「別れ話をもちだしたとき、君は栗をむいていた。話し終わったとき、はい、と差し出された栗をみて、こんなにきれいに栗をむいたひとは初めてだ、と思った。栗を食べるたびに君のことを思い出す」という短いエッセイを読んだ。
私にとっての「栗」は、あんまりロマンチックな食材ではない。 ある夏の日曜日の朝、ひどい事件が起こった。その日一日中私は夫に口をきかなかった。普段、のんびり過ごす夏の週末は、枝豆とか焼き茄子とか谷中生姜と練り味噌、みたいなものを用意して、彼がビールを飲みながら私が夕飯を作るのを常としていた。 その日、まだ暮れまどう夕方、それでも長年の習慣でとうもろこしをゆでた。彼に「とうもろこし、食べる?」と、その日初めての言葉をかけた。少しびっくりした表情を浮かべた後、彼は元気よく「うん!」と言った。でもそのあと会話をはずませることもなく、二人黙々と箸を運んだ。 世の中は終戦記念日前で大きな事件はなかったようで、「小学生が川で鮎のつかみどりをしました」的な間抜けなTVニュースばかりが流れていた。でも私たちの平和な夕飯はこれが最後かもしれない、と唐突に思った。 彼が「別れたい」と言葉に出したのは、その翌朝だった。 それから10数ヶ月後、二人別々に引っ越し業者の見積を頼んだ。私の方が先に出て行きたいという最後のわがままをきいてくれた彼との最後の夕飯のおかずは、豚キムチだった。 炊飯器と電子レンジはもらいたいけれど、冷蔵庫と洗濯機は持って行っていいよ、と言われた私は、冷蔵庫の中身を空っぽにしなくてはならなかった。庫内にある、3分の1くらい残っていたキムチと冷凍の豚バラ肉と白菜を見た結論は、必然的だった。本当は、もっと彼の好物を作りたかったけれど、それもなんだかわざとらしい感じがして、そういうことになった。 やっぱり会話のない夕飯が終わった後、役所への届に二人で順番に判を押した。 真新しいマンションに引っ越してから数年間、とうもろこしも豚キムチも食べることができなかった。もう今は、彼の好物がなんだったのか、よく憶えていない。 栗を食べるたび誰かのことを思い出す人に、「栗が食べられない時期」はなかったのだろうか。
by miltlumi
| 2010-11-04 09:25
| 機嫌よく一人暮らし
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