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人の役に立つということ

 高齢者である母のコロナワクチン接種。「240回コールして、ようやく予約できた」と、兄から連絡が入った。こらえ性のない母は、途中から「受話器はずしてるんじゃないの?」「電話するより、直接(病院に)行ったほうが早い」とじたばたしていたそうだ。肺炎の持病のある母にしてみれば、居ても立っても居られない心境だったのかも。

 ところが、無事予約できてよかったね、と電話をかけたら、母はいたって冷静であった。
 「大体、年寄りはヒマなんだから、わざわざ予約しなくたって、『いついつに来い』って指定してくれればいいのよ」
 私の周りの若い衆が、高齢者の手前「大きな声で言うのは憚られるけど」と前置きしながら異口同音にささやきあっている「ぶっちゃけ解決策」を、高齢者自身が発言してくれて、我が肉親ながら、あっぱれ、と感心する。
 そうそう、それで、都合が悪い人だけ電話して予約変更したほうが、よっぽど効率的だよね、お母さんのほうが役所よりよっぽどわかってるね、と褒め称える。

 気を良くした母は、さらに続ける。
 「それに、高齢者より、もっと若い人から先に接種すべきよね。あんたたちは働いてるんだから。私みたいに、なーんにも社会の役に立ってない年寄りじゃなくて」
 「おー、ちょっとお母さん、すごいアタマ冴えてるじゃない。ほんとその通りだよね。経済再生のためには、若い人の活動を再開させないとね」
 「そうそう。私なんて、ただ生きてるだけなんだから。お店とかが潰れて、可哀そう」
 「お母さん、ほんとよくわかってるね。すばらしいわー」

 電話を切って、母が全然ボケてないことにほっとした次の瞬間、自らの大失態に気づき、泣きそうになった。
 母は、自分が「ただ生きてるだけ」で、「なーんにも社会の役に立ってない」と思っている…?!

 ふと、子育て終了後に資格をとって、最近リラクゼーションサロンを始めた知り合いの言葉を思い出す。
 「ビジネスで頑張っている人にリラックスしていただいて、少しでも役に立ちたいな、と思って…」

 社会の役に立つこと。人の役に立つこと。
 生きている誰もが、誰かの役に立ちたい、と思っている。

 私は一体、誰のどんな役に立っているのだろうか。自営で積極的な営業活動も展開せず、顧客を次々開拓することもなく、口伝てクライアントのみのマイペースは、自ら望んだスタイルではある。でも、ごく限られた相手にしかサービス提供していない自分に比べると、何十人、何百人の従業員を抱える企業のトップや、毎年たくさんの教え子を世に輩出する大学の先生が社会に与えるインパクトはけた違いだ。比較しても意味はないけれど、「なーんにも役に立ってない」感に、圧し潰されそうになるときがある。
 働いていない人に比べればマシ、と自分に言い聞かせようとする。ところが働いていない人というのは、たいがいは夫や子供や世話をすべき老親などがいる。明確に、深く長く、「特定少数の誰か」の役に立っているのである。私の場合、夫も子供もなく、世話をしていた2匹の犬は10年以上前に亡くなってしまったし、母親の面倒は兄夫婦に任せきり。

 それより心配なのは、母のほうだ。
 「ただ生きてるだけ」「なーんにも社会の役に立ってない」なんて、思わないでほしい。
 父が亡くなり、母が世話する相手はいないけれど、母と同様に悠々自適な親戚や。趣味の会で仲の良い友人の話し相手として役立っている(はず)。何より、(一応現役の)兄や私を産出したという大きな役割を果たしたのだ。
 もう一度電話しようかと思ったが、「お母さんはちゃんと誰かの役に立ってるよ」と言葉にしたら泣いちゃいそうで、代わりにLINEを送った。即レスしてきた母は、あくまで冷静であった。

 「何を改まって(笑)。呆けてないと認めてくれただけで嬉しかった」

 社会の役に立つこと。人の役に立つこと。誰かの役に立つこと。
 人数じゃない、と、再び自分に言い聞かせる。


by miltlumi | 2021-05-23 14:56 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)
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