2017年 07月 02日 ( 1 )

どっちが好き?

 「(サンドイッチは)たまごのとハムのと、どっちが好き?」
 「あかとあおは、どっちが好き?」
 5歳と9歳の女の子が初めて出会ったときの会話に、胸がきゅんとした。といっても、現実の話ではなく、江國香織の小説の中の一節。この人の書く物語の手触りは、いつもあまりに懐かしい。
 具体的な記憶はないけれど、小学校に入って間もない頃、きっと私たちも似たようなやりとりをしたにちがいない。
 「チョコパフェとプリンアラモード、どっちが好き?」
 「ブランコと鉄棒、どっちが好き?」
 「国語と算数、どっちが好き?」
 何を訊かれても、即答していた。選ぶのはカンタンだった。そして同じ質問を相手に返す。その答えが、自分と同じでも違っていても、別にどうでもよかった。単純にその子のことを、知りたいだけだったから。

 カンタンでなくなったのは、中学3年生のときだ。
 「ベイシティーローラーズとクイーン、どっちが好き?」
 別にどっちも好きじゃない、とは言えなかった。何しろクラスの仲良しグループは大体いずれかのファンで、もっと発展家はキッス、というご時勢。さだまさしのカセットテープをひそかに交換し合えるのは、隣のクラスの桃子ちゃんだけだった。
 高校になって、「トシちゃんとマッチ、どっちが好き?」と訊かれたときは、ゼッタイに決してデートできない相手より、同じクラスのK君かT君かのほうが重大でしょ、と思った。でもそんなことを言って、この場に水を差すべきではではない、という常識は、理解していた。

 明らかに苦い「どっちが好き?」クエスチョンは、大学入学早々。新しいクラスメートからこう尋ねられた。
 「トルストイとドストエフスキー、どっちが好き?」
 …。ドストエフスキーという名前は、父の本棚に並んだ全集の背表紙でしか見たことがない。しかし、卑しくも文学部系進学者の面子として、「読んだことないからわからない」と言うわけにはいかない。唯一読んだアンナ・カレーニナを心のよすがに、「トルストイ」と答えたときの忸怩たる思いは、いまだに生々しい。

 「お酒と家電と、どっちが好き?」
 大学4年、就職先の候補会社についての自問自答。自分の好き嫌いより、世間の評判や会社の将来性に女性活躍度合、そして何より、相手が自分を選んでくれるかどうか、がモンダイだった。ちなみに、お酒の会社は1次面接であっけなく落ちた。

 そして今。訪問先でのシンプルな質問。
 「コーヒーと紅茶、どちらがお好きですか?」
 「いえ、どちらでも。手間のかからないほうで結構です」
 答えになってない、っちゅーの。

 「どっちが好き?」というシンプルな質問は、こうやって大勢の意見や常識や面子やはったりや忖度が絡みついて、どんどんフクザツになってくる。
ひと様から見れば、好き勝手やりたい放題に見えるであろう(というか、実際よくそう言われる)私でさえ。
 もしかすると、好き勝手やるからこそ、かもしれない。自分の気持ちに耳をそばだて、好きか嫌いか、すごく考える。ゼロか100でなくても、30:70か55:45か。最終決断はゼロサムにならざるを得ないから、ちょっとだけちがうな、という感覚が残る。でも、この感覚を、私は嫌いではない。
 忙しすぎて、自分の気持ちを知る時間がなくて、もはや何が好きかわからなくなっている人の耳元で、こっそり囁いてあげたい。
 「心の底に眠ってる正直な気持ち、早く起きてくださーい」


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by miltlumi | 2017-07-02 10:15 | 私は私・徒然なるまま | Comments(2)