ホテルの朝食ビュッフェ

 「ここは、いい思い出しかない場所だ」
 ふわりと、そんな思いが浮かび上がる。思ってみて、改めてそうであったことに気づき、一層あたたかな気持ちになる。
 
 ちょっとした仕事の山を越えて、自分に何かご褒美を、と考えたとき、「ホテルの朝食ビュッフェ」というアイディアを思いつく。
 若い頃とちがって「食べ放題」で割り勘負けすることが多くなり、このところの旅行でも、ホテルはわざわざ「朝食なし」プランばかり選んでいた。でも、クロワッサンやシナモンロールやペイストリーや、フレンチトーストにマフィンにパンプディング、オムレツにカリカリベーコンとベイクドポテト、ブルーベリーヨーグルトとエトセトラエトセトラ…。
 うう、よだれ。たまにはカロリーやコレステロールや食後の膨満感への懸念をかなぐり捨てて、好きなものを存分に楽しんでしまおう。

 というわけで、うちから一番近い「朝食ビュッフェ」を提供するホテルまで、ママチャリ漕ぐこと10分弱。朝から黒塗りのタクシーがずらり並んだ正面玄関に堂々と乗り入れ、ベルキャプテンに「自転車はどこに停めればいいですか?」 
 オマエ、ホテルにママチャリで来るなよ、みたいな侮蔑の表情はみじんも見えず、「どうぞこちらへ」とカウンターのすぐ横の柱の特等席があてがわれる。
 にっこり笑って自動ドアを入って、思い出した。このホテルには、いい思い出しかない。

 ホテルというのは、旅先の宿泊というだけでなく、人と待ち合わせたり食事をしたり、終電を気にせず夜遊びをするときのセーフティネットであったり、あるいは手軽な非日常体験のための異空間であったり、実に様々な使い道がある。
 そうした様々な用途のレパートリーにXを掛けた数だけ、思い出がある。あの人と待ち合わせたあのホテル、あの人から待ちぼうけをくらったあのホテル。あの出来事の後に一人泊ったあのホテル、あの悩みに向き合うために何泊もこもったあのホテル。
 「あのホテル」がいっぱい。プラス、マイナス、合計してプラスのホテルもあれば、マイナスばっかりで「験が悪い」と自らを出入り禁止にしたホテルも。
 
 そんな中で、このホテルは、そういえば、特上の思い出しかない。
 久しぶりに足を踏み入れて、あの頃のことが堰を切ったように胸の中に溢れ出す。
 
 週末の朝、一人客など店の端っこに座らされるかと思ったら、一番窓際の、雨に濡れた緑とオープンテラスを望む明るいテーブルに案内された。コーヒーが、たっぷりのカフェオレカップになみなみと注がれる。焼き立てのパンケーキにメープルシロップ。朝刊と読みかけの本。至福の時間の始まり。
 3杯目のコーヒーを飲み干して立ち上がったのは、それから3時間も経ってから。
 このホテルでの「いい思い出」がまた1つ増えた。


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by miltlumi | 2018-06-23 13:29 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)
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