「あのとき、ほんの一歩を踏み出していれば…」 ずっとあとになって気づいて、そのとき失ったものの大きさに呆然とすることがある。 けれど、あのとき、あの瞬間は、一歩を踏み出すことなんて夢にも思わなかったし、もし心に思い浮かんだとしても、それを実際にやるなんてあり得ない、と思っただろう。 だからこそ、「今」になってこんな思いを味わわなくてはならないのだ。 「初夜」の話である。私の、ではなく、エドワードとフローレンスの。1962年という故き良き、そしてウブでナイーブな時代のイギリスでの、物語。以下、ネタばれご容赦ください。 オックスフォードの教会での挙式後、新婚旅行先である海辺のホテルにやってきた二人。ローストビーフとぐだぐだの茹で野菜のディナーを前に緊張しまくるほほえましい描写から、それぞれの心境が赤裸々にひも解かれる。そして、その後の「失敗」(と言ったって、かのような主観的個人的体験で何を失敗とするかは難しいけど)。事後、浜辺での破局的な会話。「ごめんなさい」と言う一言を残してホテルへと戻ってゆく新妻を、あえて追うことをせず、砂を蹴散らし悪態をつく新郎。ようやく戻った部屋には、当然ながら彼女も彼女の荷物もなかった。 …という、3時間くらいの出来事に、実に160頁が割かれている。もちろん、二人のなれそめや婚約時代の胸キュンデートのエピソードも込みだけど。 そして、最後のたった10頁に、エドワードのその後の40年間が、ぎゅうぎゅう詰めで一気に描かれている。 この、圧倒的な分量の差さに、最初はおののいてしまった。彼がその後再婚して離婚して、父親の介護のために実家に戻ったことさえ、たった3行で片付けられている。60代になって、実家の近くを散歩していて、40年前に初めてフローレンスが彼の家を訪れたときのことを思い出す。 そして、ようやく認めるのだ。彼女のほかに、自分があれほど深く愛した人はいなかったという事実を。 あのとき、あの砂浜で、背を向けた彼女を追うための一歩を踏み出しさえしていれば、彼女を失うことはなかった。実のところ、フローレンスはそれを期待していたのだから。 結局のところ、あの砂浜で一歩を踏み出せなかった黄昏時からあとの彼の人生は、ただの付け足し、おまけみたいなものだった。3時間に160頁、40年に10頁というアンバランスは、取りも直さず、エドワード自身の、自分の人生に対する主観的な重みを反映しているのだ。 ある精神科医が言っていた。「反省はしても後悔はするな」 でも、彼は後悔しているわけではない。では、反省をしているか? おそらく、否。 とすると、彼の心の中にあるものは、何か。それはたぶん、ノスタルジーによるほろ苦くも甘やかな、束の間の現実逃避。自分自身の身に起こることが十分可能だった、その晴れやかな実現にまであと一歩のところまで近づいていた、幸せな日々に対する親密な空想。 秘めやかな、ある意味ささやかな、でも「たられば」で片付けてしまうにはちょっとヘビーな、形のない想い。人はしばしば、そんな想いを、日々を生きていくための支えにしている。 人生は、案外あっけないものである。
by miltlumi
| 2019-08-06 21:39
| 機嫌よく一人暮らし
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