山田風太郎が「あと千回の晩飯」というエッセイの中で言うことには、人間の死に方には2種類あって、ひとつは「人生と密着した死に方」をする人、もうひとつは「人生と分離した死に方」をする人だという。 前者は、死の瞬間まで今までの全人生を背負い込み、手がけた仕事のなりゆきから心離れず、関わり合った人々への思い去らず…。ちなみに葬式には多くの人々が参列する(が、必ずしも故人を忍んで、というのでもなかろう)。 それに対して後者は、死期の近いことを予感したとき、やり残した仕事があれば余人に委ね、あとに残りそうなトラブルはすべて清算し、身辺すべて空無の状態にして死のみを凝視してその日を待つ。山田本人はもちろんこちらのタイプで、20歳過ぎ「葬式ハ好マズ」と日記に書いたという。 僭越ながら私も山田氏と同様、「人生と分離した死に方」をしたいと常々思っている。仕掛り途中の仕事とかちょっと段取りの複雑な業務は、私がぽっくり死んでも回りに迷惑にならぬよう、常に第三者にシェアしておくよう留意している。新しい仕事が降ってくると、反射的に「そんなこと始めたら、しばらく死ねないじゃないか」と思ったりする。 トラブルになるほどの遺産も相続人もないけれど、それでも後始末をする人に出来るだけ手間をかけないよう、兄がうちに来た時には必ず「このキャビネットのここに銀行や証券の書類が入ってるからね」と念を押す(3歳年上の兄が私より長生きすると、なぜか勝手に決めつけている)。 収納スペースの制約という物理的事情もあるが、出来るだけモノを増やさず、靴は1足買ったら1足捨てる。靴下は擦り切れて穴があきそうになってから補充するが、たまにユニクロで3足千円を衝動買いしたりすると、しばらくは慚愧の念に堪えない。 ここまでは山田氏の路線と一致しているのだが、はた葬式となると話が変わる。20歳どころか中学生の頃から、自分のお葬式は盛大に執り行ってもらいたいと切に願ってきた。分離志向なはずなのに、これだけはべっとり現世にしがみついた発想である。こんなところにAB型の二重人格性が現れるのかと思う。 動物占いが、群れることが好きで仲間はずれを何より避けたい「羊」だからかもしれない。 まだまだ悟りきれない。 かのエッセイの別のページに、七十を超えて意外に思ったこととして、「老境に至って、案外寂寥とか焦燥とかを感じない」と書かれていた。 今、俗世の名残りを死後に引きずらぬよう日々「分離」の努力を重ねてはいるものの、節々の痛みが慢性化し、鏡を見るたびげっそりする度合いが大きくなる今日この頃。このまま坂道を転げ落ちるように年老いていくのかと思うと、落陽を見るごとき寂寥の思い甚だしく、身辺整理ばかりに目を奪われ(?)仕事の中身そのものは世に誇れる成果を出していないという焦燥に、時折いてもたってもいられなくなる。 あと20年もしないうちに、こんな思いも柔らかに消え去っていくのだろうか。葬式は不要、と割り切れるようになるのだろうか。
by miltlumi
| 2015-06-28 09:34
| 機嫌よく一人暮らし
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