昼下がりの銀行にて

 断捨離の一環で、使っていないクレカ解約と銀行の休眠口座閉鎖を断行した友達を見習い、私も某銀行某支店に出向いた。高金利に惹かれて1度だけ定期預金を預けて満期解約したきりの口座だ。

 自動ドアを開けると、ホテルのドアマンみたいに男性が立っている。右手にはリビングルームのような白いソファの待合いコーナー。都市銀と違って、窓口は全て半個室形式だ。
 「ご解約とのことですが、弊行では優遇金利の定期預金をご用意しております」
 差し出されたパンフには「0.15%」という数字。ただいま預入れ中の0.10%との差に一瞬クラッとくるが、解約の初志貫徹。「いえ、結構です」

 にっこり即座に引き下がった彼女は、通帳が古いので新規に切り替えさせていただきます、と背後のドアの向こうに消える。解約するにも、一定のペーパーワークを経ないといけないのだ。さすが銀行。
 手持ち無沙汰なので、つい金利のことを思い返す。0.15マイナス0.10=0.05。100万円で年間5百円。ふむ。1千万円なら5千円。ほー。
 彼女はなかなか帰ってこない。10分経過。本を開くが、あいにくつまらない章である。

 ようやく戻ってきた彼女は、新旧2冊ずつ(定期と普通)通帳を手にしている。
 「通帳の切り替えができましたので、これから解約手続きをさせていただきます」
 えっ、なんでまとめてやらないの?という言葉が喉元まで出たが、ここは銀行。段取りは1つずつ。決してはしょってはいけない。目の前で私が記入した用紙の氏名と日付だって、彼女はきっちり3回指差し確認していた。
 「終わりましたらお呼びしますので、あちらでお待ちください」

 ということで白いソファへ。シフト交代したのか、最初のドアマンとちがう男性がやってきて、テーブルの上の雑誌数冊、わずか5度ほどのずれを直角に整えて、また立ち去る。取り澄ましたブティックのラックに整然と畳まれた服のように、手を伸ばす勇気がでない。
 間近のブースからは、株の乱高下とオリンピックの会話。東京オリンピックまでは大丈夫ですよきっと、とかなんとか、延々続いている。世間話より、そろそろ具体的な商品説明に入ったほうがいいんじゃないでしょうか。

 なんとなく鼻がぐすぐすする。ティッシュを探そうと立ち上がると、直角マンがすかさず近づいてくる。
 「何か?」
 「あの、ティッシュはどこかにありますか?」
 「それでしたらこれをお使いください」
 テーブルの上、直角雑誌の隣に、6つのポケットティッシュ入りのカゴ。がばりと全部失敬したら、直角マンはどう反応するだろう。

 まだ呼び出しがない。ソファの隣にいるデカい青い象のぬいぐるみ(あ、これ言ったら、どの銀行かわかっちゃうかな)をなでる。鼻の先がくるんと上向いて、スキージャンプ台みたいで可愛い。これ、欲しいな。しかしポケットティッシュとちがって、鞄に滑り込ませるには大きすぎる。でも、欲しい。

 ようやく番号を呼ばれる。「解約」というハンコが押された、さっき作られたばかりの通帳と共に、「残金がございました」と差し出されたのは、31円也。

 45分かけてGETした31円と、GETできなかったポケットティッシュと青い象への未練を手にしたまま、早春の陽光の中に踏み出した。





小さい春、みーつけた!



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# by miltlumi | 2018-02-20 19:11 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

自白

 日頃から、長生きなどしたくないと公言している。生老病死は生きとし生ける者の定め。ナチュラルに健康でいられるに越したことはないが、老いに逆らい、じたばたと人工的な手段に訴えるのはいかがなものか。
 これは極めて個人的な価値観、人生観に関わることなので、不老不死を願う人を否定するつもりは毛頭ない。しかし、日経新聞なんぞは、右肩上がりの読者年齢に合わせ、なんとかサプリや健康器具の広告ばかりが目立つようになって、不愉快である。カネで若さが買えるなら、と東奔西走する御仁をカモにするのは勝手だが、少なくとも私自身は、No thank you.
 …と思っていたのに。
 あな、あさましや。

 社外役員を務める会社から、HPの写真を更新したいので、次回の取締役会のあと撮影をします、というお知らせが来た。サイトの掲載写真は、かれこれ3年以上前。
 当日、一張羅のスーツをびしっと着こんで、勇んで出掛ける。予定通り会議が終わると、別の会議室に移り、1人ずつ白いスクリーンの前に立つ。
 カメラマンは、ぱしゃぱしゃと数回シャッターを押すと、無線で画像を飛ばした先のタブレットをすっと差し出して「こちらでよろしいでしょうか」と確認してくれる。私の前のシニア男性役員は、ろくに画面を覗き込むこともなく「はい結構です」と言って、そそくさと立ち去って行った。

 さて、私の番。ぱしゃぱしゃぱしゃ。すっとタブレット。
 …。
 「ちょっと、これ、ちがうんじゃないかなあ」
 ちがうも何も、液晶に映っているのは紛れもない自分の顔である。しかし、ちがう。
 「なんかちょっと、笑い過ぎじゃないですか?」
 言い訳がましく付け加えながら、問題はそこではないことを、自分が一番よく知っている。問題の核心は。。。

 HPの写真より、顔が老けてる!! が~ん。

 目じりにしわは寄ってるし、頬の線がたるんでいる。3年前の写真ではありえなかったことだ。
 「はい、じゃあ撮り直しましょう」
 カメラマンさんは速やかにクレーム対策プロセスを進める。が、問題の核心が不動である以上、何度やり直しても同じことである。
 「う~ん。まあ、仕方ないですね。元が悪いんだから」
 ついに私は自白する。誰に脅されたわけでも、カツ丼の差し入れで「さっさと真実吐いたほうがラクになるぜ」と言われたわけでもないけれど、自分の罪(?)であることは自分が一番よく知っているのだ。一旦自白してしまえば、もう恥も外聞もない。
 「でも、この頬の線、なんとかなりませんかねえ。せめてしみとしわは修正できますよね?」
 順番を待っていた若い男性役員が、カメラマンが答えるよりも先に、きっぱりと言い放つ。
 「フォトショップなら、どうにでもなりますよ」

 嗚呼。ついに私も実年齢をIT技術で誤魔化す、という人工的、反自然的解決法に走ってしまうのか。あな、あさましや。
 日頃の「ナチュラルに年を取って死にます」宣言はどこへ行ってしまったのか。

 ついでに白状すれば、この事件(?)の数日前、同世代の友人から「酒粕毎日50g食べると、2週間でお肌ぷりぷりだって」と聞き、鋭意実行中でした。毎日お味噌汁代わりの粕汁、酒粕グラタン、酒粕カレーシチュー。
 2週間を待たずして、あちこちぼつぼつにきび(否、私の年齢では「吹き出物」と呼ぶらしい)が出没。アルコールに弱い私のカラダには、合わなかったらしい。お肌ぷりぷり、は幻影と化した。

 件の写真が仕上がったという連絡は、まだない。


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# by miltlumi | 2018-02-06 22:14 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(2)

たなぼた、もしくは隣の芝生

 少し前、DINKSの友人から緊急事態発生の連絡が入った。だんな様がアメリカに赴任することになったという。3年前に転職した会社の仕事がようやく面白くなってきたところなのに、辞めてついていくか、しばらく彼に単身生活してもらうか。
 青天の霹靂、思いは千々に乱れ…状態の彼女には申し訳ないが、正直うらやましい!と思ってしまった。

 この歳になって(といっても、彼女は私より10歳近く若い)、いきなりアメリカで暮らすチャンスが訪れるなんて、でっかいたなぼたではないか。私は20代で一度海外暮らしをしたことがあるが、今ならまたちがった楽しみ方ができそう。
 何よりも、他人(もちろん生涯の伴侶だけど)が自分の人生にどっかーんと影響を与える、そのサプライズ感、意外性。

 シングルアゲインになったとき、1人で暮らす部屋のカーテンを買いに行き、ずらり並ぶサンプルを見て「これ、自分1人で勝手に選んでいいんだわ」と驚いた、あの時の感覚を思い出す。
 どんなことも、自分が決めて、自分が実行する。逆の見方をすれば、自分が決めない限り、自分の人生は1㎜も変化しない。自分では思いもつかなかった選択肢が、突然たなぼた式に落ちてくることは、決してない。
 カーテンの前で味わった「なんでも自分」感と、彼女を羨む「たなぼた感」が、心の中を交差する。

 先々週、別の友人が、こんな言葉を漏らした。
 「自分だけが行きたい所に、自分だけで行きたい。そして、そこに居たいだけ居たい」
 彼女は、だんな様と小さな息子さんの3人暮らし。週末は子供の行きたい公園で子供を遊ばせ、夏休みはだんな様の行きたい旅先で男2人をカメラに納めるお役目…のだろうか。

 一方の私は、自分が長年行きたかったセドナに年末行ってきた。あまたあるトレッキングコースの中、気に入った場所に、居たいだけ居た。「そこに居たい」という欲求を妨げるものは、自分自身の生理的欲求(ト○レ)だけだった。
 旅の後半、アメリカに住む友人が加わった。研究熱心な彼女が「行きたい」と選んでくれたレストランは、たなぼたならぬ、たなからフレンチイタリアンメキシカン、美味しいサプライズの連続。自分一人だったら、決して行かなかった(行けなかった)だろう。
 家族を始めとする他人に振り回される不自由さは、裏を返せば、他人がもたらしてくれる世界の拡大につながる。

 さて、先日の大雪である。
 暗くなる直前に帰宅した私は、ゴム長靴に履きかえるや否や、外に飛び出した。降りたての雪をざくざく踏む、だけのつもりが、童心に火が付いた。
 降りしきる雪の中、うちの隣にある神社の境内にしゃがみ込んで、小さな雪玉を作る。滑らかな雪の上をころころ転がすと、それは「雪だるま式」に大きくなっていく。
 ふと振り返ると、放り出した傘の場所から、ずるずるぐるぐる雪だるまとゴム長の跡。幸い神様以外は誰も見ていない。

 ガラケーで撮った雪だるまをFacebookにUPしたら、ブログ宣伝より多くの「いいね!」。中の一人(彼女も既婚、子供あり)が、感心してくれた。
 「私も一人は好きだけど、『一人雪だるま』はやったことがない」
 はい。やれますよ。自分でやろうと思えば、いつだって。
 でも、自分の意図せぬまま、たとえば子供に手を引かれて足を踏み入れた公園で、雪の白さにびっくり、なんていうたなぼた式サプライズは、ない。

 家族から「たなぼた」の嵐に遭っている人は、「自分で決める」ことに憧れ、
 「自分で決める」しかない人は、誰かからの「たなぼた」サプライズに憧れる。
 つまるところ、隣の芝生。
 隣の神社の雪は、まだ解け残っている。





第2回プラチナブロガーコンテスト



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# by miltlumi | 2018-01-29 11:28 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)