとえマンモス狩りができたとしても、それは後天的に与えられた能力に過ぎない。特に、医学の発達により寿命が延びた現代女性は、生物としての限界ゆえにパンパース期間は限られているものの、出産適齢期を過ぎた後40年近く、つまり人生の半分は干し肉作り専門の季節なのである。これほどの環境が与えられて、干し肉を干さないオンナがいるだろうか。だからこそ思いっきりマンモス狩ってるHが、ど残業のあと徹夜で編み物してしまうのである。

 女性らしい女性にとっては、マンモスは干し肉の代替にはならないのだ。

にほんブログ村 恋愛ブログへ
にほんブログ村 
                               
by miltlumi | 2010-01-27 16:59 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

マンモスの干し肉、もしくはパンパース―その6

「その5」を読む~

 さて、この「干し肉」を現代に当てはめて考えてみれば答えは見えてくる。そう、週末ランチと称して昼間からワイン片手に5時間もおしゃべりに興じる我々が、仕事の傍らで編み物やビーズ通しや絵描きに夢中になるのは、つまりは「干し肉」の代償行為」なのである。Hが典型だが、彼女は平日の昼間(夜中までだけど)はXY動物に交じって健気にマンモスを狩っている。男性ならそれこそが人生最大の目的であるからにして、夜はがああっと寝るか、マンモス狩りの手柄話を披露するための宴席を設けるか、あるいはマンモス狩りのご褒美として奥様(あるいはそのオルタナティブ)の褥に迎え入れてもらうか、つまりマンモス狩りの「ついで」もしくは「派生的」作業しか残っていないが、Hにしてみると、XX遺伝子が求める「人生の目的」に「取り組んでいる感」が全然ないのだ。だから残業の後でも徹夜で編み物にいそしんでしまうのである。しかも異常と思えるほどに。
 生物学的に見れば、人生最大の目的が子孫繁栄であることは間違いない。が、その目的遂行の顕在性という観点で言うと、女性の方があからさまである。つまり「子供のいる女性」と「子供のいない女性」の区別は、男性に比べてより容易である。というか、そもそも先述のとおり男性が「人生最大の目的」に参画する度合いは女性の比較にならぬほど軽微なわけだから、むしろ男性は「最大の目的」が欠落していて「第二の目的」であるマンモス理論によってのみ制御されていると言っても過言ではなかろう。
 本来なら参画資格十分の女性が、たまたま「人生最大の目的」に参画していない場合(あるいはしたくてもできない場合)、「干し肉理論」に傾倒する度合いが強くなるのもむべなるかな。しかも幸か不幸か、マンモス理論に比べると、干し肉理論の実践手段は格段にそのバリエーションが豊富なのであるから、女性は無限に「干し肉を干す」ことができる。我々3人の例はもとより、「趣味」と言われるもの全て、VERY世代の奥様方のファッション競争やカルチャーセンター通い、今や井戸端代わりの病院の向こうを張っているスポーツジムでのお婆様方の「プール歩き」や皇居周辺の「歩きんぐ」軍団、エトセトラエトセトラ、もう干し肉の代わりになる行動は枚挙にいとまない。
                                                ・・・「その7」(最終回)に続く

にほんブログ村 恋愛ブログへ
にほんブログ村   
by miltlumi | 2010-01-26 23:29 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

マンモスの干し肉、もしくはパンパース―その5

「その4」を読む~

 さて、次が本題の干し肉理論である。XY動物は上述のようなマンモス理論に基づいて生息していることが明らかになったが、一方XX動物はどうか。同じく上述の通り、女性の最大の役割は子孫繁栄、すなわち妊娠・出産・育児である。これをパンパース理論と言う。ゆりかご理論でも哺乳瓶理論でもいいわけだが、あえてパンパースとするのは、つまり産んだ子供が「おしめがとれる年齢」に至るまでの女性が、特にこの理論の対象者になるという意味である。めでたく子供が成長してしまった女性、もしくは最初からこのフィールドに参戦していない(つまり妊娠・出産・育児の経験のない)女性に適用されるのが、干し肉理論ということになる。
 子供のいない(あるいは子供が成長してしまった)女性は、何も現代に限らず太古の昔も中世でも近代でもいつでもいる。で、彼女達は何をしていたか。マンモス理論に合わせて、太古の昔を例にとると、そう、彼女達は男達が捕ってきたマンモスの干し肉を作っていたのである。
 いつもウサギしか捕ってこられない甲斐性なしの夫が、まれにマンモスを仕留めて得意満面で戻ってくる。洞穴の一族郎党は狂喜乱舞、その日は火を囲んで夜通し宴会。それでもマンモスは一晩で食べきれる量ではない。しかし、マンモス理論に骨の髄まで染まってしまったオトコたちは、マンモスとの格闘で疲れた身体を癒すやいなや、再び荒野にAnotherマンモスを求めて旅立つ。次にいつマンモスが見つかるかは神のみぞ知る。後に残った女は、もしもの場合に備えて、あるいは単に「もったいないから」マンモスの残り肉を割いて焚火にかざして干し肉を作るのだ。しかしこれはこれで忍耐力と注意力を要する仕事(ちょっとよそ見をしているとたちまち黒こげになったり、逆に火を絶やして生干しになったりしてしまう)なので、子育ての片手間でできる作業ではない。おのずとこの役割は乳飲み子を持たない「干し肉世代」の女達の仕事となる。
 マンモス狩りの留守を守る女達の仕事は干し肉作りだけではない。木の実を拾ったり、木の皮や草の筋で衣服を作ったり、「干し肉」作業のバリエーションは無数に存在する。
                                              ・・・「その6」に続く

にほんブログ村 恋愛ブログへ
にほんブログ村
by miltlumi | 2010-01-25 09:05 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

マンモスの干し肉、もしくはパンパース―その4

「その3」を読む~
 
 ともかく、人間という動物の存在意義を全うするのに、福岡伸一先生の「アリマキ」理論を引くまでもなく、ほんのわずかな役割しかあてがわれていない男性諸氏は、余った時間で「食べ物の調達」に精を出し、自らの存在意義を少しでも高めようとする。
 その際、いつでもどこでもマンモスが狩れるわけではない。仲間の男達とともに何日も狩り場をかけずりまわった挙句、マンモスどころかキツネ一匹見つけることができず、仕方なしにウサギ3匹くらいをちゃちゃっと仕留めてすごすごと洞穴に戻ってくる。そこでは人間として「重要な任務」に就いている妻が大きなお腹を抱えて待っている。「ふうん。ウサギなんだ」 悪阻で気分の悪い妻は、自分の感情も露わに軽蔑した声でつぶやく。その瞬間、オトコは断崖の下に突き落とされる。「オ、オレって、役立たず…?」 
 このあたりから「手段の目的化」が始まる。つまり、本来の目的である「食料の調達」ではなく、調達してきた食料を見て「喜ぶ女の顔を見る」ことが目的となったり、あるいは獲物が大きいときにより嬉しがった女に触発されて「より大きい獲物を狩る」ことに執心したりするようになるのである。かくしてオトコは今日もマンモス目指して必死の形相で狩りに赴く。 (今日の文章は長いから、この続きは左下の「More」をクリックしてくださいませ。そしてさらに「その5」に続きます)

にほんブログ村 恋愛ブログへ
にほんブログ村


できそこないの男たち (光文社新書)

More
by miltlumi | 2010-01-24 11:34 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

マンモスの干し肉、もしくはパンパース―その3

「その2」を読む~

 最近遭遇したこれら二つの事例(1月20日の「その1」、1月21日の「その2」)から、3つの理論が帰納できる。
 まずは「マンモス理論」。太古の昔、人間がホモサピエンスになりたてで、まだ洞窟の中に住んでいた頃。XYの遺伝子を持つオトコたちの仕事はマンモス(もしくはそれに準ずる動物)を狩ることだった。人間といいながら、その祖先である猿にまだ限りなく近かったあの頃、人間の「存在意義」、ちょっと大げさに言えば「人生の目的」ははっきりしていた。自分の子孫を残すこと。その場合、生物学的に子供を孕むことのできるオンナは、人生の目的により近しいというか、直接的に達成可能と言える。一方、子孫繁栄の目的のためにオトコが必要とされる時間は、極論すると3秒くらいでも済むわけで、そのオタマジャクシ注入の動作の結果めでたくオンナが懐妊すれば、少なくともその女性との関係においてのみ言えば、彼女が出産をするまでの10カ月間、オトコは何もすることがなくなる。となると、その間彼女をちゃんと生きながらえさせる手段として、食べ物を調達することが、オトコの重要な役割=人生の目的となったのだった。そして、めでたく女性が出産して子育て期間に入っても、この食料の調達というミッションは彼らのために重要な意味を持つものであるため、男性にとっての「人生の目的」は本来の子孫繁栄のための二義的プライオリティーとしてのマンモス狩りに取って代わられたのである。これを称して「マンモス理論」と(私が勝手に)呼んでいる。

 ちなみに、第一夫人の妊娠・子育て期間中にオトコが他の婦女子を見つけてAnother 3 secondsの動作を試みんとすることは、本来の「人生の目的」に照らして極めて自然なことである(何しろ動物としては子供が多いほど存続の確率が高まるのですから)が、それが子孫繁栄という大義名分の根幹を揺るがす、現代における極めて切実な問題である少子化の原因の一つ(離婚のきっかけ、あるいは女性が結婚を思いとどまるきっかけ、等など)になっている、という事実は、誠に皮肉な話ではあるが、この話はちょっと脇に置いておく。
                                           ・・・「その4」に続く
by miltlumi | 2010-01-23 14:09 | マンモスの干し肉

マンモスの干し肉、もしくはパンパース―その2

「その1」を読む~

 同じく最近、年下の男友達と食事をする機会があった。「おいしいお店を知ってますから」と言われて日にちを決めた後で、当日の場所の連絡メールに書かれていたのは、私が以前何度か足を運んだことのある鉄板焼きレストランだった。彼はすごおく丁寧に、「西麻布の交差点をすぎて道がYの字に分かれるかと思いますが(左に行くと外苑前のベルコモンズの交差点方面、右に行くと青山一丁目のホンダの本社前方面)、左にいって…」と道順を説明してくれていたが、そもそも何度も行ったことがあるし、西麻布の交差点を左に行くとベルコモンズ、くらいは港区民の常識である。
 まあ私が「地図を読める女」であることを彼が知らなくても仕方ないので、それはさておき、何気なく「たまに行ってたお店で、最近ご無沙汰だから楽しみです」と返事をしたところ、即座に「知ってるところでしたか。別の店に変えなくて大丈夫ですか?」との返事。
 別に、彼に「私が絶対に知らない隠れ家レストラン」を探索せよと指示した憶えもないので、ここでいいです、と返したが、「ではメニューにないものでも食べましょう」…彼はあくまで「私が知らない店(もしくは食べ物)」を提供することに血眼を上げている、としか思えない不思議な反応だった。へんなの、と思いながらも、別に「メニューにあるものでいいです」とひねくれた返事をだす時間も惜しかったのでそのまま流した。
                                             ・・・ 「その3」に続く
by miltlumi | 2010-01-21 15:16 | マンモスの干し肉

マンモスの干し肉、もしくはパンパース―その1

 最近、独身女性3人で週末ランチをしていたとき、金融業界でばりばり仕事をしていて3人の中で一番稼いでいるHが、実は一時期「編み物」に凝っていた、という暴露話を始めた。残業で午前様になっても、つい編み針に手が行ってしまって、気づくと朝、一睡もせずにまた職場へ…という生活が続き、こりゃあちょっとヤバい、と自分に戒厳令を敷いて、ぷっつり編み物を止めたという。といいながらその日着ていたセーターも、複数の手法を駆使した模様編みが複雑に絡み合う誠に凝ったデザインで、これを自分で好き好んでやるか、といった超大作だった。
 
 仕事だけでもふつーのOLの200%くらい忙しいのに、なぜそんなに…と、Hを挟んで団栗眼のYと顔を見合わせた私は、しかし、ふと我に返ると、目下天然石ジュエリーのネックレス作りにハマっている自分を思い出した。ビーズのように穴を開けた大小の天然石をワイヤーやテグスに通す、あれ。編み物より無意味なことには、糸を切れば簡単にバラけてしまうから、1度作ったネックレスをバラして他の石と組み合わせて別のデザインのネックレスを作るという、「作るために作る」ことが容易なのだ(編み物ももちろんほどくことはできるが、彼女のように複雑な模様編みだと解くのに時間がかかるし、ほぐした毛糸はインスタントラーメンみたいにフネフネになって一度水に通してくせをとってからでないとリサイクルしにくい)。
 「これって、賽の河原に石を積むようなものよね~」と笑いながらも、笑えない自分の造作にちょっとぞっとしつつ、実はYだってその類の無意味な(?)手遊び仕事が高じて脱サラまでしてしまったことを思い出した。Yにとっての「編み物」はコラージュである。

 さて、この3人の共通点は何か。女性であること。子供がいないこと。そこで私は閃いた。これは「干し肉」作りなのだ。
                                                  ・・・「その2」に続く
by miltlumi | 2010-01-20 17:43 | マンモスの干し肉