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死ぬまでに食えるメシ

 もう3年以上も前だろうか。私より四半世紀年上の御大が、忙しい会議の合間にかきこむべく秘書が買ってきたお弁当を見て、キレた。
 「死ぬまでに食えるメシの回数はもう限られてるんだっ。1回だって、こんなくだらんモノで腹を満たしたくないっ」
 んな、また大袈裟に、と思ったものの、最近とみに、あの言葉への共感がじわじわ増している。

 年々胃腸がヤワになり、1回に食べられる量が減る。量が減っても、新陳代謝の鈍化のせいで体重は増える。1回1回の食事に何をどれだけ食べるか、真剣勝負。美味しいものをちょっとだけ。高カロリーのスイーツは、間食ではなく朝食か昼食の主食代わり。
 日々着実に減少していく「死ぬまでに食えるメシの回数」の1回分、出来るだけ充実させる努力を怠るわけにはいかない。

 それにつけても、腹立たしいのは、人間ドックの朝である。
 健康維持増進の役割を担うはずの病院が、1日の活力源たる朝食を抜いて出頭せよと命ずる理不尽は昔から感じていたが、今やそこに、貴重な食事の機会を1回分スキップせねばならない無念さが加わる。
 そして、あの、バリウム。
 食べ物の好き嫌いがない私は、これまでアレを拒否したり残したり途中でげっぷしたりすることなく、大人しく飲み干していた。最近は色々工夫が施され、甘くて冷たくて、ちょっとミルクシェイク(!?)みたいだし。

 しかし今年の人間ドックは、違った。灰色がかったゲル状の物体が並々注がれた紙コップを無造作に手渡され、一瞬フリーズする。
 「うららかな春の1日の始まりに、最初に口にする食べ物(?)がコレって、どうよ」
 私の心中を察することもなく、検査技師の女性は感度の悪いスピーカー越しに、くぐもった声で指示してくる。「はい、それでは一気に飲んで~」
 私の大切な朝ごはんが…、と無念さに胸がつぶれる思いで、結局一気飲みしたのであった。

 ただでさえ気分が悪いのに、最後の問診で医師がとどめを刺す。
 撮ったばかりのバリウムまみれの胃の映像を見て「胃壁が荒れてますね。胃潰瘍かも」とか、心電図のグラフで「心拍数が少なすぎます」「心筋梗塞の波形が出てます」とか、不穏な発言を連発する。
 挙句「ピロリ菌の検査、やっといたほうがいいですよ」とさり気なくマックのポテト並みの「ついで買い」慫慂。結果がクロだったら、菌皆殺し治療を強要され、死んだかどうかの確認が続き、なんやらかんやら…。もぉ~お、放っといてくれっ。

 だからドックはイヤなんだ、とぶつくさしながら、外に出る。花曇り、暖かな春の風。ようやく本当の朝ご飯がいただける。このままどこかおしゃれなカフェでブランチ、とアタマではあれこれ計画を巡らすが、おなかはぐってり重くもたれている。
 90歳まで生きるとして、あと3万6千回余りのうちの1回を、あんなくだらんモノで費消してしまった…。

 結局、うちに帰ってコーヒーとバゲットとチーズという平凡なブランチとなる。2回分損した気分だ。せめて夕飯は丁寧に、と煮干しでお味噌汁の出汁をとる準備を昼前に済ませる。
 午後、何やら心臓がバクバクして頭に血がのぼるような、妙な症状が現れた。すわ、心筋梗塞か!?と思ったが、違った。さきほど、出汁に酒粕を入れた(こうするとお味噌汁にコクが出て、しかも肌によい)とき、そのお箸をぺろりと舐めたのだ。酒粕で酔っぱらってしまうほど、私はアルコールに弱いのである。

 「死ぬまでに食えるメシ」にアルコールを勘案しなくて済むのは、カロリーコントロールのためには幸いなことかもしれない。酒飲みにはありえない発想だろうけれど。
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# by miltlumi | 2019-04-02 11:16 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

箱根時間

 真鶴に住んでいた私にとって、箱根は、まあ庭みたいなものだ。湯河原から大観山経由、有料道路も使わずクルマで30分もあれば芦ノ湖畔に到着できた。

 23区内の住人となって久しい今、かの地は立派な旅行先である。このほど、公共交通機関による3泊4日の旅。きちんとした事前計画が欠かせなかった。
 何しろ観光地のバスは、本数が少ない。7分置きに来るバスの現在位置が逐一掲示板に表示される都バスや、5分置きのダイヤの1本が3分遅れただけで、日英バイリンガルで丁寧に謝罪をする「おもてなし」なメトロ とは、訳が違う。1本乗り遅れただけで目的地到着が1時間遅れることだって珍しくない。
 天気予報が曇り雨マークの日、御殿場プレミアムアウトレットに繰り出すことにした。ホテル近くのバス停から御殿場駅まで40分弱。朝はほぼ30分に1本、夕方は1時間に1本。駅から無料シャトルバスが毎時00分から15分ごと。夕方のシャトルバスは混んで乗り切れない可能性があるから、早めに並んで、1時間に1本を逃さぬように気をつけねば。

 当日、予報通りの曇天の下、御殿場駅経由新宿行きの高速バスは2分ほど遅れてやってきた。乗客が多いせいかと思ったら、車内はガラガラである。遅延の理由はすぐにわかった。料金前払いの上、降車場所が発音できずに運転手にスマホを指し示すガイジン観光客や、スイカの残高不足で財布を探して鞄をひっくり返す老夫婦。最初の遅れを取り戻すどころか、バスは遅れていく一方である。
 駅に9時50分到着予定だから、余裕で10時のシャトルに乗れると思っていたのに。8分遅れになったところで、我慢しきれず運転手さんに声をかける。
 「御殿場駅、50分着ですよね?」
 はいそうです、と言う清々しい声に、ほっとする。残りのバス停は乗降客が少なくて、きっとびゅんびゅん飛ばすに違いない。多少遅れても10時に着けば問題ない。

 ところが、9時50分時点でバスはまだつづら折りの道をのたりのたり下っている。10時のシャトルを逃したら、買い物時間が15分も減ってしまう。まあ、私がじたばたしてもミラクルは起きないから、深呼吸をして気持ちを整える。
 結局10分遅れて駅に着く。時間厳守の交通網を世界に誇るニッポンで、この大幅遅延はなんなんだ。しかも謝罪の自動音声もなければ、運転手の「すみません」もない。50分着って言ったくせに。このヤロー。ロータリーの向こうから速やかに発車するシャトルバスを見送りながら、心の中で悪態をつく。
 ところが、シャトル乗り場にはバスに乗り切れなかった人の列。たとえ10時前に着いても乗れかなったのだ。そういうことか。ちょっと溜飲が下がる。降り始めた霧雨の中、15分立ちんぼはちょっと寒いけど。

 と思ったら、5分後にやってきたシャトルは、客を乗せられるだけ乗せたら、定刻を待たずにさっさと出発した。10時08分。なんと。さっきの遅延もニッポンらしくないが、フライングというのも、いかがなものか。タイ旅行のとき、5分遅れでバンコクを出発したのになぜかアユタヤに5分早く到着した電車を思い出す。
 1分2分に目くじらを立てていた自分を笑いたくなる。結果的に、どこかで辻褄は合うものだ。大体、買い物時間が15分「減る」わけはない。20時の閉店まであと10時間もある。
 West ZoneもEast Zoneも制覇して数多くの戦利品をGETし終わると、15時前であった。帰りのシャトルはまだ空いていて、定刻に発車した。つまりは臨機応変なのである。

 再び御殿場駅。霧雨が横殴りの冷たい雨に変わり、例によってバスはなかなか来ない。前に並んだ女性は、薄手のコートをきつく身体に巻き付け足踏みしながら「なんで来うへんの?」「どこで何してんねん」と大阪弁を繰り返す。目が合ったので、にっこり笑う。
 「朝のバスも遅れましたよ。ガイジンさんが多くて、支払いに手間取ったりして」
 箱根時間ですし、と心の中で付け加える。遅れても、宿に戻って温泉に浸かるだけでしょう。

 バスはやはり10分遅れた。ようやく開いた扉の向こうで、またぞろガイジンがスマホ片手に運転手と何やらやっている。「はよ降りてんか~」我慢の限界を超えたおばさんが叫ぶ。
 だからね、箱根時間なんです。
 箱根時間のほうが、きっと、グローバルスタンダードなんです。


# by miltlumi | 2019-03-26 13:08 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

女王陛下のお気に入り

 なんか面白そう、と思って見に行った映画。鑑賞した直後の一言感想をインタビューされたら、きっと「げっそりしました」と答えていただろう。
 「権力闘争」「権謀術数」といった四文字熟語は、男性の専売特許だと思っていたのに。
 デコルテを強調したドレスに身を包んだ女性たちが、ごてごてと飾り立てられた宮廷の中をふうわり広がる裾を翻して行きつ戻りつ、男性顔負けの抗争を繰り広げる。
  オンナって、こんなに権力に固執する動物だったっけ? しかも、権力闘争の戦術が、これまた男性的というか。。。

 18世紀初頭イギリス、アン女王と側近の女官、サラとアビゲイルの物語である。この3人を初め、登場するのはいずれも実在の人物のようだが、映画の筋がどこまで真実だったかはわからない。しかし、アビゲイルの宮廷入りやサラの失脚、フランスとの戦争終結のタイミングは史実だ。「最高権力者の寵愛」を勝ち得るべく、側近二人が熾烈な争いを繰り広げるという映画製作者が設定した筋書きは、当たらずとも遠からず、…だったのだろうか。

 女友だちにあらすじを尋ねられ、「オトコみたいに権力闘争してた」と答えたら、「何のために?」と畳みかけられた。これぞ、オンナの発想である。
 男性が権力闘争をするのは、権力を掌握するためである。権力を掌握するのは、掌握したいからである。男性にとって、「権力」そのものが目的なのだ。
 一方、権力闘争と聞いて「何のために?」と尋ねる女性は、権力を握ることによって、もっと別の目的を達成しようとしているに違いない、と反射的に考えるのだ。

 アビゲイルの場合は、「やんごとない生まれなのに、父親の没落でどこぞの貴族に売り飛ばされた雪辱を果たすため、再び貴族の地位に返り咲く」のが目的である。
 ではサラは? フランスとの戦争継続を強行して、夫に戦功をもたらし、さらなる権力を握りたかっただけか?
 そして、二人の争いの上に君臨していたアン女王の「目的」は? そもそも政治にも戦争にも興味がない。17回も妊娠したのに、いずれも死産や夭折で世継ぎを一人も残せなかった。なのに権力目当ての側近に心を赦してしまう、その理由は?

 別の女ともだちが、今日のニッポンの会社を評して、いみじくもこう言っていた。
「権力の座に10年も居座ったら、ダメなのよ。自分がエラいと思っちゃうし、周りも本当のことを言わなくなって、必然的に腐敗する」

アン女王もサラも、結局のところ、そういうことだったのだろうか。権力の魅力の前には、オトコもオンナもカンケーないのだろうか。はぁ~。

 数日もやもやとしていて、不意に気づいた。
 彼女たちが本当に欲しかったのは、権力や名声以外のものだったのではないか。
 アビゲイルが欲しかったのは、貴族に「買われた」立場ではなく、「本当に自分を必要とする人」との関係。
 アン女王が欲しかったのは、血を分けた自分の子供たちに囲まれて過ごすこと。
 そして、サラは、「アン女王」の黒幕として国家に影響力を及ぼしたかったわけではなく、純粋に、幼馴染としての「アン」を支えたかった、それだけなのではないか。

 ん~。ちょっと、美化しすぎかな。
 やっぱり単純に、人間というものは、オトコもオンナも関係なく、権力を掌握したいという本能的欲求を持っているのだろうか。
 けれど、アン女王が画面の端々で見せたあのやるせない表情は、権力だけが全てでないことを雄弁に物語っている。…と思うのだけど。


# by miltlumi | 2019-03-16 10:12 | みるとるみ版・映画評 | Comments(0)