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忘れられない言葉-Dog and Cat

 S部長は、「本社戦略部門」といういかめしい部署にいたときの上司だった。「山ねずみロッキーチャック」を思わせる、黒目がちな瞳と丸い鼻の愛嬌たっぷりの顔に似合わず、過激な参謀として有名な人だった。社長直属の機密プロジェクトの陣頭指揮をとったり、全社戦略会議を裏でとり仕切ったりしていた。
 当然のことながら部下に対しても要求度が高い。課長が、働いている妻の都合がつかないので、保育園で発熱した子供を迎えに行くため早退させてほしい、とS部長に申し出たところ、「本社スタッフたるもの、子供ごときで早退するんじゃない!」と怒鳴られたことがある。
 まずいなあ、これじゃ私も産休取りたいなんて言ったら即座にクビじゃないの。社内結婚で夫も近くの職場にいた私は、そんな兆候は皆無だったにも関わらず、一人取り越し苦労をしたものだった。

 しばらくして、社内移動で夫が同じS部長の下に配属されてしまった。けれど(というか、だから、というか)私たちは、産休どころか離婚することになった。家庭のことはお互い会社でおくびにも出さない態度に抜かりはなかったようだ。私からS部長に報告したとき、彼は晴天の霹靂とばかり言葉を失っていた。
 当時は2ヶ月に1度は海外出張するような仕事だったが、離婚後の大きな変化は、私が引き取った2匹の犬をペットホテルに預けないといけなくなったことだった。当時海外出張時には現地での食事代等に充てるため「日当」が支給されていたが、それも2匹のホテル代で吹っ飛ぶ計算となる。

 あるときS部長が、「犬はどうしてるの?」と聞いてきた。彼は、部下に厳しいわりには、飼っているシーズーを溺愛していた。
 「ペットホテルなんですけど、ホテル代で日当が飛んじゃうんですよ。経費請求してもいいですか?」と冗談っぽく(でも半分本気で)言うと、
 「そっかー。そうだよな。経費請求してもいいはずだよな。よし、俺が承認印押すから、出してみよう。経理のやつが文句つけてきたら、言ってやろう。領収書にあるこのDog and Catっていうのは、『犬猫』のことじゃないですよ。『土砂降り』って意味ですよってな。」
 Dog and Cat。大学受験生の必読書であった「試験にでる英熟語」にあったっけ。「土砂降り」という名の会社が経費精算の支払先にあるものか。あったとしてもどういう業種か。大笑いしながらも、S部長なりの配慮が心にしみた。

 それから1年後、組織変更でS部長は私の上司ではなくなり、さらに3年後、私は会社を辞めた。今でも、TVの天気予報で「土砂降り」という言葉を聞くたび、S部長を思い出す。ペットホテル代を気にしながら旅行の計画を立てる必要は、もう無くなってしまったけれど。
by miltlumi | 2010-09-06 22:29 | 忘れられない言葉 | Comments(0)
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