昔のレシピ

 ホームパーティのメニューは、作り慣れた料理に限る。

部屋の掃除や普段使わないワイングラス洗いやテーブルセッティングで、ただでさえてんてこ舞いするのが目に見えているのだから、せめて料理は手堅くいくのが常套手段である。

 それなのに、このたびのイベントではちょっと魔がさして(?)、1度も作ったことのない料理をメインにしてしまった。といっても「チキンとリンゴのサワークリーム煮」という、名前を聞いただけでネタバレするような簡単なもの。

手羽元と書いてあるのに、骨付は食べにくいからと鶏もも肉にし、玉ねぎは輪切りより薄くスライスしたほうがリンゴが際立つとか、勝手にどんどんレシピを変えてしまう。挙句の果て、決め手のはずのサワークリームをなめてみたら、すごく酸っぱい。レモン汁を半量に抑え、念のためソースを別立てにする。


 幸い、ソースともどもお客様には好評だった。「どこのレシピですか?」と訊かれ、「レタスクラブ」と答えながら、それが30年近く前の雑誌だということに、我ながら驚愕する。


 その頃はトロントに赴任していて、日本の親元部署から月に1度、好きな雑誌を何冊か航空便で送ってもらっていた。赴任者は日本語に飢えるだろうから、という心遣いである。男性赴任者は、奥様のために「家庭画報」や「ヴァンサンカン」をリストに加えていた。そんな中で、独身の私は迷わず料理雑誌。

 学生時代から、ファッション雑誌の後ろのほうに載っている「デートに最適!手軽なお弁当おかず」みたいな特集を見よう見まねで作るのが好きだったのだ。

 日本の食材と言えば中華食料品店の片隅にちょろりとキッコーマンが並ぶ程度のトロントで、レタスクラブのページをめくる。めぼしいメニューをちょきちょき、巻末の「1週間の献立」は丸ごと、切り取ってはスクラップ用の大学ノートに貼り付けたものである。

 日本から持参したその料理ノートには、バレンタインチョコの作り方から母の料理ノートから書き写した「お節料理」も手書きされていた。


 というわけで、30年ぶりに陽の目を見たサワークリーム煮である。しかしノートには、「どう考えても作らないよな」みたいなレシピ満載。ページは黄ばみ、糊は乾いてスクラップした紙片がはがれかけている。この際不要なものは捨てようと見直してみたら、「1週間の献立」はすべてゴミ箱行きだった。しゅうまいとかグラタンとかおでんとか、大体がもうレシピなしで作っている。 

 こういう普段着おかずも、レシピをみながら一生懸命作っていたんだな、と思うと、しみじみしてしまう。

 そういえばトロントで、赴任者の友達の奥様が、結婚後生まれて初めてハンバーグを手作りするのに5時間かかった、という逸話を聞いたことがあったっけ。かくいう私も、主婦業1年目は、週末に1週間分の献立を考えてから買い物に出掛けたものだ。


 断捨離のおかげで、書棚のレシピコーナーは少し隙間が出来た。この先はもうネット検索で済まそう、と思いながらも、クイーンズ伊勢丹に無料のELLE Cookingが並んだら、ついまた持ち帰ってしまうのだろう。

 そのレシピを味わえるのは10年先かもしれないけれど。



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# by miltlumi | 2018-05-20 15:33 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

富士山につられた女

 品川から新幹線に乗り、新横浜を超えるとじきに右手前方に富士山が見えてくる。国府津のあたりで大山・丹沢を従えて伸びやかな姿が広がり、それから少しずつ箱根連峰に遮られていく。金時山(と信じているが、さだかではない)からなだらかに伸び上がる箱根の稜線の右肩がだんだんとせり出してきて、小田原駅のすぐ手前で、ついに富士山は見えなくなる。
 私にとって富士山と言えば、長く裾野を引いた優美な姿ではなく、箱根の肩越しにほんのちょこんとあたまだけ出した、あの富士山なのだ。そしてそれは、おそらく母にとっての富士山の原風景と重なる。

 両親は兵庫県の出身である。母は、陸軍将校だった祖父の駐屯地の金沢で生まれたが、小学4年で終戦を迎えて元々の実家の竜野に戻った。父の方の祖父は海軍で、小樽で生まれてからじきに竜野の隣村の觜崎に戻った。
 そのあと父は、京都の大学を出て、小田原に工場のある会社に就職した。新幹線もない時代、夜行で実家に帰って、3月に母とお見合いをして、翌々日にもう一度会って、その足で母の実家に行き、陸軍大佐に頭を下げたらしい。母は、父が次男であることと、関東に住めることが結婚の決め手だったと教えてくれた。
 
 10月の結婚式までの間、二人が顔を合わせたのはたった2回だけ。あとは文通だ。一緒に住む予定の社宅のあたりからは、富士山が見えます、という父からの手紙に、母は期待に大きく胸をふくらませたそうだ。
 ところが、いざ新居に着いてみると、「富士山」のイメージからは程遠く、箱根の山並みごしに見えるのは9合目から先くらいのほんのてっぺんだけ。話がちゃうやん、と思ったが、後の祭りである。

 世間知らずで地図の読めない母と、知ったかぶりで言葉足らずの父は、その後も似たような言った言わない、嘘本当みたいなことを繰り返しながら、金婚式まで持ちこたえた。

 今、一人になった母は、丹沢の麓からもっとずっと大きな富士山を望むことのできる兄の家の隣に住んでいる。
 年に一、二度、兵庫県の山あいにある父のお墓参りに行きたいと言い出す。港区に住む私は、品川から姫路まで、のぞみの直通でも4時間近く。こだまやひかりしか停まらない小田原から乗る母は、ジパング倶楽部の割引を最大限活用するためにのぞみは乗らない。だからいつも姫路駅で現地集合だ。
 姫路から乗り換えた鈍行電車の中で、たいがい私は、行きがけ富士山が見えたとか見えないとか報告する。母は、あんたそんなに富士山珍しいの、私なんか毎日見てるわよ、と可愛くない台詞を吐く。
 60年前にここを発ったときは、日本一の霊峰を毎日拝める新婚生活に胸をときめかせていたくせに。

 今年初めてのお墓参りは、GWの混雑を避けて明日からの予定だったが、天気予報が雨だし体調が悪いから行かない、と母がドタキャンした。
 それならお天気のいいうちに、と予定を3日繰り上げて、一人のぞみにとび乗った。
 春にしては珍しく、富士山がきれいに見えた。そうしてやっぱり、小田原の手前で箱根山に隠れた。


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# by miltlumi | 2018-05-06 09:56 | 父の記憶 | Comments(0)

若葉の季節に

 染井吉野は早くも花吹雪だが、入れ替わりに白い蝶々のような花水木が咲き始めた。木蓮や山吹や花蘇芳や雪柳、これからまさに百花繚乱の季節である。
 そうやって、ついつい視線は花木に奪われがちだけれど、葉っぱのほうも新緑の季節に向かって頑張っている。中でも、一足早く新緑、ではない若葉をあでやかに広げる木がある。
 
 ベニカナメ。
 ほとんど人目を引かない、何の変哲もないつるりとした楕円形の葉っぱ。生垣に使われ、どこでもみかける。それが、今の季節だけ、明るいレンガ色を身体じゅうにまとって、薄緑色の新芽の木々を圧倒する。
 この色を目にするとき、必ず小さな声で「ベニカナメ」とつぶやいてしまう。

 中学1年のとき、両親が住宅ローンの頭金を貯めて建てた家の庭は、建物の周りにぐるりと申し訳程度の広さだったが、一段高くなった北隣は同級生のカズミちゃんの家の畑で、すとんと抜けていた。
 大学生の頃だろうか。金網フェンス沿いに、カズミちゃんのお父さんがずらりと木を植えた。いかにも実務的な顔をした常緑樹に、視界が遮られてしまった。
 春先、北側の洗面所の窓の向こう側が、いきなり明るいレンガ色に染まった。ベニカナメだった。
 普段、庭木に何の興味も示さない父が、驚いたように尋ねた。
 「あれは何の木だ?」
 「ベニカナメ」
 父親と話すことが鬱陶しいティーンエイジャーが終わりかけていた私は、にこりともせずに即答した。母に似て、私は木や花が好きだった。

 翌春、同じように窓の外が紅く華やぎ始めると、歯磨きをしながら、また父が聞いた。
 「あの木はなんという名前だったっけな」
 「ベニカナメ」
 同じやりとりが何回続いただろうか。しまいには、その季節になると、私のほうから父に「ベニカナメが芽吹いたね」と話しかけるようになった。
 20代後半には実家を出てしまったから、ベニカナメの名前を毎年確認し合うことはできなくなった。それでもたまにその季節にあたると、「あ、お父さん、ベニカナメ紅くなったね」「おう」といった短い会話を交わしたものだ。

 父は、大工仕事や庭木の剪定などが不得意だった。わが家では、犬小屋を作るのも伸び過ぎた花蘇芳の枝をはらうのも、母の担当だった。たまに兄や私も手伝ったけれど、父はいつも高みの見物だった。
 父の定年退職後、母は「運動がてら金木犀でも剪定してちょうだい」と頼んだことがあったという。すると父は、植木鋏を手に取るどころか、なんと外出着に着替えて出掛けてしまった。電車に乗って書店に行き(実家は、まともな書店もない田舎町にある)、「庭木の剪定」という立派な本を買ってきた。2階の書斎にこもってじっくり読んでいたかと思うと、ぱたぱたと降りてきて、母に告げた。
 「今は剪定時期じゃない。だからダメだ」
 もちろん、剪定に適した季節になっても、父が庭に出ることはなかった。

 今、実家はそのまま置いて、母は兄の家の隣に住んでいる。たまに帰ると、母は「夏椿の枝がうるさいんだけど」などと訴える。私はおもむろに「庭木の剪定」の本を取り出す。「今は剪定時期じゃないよ」と言っては、母と笑い合う。
 ベニカナメは、実家の裏で、今年もあでやかに照り輝いている頃だろう。
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# by miltlumi | 2018-04-01 21:57 | 父の記憶 | Comments(0)