カテゴリ:機嫌よく一人暮らし( 275 )

昼下がりの銀行にて

 断捨離の一環で、使っていないクレカ解約と銀行の休眠口座閉鎖を断行した友達を見習い、私も某銀行某支店に出向いた。高金利に惹かれて1度だけ定期預金を預けて満期解約したきりの口座だ。

 自動ドアを開けると、ホテルのドアマンみたいに男性が立っている。右手にはリビングルームのような白いソファの待合いコーナー。都市銀と違って、窓口は全て半個室形式だ。
 「ご解約とのことですが、弊行では優遇金利の定期預金をご用意しております」
 差し出されたパンフには「0.15%」という数字。ただいま預入れ中の0.10%との差に一瞬クラッとくるが、解約の初志貫徹。「いえ、結構です」

 にっこり即座に引き下がった彼女は、通帳が古いので新規に切り替えさせていただきます、と背後のドアの向こうに消える。解約するにも、一定のペーパーワークを経ないといけないのだ。さすが銀行。
 手持ち無沙汰なので、つい金利のことを思い返す。0.15マイナス0.10=0.05。100万円で年間5百円。ふむ。1千万円なら5千円。ほー。
 彼女はなかなか帰ってこない。10分経過。本を開くが、あいにくつまらない章である。

 ようやく戻ってきた彼女は、新旧2冊ずつ(定期と普通)通帳を手にしている。
 「通帳の切り替えができましたので、これから解約手続きをさせていただきます」
 えっ、なんでまとめてやらないの?という言葉が喉元まで出たが、ここは銀行。段取りは1つずつ。決してはしょってはいけない。目の前で私が記入した用紙の氏名と日付だって、彼女はきっちり3回指差し確認していた。
 「終わりましたらお呼びしますので、あちらでお待ちください」

 ということで白いソファへ。シフト交代したのか、最初のドアマンとちがう男性がやってきて、テーブルの上の雑誌数冊、わずか5度ほどのずれを直角に整えて、また立ち去る。取り澄ましたブティックのラックに整然と畳まれた服のように、手を伸ばす勇気がでない。
 間近のブースからは、株の乱高下とオリンピックの会話。東京オリンピックまでは大丈夫ですよきっと、とかなんとか、延々続いている。世間話より、そろそろ具体的な商品説明に入ったほうがいいんじゃないでしょうか。

 なんとなく鼻がぐすぐすする。ティッシュを探そうと立ち上がると、直角マンがすかさず近づいてくる。
 「何か?」
 「あの、ティッシュはどこかにありますか?」
 「それでしたらこれをお使いください」
 テーブルの上、直角雑誌の隣に、6つのポケットティッシュ入りのカゴ。がばりと全部失敬したら、直角マンはどう反応するだろう。

 まだ呼び出しがない。ソファの隣にいるデカい青い象のぬいぐるみ(あ、これ言ったら、どの銀行かわかっちゃうかな)をなでる。鼻の先がくるんと上向いて、スキージャンプ台みたいで可愛い。これ、欲しいな。しかしポケットティッシュとちがって、鞄に滑り込ませるには大きすぎる。でも、欲しい。

 ようやく番号を呼ばれる。「解約」というハンコが押された、さっき作られたばかりの通帳と共に、「残金がございました」と差し出されたのは、31円也。

 45分かけてGETした31円と、GETできなかったポケットティッシュと青い象への未練を手にしたまま、早春の陽光の中に踏み出した。





小さい春、みーつけた!



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by miltlumi | 2018-02-20 19:11 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

自白

 日頃から、長生きなどしたくないと公言している。生老病死は生きとし生ける者の定め。ナチュラルに健康でいられるに越したことはないが、老いに逆らい、じたばたと人工的な手段に訴えるのはいかがなものか。
 これは極めて個人的な価値観、人生観に関わることなので、不老不死を願う人を否定するつもりは毛頭ない。しかし、日経新聞なんぞは、右肩上がりの読者年齢に合わせ、なんとかサプリや健康器具の広告ばかりが目立つようになって、不愉快である。カネで若さが買えるなら、と東奔西走する御仁をカモにするのは勝手だが、少なくとも私自身は、No thank you.
 …と思っていたのに。
 あな、あさましや。

 社外役員を務める会社から、HPの写真を更新したいので、次回の取締役会のあと撮影をします、というお知らせが来た。サイトの掲載写真は、かれこれ3年以上前。
 当日、一張羅のスーツをびしっと着こんで、勇んで出掛ける。予定通り会議が終わると、別の会議室に移り、1人ずつ白いスクリーンの前に立つ。
 カメラマンは、ぱしゃぱしゃと数回シャッターを押すと、無線で画像を飛ばした先のタブレットをすっと差し出して「こちらでよろしいでしょうか」と確認してくれる。私の前のシニア男性役員は、ろくに画面を覗き込むこともなく「はい結構です」と言って、そそくさと立ち去って行った。

 さて、私の番。ぱしゃぱしゃぱしゃ。すっとタブレット。
 …。
 「ちょっと、これ、ちがうんじゃないかなあ」
 ちがうも何も、液晶に映っているのは紛れもない自分の顔である。しかし、ちがう。
 「なんかちょっと、笑い過ぎじゃないですか?」
 言い訳がましく付け加えながら、問題はそこではないことを、自分が一番よく知っている。問題の核心は。。。

 HPの写真より、顔が老けてる!! が~ん。

 目じりにしわは寄ってるし、頬の線がたるんでいる。3年前の写真ではありえなかったことだ。
 「はい、じゃあ撮り直しましょう」
 カメラマンさんは速やかにクレーム対策プロセスを進める。が、問題の核心が不動である以上、何度やり直しても同じことである。
 「う~ん。まあ、仕方ないですね。元が悪いんだから」
 ついに私は自白する。誰に脅されたわけでも、カツ丼の差し入れで「さっさと真実吐いたほうがラクになるぜ」と言われたわけでもないけれど、自分の罪(?)であることは自分が一番よく知っているのだ。一旦自白してしまえば、もう恥も外聞もない。
 「でも、この頬の線、なんとかなりませんかねえ。せめてしみとしわは修正できますよね?」
 順番を待っていた若い男性役員が、カメラマンが答えるよりも先に、きっぱりと言い放つ。
 「フォトショップなら、どうにでもなりますよ」

 嗚呼。ついに私も実年齢をIT技術で誤魔化す、という人工的、反自然的解決法に走ってしまうのか。あな、あさましや。
 日頃の「ナチュラルに年を取って死にます」宣言はどこへ行ってしまったのか。

 ついでに白状すれば、この事件(?)の数日前、同世代の友人から「酒粕毎日50g食べると、2週間でお肌ぷりぷりだって」と聞き、鋭意実行中でした。毎日お味噌汁代わりの粕汁、酒粕グラタン、酒粕カレーシチュー。
 2週間を待たずして、あちこちぼつぼつにきび(否、私の年齢では「吹き出物」と呼ぶらしい)が出没。アルコールに弱い私のカラダには、合わなかったらしい。お肌ぷりぷり、は幻影と化した。

 件の写真が仕上がったという連絡は、まだない。


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by miltlumi | 2018-02-06 22:14 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(2)

たなぼた、もしくは隣の芝生

 少し前、DINKSの友人から緊急事態発生の連絡が入った。だんな様がアメリカに赴任することになったという。3年前に転職した会社の仕事がようやく面白くなってきたところなのに、辞めてついていくか、しばらく彼に単身生活してもらうか。
 青天の霹靂、思いは千々に乱れ…状態の彼女には申し訳ないが、正直うらやましい!と思ってしまった。

 この歳になって(といっても、彼女は私より10歳近く若い)、いきなりアメリカで暮らすチャンスが訪れるなんて、でっかいたなぼたではないか。私は20代で一度海外暮らしをしたことがあるが、今ならまたちがった楽しみ方ができそう。
 何よりも、他人(もちろん生涯の伴侶だけど)が自分の人生にどっかーんと影響を与える、そのサプライズ感、意外性。

 シングルアゲインになったとき、1人で暮らす部屋のカーテンを買いに行き、ずらり並ぶサンプルを見て「これ、自分1人で勝手に選んでいいんだわ」と驚いた、あの時の感覚を思い出す。
 どんなことも、自分が決めて、自分が実行する。逆の見方をすれば、自分が決めない限り、自分の人生は1㎜も変化しない。自分では思いもつかなかった選択肢が、突然たなぼた式に落ちてくることは、決してない。
 カーテンの前で味わった「なんでも自分」感と、彼女を羨む「たなぼた感」が、心の中を交差する。

 先々週、別の友人が、こんな言葉を漏らした。
 「自分だけが行きたい所に、自分だけで行きたい。そして、そこに居たいだけ居たい」
 彼女は、だんな様と小さな息子さんの3人暮らし。週末は子供の行きたい公園で子供を遊ばせ、夏休みはだんな様の行きたい旅先で男2人をカメラに納めるお役目…のだろうか。

 一方の私は、自分が長年行きたかったセドナに年末行ってきた。あまたあるトレッキングコースの中、気に入った場所に、居たいだけ居た。「そこに居たい」という欲求を妨げるものは、自分自身の生理的欲求(ト○レ)だけだった。
 旅の後半、アメリカに住む友人が加わった。研究熱心な彼女が「行きたい」と選んでくれたレストランは、たなぼたならぬ、たなからフレンチイタリアンメキシカン、美味しいサプライズの連続。自分一人だったら、決して行かなかった(行けなかった)だろう。
 家族を始めとする他人に振り回される不自由さは、裏を返せば、他人がもたらしてくれる世界の拡大につながる。

 さて、先日の大雪である。
 暗くなる直前に帰宅した私は、ゴム長靴に履きかえるや否や、外に飛び出した。降りたての雪をざくざく踏む、だけのつもりが、童心に火が付いた。
 降りしきる雪の中、うちの隣にある神社の境内にしゃがみ込んで、小さな雪玉を作る。滑らかな雪の上をころころ転がすと、それは「雪だるま式」に大きくなっていく。
 ふと振り返ると、放り出した傘の場所から、ずるずるぐるぐる雪だるまとゴム長の跡。幸い神様以外は誰も見ていない。

 ガラケーで撮った雪だるまをFacebookにUPしたら、ブログ宣伝より多くの「いいね!」。中の一人(彼女も既婚、子供あり)が、感心してくれた。
 「私も一人は好きだけど、『一人雪だるま』はやったことがない」
 はい。やれますよ。自分でやろうと思えば、いつだって。
 でも、自分の意図せぬまま、たとえば子供に手を引かれて足を踏み入れた公園で、雪の白さにびっくり、なんていうたなぼた式サプライズは、ない。

 家族から「たなぼた」の嵐に遭っている人は、「自分で決める」ことに憧れ、
 「自分で決める」しかない人は、誰かからの「たなぼた」サプライズに憧れる。
 つまるところ、隣の芝生。
 隣の神社の雪は、まだ解け残っている。





第2回プラチナブロガーコンテスト



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by miltlumi | 2018-01-29 11:28 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

ロマンチック・グッズ

朝いちにFacebookを開けたら、友人から、昔の彼がくれたプレゼントが引き出しの中なら出てきて懐かしかった、と言うメッセージが入っていた。
趣味で集めていた品、すべて両親からのお土産だとばかり思っていたら、彼からもらったものが混ざっていたという。

タイムワープ。
意外なときに、意外な場所から、意外な人からもらった、意外な物が出てくる。
あの頃は、意外どころか、必然中の必然、人生のすべてと言ってもいいくらいの、大きな存在だった人。
今は、思い出すことさえ稀になってしまった。

羨ましいなあ、と思いながら、自転車をこいで仕事場に向かう。

ちょっと胸キュンな、こういうサプライズは、非日常的なロマンチックグッズだからこそ味わうことができる。
物心ついて以来付き合ってきた、2つの手の指だけで余裕で数えられてしまう人たちからもらったプレゼントを、桜田通りの真ん中でつらつらと遡ってみる。
相手が現実的なタイプだったのか、私がアンチ・夢見る乙女だったのか、思い出すのはどれも実用的なものばかり。身に着けるペンダントだったり暖かなストールだったり、あるいは使い勝手のいい大きさの取り皿だったり。
だから、日常いつも目のつくところにある。飾り棚の片隅や引き出しの奥にひっそりと仕舞いこまれて、意外なときにサプライズ、というロマンチックな展開が期待できない。

ちなみに、アクセサリーの中でも、ロマンチックランクNo.1カテゴリーである指輪は、別れた後のセンチメンタルジャーニーで、マウイの海に投げ捨てた。
それって十分ロマンチックじゃないか。
しかし、別の指輪は、黙って相手に返した。そしていまだに、「あれを質屋に入れていたら…」という「たられば娘」的後悔に苛まれている。
それに、実はあまり好みではなかったアクセサリーや洋服は、別れた途端にゴミ箱に捨てた。アクセボックスに残っているのは、つまり単純に自分の趣味に合っていて「モノ」として価値を認めたものばかりだ。
所詮、私のロマンチシズムはそんな程度である。

ああ、でも。
私にとって最大のロマンは、こうした3Dの物体ではなかった。
二次元の手紙。古くは、中学1年生のときに○○君からもらったものから、新しくは△△さんまで。
「思い出ボックス」と称するベッドサイドのチェストの引き出しの中で、小学3年生からつけている何十冊もの日記帳とともに、彼らはひっそりと肩を寄せ合っている。
そこに仲間入りできていないのは、HDDの中に格納されたEメールたちである。

お互い人生後半に入っている件の友人とは、いつも断捨離の話をする。しかし、「思い出ボックス」の中のあれやこれやはやっぱり捨てられないね、という結論になる。
今際の際に、あの手紙の束どうしよう、と思ったりするのだろうか。
今のうちに、「あの引き出しの中のものはすべて棺に入れてください」という遺言書を書いておこうか。
そうだ、EメールはDVDに落として、引き出しに入れておこう。

(本文の趣旨と全く無関係ですが、「東京タラレバ娘」は面白いです)


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by miltlumi | 2018-01-18 14:32 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

逆算の結果

 近頃、なにかにつけて「逆算」するくせがついてしまった。
 
 内田洋子というジャーナリストのエッセイにハマっていて、一番最近読んだのは「イタリアのしっぽ」という題名である。犬、猫、その他ペットにまつわるあれこれが書かれていて、その一節にラブラドルレトリーバーが登場する。
 これまでの私の人生、半分以上は犬と一緒、という大の犬好きだが、7年前にミニチュアダックスフンドのミルトとルミそれぞれ14年の生涯を見送って以来、犬なしの一人暮らし。
 レトリーバーか、と思う。かすかに心が動く。あの手の大型犬は、まだ飼ったことがない。一生に一度は飼ってみたいな、という気がしないでもない。

 と、ここで逆算が始まる。
 もしもこれから飼う犬が、ミルトルミと同じくらい、ざっくり15歳まで生きるとしたら、その犬が天寿を全うするとき、私は、…70歳。
ななじゅっさい~!? やばい。老老介護じゃないか。
 飼うなら、今すぐ。1日でも1時間でも早く飼い始めなくては。
 やばいやばいやばい。

 再び、内田洋子である。
 20代前半からイタリアで暮らす彼女は、ヴェネチアやサルデーニャ島にふらりと出掛けたりしている。ヴェネチアは一度行ったことがあるが、サルデーニャ島といったら、永遠の憧れではないか。
 2001年にCREAの「地中海の島」特集を見て、サルデーニャ島かマジョルカ島かマルタ島か迷いに迷った末、英語の通じるマルタ島にした。十字軍の基地だったあの島も、ものすごくサイコーによかったのだが、サルデーニャ島への未練はいまだに引きずっている。
 でも、イタリアへの直行便は潰れかかったアリタリアしかないし、ローマかミラノからさらに飛行機に乗らないといけないし。
 それに、なんだかんだで3回行ったことのあるイタリアより、マチュピチュとかウユニ湖とかアラスカクルーズとかフィンランドのオーロラとか、行きたいところは他にも色々ある。

 ここでまた、逆算である。
 勤続30周年のご褒美に夫婦でマチュピチュに行った兄が、「あそこは歩くから足腰に自信があるうちに行ったほうがいい」と言っていた。オーロラは、真冬の北国でしんしんと零下の夜に、出るか出ないかわからない自然現象を幾晩も待つことになる。寒さに耐えられる体力のあるうちに行かないと。
 そう考えると、この手の場所は65歳くらいまでに行っておいたほうが安全。そして、長期の海外旅行が出来るのは、せいぜい年1回。ということはつまり、あと10回…。
 やばい。やばいやばいやばい。
 のほほんとしているヒマはない。所要体力順に行きたい場所の優先順位を決めて、しかしかと計画的にこなさないと、気づいたら行けるのはバリアフリーの先進国だけ、ってなことになりかねない。
 
 というわけで、逆算すると、あれもこれも「いつかね」などと言っている場合ではない。やりたいことを思いついたら、すぐやるしかない。
 というわけで、手始めに明日から、セドナに行く。スーツケースに入れた本は、内田洋子の「ミラノの太陽、シチリアの月」。

追伸:
犬のほうは、思い立ったときに旅行するのに、ペットホテルだなんだと面倒である。
そもそも、ミルトルミ以上の犬が現れるとも思えない。
というわけで、レトリーバーは見送りになりそうだ。


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by miltlumi | 2017-12-18 22:04 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

憧れのドーナツ屋さん

 うちの最寄りの地下鉄の駅では、不定期でミスタードーナツの出店が出る。
 夕方から夜にかけての帰宅時間。幅180cm ほどの仮置きテーブルの前で、5つで600円、あるいは9つ1000円のどちらにしようか、人々が思案している。
 ああ、ドーナツ屋さんになりたいなあ、としみじみ思う。

 無事どちらかを選んで、横長ボックスを受け取る人は、スーツ姿のサラリーマンだったり、おしゃれなファッションに身を包んだ若い女性だったりする。だいたいがちょっと照れくさそうに、でもちょっと嬉しそうに、箱を抱えて足早にその場を去っていく。
 ドーナツを買う。しかも1つ2つではなく、片手に余る数のドーナツ。家族3人分か、友達のホームパーティーへの手土産か、あるいは全部独りでヤケ食いか。いずれにしても、そこには必ずや、アンビバレントな思いが交錯しているにちがいない。
 砂糖と小麦粉と油という、最高にカラダに悪い組み合わせの食べ物を大量購入し、消費しようとする、うしろめたさ、背徳感、そしてその禁をあえて破ることへの開き直り、爽快感、Indulgence(耽溺)。

 Indulge、という単語は、トロントで働いていたときに同僚とよく行ったDenny’s(日本にもあるあのファミレスは、米国発祥である)で覚えた。ブラウニーの上にチョコレートアイスクリームが乗っかり、さらにチョコレートソースとチョコチップがたっぷり振りかけられた最強のデザートが、「Indulging Chocolate Fudge 」という名前だった。
 20代だった私は、メタボ気味な同僚の羨望の眼差しを浴びつつ、「Indulging myself…」とつぶやきながらぺろりと平らげたものである。
 
 会社の近所で韓国人がやっているドーナツ屋さんでは、「オレンジクルーラー」が定番だった。クルーラーといっても、ミスタードーナツにある、菊の御紋が風車になったような、噛むとふしゅふしゅっとする、あれとは全く異なる。サーターアンダーギーのタネを3つまとめてワラジ型にして揚げたような不定バクハツ形で、絶対1,000kcalは越えていたと思う。
 カナダ人が皆帰宅してしまった後、静まり返ったオフィスで残業しているとき、ふと思い立ってオレンジクルーラーを買いに行く。「夕飯食べられなくなりそう」などと申し訳程度につぶやくと、お店のおばさんは、「Don’t worry! Be happy!」と、いかにもカナディアンな笑顔を向けてくれた。

 日本のミスタードーナツは、昨今の健康志向のおかげで、すっかりライトになってしまった。それでも、寄る年波で「○○食べ放題」で元を取るのが難しくなってしまった一人暮らしの身には、5つセットも、ちょっときつい。

 だからせめて、あの香りに包まれて、つややかなチョコレートコーティングや華やかなスプリンクルやこんがりココナッツフレークをまとったドーナツを心行くまで眺めていたい。
 嬉し恥ずしの表情で、そわそわ、いそいそと買っていく人たちに、あの韓国人のおばさんのように、「Don’t worry! Be happy!」と声をかける。言われたお客さんは、ぱっと目を輝かせて、にっこり笑う。
 それが仕事だったら、毎日楽しいだろうな、と思う。


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by miltlumi | 2017-11-27 09:36 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

彩香ちゃんのこと

 年末は何かと慌ただしくなりそうなので、今のうちから少しずつ大掃除に取り掛かることにした。手始めに、ぬいぐるみを洗濯する。中のスポンジが存分に吸ってしまった水をさっぱりと乾燥させるには、今どきのからりとした空気に晒すのが一番である。

 そのぬいぐるみの犬は、彩香ちゃん、という今風の立派な名前を持っている。もう30年近く前、トロントに赴任する私のお餞別にと、大学の友だちがくれたものだ。タグに「彩香」としっかり書かれていた。数年前、プレゼントしてくれた当人にこの話をしたら、ぬいぐるみのことさえ、すっかり忘れていた。

 もらった私がちゃんと憶えているのは、小学校6年のときに好きだった男の子が当時既に「彩香ちゃん」という女の子の父親になっていたからだ。
 …実は今こうやって書いていて、「彩香ちゃん」の父親は小学校のときの彼ではなく、大学時代に付き合っていた男の子だと、これまで思い違いをしていたことに気づいた。よく考えてみれば、大学の彼は、その頃はまだ結婚していなかった(私とは大学卒業後しばらくして別れたけど。って、関係ないか)。私がトロントから帰任した後に生まれた彼の娘は「彩美(あやみ)ちゃん」だったっけ。
 小学校の彼とは、赴任する直前に久しぶりに再会した。そこで彼が結婚して娘がいることを聞いたのだった。トロントと東京で、しばらく文通していた。でもある時から音信不通になってしまい、今に至る。

 彩香ちゃんを筆頭にして、ぬいぐるみをたくさん集めていたことがある。家には、イースター間近に訪れたグアム島のスーパーマーケットに並んでいたピンクや水色や色とりどりのうさぎ全色大人買いで5匹、100円ショップで一目惚れしたたぬき・となかい・くまの3人組、その他大勢。
 オフィスには、ゲーム事業を担当していた隣の部署から盗んだナムコの景品ぬいぐるみや、フジTVからもらった子犬のラフちゃん。アメリカから出張してきた外人が見て、その次に来たときミッキーとミニーのぬいぐるみをくれた。ああいう原色使いより、パステルカラーのほうが好みだったのだけれど。

 あるとき、かさぶたがぽろりとおちるように、ぬいぐるみへの愛情がなくなった。全部まとめて洗濯機に放り入れて、「ていねい・おしゃれ着洗い」モードで洗濯して、近所の保育園に寄付してしまった。
 でも、彩香ちゃんだけは、手元に残した。何しろ「彩香ちゃん」なんだから。

 今日の洗濯は、ちゃんと手洗いである。自慢の握力で頭と胴体をぎゅうぅっと握って、出来るだけ水を絞る。一瞬へちゃむくれ顔になるが、きゅっきゅと形を整えると、元のほんわかした表情になる。
 窓際にハンドタオルを敷いて、その上におすわりさせる。風も弱く穏やかだから、窓を開け放しておいても寒くはない。しばらくして様子を見たら、ハンドタオルがじっとりと濡れていた。

「彩香ちゃん、おもらししたね~」と言いながら、持ち上げたときの、その軽さ。
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by miltlumi | 2017-11-06 13:00 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

はっぴいえんど

今朝はまだ台風の雨が本気じゃなかったから、
日経新聞はビニール袋にくるまれていなかった。
松本隆の「はっぴいえんど」と「ロングバケーション」の記事が載っていた。
全部のページにゆっくり目を通してから、週末のルーティンであるスポーツジムに向かう。

***

もしも今ここで、私の一生が終わってしまったなら、ハッピーエンドだったね、と言えるんだろうか。
ハッピーな人生に必要な、あれやこれや、今の私はどのくらい持っているんだろうか。

あのとき、この手のひらの中に持っていたものは、今の私が欲しいものだったのだろうか。

台風の雨が強まる中、真っ白なベンツが水しぶきを上げて私を追い抜いて行く。
私の愛車、水色のママちゃりは今日はお留守番だ。

でも。
四つ輪のクルマがなくても行けるスポーツジムが近所にあって、
じゃばじゃばの雨でもへっちゃらな最強のハンターのゴム長靴があって、
それを履いてぶかぶかと歩ける2本の足があって、
エアロバイクをこぎながら読むお気に入りの本がある。

もしも今ここで、クルマにはね飛ばされて、突然人生が終わったとしたら、
オレンジ色の布バッグと分厚いハードカバーが、車道に飛び散って私の「はっぴいえんど」を飾る。

後悔があるとすれば、もう少しちゃんと化粧をしておけばよかった。
でもまあそれでも、きっと雨で化粧が流されたと思ってもらえるかもしれない。

もちろん、クルマにはね飛ばされることも、車道に転んで顔を雨で濡らすこともなく、
いつものエアロバイクと筋トレをこなして普通に帰ってきて、
今、「ロングバケーション」を聴いている。


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by miltlumi | 2017-10-29 18:26 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

はっぴいえんど

今朝はまだ台風の雨が本気じゃなかったから、
日経新聞はビニール袋にくるまれていなかった。
松本隆の「はっぴいえんど」と「ロングバケーション」の記事が載っていた。
全部のページにゆっくり目を通してから、週末のルーティンであるスポーツジムに向かう。

***

もしも今ここで、私の一生が終わってしまったなら、ハッピーエンドだったね、と言えるんだろうか。
ハッピーな人生に必要な、あれやこれや、今の私はどのくらい持っているんだろうか。

あのとき、この手のひらの中に持っていたものは、今の私が欲しいものだったのだろうか。

台風の雨が強まる中、真っ白なベンツが水しぶきを上げて私を追い抜いて行く。
私の愛車、水色のママちゃりは今日はお留守番だ。

でも。
四つ輪のクルマがなくても行けるスポーツジムが近所にあって、
じゃばじゃばの雨でもへっちゃらな最強のハンターのゴム長靴があって、
それを履いてぶかぶかと歩ける2本の足があって、
エアロバイクをこぎながら読むお気に入りの本がある。

もしも今ここで、クルマにはね飛ばされて、突然人生が終わったとしたら、
オレンジ色の布バッグと分厚いハードカバーが、車道に飛び散って私の「はっぴいえんど」を飾る。

後悔があるとすれば、もう少しちゃんと化粧をしておけばよかった。
でもまあそれでも、きっと雨で化粧が流されたと思ってもらえるかもしれない。

もちろん、クルマにはね飛ばされることも、車道に転んで顔を雨で濡らすこともなく、
いつものプログラムをこなして普通に帰ってきて、「ロングバケーション」を聴いてみる。


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by miltlumi | 2017-10-29 18:26 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

最上の「○○ファースト」

 「○○ファースト」という名称は、小池氏の専売特許ではないことを先週知った。ニュージーランドで最大野党と組んだ第3党が「NZ First」。なぁんだ。ということは、私の兄の先月の「名言」は受け売りの孫請けということだ。

 先月、というのは、甥っ子の結婚式のことである。社会人5年目の27歳、相手は大学時代のサークルの同級生。絵に描いたような結婚、と思うのは私たちの世代だけで、今や早過ぎるくらいの年齢だ。その理由が、高校の同級生だった両親(つまり私の兄と義姉)が28歳で結婚したから、だなんて、くぅ、泣かせるじゃないか。

 彼と3歳年下の弟は、両親の愛情を一身に受けてすくすくと、身長179㎝まで育った。二人とも決して私を「おばさん」と呼ばず、常にファーストネームで呼び、お年玉を受け取るときは「お姉サマ」と敬った。
 だから、挙式の前の両家親族紹介の場で、新郎の父が私のことを「新郎の叔母の○○です」と述べたときは、マジで驚愕してしまった。ウソだろ。叔母さんって誰だよっ。思わず隣に座る下の甥っ子に「どういう意味?」と怒りをぶつけると、「まぁまぁ、形式上は一応そういうことなんで…」と宥められた。
 そんな私の不服をよそに、華燭の典はつつがなく進んでいく。お色直しの退場は、新婦新郎の兄弟がエスコートするのが最近の流行りらしい。さっき「叔母」を宥めた子が、今度は花嫁の真似をしてなよなよと新郎にしなだれかかり、新郎友人からやんやの喝采を浴びながら、腰をふりふり出て行った。

 そして迎えた最後の挨拶。両家を代表して新郎の父がマイクを握る。家族水入らずのときは冗談ばかりかましている人が、胸ポケットの原稿も取り出さずによどみなく挨拶をする。花嫁の父でも花婿の母でもない私が、ひとりぐすぐすし始める。そして決定的な一言。
 「○○(息子のファーストネーム)、これからは○○(新婦のファーストネーム)ファーストで行きなさい」
 うゎ~~んっ ついに涙腺全開。
 新郎の学生時代友人のテーブルからも、「おぉお~」「かっこいい~」とどよめきの声が上がる。彼らにとって、おそらく生まれて初めての友人の結婚披露宴出席。「オレもケッコンするぞ~!」と大いに鼓舞されたにちがいない。最高の晩婚化対策である。

 しかし、私の心中は複雑である。
 小学生の頃は、妹の顔を見ればブスだのバカだの言って小突き回していたやんちゃな兄が…。
 その兄にそっくりな天パーのくりくりくせ毛を、高校に入った途端必死にヘアアイロンで延ばしていたあの甥っ子が…。
 でも何よりも、これまでは血を分けた両親から「ファースト」扱いされていた甥っ子が、これまで全く別の家庭に生まれ育った女性を、「ファースト」として扱っていく、その事実に、私は圧倒されていた。
 いや、それはまだ「事実」ではなく、単なる「決意」でしかない。でもだからこそ、その決意をした若い彼と彼女が、正直言って、ものすごく眩しかった。
 
 新郎新婦とその両親が退場し、招待客を見送る準備をする間、スクリーンには二人が生まれたときからの写真が次々映し出される。
 その中に、毎年お正月に撮る家族写真が何枚か紛れていた。兄一家と、まだ元気だった父(今日はバッグに写真をしのばせてきた)と母と私と、父の後を追って逝った私の犬たち、総勢7人と2匹。
 今年のお正月写真は6人きりだったけれど、来年から7人に増える。その人数がさらに増えるのも、そう遠くはないだろう。


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by miltlumi | 2017-10-23 21:39 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(2)