体調を崩していたルミ(犬)が、おかげさまでようやく回復してきた。1週間前は足が立たなかったが、昨夜は2mくらい歩いた。今日、通い入院をしていた病院に迎えに行くと、もっと歩けるようになっていた。ジャニーズ系の若い先生がにこにこしながら診察室から出てきて、「ほら、お母さんに歩けるの見せてあげてごらん。あっち、お母さんだよ」とルミを床におろした。私は思わず自分の笑顔がひきつるのを感じた。
私は、犬がとても好きだが、犬は犬だと思っている。大切な家族の一員ではあるが、別に戸籍上「長女」と書いてもらいたいとは思わない。しかるに最近は、犬を人間と同一視する傾向がどんどん強まり、犬を散歩させている人間同士が顔見知りになると、「XXちゃんのお母さん」と呼ばれる。すみません、私、毛むくじゃらの四足を産んだ覚えはないんですけど。すべすべ玉の肌の2本足の赤ちゃんを産んだこともないけど、「犬のお母さん」と呼ばれるのは甚だ不本意である。 思うに、人間は他人との関係を何らかのステレオタイプに規定したがるものではないか。人間と犬との間の無言の愛情なんてわかりにくいから、「お母さん」にしてしまう。私とミルト(2月に亡くなった雄のダックスフンド)&ルミの関係は、決して親子のそれではない。ミルトなんて、人間の恋人より頼りがいのあるパートナーだったもんね。 人間の男と女もしかり。「恋人」「夫婦」はわかりやすい。「友達」となると、男女の間に友情は成立するのか?という永遠の課題に直面してしまう。それに、一時期恋人もどきな関係だったのがそうじゃなくなったからといって、安易に「友達」とは呼びたくない。逆に、今のところ「友達」なんだけど、1ステップアップするかもなあ、とお互い薄々気づいている微妙な関係は、果たして友達と呼ぶべきか? あるいは仕事上の関係。長年一緒に仕事をしているうちに、一種夫婦よりも親密な阿吽の呼吸が生じてくる。また、男性にありがちなのは、奥さんには決して打ち明けない仕事上の悩みというか愚痴というか、そういう微妙な話を、身近にいる女性社員にぽろっと話す、ということ。世間知らずの若い頃なら(今の私は世間を知ってる「若い」者です、念のため)「この人、ワタシに気があるのかしらん」なんてうぬぼれただろうが、さすがに最近は、そういう浅墓な意味ではないことを十分承知している。単なる「上司と部下」とも呼べない、でも仕事の範疇は踏み越えない、絶妙なバランス。 いずれの場合も、当事者同士にしかわからない信頼関係が存在する。だから一般名詞なんかで規定したくない。固有名詞的なその信頼が壊れないよう、そしてお互いの関係がずっと長く続くよう、願ってやまない。「永遠に続く関係」は決して存在しえない、この世の無常を知っているから。
by miltlumi
| 2010-07-17 22:06
| 私は私・徒然なるまま
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