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目標設定

 目標設定がものすごく苦手だ。最初にその傾向に気付いたのは小学校4年のとき。2学期の初めに、皆で「今学期の目標」を作りましょう、ということになり、画用紙を縦半分に切った短冊形を配られた。え、目標… 頭が真っ白になった。1日の猶予が与えられたが、うちに帰っても朝起きても、達成したいことなど思いも浮かばない。学校に行くと、普段授業ではさえない男の子も「一日一善」なんてかっちょいいことを書いている。苦し紛れに書いた私の短冊を見て、担任の廣井先生は、失望の交じった哀しげな表情を浮かべられた。
そうじをしっかりやる」…我ながらあまりに目線が低い。

 会社に入って2年目、「自己申告書」というものを渡された。過去1年の反省はともかく、向こう1年の目標は勿論、「3~5年後の自分の姿」とそれを実現するための「実行スケジュール(月単位)」まで書かれたフォーマットを見て、目の前がクラクラした。反射的に思いついたのは「半年後にお見合い、1年後に結婚式、3年後に第一子出産」だったが、さすがに会社と関係ないことを書くわけにはいかない。
 別の会社に移って、いわゆる「営業目標」を課された暁には、もうダメだと思った。できるわけがない。数値目標そのものもほぼ実現不可能な大変な大きさだったが、そんな数字をぶら下げられて、場末の競馬レースみたいにふがふがと走り回るなんて、はしたないことできるわけない。

 しかし、この傾向は私だけでなく、多くの女性に共通する。楽しく旅行雑誌の編集をしていた友達が編集長の打診を受けたが、部数目標や売上目標にきゅうきゅうとするのがいやで、あっさり会社を辞めてしまった。今はNGOの仕事をしているらしい。クリエイティブ系の仕事をしていた女性が、会社が小さいために営業もやらざるを得ず、コンペで淡々とプレゼンして受注を重ねるうちにトップセールス賞をとってしまい、営業統括に昇格されそうになった。でも正式にノルマや売上目標を課されるのがいやで、やはり会社を辞めて大学で教鞭をとることにしてしまった。こんな例は枚挙にいとまがない。

 女性は、本能的に「足るを知る」人種なのだ。必ず木の実150個集めなければ、なんて思わない。木の実がなければきのこ採るもん。一方男性は、女性に認めてもらうために(?)無尽蔵にマンモスを狩る。
「次々お目当てのジュエリー(目標か?)見つけて無尽蔵に買い漁る女がいるじゃないか」とおっしゃる殿方、それはマンモス肉を捧げてくれるはずの男性が、マンモス狩りそのものに夢中になっちゃって、肝心の女性をほっぽらかしにするから、「振り向いて!」という合図なんです。あるいは、振り向いてくれない輩に愛想を尽かして、別のマンモス男に秋波を送るための準備。
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by miltlumi | 2010-03-25 23:21 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

時差

 旅行に行くと必ず「ここで暮らすのはどうだろう」と思いを巡らす。風光明媚なところに行くのが普通だから、目的地に着いた途端は「うわあ、空気が甘い。こんな土地でのんびり暮らせたらいいかなあ」と思う。

a0165235_22453046.jpga0165235_2242558.jpgほんの2日間、伊豆高原に行ってきた。今週初めの初夏の陽気のおかげで桜並木の蕾はぷんぷくりんの「ぷんぷく」くらいまでふくらみ、オープンテラスのカフェでコートなしでウグイスの声を楽しめるくらいの穏やかな日和。女友達と一緒に「干し肉ツアー」と称して、タイルモザイクの鍋敷き作りや陶芸体験などを堪能。おかげでかの地に定住(というとまるで登呂遺跡の縄文人みたいで失礼に聞こえるなあ)しているお教室の先生達と色々話ができた。
 いわく。「伊豆は観光で来る人達には親切だけど、東京から引っ越してきた私みたいな者には冷たいわよ。娘も学校で仲間はずれにあっていやになって、高校はオーストラリアに行っちゃったわよ」「主人とは陶芸で知り合ったんです。彼は東京出身。…冬は人が来ないから、夏に備えてテラス作ったり、あ、今外で大工仕事してるぽっちゃりした方が主人。こうやってどうにか耐え忍んでます(笑)」

 ふうむ。いずれも切迫感あふれる貴重なコメント。そもそも2時間のタイルモザイクの体験料が2人で1,600円也。しかもこのあと目地詰めや研磨の作業があり、それを箱詰めにして送ってくれるのだから、彼女の合計労働時間は少なくとも4時間。時給400円!? 陶芸だって、1.5時間で材料費・送料込みで2人で1万円ちょっと払ったけど、今日は気持ちよくろくろ回して形作っただけ。このあと彼女と彼は、私達の名前入れて乾かして釉薬塗って焼いてやすりかけて…。はああ。現実は厳しい。(ところで、「干し肉」とか「日頃の仕事のストレスを忘れてのんびり」とか言ってるわりに、こういうせこい計算をしてしまうこと自体が、既に金融資本主義に心を蝕まれている証拠かもしれない)
 帰りの電車の中、友人と「食費が安いのかなあ」「庭に野菜植えて自給自足?」「ああいう仕事してたらスーツとかパンプス買う必要なくて、ユニクロのTシャツとトレーナーだけでいいからお金かかんないかも」「あとは車のガソリン代か」などと地域経済評論に花を咲かせる。

 夕方自宅に帰ると、海外旅行に行ったわけでもないのに、時差ぼけのようなどんよりした頭の重みを感じる。いきなり携帯電話が鳴って「今度の月曜日、XXさんとXXさんちに行くから一緒に来ない?」というお誘い。友達が近くにいる現実世界。電車で2時間の旅行は、やはり無限大の時差がある異世界だ。
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by miltlumi | 2010-03-18 22:47 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

年賀状の効能

 毎年だいたい2月初めの週末は、新年に受け取った年賀状の整理(お年玉つき年賀はがき抽選発表との突き合わせ及び住所録のUpdate)に充てられる。Eメール・SNS・ブログ・Twitter、これだけ多くのネットメディアが発達したというのに、小さい頃(最初に年賀状を出したのは確か小学校2年生。初回送付リストにあった幼稚園のひつじ組さんのときの担任の先生とは、いまだに年賀状のやりとりをしている)からの習慣というのは恐ろしいものだ。でも今年、年賀状とネットメディアの相互補完作用による新たな効能を体感した。

 効能その1。遡ること去年6月、女友達が大真面目に宣言した。「私、来年から年賀状絶対出す!」 なんでも、婚活成功率と年賀状発送率には相関関係があるという。日頃ご無沙汰している人が女性から年賀状を受け取ると、そこに「彼氏募集中です♡」という一言、もしくは思いっきり可愛く写っている写真がなかったとしても「そういえばこの前飲んだあいつ、彼女に合うかも」みたいに思い出してくれる可能性が(年賀状を出さないより)飛躍的に高まり、そういう面倒見のいい友達が誰かを紹介してくれて、出会いが増え、結果ハッピーエンド♪というのである。
 ほぼ毎年、恥ずかしげもなく自分が映っている写真入りの年賀状を出しているにも関わらず、薄情な友達が多いせいか、上述のようなとんとん拍子な出来事はついぞ起こったことがない。でもまあ、と思いながら、ふと今回はプライベートのメールアドレスを電話番号の下に追加してみた。
 その結果。年賀状の返事を出すのが面倒な(?)ネット野郎(&淑女)複数人からメールが。「年賀状見ました。元気そうだね。今度飲もう」という軽いのり。メールだから日程調整も即完了。かくして新年に入ってセットされた17の飲み会(1対1orグループ、男・女・ミックス問わず)のうち半数近くが年賀状関連。ちなみに、新しい出会いは今のところひとつもない。

 効能その2。年賀状フォーマットは基本的に毎年同じで、先述の自作自演写真の下に、MSゴシック・フォント9の本文10行強。この本文が真剣勝負。いつも会っている遊び友達やもう何年も会っていない学生時代の友達はもちろん、親戚一同や会社の元上司に対してユニバーサルな内容で、コンパクトな近況報告を書くのは結構なチャレンジなのだ。
さらに近年は、誰に求められているわけでもないのに、冬休みの宿題よろしく「新年の抱負」みたいなことを書かねばならないという強迫観念に駆られている。書いたからには実行せねば、年賀状受領者の皆様に顔向けできない。実行できない絵空事を描くのは虚偽申告。Eメールと違って物理的に手元に残る年賀状は、そんなプレッシャーを感じさせる迫力がある。今年は抽象的に「もう少し生産的な活動に入ろう」と思います、と書いた。
元旦から3週間後、このブログを立ち上げた。「ブログが生産的活動と言えるのか?!タダの干し肉行為だろっ」と叱責されるかもしれない。でも私にとってはかなり真面目な手作りビーフ(マンモス?)ジャーキー生産活動なのだ。
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by miltlumi | 2010-02-06 09:30 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

稲盛和夫氏のマンモス道

 稲盛和夫氏がJALのCEOに就任されたことが話題になっている。法的整理に追い詰められた巨艦を立て直すべく、報酬ゼロで重責を担われるその志は素晴らしいと思う。でも。ごめんなさい。私は、どうしても理解できない。なんで好き好んで(あるいはもしかしたら、好んでないかもしれないのに)あんなMission impossibleを引き受けるのか。世界的に功なり名を遂げ、(おそらく)余りある資産を手に入れ、そして何よりも77歳というご高齢で、どうして?
 この疑問を複数の男友達にぶつけたところ、「名声欲しさなんじゃないの?」という声もあれば、「世の中に対するご恩返しでしょう」という意見もあった。いずれにしても、私のように理解不能というコメントは皆無だった。
 でも。名声はとっくに獲得なさっているだろう。ご恩返しといったって、もう少し体力消耗の少ないやり方があるだろう。ではなぜ? 
偏狭な発想からは、どうしても「マンモス」DNAのなせる技、としか思えない。

 稲盛氏は、無名のベンチャーを立ち上げて以来数々の狩り場で活躍され、独自のノウハウを編み出し、多くのマンモスを倒してこられた。今や稲盛マンモスの分け前に与かっている人々((京セラやKDDIグループの従業員さん達)は10万人くらいいるのではないか。稲盛氏自身、もうマンモスなんて必要なはずがない(年をとると脂っこいものは食べたくなくなるし)。
でも、極めてしまった狩りのノウハウの集大成としてのJAL再生。そこにはもうマンモスはいないかもしれない。「これからの世の中、量じゃなくて質、大味なマンモスの肉よりジビエ」とかお客様から言われるかもしれない。でも、だからこそ、自分のこれまでのマンモス経験を全て投入して、未知の課題をクリアするのだっ 例え満身創痍になろうともっ 嗚呼、XY遺伝子の血沸き肉躍る瞬間!? (ごめんなさい、稲盛さん。そんな冗談でJAL再生ができるわけないことはわかってます。わからないけど)
 
 私の干し肉理論に共感してくれている友達からメールが届いた。マンモス系夫から、時の人が書いたものはさぞ面白かろうと稲盛氏執筆の本を手渡された。目次を見ると、「『前向きにマンモスを狩る心構え』『日々の努力がマンモスを射止める』『マンモスがいないときこそ筋トレをしろ』『より巨大なマンモスを求める生き方の極意』みたいな本で、『もう私は全然マンモス狩る気もないし興味もないもんねー』と思った」(メール原文のまま)そうだ。 
 のんびり干し肉干すことに本能的な喜びを見出す私達と、マンモス君達とは、絶対わかりあえない、と割り切ったほうがお互い幸せである。

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by miltlumi | 2010-01-31 14:59 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

アインシュタインと干し肉

 ご存知の方もいらっしゃると思うが、「アインシュタイン150の言葉」という本がある。相対性理論とは必ずしも関係ない(あるものもあるが)彼の発言集の中には、いくつも私のお気に入りのフレーズがあり、しかも読む時々によって「!」と膝を打つ台詞が違っていたりして(つまり、その時々に私自身が直面している様々な問題にRelevantな言葉を、私が無意識のうちに選択している、ということだろう)、いつ読んでも面白い。

 最近、その日本語訳を読みながら、ふと英語の原文に触れたくなった。Amazonで探したら、案の定「Bite-Size Einstein」があって早速購入した。
 読み始めて驚いたのは、原本は150どころか300近い言葉が掲載されていたことだ。
ヒマにあかせて、かつ(一応自分の行動の正当化のために言えば)最近衰えの激しい英語力を少しでも持ち直させるため、これを和訳してみることにした。少なくとも「アインシュタイン150の言葉」で取り上げられている言葉のほうは、自分の和訳の答え合わせもできるし。
 この無目的な試みは、まだ三分の一くらいしか進んでいない。その中から、先の「干し肉理論」に呼応するであろう、そして「アインシュタイン150の言葉」の訳者の選から漏れた言葉をひとつ。

When women are in their homes, they are attached to their furniture. They run round it all day long and are always fussing over it. But when I am with a woman on a journey, I am the only piece of furniture she has available, and she cannot refrain from moving around me all day long and improving something about me. 
(出典:Compiled by Jerry Mayer & John P. Holms “Bite-Size Einstein”, St. Martin’s Press)

「女性はうちにいるときは家具に執心している。彼女らは日がな一日家具の周りを走り回っていつも大騒ぎしている。しかし、女性と一緒に旅行をする時、私が彼女の手元にある唯一の家具ということになってしまい、彼女は日がな一日私の周りを動き回って私のどこかを改善しようとする気持ちを抑えることができない。」

 この場合、インテリアコーディネート=干し肉。
アインシュタインを煩わせているこの女性の最大の失策は、マンモス(狩りをする男性)を干し肉の対象に据える、ということ。ただ、旅行中だけだからまだ許されるのだ。日常生活においても家具と旦那を混同してしまうと、悲劇が始まる。

アインシュタイン150の言葉
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by miltlumi | 2010-01-28 10:44 | アインシュタインの言葉 | Comments(0)

マンモスの干し肉、もしくはパンパース―その7

「その6」を読む~

 21世紀の今日、科学技術や世の中の仕組みが驚くほど発展したために、太古の祖先から脈々と受け継いだ狩りの能力や体力のない女性でも、「マンモス狩り」=食料調達(をするためのお金を稼ぐこと、ひいては金を稼ぐための仕事をすること)を効率よく行うことができるようになった。一方、世の中がだんだん複雑になってきて、単なるマッチョなマンモス狩りノウハウだけでは仕事を全うすることが難しくなり、女性が得意とするパンパース的(口もきけない赤子の気持ちをくむように、お客様のニーズを先回りして丁寧にサービスする、等など)・干し肉的(こつこつと地道な作業を積み重ねる、限られた資源を大切に活用する、等など)ノウハウが求められる場面が多くなってきた。
 しかも資本主義の過度な発展のせいかどうか知らないが、お父さんが狩ってくるマンモスだけでは一家が食べていくのが難しくなり、パンパースと干し肉仕事だけで満足していたお母さんが否応なしに外で働かねばならないという状況も発生してきた。
 かくしてオトコ=マンモス、オンナ=パンパース&干し肉、という単純な共存関係が崩れ、オンナがマンモス狩りに出動することがごく当たり前の現象になってくる。マンモス狩りに夢中になっているうちにパンパースのタイミングを逃したり、そもそもパンパースの大前提となるパートナーさえ見つけられないとか、へたすると狩り場で活躍しすぎて男性陣の目に「オレのマンモスを横取りする憎きライバル」と映って熾烈な殲滅攻撃に合うとか、なんだか本末転倒なことが色々と起こり始める。もちろん、シンプルに結婚して旦那の帰りを待ちながらパンパースと干し肉の生活に留まる人や、無事にマンモス君とゴールインした後に忍耐強くマンモス君にパンパースのノウハウを教え込むことに成功する女性もいる。今や、結婚・未婚、子供あり・なし、働く・働かない、あらゆる順列組み合わせの選択肢が、現代女性の目前には広がっている。

 ただ、いずれにしても、どんな選択肢を取ったとしても、「干し肉」だけはXX遺伝子の最も深いところに根ざした重要な習性なのではないか。たとえマンモス狩りができたとしても、それは後天的に与えられた能力に過ぎない。特に、医学の発達により寿命が延びた現代女性は、生物としての限界ゆえにパンパース期間は限られているものの、出産適齢期を過ぎた後40年近く、つまり人生の半分は干し肉作り専門の季節なのである。これほどの環境が与えられて、干し肉を干さないオンナがいるだろうか。だからこそ思いっきりマンモス狩ってるHが、ど残業のあと徹夜で編み物してしまうのである。

 女性らしい女性にとっては、マンモスは干し肉の代替にはならないのだ。

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by miltlumi | 2010-01-27 16:59 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

マンモスの干し肉、もしくはパンパース―その6

「その5」を読む~

 さて、この「干し肉」を現代に当てはめて考えてみれば答えは見えてくる。そう、週末ランチと称して昼間からワイン片手に5時間もおしゃべりに興じる我々が、仕事の傍らで編み物やビーズ通しや絵描きに夢中になるのは、つまりは「干し肉」の代償行為」なのである。Hが典型だが、彼女は平日の昼間(夜中までだけど)はXY動物に交じって健気にマンモスを狩っている。男性ならそれこそが人生最大の目的であるからにして、夜はがああっと寝るか、マンモス狩りの手柄話を披露するための宴席を設けるか、あるいはマンモス狩りのご褒美として奥様(あるいはそのオルタナティブ)の褥に迎え入れてもらうか、つまりマンモス狩りの「ついで」もしくは「派生的」作業しか残っていないが、Hにしてみると、XX遺伝子が求める「人生の目的」に「取り組んでいる感」が全然ないのだ。だから残業の後でも徹夜で編み物にいそしんでしまうのである。しかも異常と思えるほどに。
 生物学的に見れば、人生最大の目的が子孫繁栄であることは間違いない。が、その目的遂行の顕在性という観点で言うと、女性の方があからさまである。つまり「子供のいる女性」と「子供のいない女性」の区別は、男性に比べてより容易である。というか、そもそも先述のとおり男性が「人生最大の目的」に参画する度合いは女性の比較にならぬほど軽微なわけだから、むしろ男性は「最大の目的」が欠落していて「第二の目的」であるマンモス理論によってのみ制御されていると言っても過言ではなかろう。
 本来なら参画資格十分の女性が、たまたま「人生最大の目的」に参画していない場合(あるいはしたくてもできない場合)、「干し肉理論」に傾倒する度合いが強くなるのもむべなるかな。しかも幸か不幸か、マンモス理論に比べると、干し肉理論の実践手段は格段にそのバリエーションが豊富なのであるから、女性は無限に「干し肉を干す」ことができる。我々3人の例はもとより、「趣味」と言われるもの全て、VERY世代の奥様方のファッション競争やカルチャーセンター通い、今や井戸端代わりの病院の向こうを張っているスポーツジムでのお婆様方の「プール歩き」や皇居周辺の「歩きんぐ」軍団、エトセトラエトセトラ、もう干し肉の代わりになる行動は枚挙にいとまない。
                                                ・・・「その7」(最終回)に続く

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by miltlumi | 2010-01-26 23:29 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

マンモスの干し肉、もしくはパンパース―その5

「その4」を読む~

 さて、次が本題の干し肉理論である。XY動物は上述のようなマンモス理論に基づいて生息していることが明らかになったが、一方XX動物はどうか。同じく上述の通り、女性の最大の役割は子孫繁栄、すなわち妊娠・出産・育児である。これをパンパース理論と言う。ゆりかご理論でも哺乳瓶理論でもいいわけだが、あえてパンパースとするのは、つまり産んだ子供が「おしめがとれる年齢」に至るまでの女性が、特にこの理論の対象者になるという意味である。めでたく子供が成長してしまった女性、もしくは最初からこのフィールドに参戦していない(つまり妊娠・出産・育児の経験のない)女性に適用されるのが、干し肉理論ということになる。
 子供のいない(あるいは子供が成長してしまった)女性は、何も現代に限らず太古の昔も中世でも近代でもいつでもいる。で、彼女達は何をしていたか。マンモス理論に合わせて、太古の昔を例にとると、そう、彼女達は男達が捕ってきたマンモスの干し肉を作っていたのである。
 いつもウサギしか捕ってこられない甲斐性なしの夫が、まれにマンモスを仕留めて得意満面で戻ってくる。洞穴の一族郎党は狂喜乱舞、その日は火を囲んで夜通し宴会。それでもマンモスは一晩で食べきれる量ではない。しかし、マンモス理論に骨の髄まで染まってしまったオトコたちは、マンモスとの格闘で疲れた身体を癒すやいなや、再び荒野にAnotherマンモスを求めて旅立つ。次にいつマンモスが見つかるかは神のみぞ知る。後に残った女は、もしもの場合に備えて、あるいは単に「もったいないから」マンモスの残り肉を割いて焚火にかざして干し肉を作るのだ。しかしこれはこれで忍耐力と注意力を要する仕事(ちょっとよそ見をしているとたちまち黒こげになったり、逆に火を絶やして生干しになったりしてしまう)なので、子育ての片手間でできる作業ではない。おのずとこの役割は乳飲み子を持たない「干し肉世代」の女達の仕事となる。
 マンモス狩りの留守を守る女達の仕事は干し肉作りだけではない。木の実を拾ったり、木の皮や草の筋で衣服を作ったり、「干し肉」作業のバリエーションは無数に存在する。
                                              ・・・「その6」に続く

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by miltlumi | 2010-01-25 09:05 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

マンモスの干し肉、もしくはパンパース―その4

「その3」を読む~
 
 ともかく、人間という動物の存在意義を全うするのに、福岡伸一先生の「アリマキ」理論を引くまでもなく、ほんのわずかな役割しかあてがわれていない男性諸氏は、余った時間で「食べ物の調達」に精を出し、自らの存在意義を少しでも高めようとする。
 その際、いつでもどこでもマンモスが狩れるわけではない。仲間の男達とともに何日も狩り場をかけずりまわった挙句、マンモスどころかキツネ一匹見つけることができず、仕方なしにウサギ3匹くらいをちゃちゃっと仕留めてすごすごと洞穴に戻ってくる。そこでは人間として「重要な任務」に就いている妻が大きなお腹を抱えて待っている。「ふうん。ウサギなんだ」 悪阻で気分の悪い妻は、自分の感情も露わに軽蔑した声でつぶやく。その瞬間、オトコは断崖の下に突き落とされる。「オ、オレって、役立たず…?」 
 このあたりから「手段の目的化」が始まる。つまり、本来の目的である「食料の調達」ではなく、調達してきた食料を見て「喜ぶ女の顔を見る」ことが目的となったり、あるいは獲物が大きいときにより嬉しがった女に触発されて「より大きい獲物を狩る」ことに執心したりするようになるのである。かくしてオトコは今日もマンモス目指して必死の形相で狩りに赴く。 (今日の文章は長いから、この続きは左下の「More」をクリックしてくださいませ。そしてさらに「その5」に続きます)

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by miltlumi | 2010-01-24 11:34 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

マンモスの干し肉、もしくはパンパース―その3

「その2」を読む~

 最近遭遇したこれら二つの事例(1月20日の「その1」、1月21日の「その2」)から、3つの理論が帰納できる。
 まずは「マンモス理論」。太古の昔、人間がホモサピエンスになりたてで、まだ洞窟の中に住んでいた頃。XYの遺伝子を持つオトコたちの仕事はマンモス(もしくはそれに準ずる動物)を狩ることだった。人間といいながら、その祖先である猿にまだ限りなく近かったあの頃、人間の「存在意義」、ちょっと大げさに言えば「人生の目的」ははっきりしていた。自分の子孫を残すこと。その場合、生物学的に子供を孕むことのできるオンナは、人生の目的により近しいというか、直接的に達成可能と言える。一方、子孫繁栄の目的のためにオトコが必要とされる時間は、極論すると3秒くらいでも済むわけで、そのオタマジャクシ注入の動作の結果めでたくオンナが懐妊すれば、少なくともその女性との関係においてのみ言えば、彼女が出産をするまでの10カ月間、オトコは何もすることがなくなる。となると、その間彼女をちゃんと生きながらえさせる手段として、食べ物を調達することが、オトコの重要な役割=人生の目的となったのだった。そして、めでたく女性が出産して子育て期間に入っても、この食料の調達というミッションは彼らのために重要な意味を持つものであるため、男性にとっての「人生の目的」は本来の子孫繁栄のための二義的プライオリティーとしてのマンモス狩りに取って代わられたのである。これを称して「マンモス理論」と(私が勝手に)呼んでいる。

 ちなみに、第一夫人の妊娠・子育て期間中にオトコが他の婦女子を見つけてAnother 3 secondsの動作を試みんとすることは、本来の「人生の目的」に照らして極めて自然なことである(何しろ動物としては子供が多いほど存続の確率が高まるのですから)が、それが子孫繁栄という大義名分の根幹を揺るがす、現代における極めて切実な問題である少子化の原因の一つ(離婚のきっかけ、あるいは女性が結婚を思いとどまるきっかけ、等など)になっている、という事実は、誠に皮肉な話ではあるが、この話はちょっと脇に置いておく。
                                           ・・・「その4」に続く
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by miltlumi | 2010-01-23 14:09 | マンモスの干し肉