三月はうちに人を呼んでご飯を食べることが多かったので、作り過ぎたお惣菜や中途半端に残った食材で冷凍庫が満員になった。こういうときはしばらく買い物に行かず、ひたすら冷凍庫と野菜室の残り野菜で毎日をしのぐ。賞味期限を過ぎがちな乾物類にも積極的に登場してもらい、味に変化をつける。干しわかめとか切干大根とかふじっこの塩昆布とか、色は地味だが味は滋味。
そうした優れものと千切り野菜と混ぜるだけの副菜に、解凍済みの主菜を温めるだけだから、調理時間はごく短い。一番時間がかかるのが、炊飯器で炊くご飯だったりする。キッチンの隅に置いてあるバーチェアに腰かけて、ようやく湯気の上がってきた炊飯器を眺めながら、「今日はあり合わせご飯ですよ」とつぶやいてみる。 子供の頃、たまに父が泊りがけ出張で不在だと、母は「今日はあり合わせにしよう」と、冷蔵庫にたまっている二・三日前からのおかずや常備菜をあれこれ出してきた。そのほうが案外ご馳走だったりして、「今日のあり合わせご飯はすごいね」と笑ったものだ。 炒め物やお味噌汁をぴったり一人分、過不足なく作れる料理人がいる単身家庭では、「あり合わせ」といったら本当にあり合わせにしかならない。いつもより品数の少ない食卓で「いただきます」と声を出す。誰かと一緒に暮らしていたら、こんな手抜きは許されないな、と苦笑する。それとも、最初のうちこそ張り切って作っても、じきに息切れして母のように「今日はあり合わせよ」と開き直るだろうか。 昔、「誰か」と一緒に暮らしていたことを思い出す。決して短くなかったその期間、「あり合わせ」という手段を使った記憶がない。母と同様、相手が出張のときこそ簡単に済ませることもあったものの、二人揃って食卓を囲む時は、それなりの品数を作っていたような気がする。もう遠い昔のことなので、自分の怠慢を都合よく忘れているだけかもしれない。 一家の主に「あり合わせ」を供するのは、おそらくその主が外から「ただいま」と帰ってこない場合だ。つまりずっとうちにいる主。朝昼晩三食うちでご飯を用意しないといけないとなると、どうしても手抜きをしたくなる。テンポラリー母子家庭のときだけ「あり合わせね」と秘密めかしていた母が、「今日のおかずはこれだけか」と言われたと激怒していたのは、父の定年退職後だ。「ちょっとでええんや」と言ったって、ちょっともたくさんも料理する手間は同じなのに、という怒り方もしていた。 父の食事の世話に辟易し始めた母の年齢まで、私もあと数年。「ちょっとでええんや」という言葉に、母に対する父の不器用な愛情を見てしまうのは、ファザコンの変形だろうか。「ちょっとでいいよ」と言われながら「ありあわせご飯」を食べるのも悪くない、などと思ってしまうのは、主婦経験不足者の甘さだろうか。
by miltlumi
| 2013-03-30 20:52
| 機嫌よく一人暮らし
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