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映画の全編を通して、夫婦はほとんど会話らしい会話を交わさない。先のケーキのくだりや、旅行先でタイマーで写真を撮ろうとしたときや、焚火で焼いた小さな魚を「イタリアン」と言いながら夫が差し出したとき、そして、打ち上げ花火を上げたときの、妻の短い笑い声。 この二人は、お互いのことを分かり合っているのだろうか。外野ながら余計な心配をしてしまった。妻は、自分を守るために夫がどんなに危ないことをしているのか、知っているのだろうか。夫は、不治の病を抱えた妻がどんな気持ちでいるのか、わかっているのだろうか。 わかっていない。ゼッタイに。所詮男と女は分かり合えないものなのだ。内田樹がエッセイに書いていた「わからないけど好き」という言葉を思い出す。この映画を見ていると、わからないことは大した障害にはならず、わからなくても成り立つ関係が確かにある、ということを肌で感じる。わからないけれど、ただ寄り添っている。 私みたいに口から先に生まれたような人間は、誰かと一緒にいて黙っているというのは結構難しい。黙っているとついしゃべらないといけない気持ちになる。しゃべろうと思えばなんとなくわかったふうなことが言えるし、相手に対してあれこれ訊きたくなってしまう。 黙ったままでいると不安になるのは、きっと関係がまだ安定していない証拠だ。黙ったままだと少し不安だけど大丈夫かもしれないとも思う、という不安定な安定状態は、長くなりつつある恋愛関係にちょっと切ないどきどき感を提供してくれる。そうして、黙ったままでも平気でいられる、というところまで行けば、二人の関係は盤石である。 ラストシーンの前に、妻がぽつり「ありがとう」と言う。そしてそれから「ごめんね」と言う。隣に佇む夫はやはり黙ったままで、妻の身体をぐっと引き寄せる。そして…(ネタバレになるから、これ以上は内緒ね)。 いつだって人間関係は結局のところ「ありがとう」と「ごめんね」なのだ。どんなに言葉数の少ない夫婦でも、相手に本当に伝えたい言葉はこのふたつ。ただ、「ありがとう、ごめんね」と、「ごめんね、ありがとう」とは、意味合いが本質的にちがう。 あのラストシーンに持っていくには、どうしても「ありがとう」、それから「ごめんね」の順でなくてはならなかった。言い換えれば、妻が「ごめんね」のあとに「ありがとう」を言えば、ラストシーンを変えることもできたかもしれない。 ありがとう、は未来につながる言葉だと思うから。
by miltlumi
| 2014-10-21 16:46
| 私は私・徒然なるまま
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