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信じる者は救われる<お受験編>

 友人が学生時代に大学受験生の家庭教師をしていた。とても志望校には受かりそうになかったので、藁をもすがる気持ちで、彼は受験生に「祈れ!先生も一緒に祈るから」と指導したそうだ。そしたら、推薦入学の枠が奇跡的に空いて、めでたく補欠で無試験合格してしまったという。「やっぱり『祈る』ことが大切なんだよ」と彼はきっぱりと言い放った。反射的に私は言い返した。

 「それよりも強いのは、『信じる』ことじゃないですか?」

 おおお、その通り、ともう一人の友人。彼は高校3年生の父親である。1学期の息子の古文の成績が44名中44番だったと聞き、お父さんは叱咤激励した。「オマエはオレの息子なんだから、優秀に決まってるっ。44番なわけがないっっ。デキルと信じて勉強するんだっっっ」
 そして2学期。息子はお父さんの言うことを素直に信じた(だけじゃなかろうが)結果、1番に躍り出たそうだ。

 学校を出てから20年以上たつジェントルメンが、受験とか順位とかいう話で盛り上がる姿はとてもキュートだったが、それはさておき。
 「祈る」と言えば、神様。その前提にはもちろん神の存在を信じるというステップがあるが、キリスト教やイスラム教では、「信じる」よりも「祈る」ことのほうに重きが置かれていると思うのは、私の偏見だろうか。一方、仏教は仏を「信じる」ことそのものを大切にしているのではないだろうか。

 折しも浄土真宗のお坊さんの講話。
 「キリスト教では、神様は人間とは全く別物で到達し得ないところにいる。神とちがって原罪を背負う人間は、神の慈悲におすがりして『祈る』しかない。親鸞上人の教えでは、人間は誰しもあるがままの自分を仏の前に投げ出すことによって救われる。仏様を『信じて』念仏を唱えさえすれば、皆救われる
 まさに、信じる者は救われる、の諺どおり。一見非論理的でも、真摯な気持ちさえあれば極楽浄土。ありがたい教えである。

 同じ諺でも、「信じる」ことに関する西洋の諺は「Seeing is believing」。百聞は一見に如かず、と訳されるが、英語そのものは、言ってみれば「見えるものしか信じない」とも解釈されるではないか。徹頭徹尾論理的。

 …などという洋の東西神様比較文化論はまた別の機会に。言いたいのは、単に「信じる者は強い」ってこと。秀才息子の話の後、女性陣が挙げた例は、
 その1:「私、自分が運がいいって信じてる。学生の頃憧れてたミュージシャンと知り合いになる!って信じてたらホントに友達になれたの♡」
 その2:「私もそう。離婚するとき、泣く泣く引っ越し先探してた時、今のマンション偶然見つけたの。とっても気に入って、これで幸せになれると信じた♪」

 信じるっていうより、能天気? まあそれも幸せになる秘訣です。
by miltlumi | 2010-11-21 21:56 | 私は私・徒然なるまま | Comments(3)
Commented by yt at 2010-11-21 23:04 x
あはは、それわたし。

信じる、って大事。
すごい起爆力になって、
不可能を可能に変える、って実証できたもの。

でも違う意味であまりにも思い込んで
のめりこみ過ぎるのはチョト怖い…
(ストーカーとか・カルト宗教とか)

見えないものを無理やり信じこんで、
間違った方向に進んでしまうのね。
狂信的に。
Commented by miltlumi at 2010-11-22 21:33
勝手に引用しちゃって、ごめんなさ~いっ 肖像権、じゃない発言権の侵害!? 許して。 
そう、おっしゃるとおり、のめりこむ人はコワイ。…っていうこともちょこっと盛り込んだ第二弾、またUPします!
Commented by yt at 2010-11-23 00:23 x
いえいえいえ、

いつも楽しく拝読していますので、
お役に立てて?、光栄です(笑)
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