井上靖のエッセイについて、もう1つ。 「団欒という言葉はいい。一家団欒という言葉はよく使われるが、しかし、実際に一家団欒といえる状態を、家庭の中に生み出すことは、そう簡単なことではない。」 この文章のあと、彼自身が「一家団欒」と言葉にいつも眼に浮かんでくる情景を描写している。 祖母が渋柿の皮をむき、母が編み物をし、女学校を出るか出ないかの若い叔母が祖母を写生し、そして8歳の靖が庭の柿木によじ登って渋柿をもいでは祖母の元に持っていく。それぞれ自分の作業の手を片時も休めないまま、時折賑やかな笑い声が起こっている。 「これなどはなかなか上等な(団欒の)部類に属するものである」と自画自賛しているところが、またいい。 一方、私の脳裏に思い浮かんだ情景は、夏のお昼時、縁側に続く六畳間のちゃぶ台である。 母と兄と私、そして同じ社宅に住むリョウちゃんが、昼ご飯を食べている。リョウちゃんがレタスの葉とトマトに塩をふるのを見て、兄と私がびっくりする。レタスにはマヨネーズ、トマトには砂糖(!)、と信じ切っていたから。それを聞いたリョウちゃんも、またびっくりしていた。 生まれて初めてトライした塩トマトは、ちょっと大人の味がした。同じ間取りの同じ社宅に住んでいるのに、家庭によって「団欒」の形がちがうことを知った、おそらく原体験である。 「団欒」からちょっと横道に逸れてしまうが、芋づる式に思い出したことがある。 リョウちゃんにはケンちゃんという兄とユリちゃんという妹がいた。お父さんは、息子たちの名前に「研」「量」という漢字を使うほどのバリバリの理系研究職だったが、お母さんはキリスト教系の宗派の布教に熱心だった。 そのお母さんが、レタスとトマトの昼餉から5年も経たないうちに、ガンで亡くなった。神様の教えに反する治療法を拒んだせいらしい、ユリちゃんはまだ小さいのに…、と私の両親が話していた。3兄弟妹のうちに遊びに行くと、同じ間取りとは思えないほどごちゃごちゃと色々なものであふれていた。うちとはかけ離れたあの一家にも、彼らならではの団欒があったのだと思う。 ある日、夕飯の買い物に行くため母と手をつないで歩いていたとき、向こうからユリちゃんが一人でトコトコやってきた。母が、するりと手を離した。ユリちゃんは角を曲がって行ってしまったので、私たちとはすれ違わなかった。 その角を過ぎたところで、母がこっそりと言った。 「ユリちゃんは、お母さんがいないからね」 お母さん、という言葉の前に、『手をつないで一緒に歩く』というフレーズが省略されていることを理解するくらいには、私も大人になっていた。 先日、母と近場の温泉に1泊旅行に行った。手すりのない急な階段を前に、「ちょっと危なそうだね」と母の手をとって、ゆっくりと降りた。久しぶりにつないだ母の手は、あの頃の記憶とは異なり、思っていた以上に小さくて柔らかだった。
by miltlumi
| 2019-03-12 09:08
| 私は私・徒然なるまま
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