6人兄弟の末っ子の少女は、年上の人たちから「あんた」「あんた」と呼ばれていたせいか、自分のことをいつも「あんた」と呼んでいた。 ある日、富山の叔母さんが訪ねてきた。父母も姉も出掛けていて、少女は2つ年上の兄と留守番していた。「誰かわかる?」と尋ねられ、こっくりと首を縦に振ったものの、名前がどうしても出てこない。もじもじしていると、叔母がにっこり笑った。 「マサちゃん(少女の兄はマサシと言う名だった)と一緒に大丸いこか」 大丸。繁華街にある大きなデパートは、たまにしか連れて行ってもらえない特別な場所だ。「うん!」今度ははっきりと声を出してうなずいた。けれど、知らぬ間に兄と自分がいなくなったら、外出から帰ってきた父母が心配するにちがいない。ねえやがいるので空き巣の心配はないけれど。少女はしばし考えた。置手紙をしよう。 習い始めたばかりのカタカナで書き始める。叔母ちゃんと兄と「あんた」が大丸に行ってきます、と書きかけて、再び考え込んだ。「あんた」といういつもの呼び名が、実は大人たちから密かな苦笑を買うことに気づき始めていた。さすがに文字にするのは憚られる。なんて書こうか。 「トヤマノオバチャントマサチャント三ニンデダイマルニイッテキマス。ミヨコ」 これなら自分を含めて出掛けたことがはっきりわかるはず。せっかく書いた手紙がちゃんと父母の目につくように、そうして風で飛ばされないように、ちゃぶ台の真ん中に置き、その上に父が愛飲している煙草缶を乗せる。 ようやく少女は安心して、叔母さんの手をつなぐと、スキップしそうな勢いで外に飛び出した。 大丸で、小さな小さなお雛様を見つけた。歳の離れた姉が二人もいる少女は、自分専用のお雛様を持っていない。姉たちと共有の、先祖代々伝わるという雛人形たちは両手でも持て余すような大きさで、天井まで届きそうな段々の上から少女を睥睨するばかりで、どうも親しみを抱けないでいた。桜吹雪の描かれた屏風の前にちょこんと座ったお内裏様とお雛様は、まるっとした顔に穏やかな表情を浮かべている。 「桜雛言うんやて。こうたげよか」 少女の返事を待たず、叔母が店員を呼びとめた。財布から支払いをする間、少女の胸はどきどきと高鳴った。 大丸の紋のついた包みを抱えて帰ると、父母たちは既に帰宅していた。案の定、父は少女が書いた手紙を湯呑茶碗の脇に置き、ちゃぶ台に坐っていた。 「こうやってミヨコがしっかり手紙を書いといてくれたさかい、どこへ行ったかようわかった。ミヨコはえらい」 陸軍大佐である父の言葉が、引っ込み思案の子の胸にぱあっと温かく染み込んだ。叔母に買ってもらったお雛様は、父だけに見せた。 この日を境に、少女は自分のことを「あんた」と呼ばなくなった。 *** 串田孫一の「自分を歪めないこと」を母に贈ったら、気に入ってくれたらしく「こんな日常茶飯事なら私にも書けるかも、と思って書いてみたけど、意外に難しいわね」と言われた。そうやって披露してくれた思い出話を元に、ゴーストライトしたのが上の文(文中の名前は仮名)である。母にはまだ見せていない。
by miltlumi
| 2016-01-15 13:44
| 私は私・徒然なるまま
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