社宅が平屋から3階建のアパートになって、大きく空いたスペースに野球グラウンドができたのは、私が小学校3年生のときだった。週末、父が兄とその友達たちと一緒に、広々としたそのグラウンドで、ランニングシャツ1枚で野球に興じていた。運動神経の鈍い私は、当然見物人である。
男の子にとって「お父さんとのキャッチボール」は、幼少時代の幸せの象徴のような光景なのではないかと思う。キャッチボールどころか、ちゃんとしたダイヤモンドを踏みしめる、大人といえば父だけの草野球。 父は、バットを思い切り空振りした直後に「ああ、しんどーっ」と、大きな声を上げた(よく通るその声は、私が確実に受け継いでしまった)。攻めのチームのほうで出番を待っていた兄の友達が、私の横で「『ああ、しんど』だって。なにそれ」と笑った。 「しんどい」は関西弁で「疲れた」の意味。両親とも関西育ち。父は、大学卒業後に関東に出てきたものの、家庭内はもちろん職場でも関西弁交じりで大きな声を出していた。母は、子供の教育上ということか普段は標準語で話しているものの、自分の姉から電話があると途端に関西弁になってしまう。おかげで私は、自分からしゃべることはできないけれども、関西のボキャブラリーはほぼ理解できる。でも根っからの関東人には、奇異な響きだったようだ。 そんなつぶやきが聞こえるべくもない父は、「しんどー」を繰り返しながら、とてもはしゃいでいた。次のピッチを芯でとらえたバットの振りは力強く、半ズボンからにょっきりと出たすね毛の少ない足を一生懸命動かしながら、1塁をめがけて走りこんでいた。 息子との草野球は、それほど頻繁に実行していたわけではない。兄が中学入学とともに野球部に入ると言い出した時、勉強にさし障ると言って大反対したのは母だったか、父だったか。 ただその頃父は、会社でも昼休みに「テニポン」というテニスとピンポンの掛け合わせのようなスポーツに熱中していた。メーカーのいいところはこうした社員懇親を積極的に奨励することで、大会などもあったようだ。遺品を整理していたら、テニポン大会入賞第2位のメダルが出てきた。 今、父が遺した回想録を読んでみると、彼がスポーツに熱中していたこの頃は、自ら開発した「割れないガラス」の事業撤退が決まった時期と一致している。週末や昼休みに、40歳を過ぎてそろそろ衰えが出始めたであろう身体に思い切り汗を流しながら、彼は何を洗い流そうとしていたのだろうか。
by miltlumi
| 2011-02-22 22:23
| 父の記憶
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