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友だちの定義

 財布を落としたって電話をしたら飛んできてくれる。逆に自分も、電話をもらったら夜中でも仕方ねえなって行く。それが「友だち」の定義。
 日曜日の日経新聞文化欄に谷村志穂さんが、知り合いの外資系企業社長(おそらく男性だろう)の談として紹介していた。思わず微笑んでしまった。

 谷村さんも言うように、フェイスブック上に何百人もの「友だち」がいるのが珍しくない今日この頃、「友だち」の定義は人それぞれ変わってきている。もし谷村さんに「あなたの友だちの定義は?」って訊かれたら、なんて答えようか。

 実は数か月前、よんどころない理由から、ここ1・2年間にプライベートで会った人のリストを作ったことがある。ヒマ人過ぎる…作業のようだが、ダイアリーには誰とどこで会ったのかを克明に記録しているので、ページをめくっていけばさほどの手間ではない。
 わかったのは、1対1で会える間柄の人は、せいぜい50人くらい、ということである。その過半数が年1回くらいしか会わない。私よりずっと交友関係が広いと思われるかの外資系社長でさえ「家族や近況までなんとなく把握しているのはせいぜい50人」とおっしゃっているから、50人というのは一般的な人間の限界なのかもしれない。
 でも、この50人の中で本当の「友だち」と呼べるのは何人? そしてその定義は?

 特別用事がなくても「会わない?」と気楽に声をかけられる相手。
 広い意味の「友だち」なら、たぶんそうだろう。でも、真夜中に電話でたたき起こして「財布としたんだけど」と言うのは憚られる相手も含まれる。もっと礼儀正しく、連絡をとる時間にも配慮する、ちょっと希薄な関係だ。
 もっと密な「友だち」って?

 私の恋愛遍歴(というほど華々しくはないけれど)を知っている相手。
 話題が仕事のことばかり、という相手は、私にとってはプライベートな友だちとは呼べないので、恋愛話を打ち明けるかどうかは大きな一里塚である。
 でもこの歳になると、いわゆる恋愛体質ではない友だち(たいがい真っ当に結婚生活を続けていて、子どもの教育や親の介護を頑張っている)には、バツイチで(自称)生涯現役派の私の素行を逐一報告するなど、ハズカしくてやれたもんじゃない。
 それでも、あの彼女もこの彼女もやっぱり「友だち」なんだよね。

 わかった。
 ティーンエイジャーの頃から書き溜めた日記帳を、「私が死んだら読まずに捨ててね」と託せる相手。そう言いながらも、この人になら読まれてもいいか、と思える相手。
 日記帳には、それこそ赤裸々な(?)恋愛遍歴がつぶさに書かれているが、コイバナを暴露し続けた友だちたちにとってはNothing new。非恋愛体質の友だちはびっくり仰天するかもしれないが、こっちはもう死んじゃってるんだからハズカしくもない。
 その人のことも必ずどこかに書いているだろうけれど、「当人に読まれたら困る」ことは絶対書いていない。それは誓える。

 実際には、半分黄ばんだ様々なデザインの日記帳の束を宅急便で送りつけることはおろか、拙宅に招いたときに(兄に資産リストの在りかを示すように)「ここにあるからね」なんてお願いをすることもない。
 でも、彼女(たち)に託せばいい、と思うだけで、安心できる。


by miltlumi | 2015-06-29 10:15 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)
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