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アルマン・サラクルーの言葉 プラスα

a0165235_0383440.jpg今日(もう昨日か)聞いた名言。
フランスの劇作家、アルマン・サラクルーの言葉。
 結婚は判断力の欠如
 離婚は忍耐力の欠如
 再婚は記憶力の欠如

みるとるみによる応用・日本流。
 一番幸せなのは、
   判断力の欠如に気づかない人。
   (知らぬが仏
 一番美しいのは、
   判断力の欠如に気づいた後
   忍耐力を養っている人。
   (継続は力なり
 一番勇気があるのは、
   判断力と忍耐力と記憶力の欠如に気づいた後
   今度こそ判断力を発揮して、Tryする人。
   (虎穴に入らずんば虎児を得ず
    というより、三度目の正直、かな。
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by miltlumi | 2010-07-07 00:40 | フォトアルバム | Comments(0)

流行り言葉

 密に仕事を共にしている人は、とても笑い上戸である。年がそんなに離れていない(とこちらは信じている)のに、どうも私のボキャブラリーが面白くてしょうがないらしい。
 「ボスがそんなこと言うなんて、とんでもハップンだわね」とか、
 「この程度の仕事なら、余裕のヨッチャンで済ませられるから」とか。
 え、これって、死語なんですか? 普通形容詞じゃなかったんでしたっけ。何も「あったりまえだのクラッカー」とまで言っているわけじゃないんだから、そんなに笑わなくても。冷静に指折ってみると、その人との年齢差は四捨五入すると10歳になる。
 四捨五入してゼロになる「同年代」は、こんな台詞には動じない。
 「最近アベックって言葉、聞かなくなったね~」
 「じゃあ、合コンでフィーバーしちゃった、とか言っちゃいけないかしら」
 「う~ん、それはブーツカットをベルボトムって言うのに等しいね」
 「あのシルエットは、ナウいわよね、やっぱり」
サンプル提示は尽きない。

 書き言葉でも、同様な現象は発生する。女性雑誌に、「この前のデート楽しかったネ」などと書かれたメールを受け取ると、それだけでさああ~っと気持ちが引く、というインタビューが出ていた。え、この文章のどこがまずいの?と思った人は、未だに職場で「さあ、今日もハッスルして行こうな!」と明るく部下の肩を叩いて、彼のけげんな表情に全然気づかない天然時代遅れタイプか、単に文章に対するセンシティビティーがないか。後者は、そもそもガールフレンド(になってもらいたい人)に書き物を送ってはいけない。
 話が逸れたが、上述の間違い探しの答えは「ネ」。語尾の「ね」を一回り小さいカタカナで記す手法は、昭和50年代を以て博物館入りしたのである。

 難しいのは、新しければいいというわけではないこと。キャピキャピ(あ、この擬態語が既に前世紀の遺物?)20代のギャル(ああ、これも…?)の好みは聞いたことないが、ある程度以上社会経験を積んだ女性は、ほぼ例外なく口を揃える。携帯メール1通につき、絵文字を3つ以上入れる男性は謹んで門前払いいただきたいと。
 さらに、自分が一定以上の社会的地位を築いていると自負する日本男児なら、あのモゾモゾ動く絵(デコメっていうの?)は使って欲しくない。
 なんとなく、すう~っと熱が冷めて、自然消滅しちゃおうかなあ、と思っている相手から携帯メールが入る。「最近連絡ないけど、元気? またご飯たべに行こうよ」のあとに、まんじゅう横につぶしたようなヒヨコのできそこないがウィンクしながらCHUッ とかやっているのを見ると、もうそれだけで彼の携帯アドレスは「削除」行き。いっそ「候文」のほうが、よほど品格があるというものだ。
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by miltlumi | 2010-06-18 12:44 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

行動・感情・思考

 どこかの本で読んだのだが、異性を素敵だと思うから振り返るのか、思わず振り返ってしまうような異性のことを「素敵な人」と呼ぶのか、という命題がある。人類の進化の過程にてらしてみると、後者の方が正しい。
 700万年前に人類が類人猿から分化してヒトとしての道を歩み始めた歴史に比べると、ヒトが言葉を習得したのは、ケタ違いに新しい現象である。言葉という道具によって「思考」が可能になった。それまで「身体行動」と「感情」しかなかったところに、「思考」という第三の要素が加わったのだ。さらに、言葉の発達は、「脳の神経細胞ネットワークの接続を変え、我々の『抽象的思考』を可能にした」(松井孝典著「地球システムの崩壊」新潮選書より)。 

 思わず振り返ってしまう、というのは明らかに「行動」。そうした行動をとらせる姿かたちのサンプルをたくさん脳みその中に集めて、それらを抽象化して、言葉による定義を作りだし(「細身で優しそうな眼をした人」とか)、それに「素敵な人」というレッテルを貼る。
 そうすると、「素敵」という抽象概念が独り歩きを始める。イタリアンスーツの後姿を目で追ってしまうのは、彼が「細身で優しそうな人」という定義にあてはまり、「素敵」だったから、という思考回路になる。ランニングにゴム草履のごつい男性を思わず振り返ってしまっても、あれは私の「素敵」の定義にあてはまらないから、振り返ったのは一時の気の迷い、などと、本当の自分の感情に気付かずふたをしてしまっているかもしれない。本能では、マッチョな男性も好きかもしれないのに。 こうやって人類は、言葉を媒介とするフクザツな思考回路を身につければ身につけるほど、自分の本来の感情から遠ざかってしまう。

 恋愛問題で悩んでいた頃、ある男性から叱られたことがある。
 「オマエ、もしかして『私と別れるべきではない理由』とかPowerPointにまとめてアイツにプレゼンしてるんじゃないの?そういうのカワイクないんだよ。別れたくないなら泣いてすがって喚きたてろよ」
 そ、そんな、感情の赴くままに彼に向かって泣き喚くなんて、はしたない、非理性的なこと、できるわけないじゃない。PowerPointこそ使わなかったものの、心の中でPros-Consをまとめて比較考量していたのは事実。思考にとらわれ過ぎていた、あの頃。

 ある人からのメールがひゅいっと入ってくると、心臓が文字通りドキンと飛び上がる。そんなとき、単にドキドキしたいからしてるだけよね、とか、でも相手は私の理想の条件に合ってないじゃないの、とか思考を巡らせて強引に冷静を装う。それは間違いかもしれない。立場とか条件とか関係なく、ドキンという身体行動、それだけに心の耳をすませると、何かが聞こえてくるかもしれない。
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by miltlumi | 2010-06-11 22:28 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

国葬

 昔、ノーベル賞を受賞した元首相が亡くなったときに「国葬」が執り行われた。まだ小さかった私は、TVでそのニュースを見ていたく感動した。そして両親に向かって重々しく宣言した。「私も死んだら『国葬』してもらう
 なんというばかばかしく大それたことを言う子かしら、と呆れ返った、と母は今でも言っている。でも私は、総理大臣になりたいとか、ノーベル平和賞をもらいたいとか(ノーベル賞とるには、普天間と北方領土問題解決はもちろん、及び自衛隊インド洋派遣復活・波動砲付戦艦大和随行、くらいやらないといけないだろう)、そんな僭越なことを志向したわけでは、決してない。単にケタ違いにたくさんの人がお葬式に来てくれる、というのが羨ましかったのだ。1,000万人くらいの人が自分の死を悼んでくれるなんて、人間冥利に尽きるではないか。

 その後、もう少し人生経験を重ねて年頃になると、私の人生観は大きく変化する。大学2年の夏休み、同学年女子10数名で伊豆の大学寮に海水浴に行った。訪れた学生達が思い思いに青春の1頁を綴る「旅先日誌」。黄色い声を上げながら、皆であれこれ書きこんだ中のピカいちは、私の一言、「今は100人の友達より、1人の恋人が欲しい
 きゃあああ、じゃあ、あたし達って必要ないのお? あったりまえじゃない。友達は、学食でランチして、週に1回くらい飲みに行って、それでおわり。1日24時間、ずっと私のことを想ってくれる恋人が1人いれば十分よ。ピュアに異性を信じていた、Illusionな日々。もしも本当にそんな人がいたら、お葬式のときだけちらっと自分のことを思い出してくれる人が1,000万人いるより、ずっと濃いだろう。

 そして今。ケッコン願望のある友達が、その理由として「全面的に頼れる人が欲しいから」と述べたのに対して、「アナタ男性を『全面的に』頼れるなんて、本当にそう思う?」「…それもそうだわね」
 女性→男性に限らず、男性→女性だって女友達同士だって、全て全面的に何でも頼れる他人なんて、いるわけがない。いや、もちろんいるかもしれないが、基本的にはいないと思ったほうが精神衛生上明らかによろしい。一緒に趣味を楽しむ。仕事の悩みを打ち明け合う。他人とはTPOを使い分けておつきあいするのが、お互い良好な関係を築く秘訣である。
 これからの人生は、やっぱり100人の友達(「1人の恋人」も、別に、いてくれてもいいけど)。死んだら、仕事のお義理の葬列者とかではなく、ワリカンでご飯食べてバカ話して、ある時は悩みを分かち合った友達が、参列してくれればいい。

 「だから、私はあなた達より絶対早く死ぬからね」と断言したら、大学時代の同級生男子一同、「オマエが一番長生きするに決まってるじゃないか」と一笑に付された。
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by miltlumi | 2010-06-08 19:19 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

What can I do for you ?

 入社2年目というのは微妙な年頃である。1年目は右も左もわからず、とにかく上司や先輩の言うことを細大漏らさず聞いて見よう見まね。それでもわけがわからなくなって、あせった新人が課長に向かって「先生!!」と叫び、周りの失笑を買う。よくある光景だった。
 けれども2年目になると、自分の目前だけでなく、半径5mくらい周りが見えてくる。神業に見えていたチューターの一挙手一投足が、自分の射程距離に入る気がしてくる。格段に情報(消化)量が増えたことが嬉しくて、つい知ったかぶりをしたくなり、天の声だと思っていた上司の指示に疑問を持ち始める。

 私もご他聞に漏れず、入社時は「なんて話のわかる人なんだろう」と思っていた配属先の課長について、2年目には「ちがうんじゃないの?」と思うことがまま起こるようになった。それが度重なって「うちの上司は使えない」なんて生意気な不満が頭に渦巻くようになる。
 ある日、業を煮やした私は、カウンターパートにあたる部署のM室長に対して、いかに課長が使えないかを延々と訴えた。M室長は、役員の戦略スタッフ的役割を担う重鎮であるにも関わらず、偉ぶったところが全くなく、彼が怒ったところを見た人は誰もいないというような方。だから私もつい甘えて、上司の文句を打ち明けてしまったのだと思う。
 大きな黒ぶち眼鏡の奥にある優しげな瞳で、いつものようににこにこ微笑みながら私の長話を聞いていた室長は、私の話が一区切りすると、いつものように穏やかな声で一言尋ねた。
「で、What can I do for you?」
 …このストレートな6 wordsのインパクトは今でも忘れられない。この一言で、彼は社会人2年生の私に対して1時間の説教、いやそれ以上に相当する教訓を示唆してくれたのだ。

 自分が直面している問題を単に問題として口にするだけでは、井戸端会議のおばさん達と大差ない。問題提起といえば聞こえがいいが、平たく言えば「文句」もしくは「愚痴」を垂れ流しているに過ぎない。いやしくも「仕事」をする人間は、問題を見つけたらその解決案を考えるべき。他人に話をするのは、解決策を考える際のアドバイスをもらいたいとき、あるいは考えた解決案の評定をしてもらうか、実行にあたっての協力要請をするとき。問題提起は、その解決案とパッケージでなければ単なる時間の無駄である。
 問題を抱える自分の大変さを理解してもらいたいとか、落ち込んだ自分を慰めてもらいたいとかいう感情は、うちに帰って恋人か友達に暴露すればよい。

 その後、M室長は米国子会社に赴任なさった。娘さんの病気治療の医師がその地にいるため、M氏の上司の計らいで赴任期間を延長していたと人づてに聞いたが、そろそろ彼も定年を迎える頃だろう。
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by miltlumi | 2010-05-09 20:39 | 忘れられない言葉 | Comments(0)

無風地帯

 一人旅が好きだ。
 社会人になってから、思い立つと有給休暇をとってどこかに出かけた。といっても2泊3日程度のささやかなもの。旅の友に欠かせないのが日記帳。あの頃、都会に置き去りに出来ない悩みを抱えて、詩仙堂の庭先や竜頭の滝の辺で1・2時間も物思いに耽っては、日記帳にその途中経過をこりこりと書きつけていた。名所旧跡は、人生の選択肢を考えるためのオープンエアの座禅堂みたいなものだった。一つ一つ答えを出そうと必死だった。

 27歳のときの一人旅だった。人っ子ひとりいない湖の畔の草の上にごろりと横になり、初秋の真っ青な空を見上げながら小鳥の声に耳を傾けた時。考えるべき悩みがないのに気付いた。
 あのときの、まるで胸の真ん中にすこーんと洞穴が開いてしまったことを自分の姿を鏡に映して初めて知ったような、唖然とした戸惑いの感覚を今でもよく憶えている。その直前に結婚を決め、もしかすると最後の一人旅になるかもしれなかった。もう少し年をとってからの結婚なら、住宅ローンとかお互いの両親との折り合いとか子供をいつ作るとかいう現実的な悩みはもとより、本当にこの人でよかったのだろうか、という重圧が結婚式の当日まで続いたことだろう。あの頃は若かった。これでいいのだ、このすこーんとした感じこそが「幸せ」というものなんだ、と思った。やっぱり旅行は2人の方が楽しいにちがいない。
 
 2人でたくさん旅行をした挙句、また一人旅をする機会に恵まれた(?)。マウイ島には日記帳の代わりにPCを持っていったが、プールサイドは日差しが強すぎてVAIOの液晶画面がほとんど使い物にならなかった。地中海のマルタ島では、史跡巡りのつもりで手ぶらで出かけた先々でふいに書きたくなり、「地球の歩き方」の「現地最新情報・投稿用紙」に米粒のような字を並べまくった。

 そのあと、またしばらく一人旅の機会を失うことになる。自分なら決して選択しないであろうアジアの島のバケーション。ホテルから程近い、午睡にまどろんでいるようなパサールの鄙びたカフェ。風はない。生ぬるいスプライトをすすりながら、ふと初秋の湖畔を思い出した。
 あのときのように何も考えていない。でも悩むべきことは厳然と存在する。その根源を真横に置いたまま、私は、自分があの頃のように必死に答えを見つけようとしていないことに気付いた。考えても悩んでも、自分では解決できない問題というのが人生にはある。考えても仕方ないから、悩み事は、そっとそのまま椰子の木の下のデッキチェアに乗せて、ぼんやりと眺めているしかない。
 凪のような時間だわ、と思って足を組み替えた時、悩みの元が口を開いた。
 「遠くに行っていたね。」

 来月私は、いよいよ正真正銘の手ぶらでハワイ島に行く。
 
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by miltlumi | 2010-04-25 19:15 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

狩り場への参戦

 男性は女性に「いい人ね」と言われるのが一番ショックだ、というのを聞いたことがある(「人間としてのつきあい」エントリーに書いた、3回目にプレゼントくれたSさん。ごめんなさい)。
 では女性が男性に言われて一番ぐさりと来る言葉は何か。色々な立場の女性がいるから一概には言えないけれど、私の周りにいる「働く女性」が言っていた。「最大に傷つく言葉は、『君は一人で生きていけるだろう』」。

 いつもの話だが、男性が、女性と原始的に番うにあたっての基本的な武器は「食物を調達してくること」。その中身が、太古はマンモス肉だったのが20世紀半ば過ぎから給料袋に変わった。そして1985年の男女雇用機会均等法施行後、自分で給料袋を持ってこられる女性は、ある意味男性の脅威(?)になってしまった。
 女性は、別にオトコの敵になりたくて(あるいはオトコの原始的役割を横取りしたくて)働いているわけではない。アナタたちが合意してくださった男女平等の精神に則って大学進学率向上に貢献してガクモンを修め、アナタたちが築き上げた資本主義原理に基づいて製造された三種の神器によって家事負担を軽減していただき、あるいは同じく製造されたブランド品によって消費意欲を活性化していただいたおかげで、おかげさまで働くことのできる環境が整ってしまっただけなのだ。
 しかも、働いてみると結構面白い(マンモス狩りそのものに目覚めてしまう女性もいれば、仕事の中に干し肉系楽しみを見出す女性もいて、仕事に対する考え方は男性に比べてバラエティーに富んでいる)。同時に、図らずもオトコ達のマンモス狩り、もとい職場で働く現場を目の当たりにして、彼らの狩りのスキルの優劣はもちろん、人間としてのBehaviorまで観察する機会が増えると、どうしたって伴侶を選ぶ判断基準はレベルアップせざるを得ない。段々見る目が肥えて、段々選択肢が狭まって、結果的に踏み切りづらくなる。同じような境遇の女友達と海外旅行に行って買い物三昧して憂さを晴らしてみたりする。

 こうした一連の活動は、あえてそうしたくてしているというよりは、その都度与えられた環境に素直に従ってきた結果なのである。自ら積極的に結婚を拒絶しているわけでは毛頭ない。好き好んで一人で生きてるわけではない。頼りたくても頼れる人がいないから、頑張っているだけなんですけど。それなのに男性は、本能的にこのような女性を脅威に思う心の裏返しなのか、あるいは単細胞にも心の底からそう誤解しているのか、心ない言葉を投げつけるのだ。
「君は一人で生きていけるだろう」と。
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by miltlumi | 2010-04-24 10:47 | マンモス系の生態 | Comments(1)

観覧車とジェットコースター

 河合隼雄先生が、人間の一生を観覧車に例えた内科医の話を披露されていた。
「人間の一生は観覧車に乗るようなもので、ぐるりと一回りしていろいろなものを見て降りる。しかし、それに乗るまではどうだったのか、降りてからどうなるのか…」
(「日本の名随筆 別巻44 養老孟司編 記憶」より)
 観覧車というより、ジェットコースターなのではないかな、と思った。それも、永遠に上りしかないジェットコースター。たまに急降下することもあるが、基本的にはどんどん高いところに上って行く。

 観覧車は、起点があって、てっぺんがあって、そこから下がって起点に戻る。「あれがハイライトだったんだろうか」と、下がり始めて初めて気づく、という意味なら、確かに人生は観覧車かもしれない。でも、最高に展望がよくなった後、下がり始めてまた見える景色が低くなって起点に戻るという、あの感覚が人生の晩年かというと、そうでもないのではないか。
 人生に頂上はない、と思う。社会的地位とか、名声とか名誉とか、あるいは金銭的豊かさとか、そういった類のものは「あの頃はよかった」と言えるその頂点が、人生の途中どこかに確かに存在するかもしれない。南極点に突き刺したユニオンジャックの旗のように、誇らしく、輝かしく。けれど、それは「社会的地位の頂上」であって、必ずしも人生の頂上ではないだろう。
 良きも悪しきも、清濁も明暗も、人生は過ぎゆくままに次々と色んなものを見せてくれる。ジェットコースターがガタガタとレールの上を上がって行くにつれ、多くのものが見えるようになる。「見たくない」とかたくなにぎゅっと目をつぶっていることも可能だが、だからといって見えない場所に留まることはできない。年をとるほどに視界は広くなる一方だ。小さい頃見えていたものが見えなくなったとしても、それは遠くはるか下の方に霞んでしまって見えにくくなるだけ。あるいは、若い頃に初めて見たもの・経験したことへの新鮮な驚きは、年を重ねるにつれて当たり前になってしまって、いつか路傍の石のように目線を投げかけることもしなくなる。だからといって、それがなくなったわけではない。その気になれば、いつだってもう一度見ることができる。自分の視界の中で、薄れていくだけ。

 父親の代からの会社を受け継ぎ、事業を大きくしながらもただ大きくするだけではなくて、暖簾分けのように子会社をMBOさせた経営者が言っていた。
 「人生は、人間として熟成するための修行だ。仕事はその手段に過ぎない」
 であれば、やはり人生はずっと上り続けるジェットコースター。どれだけ色々なものを見て、色々な人に会って、色々な経験をして、人間として高められるか。
 そして最後、彼/彼女が唯一の客だったジェットコースターのスピード次第で、さらに高く、舞い上がる。天へ-。
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by miltlumi | 2010-04-21 20:43 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

アメリカン・ジェントルマンシップ

 ジェントルマンの定義をご存知ですか?
「ジェントルマンとは、なにをしてもジェントルマンである男を言う。」
(塩野七生著「男たちへ」)
「ジェントルマンの定義をすべて満たすような男はジェントルマンではない。」
 (中野香織著「スーツの神話」より。出典不詳だそうです。。。)

 平民の私は、本物のジェントルマンに出会ったことはない(出会ったとしてもそれがホンモノかどうか判断できる能力がない)。でも、本場イギリスはさておき、とある時期にアメリカで出会った二つの経験。

 その1。離婚ほやほやのとき。心の傷を癒すため(?)一人でマウイ島に旅行した。プールサイドはアメリカ人のカップルや家族連れでいっぱいだった。季節はずれだったせいか、オアフ島でなかったせいか、日本人はほとんど見なかった。だから日本人の女性(しかもヒマワリ柄のでっかい浮き輪にしがみついて一人で泳いでいる)はちょっと目立ったかもしれない。
 プールと読書に飽きると、ホテル内の土産物屋さんをつぶさに見学する。自分用に、竹の模様を透かし彫りしたキャンドルスタンドを買い求めた時、店番の男性が聞いた。
 「Are you traveling alone?」
 「Yes. I’ve just divorced.」
 にこやかに答えられた自分に、ちょっと感心してしまった。「これなら大丈夫だ」と思った。そして彼もさらりと続けた。
 「Oh, I’m sorry. My wife died three years ago. You know, this is life.」

 その2。旧姓に戻ったことを社内に知らせた翌日、NYに出張した。同じグループ会社のいつものメンバーに加え、プロジェクトを共同推進する他社の新しいメンバーもいる会議に出席した。「初めてのメンバーもいるから、自己紹介しよう」という呼びかけで、円卓の順に所属と名前を言っていく。私の番になった。
 「Effective from yesterday, I’m back to my maiden name, XXXX.」
 会議に出席している日本人は私一人。離婚が日常茶飯のアメリカ人達の間で一瞬空気が凍った。そして2秒後、グループ会社のAlというひげもじゃの巨漢が立ちあがり、私に向かって大きな手を差し出した。
 「Congratulations!」
 救われたような表情の皆がそれに唱和したとなると、私も思わず右手の親指を立てて笑顔で応えてしまった。会議が終わって二人きりになった時、今度は真剣な表情で、Alが私に尋ねた。
 「Are you OK?

 アメリカ流ジェントルマンの定義。他人の状況や気持ちを慮って、当意即妙にパーソナルな言葉をかけることのできる男性。
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by miltlumi | 2010-04-18 10:26 | マンモス系の生態 | Comments(3)

忘れられない言葉-我が師の恩

 大学の専門課程で師事したH教授は、学部No.2の地位ながらがつがつしたところは皆無で、ロマンスグレイ、温かく包みこむような穏やかな視線、決して語気を荒げることのない紳士だった。勉学不熱心だった私が、卒論の指導教授をH教授にお願いしたのは、真っ当かつ安直な選択だろう。

 なんとなく興味のある領域に関してたまたま読んだ本をそのままテーマに選ぶという、これまた安直なアプローチの中で、唯一真面目に考えたのが本の執筆者へのインタビュー。サラリーマンという枠を超えて「ライフワーク」と呼ぶに相応しいプロジェクトに取り組んだ私企業の一社員である執筆者は、既に第一線を退いておられたが、どうにかその方の自宅の住所と電話番号を突き止め、平日の夜にいきなり電話をかけた。いかにも年配で頑固な感じの声。氏名、大学名と卒論のテーマを説明し、一度会って話を聞かせてほしいとお願いすると、案外すんなりと承諾してくださった。
 ところが、訪問日の前々日の夜、いきなり電話が鳴った。「一日待っていたのに何の連絡もせずにすっぽかすとは何事か。」怒気を抑えた、震えるような声。彼は訪問日時を取り違えて勝手に待ちぼうけをくらっておられたのだ。平身低頭謝りながらもその間違いを控えめに正し、改めて訪問したい意向を伝えたが、一度へそを曲げてしまった年寄りの機嫌は最後まで直らず、そのまま電話を切らざるを得なかった。
 このインタビューがなかったら、卒論は公の文献だけのつまらないものになってしまう。さすがの私も困り果て、H教授のオフィスの扉をたたいた。静かな表情で一部始終を聞いていたH教授は、私が涙ながらに語り終えると、冷静におっしゃった。見知らぬ人に電話でアポイントをとったときは、必ず確認の手紙(当時はまだEメールなど普及していなかった)を出すべきであると。そしておっしゃった。「念のため、彼の電話番号を教えてもらえますか?」

 数日後、H教授に呼び出された私は、「X日X時に会ってくださるそうですから。」という言葉を、信じられない気持で受け取った。H教授は、自らアポイントを取り直してくださったのだ。
 インタビューは成功だった。水羊羹の箱詰めを手に一軒家のドアを開けると、やせぎずで気難しそうな初老の男性が待ち受けていた。最初は緊張したが、話を聞くうちに次々と質問が口をつき、活字にならなかった彼のプロジェクトへの思いをずっしりと受け止めて帰路に着いた。
 興奮冷めやらぬまま、翌日みたびH教授の部屋を訪ねた私は、「今回のことで、社会の厳しさを痛感しました。」と殊勝らしい態度を表した。いつもの穏やかな笑顔でゆったりとしたバリトンの声で発せられたH教授の言葉。
社会が厳しいのではなく、あなたが甘いのですよ

 それから15年余り後のH教授の退官祝賀パーティの席上、立派な社会人となったかつての教え子達がH教授の思い出を3分で語るコーナーで、私の懺悔は最も「受けた」話の一つだったが、当のH教授は「全く憶えてないなあ。」ととぼけておられた。
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by miltlumi | 2010-04-02 23:10 | 忘れられない言葉 | Comments(0)