バリ旅行記-日本語ガイドによる詳細なヒンドゥー教の説明(上)

a0165235_972826.jpg 今回、フライトとホテルのJTBパッケージを利用したおかげで、空港とホテルの行き帰りは日本語の達者なインドネシア人ガイドが随行してくれた。

 空港からクタのあたりまでは都会的な街並みが続くが、そこから先は道路脇の店もまばらになり、街灯のない暗さが鬱蒼としたジャングルを予感させる。でも目を凝らすと、無数の石像が並んでいる一画が、そこここにある。
 「石像は売っているんですか?」
 スパルタという、なぜかギリシャ風の名前のガイドの背中に尋ねた。普通の人が、庭に置くために買って行くという。家に置かれれば普通の装飾品。でも寺院に置かれれば、お坊さんが魂を入れるから神様になる。見れば、石像屋さんだけでなく、ヒンドゥー寺院の特徴である複雑な彫刻が施された割れ門が、暗闇にそびえている。
 ヒンドゥー教は仏教ととても近しくて、ブラフマ(創造)・ヴィシュヌ(維持)・シヴァ(破壊)の神が三位一体を成すとともに、仏陀もいるそうだ。人間は神にはなれないが、仏陀にはなれる。仏教の教えそのもの。
 うかつにも忘れていたが、イスラム教を国教とするインドネシアの中で、バリ島だけはヒンドゥー教を信仰する特別な島。スパルタさんの流暢な日本語に、バリは特別、という誇らしさが交じる。

 帰りがけのガイドは、スパルタさんに比べると日本語がカタコトっぽかった。
 ヒンドゥー教の寺院には3つの種類があり、ファミリーが属する寺院(菩提寺、ですね)、村を守る寺院、そしてヒンドゥー神自体を祀る寺院。人々は毎日神様に祈りを捧げる。
a0165235_965347.jpg 10cm角の小さな籠に花と草と食べ物を乗せたチャナン(供物)が、寺院はもちろん、家や店の軒先、私たちのヴィラの門前にまで、毎朝供えられていた。足元に注意を払わずに歩いていて、間違えて花をけちらしてしまうと、なんとも罪深い気持ちになった。ヒンドゥーの神様、ごめんなさい。

 村ごとの祭りは年に2回あり、時期もやり方も村独自、他の人にはわからない。サレン・アグン宮殿の隣で出くわした祭りには、男たちは皆簡単な白いターバンのようなものを巻きつけていた。きっとあれが村祭りの主人公である印だろう。
 村人たちは皆、若い人もちゃんと参加する。強制ではないが、祭りに参加しないと悪いことが起こるような気がする。「気持ちの問題、ね」とガイドが笑う。

 その裏には、小学校からの宗教の授業がある。学校でちゃんとヒンドゥー教を教えている。勉強しないと落第する。キリスト教的・西欧資本主義的な情報過多の現代社会にあっては、やはり宗教は小さい頃からちゃんと教育することによってのみ、ようやく人々の価値観として根付くのだろう。
                               ・・・(続く)
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by miltlumi | 2011-02-03 09:10 | Vacation in Bali | Comments(0)
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