無資格者の無責任発言 (上)

 ある勉強会で、子供に対する人生指南の話になった。教育に携わるA氏が高校生に向かって訓示をたれたところ、全然まったく「刺さらない」というのだ。唯一刺さったのは、「保護者から『あの先生、教祖になるつもりなんでは?』と言われた」という発言だけ。
 わはは、と皆で笑った後、B氏が「いっそ教祖でも『親教』でもなんでも、自分の価値観をがっつり子供にぶつけて従わせるのも、いまどき選択肢が多くなりすぎてわからなくなっている子供たちには、ありなのでは…」とコメントした。それに対して私が「親教を思い切り提示してもいいけど、それと同時に『俺(親である自分)の価値観はこれだけど、世の中にはこれ以外の価値観もあるから』ということも教えれば、いいのでは?」と発言したら、場が一瞬にして凍りついた。しーん、というより、カキーン。
 え、私何か、不味いこと、言った?

 翌日、勉強会とは関係のないC氏にこの話をしたら、「やっぱり自分の価値観が一番、と思ってる人が多いんじゃないの?」と言われた。なんだかんだ言って、自分が歩んできたキャリアが一番、と思って、それを子供に伝えている(伝えたいと思っている)人に、「自分以外の価値観も世の中には存在することを子供に伝えたら?」と直球投げても、素直に受け入れられないのでは?というのだ。
 そうなのだろうか。

 どうしても気になったので、同じ勉強会に出ていたD氏に、あの凍りつきは一体なんだったのか、単刀直入に尋ねた。彼の答えは明快だった。
 あの発言への沈黙は、結局、現代における子育ての難しさを端的にえぐっているから、というのである。

 もしかしたら本当に「俺の価値観が一番」と思っている人もいるかもしれないが、まともな人であれば(勉強会はまともな人たちの集まりである)その価値観が、今の時代にもそっくりそのまま通用するわけではないことも認識している。だから「俺は自分の価値観がいいと思っているから、おまえも従え」とは言い切れない(教祖になりきれない)。
 ましてや、自分は自分の価値観で成功していて、他の価値観に基づいた人生を歩んでいない以上、「他の価値観もいいよ」と安易に伝えることはおそらくできない。
 また、問題児の家庭に多く見られる特徴が「実はリベラル」「子供まかせ」だそうで、ある程度の年齢の子供に対して「あなたが決めていいのよ」という投げかけは、かえって問題となることもあるらしい。
 だから、「俺は自分のこの価値観がいいと思っているからおまえも従ってほしい。でも、他にも価値観がある、選ぶのはおまえだ」というのは、言い換えると「俺を信じろ、でも信じるな」というダブルバインドさえ引き起こしかねない。
 …かくして、私の「正論」に対して沈黙せざるを得なかったのではないか、というのである。

 意味深長、である。実際に血を分けた子供を持たない私としては、親のみなさまのご苦労や葛藤は、正直、想像できない。はなっから発言資格がない。それなのに正論をふりかざして、ごめんなさい。             ・・・(中)に続く


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by miltlumi | 2015-05-13 09:46 | Comments(0)
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