タグ:しあわせ ( 12 ) タグの人気記事

紅葉の季節に

同僚に、「最近うつ状態なんで、元気ください」と言われた。
鎌倉の紅葉が遅れててね、という話が口をついて出た。
去年は11月25日でもまだだったから、今年は最高の時に行きたいのだけど、そろそろかなあ。
鎌倉は無理でも、神宮外苑の銀杏並木の黄葉を見に行ったら?と提案してみた。
日曜日に友人が撮った写真は、ちょうど盛りの輝くような黄金色たから。

遅めのランチ、お気に入りのカフェ。サラダプレートに載っているクロワッサン。
「食べないから、手を付ける前に下げてもらえますか?」とお願いすると、
関西訛りのお兄さんは、嵐の櫻井くんより素敵な笑顔でトングとお皿を持ってきた。 
ダイアリーに週末の出来事を書き込んで、ランチを食べ、文庫本を読んで、お水を3杯飲んだ。
コートを羽織ると、櫻井くんもどきがすかさずキャッシャーに向かう。
ゆっくりしていただけましたか?」というプラスアルファの言葉に、
つい「関西の方ですか?」と会話の穂をつないでしまう。
半分くらい葉っぱが散ってしまった欅並木を歩きながら、
また明日も来ようかしら、と浮き浮きしている自分がいる。
彼女も、忙しいだろうけれど、一緒にランチができるといいなあ。

ダイアリーに書き込んだイベントというのは、金土日連続のコーチングセミナー。
2日目の設問は「これまでの人生で一番の、最高に幸せだった瞬間を思い浮かべてください」。
反射的に「おととい」と心の中でつぶやいて、自分でちょっと笑ってしまった。
ちょっと(かなり?)安直な性格なのか、記憶力が悪すぎるのか。

今日の夕方、週末の遅れを取り戻すべくプチ大掃除。
色気も素っ気もない引っ越し用段ボールに詰まっていた「思い出グッズ」を、
フランフランで買った収納ボックスに移した。
日記帳と手紙類がほとんどで、表紙に「国語」と書かれたコクヨのノートに、イラスト画が並ぶ。
間にはさまっているレポート用紙やノートの切れ端には、月日しか書いていない。
西暦何年だったのか推し量ろうと中身を読みながら、
1979年も人生で最高に幸せだったっけ、と思う。

毎年、紅葉の季節はめぐる。
最高にきれいだな、と思う。
でもきっと、来年のほうがもっときれい。
a0165235_18581814.jpg

↑昨年11月25日、鎌倉の獅子舞にて。
[PR]
by miltlumi | 2011-12-05 19:03 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

無駄なこと

 美容院に行った。少し髪を短くようとしたら、もう10年来のつきあいになる美容師さんに言われた。
 「それだとブロウしないといけないから大変じゃない?」
 「え、いつもブラシでブロウはしてるけど。」
 「そうなの? あんなの省略すべき時間の無駄の最たるものじゃない。やらずにすむに越したことないでしょ」
 「うーん、別にヒマだし。ブロウするの、嫌いじゃないけど」
 あんな無駄な作業に朝の貴重な時間を費やすなんて、愚の骨頂、という顔をされた。

 考えてみると、この手の「時間の無駄」みたいな作業が結構好きである。
うちに食洗機がないのは、キッチンが狭いせいもあるが、洗い物が全然苦にならないから。一人の夕飯もできるだけ色んなお皿を登場させてあげようと気配っているし、ホームパーティの後で、友達との会話を思い出しながらたくさんの食器を洗うのは「幸せな時間」 のひとつである。
 最近気に入っているのは、領収書貼り。フリーになると、税務申告のために領収書を税理士さんに出すのだが、1年分をまとめたりすると大変なことになるので、日付け順に、定期的に紙に糊付けしている。これらが皆経費計上されると思うと嬉しい、という実利的な喜びがあるのは事実だが、様々な形をした領収書が、A4の紙に隙間なくきちんと収まったときは、夏休みの工作がきれいに仕上がったみたいな清々しい気分になる。逆に、きれいに貼った後で、ぺらりと1枚昔の日付けのレシートが出てきたりすると、とてもがっかりする。

 普通の人にとっての「時間の無駄」的作業は、フリーになってからとみに増えた気がする。マニキュアをきちんとぬるとか、犬の布団を毎週日干しにするとか、アクロンで洗える洋服はためずにちゃんちゃんと洗濯するとか。今年は久しぶりに梅干しを漬けた。春先に作った金柑のジャムがなくなったので、そろそろ何か仕込まなくてはいけない。いずれも、お金を払えばカンタンに手に入るものだけれど。

 こんなことを色々やっていると、結構忙しい。これ以上仕事が増えたらまずいことになる。それなのに、仕事先の社長から、「そろそろ気持ちを固めて真面目に働け」と言われた。 
 私は、人生に対していたって真面目である。
[PR]
by miltlumi | 2010-06-23 21:57 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

しあわせになる方法-その2

 遅めのランチをとろうとオフィスの外に出た。どこの店に行こうか考えながら、ふと「そうだ、今日は幸せになろう」とつぶやいた。この場合の「幸せ」とは、dean & delucaに行くことを指す(時によって丸ビルのKua Ainaだったり白金のSalvatore Quomoだったりする)。
 dean & delucaのサンドイッチは、ハーフサイズでも400円前後する大変高価なものだが、その分美味しい(同じように高価なマフィンやスコーンは、どういうわけか美味しくないと思う)。今日はニースサラダサンドイッチ。ハーフだとさすがに小さいから「フルでください。」と言う。「フルですか?」と遠慮がちに尋ね返す店員に、にっこり微笑み返す。

 ほぼ確実に幸せになれる店は他にもある。例えばバニラエッセンスの香りが立ち込めている洋菓子店。渋谷駅から東横のれん街を東急文化会館(もうないけど)側に出たところにあるシュークリーム屋さんはピカ一。どうしてもビックカメラに行かねばならないとき(家電量販店がすごく苦手なのだ)、あの香りのおかげでコードレス電話のリチウムイオン電池を選ぶ勇気が湧いてくる。
 それから、フランフランとアフタヌーンティー。幸せを絵に描いたような家にいかにも置いてありそうなリネンや食器やキャンドルスタンドなどがごちゃごちゃと置いてある。フランフランの家具はシンプルでおしゃれに安価なので、一人暮らしを始めたばかりのOLや2人暮らしを始めたばかりみたいな20代のカップルが、真剣に物色している姿を見るのも初々しい。次の予定まで少し時間の空いた夕方の駅ビルなど、アフタヌーンティーを見つけると、もうそれだけで幸せな気分になれる。

 もちろん、こんなささやかなことで幸せになれそうにないくらい落ち込むことはある。予定が一つも入っていない薄曇りの肌寒い週末など、ものすごく不幸せな気分になる。そういうとき、頑張って恵比寿アトレに行く気になれるならば、まだ軽症である。
 1歩も外に出たくないくらい落ち込むときはどうするか。「今日は相当落ち込んでいる」と口に出して、さらにダイアリーに記す。落ち込んでいるときに落ち込んでいないふりはできないから、いっそそれをConfirmするわけ。翌日もまだ落ち込んでいたら、また同じようにする。そうこうするうちに、気付くと落ち込みから脱している。ダイアリーを振り返ると、落ち込んでいる期間はせいぜい3日。新聞や雑誌に、2週間以上続いたら心療内科に行きましょう、と書かれているので、まだ大丈夫だな、と安心する。

 年上の男性が、若い頃は朝起きると「Are you happy?」と自分に尋ねていたけれど、いつの間にかその習慣を止めてしまった、と諦めたふうに言っていた。彼の「幸せ」の基準は何だったんだろう。甘いものは嫌いだったから、せめて煙草の匂いで幸せになれる訓練をしておけばよかったのに。
[PR]
by miltlumi | 2010-05-13 15:19 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

草食系の定義

 TVで「草食系」の若者vs.40代以上の討論番組をやっていた。「草食系」の典型としての振る舞いや考え方として列挙されていたのは;
 ・食べていけるだけの収入があればいい。別に金持ちになりたくない。
 ・役職(出世)に興味がない。
 ・会社が終わるとすぐにうちに帰る。
 ・仕事だけで1日が終わるのはいや。趣味が大切。
 ・「宅飲み」(自分で料理を作ってうちで飲む)が好き。

 …私、全部当てはまるんですけど。自分が草食系だなんて考えたこともなかった。
 でも確かに、「趣味に逃げたりしないで、仕事を楽しめばいい。仕事を楽しくするのは自分自身なんだから、『これでいい』なんて言わないで」とか言う、いかにもベンチャー取締役然としたおばさんの顔を見てたら、ゼッタイ反対側に座りたい、と思った。そりゃあアナタは仕事が楽しいかもしれないけど、楽しくない仕事に就かざるを得ない人だっている。自分の価値観を敷衍して他人に押し付けようとすること自体、どうかと思う。

 「モテなくてもいいし」という若者に対して、「そんなんじゃ子孫残せないでしょ!これまで何代も続いてきたアナタの祖先の血を次代につなぐ義務がある。このまま人口が減ったら、誰が日本を支えるの!?」とわめく作家にいたっては、番組を煽動的に盛り上げるために前もってプロデューサーから拝み倒された「ヤラセ」だと信じたい。
 「学ぶものがあるなら仕事帰りに先輩と飲み会にだって行きます。ただ愚痴きくだけで安くないお金払うなら、うちに帰ってネットで情報収集していたほうがいい。」その通り!最近私は、お友達だって愚痴になりそうな人よりは楽しく盛り上がれる人を優先している。

 「出世とかお金とか、どうして欲がないんでしょう」と司会のアナウンサーが間の抜けたつなぎを入れていたが、我々は(と、既に自分を草食系の一員に位置付けている)、欲がないわけではない。 高度成長期の画一的なお仕着せを「自分の」夢だと信じて頑張った企業戦士たち、及びそうしたオヤジの背中を素直に受け止めて、バブル期に「自分の」夢を追いかけたキャリアウーマンたちが、ステレオタイプ的に欲している物質に対して触手が動かないだけである。
 一番欲しいものは、アストンマーティンでもカルティエのタンクでもなく(と言いながら楽天市場で見たロレックスプレシジョンのアンティークはちょっと欲しかったかも)、「自由な時間」。
 もちろん、出世したい人はすればいい。でもそれが唯一の「正解」ってわけじゃないでしょう。仕事はあくまで収入を得る手段であって、人生の目的がジャズバンドだっていいじゃないですか。「それって逃げてる」って、何から? 

 「草食系」とは、「マンモス狩り」系だけが生きるに値すると狭隘に信じている生き物に対するアンチテーゼなのではないか。そもそも、肉食動物を1000頭養うには草食動物が1万頭くらい必要らしい。どちらが多数派かは明らかである。
[PR]
by miltlumi | 2010-05-07 20:55 | マンモス系の生態 | Comments(2)

両手両足アタマのてっぺん

 GW、女性ばかり5人を拙宅に招いた。全員が揃ったちょうどその時、私の携帯が鳴った。
 「今日何してんの?ヒマならメシでも食わない?」近くに住む男友達からだった。
 「今うちで女6人でパーティー中だけど、来る?」 予想されたことだが、答えはNo thank you。集まったメンバーに話すと、「あら、来ればいいのに」 …来られるもんならね、というP.S.が見え隠れする。男6人に女1人の飲み会というのは珍しくない。なのに逆はほとんど遭遇した試しがない(専業主婦が集うニコタマあたりのテニスクラブ、男コーチを囲んだ平日ランチ、なんていうのはどうか知らないが)。

 両手両足アタマのてっぺんにも花、なんて一度やってみてえよお、とほざく輩に限って、いざとなると怖じ気づく。なぜか。最初に思ったのは、男はCompetitiveだということ。狩りは、獲物が逃げるから、あるいは横恋慕せんとする敵がいるから面白いのであって、上野動物園よろしくシマウマたちが優雅にバケツから草を食む檻の中にアナタ一人でさあどうぞ、と言われても興醒めだろう(あるいは我々が獲物と認知されていないだけか)。
 しかし、宴もたけなわとなるにつれ、そんな複雑な理由でないことに気づいた。ただ単に会話についていけないのだ、絶対。女は男よりコミュニケーション能力が勝っているのは脳生理学で実証済みだが、アルコールが入ると女性はほとんどワープもしくは幽体離脱モードに入る。ノリの同じメンバーだと(今回がまさにそうだった)、誰もそれを不思議にも思わない。話題は話題を呼び、瞬時に1万光年を越え、言葉が肉体を離れて中空を自由に飛び回り、誰が何を言ってんだかワケわからなくなって、6人いれば確実に1テーブル2議題が同時進行でころがっていく。例えば、レスビアンの話からMBAに到達するのに3分かからなかったりする。その実、全員が全ての話題をほぼフォローしている。

 かたや男性は論理的な生き物。三段論法とまでは言わなくても、一定の法則に従って議論が展開されないと居心地が悪い。しかも彼らはCompetitiveな生き物なので、相手が幽体離脱状態とはいえ、他人のロジックについていけないなんてブライドが許さない。頑張って話題をリードしようと足掻いてみるが、5秒後には全然別の(でも女性にとっては極めてナチュラルな流れに基づいた)次の話題に場をさらわれること請け合い。呆然とテーブルを見つめて自らの落ちこぼれぶりに唇を噛む。ましてや、本来自分のほうが追いかける立場にあるはずの、ボクの五体を飾るはずだった当の花々(?)による衆人環視。立場の逆転に耐えきれるはずがない。

 かくして7人目が登場しないパーティーは、ブログではとても公にできないような(って、放送中にモザイクが入るようなのじゃなく、殿方はお聞きにならぬがシアワセであらう、という武士の情け的な)話題で盛り上がり、シャンパン2本とワイン3本半にペリエ2本でお開きとなった。
[PR]
by miltlumi | 2010-05-04 20:27 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

幸せな固定観念

 私は、9歳まで世の中の「お父さん」は皆禿げていると思っていた。父はもちろん、父方・母方の祖父から伯父・叔父に到るまで全員揃いも揃って禿げ(すみません、この言葉、放送禁止用語じゃないですよね)だったせいだ。小学校3年の6月、父の日にちなんで図画工作の時間に描かれたお父さんの絵が黒板にずらーっと並んだ。それを目にした時の驚き。ちびまる子ちゃんの額に縦じまがざざっと降りる時の感じと似ていた。
 固定観念というものは恐ろしい。それまでだって「禿げじゃないお父さん」を目にしていたはずだ。確かに仲良しのなごみちゃんのお父さんは薄かったが、父の上司の神崎さんのおじちゃんはふさふさしていた。でも、そこに勝手なロジック(私より年上の子供がいるお父さんは本当の「お父さん」じゃないとか)を組み立てて、「お父さんは禿げ」という固定観念を粘土遊びの怪獣のようにどっしりと作り上げていたのだ。「クラス全員のお父さん達」という、「父が通うF社社宅に住むお父さん達」に比べればはるかにランダムなクラスターのサンプルの頭髪を見て、初めて私は自分が固定観念に縛られていたことに気付いた。

 これも社宅に住んでいたがゆえの固定観念だが、ものすごい大きなうちに住むお金持ちはTVや小説が作り出したフィクションで、普通は平屋に住んでいるものだと勝手に信じていた。広さも間取りも全く同様の、社宅という戦後日本の資本主義的社会主義の権化のようなシステムはもとより、G社に勤めるりえちゃんち(持ち家)だってますみちゃんち(借家)だってみな6畳間2つが襖で仕切られた程度の平屋だった。5年生のとき、建築技師という非サラリーマンを父に持つ恵里子ちゃんのうちに行って、初めてこの固定観念が打ち砕かれた。お父さんが設計した邸宅は、スイスにあるような急こう配の三角屋根の2階建てで、なんとリビングルーム(お茶の間ではない)が吹き抜けになっていた。ほほお、こういう金持ちは実在するんだ。建築技師になろう、と決心したのはそのときだった。蛇足だが、このような安直で不純な動機に基づいた職業観が色あせるのは早い。小学校の卒業文集に書いた「将来の夢」は「弁護士」だった。

 子供は、世間のしがらみがない分自由奔放な発想をする、というのが世の中のそれこそ固定観念だが、引っ込み思案(?)でごく狭い世界に閉じこもっていた私は、無邪気な固定観念をたくさん持っていた。幸い、そうした思い込みは、バーテンダーがアイスピックでがしがしと氷を砕くように、どんどん小さくなっていった。そして氷が砕ける瞬間の爽快さ=固定観念と気付いた時の解放感が、もしかすると、こんな些細な出来事を思い出すためのパスワードになっているのかもしれない。 
 ちなみに、能天気な固定観念の記憶のおかげで、私は今でも頭髪の薄い男性に対するアレルギーがない。
[PR]
by miltlumi | 2010-04-27 19:50 | 私は私・徒然なるまま | Comments(1)

無風地帯

 一人旅が好きだ。
 社会人になってから、思い立つと有給休暇をとってどこかに出かけた。といっても2泊3日程度のささやかなもの。旅の友に欠かせないのが日記帳。あの頃、都会に置き去りに出来ない悩みを抱えて、詩仙堂の庭先や竜頭の滝の辺で1・2時間も物思いに耽っては、日記帳にその途中経過をこりこりと書きつけていた。名所旧跡は、人生の選択肢を考えるためのオープンエアの座禅堂みたいなものだった。一つ一つ答えを出そうと必死だった。

 27歳のときの一人旅だった。人っ子ひとりいない湖の畔の草の上にごろりと横になり、初秋の真っ青な空を見上げながら小鳥の声に耳を傾けた時。考えるべき悩みがないのに気付いた。
 あのときの、まるで胸の真ん中にすこーんと洞穴が開いてしまったことを自分の姿を鏡に映して初めて知ったような、唖然とした戸惑いの感覚を今でもよく憶えている。その直前に結婚を決め、もしかすると最後の一人旅になるかもしれなかった。もう少し年をとってからの結婚なら、住宅ローンとかお互いの両親との折り合いとか子供をいつ作るとかいう現実的な悩みはもとより、本当にこの人でよかったのだろうか、という重圧が結婚式の当日まで続いたことだろう。あの頃は若かった。これでいいのだ、このすこーんとした感じこそが「幸せ」というものなんだ、と思った。やっぱり旅行は2人の方が楽しいにちがいない。
 
 2人でたくさん旅行をした挙句、また一人旅をする機会に恵まれた(?)。マウイ島には日記帳の代わりにPCを持っていったが、プールサイドは日差しが強すぎてVAIOの液晶画面がほとんど使い物にならなかった。地中海のマルタ島では、史跡巡りのつもりで手ぶらで出かけた先々でふいに書きたくなり、「地球の歩き方」の「現地最新情報・投稿用紙」に米粒のような字を並べまくった。

 そのあと、またしばらく一人旅の機会を失うことになる。自分なら決して選択しないであろうアジアの島のバケーション。ホテルから程近い、午睡にまどろんでいるようなパサールの鄙びたカフェ。風はない。生ぬるいスプライトをすすりながら、ふと初秋の湖畔を思い出した。
 あのときのように何も考えていない。でも悩むべきことは厳然と存在する。その根源を真横に置いたまま、私は、自分があの頃のように必死に答えを見つけようとしていないことに気付いた。考えても悩んでも、自分では解決できない問題というのが人生にはある。考えても仕方ないから、悩み事は、そっとそのまま椰子の木の下のデッキチェアに乗せて、ぼんやりと眺めているしかない。
 凪のような時間だわ、と思って足を組み替えた時、悩みの元が口を開いた。
 「遠くに行っていたね。」

 来月私は、いよいよ正真正銘の手ぶらでハワイ島に行く。
 
[PR]
by miltlumi | 2010-04-25 19:15 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

会社をさぼる

 今年の春は寒い日と暖かい日が交互にやってきたので、お花見の日を前もって決めてしまったおかげで、コートの襟を立てながら桜を見上げた人も多いのではないでしょうか。

 たぶん、満開から桜吹雪が始まった風景を、ほんわか暖かい日差しの下で愛でることのできたベストタイミングは4月6日。すかさず仕事を抜け出して、タクシーで千鳥が渕まで行きました。
 こういうことができるのって、組織に縛られない自由な身の最高の贅沢。

a0165235_1545381.jpg

[PR]
by miltlumi | 2010-04-10 15:52 | フォトアルバム | Comments(0)

三つ子の魂

 ブログねたの発掘のため、昔から書き貯めている紙切れを漁ってみた。会社の昼休みとか旅先のカフェとか、普段の日記帳が手元にないときに書き散らした大小様々な紙切れ(ホテルのFAXヘッドやメモ紙だったり、会社の書類の裏紙やB5ノートの切れ端だったりする)が、クリアホルダーにごそごそと入っているのだ。
 そこで見つけた16年前の文章。驚いたことに、去年5月に書いた内容(未発表)と全く同じテーマ。そのきっかけとなるエピソードも一緒。ずっとエピソードが頭から離れず、書こう書こうと思って、去年ようやく文章にしたつもりだったのだが、16年も昔に既に書いていたとは。つまり私は16年間同じことをぐるぐる思い続けてきたわけだ。進歩がないというか、思考回路が固まっているというか。

 でも考えてみれば、人間の成長は20歳前後をピークに下降線をたどる。社会に出てから知的にも人間的にも大きく成長なさる立派な方もいらっしゃるが、多分、基本的なものの考え方とか価値観はおそらく20歳までに決まってしまう。
 実際のところ、私が16年間反芻してきたそのテーマは、ティーンエイジャーの私が本能的に温めていたことだ。あれから大学を卒業して社会に出て、色々な人の色々な価値観に出会った。「隣の芝生」状態になって、ふやふやだった18歳の価値観は隅のほうに追いやられて、「私もああならなきゃ」とか「もっと頑張らなきゃ」とか思って、他人の敷いたレールの上を走り始めた。そしてある日突然気づいた。どうしてこんなレールの上をがむしゃらに走っているのだろう。
 そのレールのほうが「社会的」には価値があって、衆目に認められる「立派」なものだったかもしれない。でも、気づいてしまった。そのまま走ったほうが、自分自身もある意味楽だったかもしれない。でも、ちがっていた。たくさんの人が「もったいない」と忠告してくれた。でも、決めてしまった。

 大学時代の親友が、あの頃は全然勉強なんかしなかったくせに、新卒で入った会社を辞めて留学して、今やなんと大学で教えている。彼女から、今秋「リーディングカンパニー」という新しい講義を開設する予定なので、私の「リーディングカンパニー」での経験を1時間話してほしい、と頼まれた。相手は大学3年生。21歳。最近は就活が早くスタートするから、彼らはきっともう隣の芝生を穴があくほど観察してすっかり「社会人」モードになっているだろう。
 ねえ、君たち。仕事を選ぶ時、人生の選択肢を選ぶ時、18歳のとき好きだったこと、大切に思っていたことを、忘れないようにしてほしい。それが、私が彼らに伝えたい唯一のメッセージ。
[PR]
by miltlumi | 2010-03-24 10:06 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

結婚の条件

(今日のエントリーは、エリート男性はお読みにならない方がいいかもしれません。刺激が強いかもしれないので。)

 聞いた話だが、とても優秀な大学の男子学生が、自分の大学のサークルでとても可憐な女子短大生と知り合った。彼はその大学を優秀な成績で卒業し、超一流企業に就職し、その女性大生と目出度くゴールインして、玉のような女の赤ちゃんにも恵まれ、めきめきと出世し、そして迎えた40代。年頃になった娘に、妻がこんこんと人生訓を説いているのを耳にした。
 「いい? 男は顔や性格じゃありません。学歴と就職先よ! アナタの彼はW大からM商事内定? よし、いいんじゃない。それで行きなさいっっ」
 娘が自室に引き上げたあと、彼はおそるおそる妻に尋ねた。「あのお、俺と結婚したのは、大学と会社のせい?」 妻は間髪いれず「当たり前でしょ」

 これぞパンパース女性の鑑。ここまで割り切れるものかと、恋愛や結婚に(いまだに)ロマンチックな要素を求めている私としては、脱帽するしかない。恋愛は結婚のプレリュード、結婚は子孫繁栄のための社会保障制度。優秀な子孫を残すには、優秀なDNAと掛け合わせるのが、生物始まって以来の鉄則。マンモス狩りの腕でDNAの優劣を測ることが不可能になった今、女は文部省や駿台・代ゼミ、東京証券取引所その他の公的機関による公開情報に基づいてDNA判定を行う。
 ちなみに、彼と彼女が属していたサークルは、同様なカップルが複数誕生したそうだ。フィーリングカップル5:5(古いね)全員がハッピーエンド、みたいな離れ業ができたのは、短大側があらかじめ厳密にアロケーションを決定したおかげ。1人の男性を2人の女性が奪い合うといった無駄なエネルギー消費を、計画的に回避する彼女らの作戦に再び脱帽。

 でもこの男性、「当たり前でしょ」と言われて、ぐわわわんん…と落ち込んだものの、だからと言っていきなり離婚を決意するわけでもない。発端はともあれ、既に20余年の月日を共にした糟糠の妻(古いね)。パンツも洗ってくれるし、一緒に旅行にも行ってくれる(行き先決定権は妻と娘に握られ、唯一自分が握っている財布のヒモも武装解除されて、毎年ハワイでDuty free shopping三昧されてるそうだが)。へたに離婚なんてしたら、この先の給料も退職金も年金もみーんな半分(+娘分)とってかれて、自分は慣れない手つきでお米なんぞ梳いたりして(最近は無洗米があるか)、みじめったらしい。

 結婚とは、恋愛の終着駅ではなく、単なるGesellschaftの一形態。
 「大学と会社」というシンプルな判断基準しか持たない妻は、天下泰平。
[PR]
by miltlumi | 2010-03-22 23:26 | マンモスの干し肉 | Comments(2)