忘れられない言葉-わかられてたまるか

 中学の国語のS先生は、お茶の水博士が痩せて草食系になったような風貌の方だった。私はS先生がとても好きだった。国語の授業でどんな教材が教科書に載っていたのか、先生の授業の仕方はどんなだったか、もうほとんど記憶にない。けれど、ひとつはっきりと憶えているのは、とある授業中にS先生がこうおっしゃったこと。
「他の誰も俺のことなんかわかっちゃくれない、というやつがいる。そうじゃない。俺のことなど他のやつらにわかられてたまるか、と思ってみろ。」

 人は絶海の孤島でたった一人で生きているのではない以上、他人の目を通した自分を「自分自身」として認識することが多いのではないか。だから、必然的に人は他人との関係に依存したくなる。依存どころか、自分を丸ごとわかってもらいたい、受け止めてもらいたい、という衝動は抑えがたい。
 そして、相手が自分をわかってくれていないと感じたり、うまく受け止めてもらえなかったとき、底なしの絶望感にさいなまれる。そんなことが複数の他人との間で生じると、「誰も俺のことなんかわかっちゃくれない」と拗ねて、世を儚むことになる。「あいつに裏切られた」と相手を恨むことになる。けれどもそうした否定的な感情は、「相手は自分をわかってくれるはず」という期待をこちらが抱いたせいで生じることであり、つまりそれは相手のせいではなく自分のせいなのだ。
 言い換えれば、相手に期待しない限り、裏切られることはありえない。むしろ、「期待するもんか」「俺のことなど他人にそう簡単にわかられてたまるか」と意地を張ってみる。そうすれば、相手がわかってくれなかったからと言って、悲しむ必要は全くない。もしもわかってくれたら、まさに僥倖というもの。自分を理解してくれた相手に対する無限大の感謝と、そのような相手に巡り合えた自分の幸運を手放しで喜べばいい。

 他人にわかってもらえるなんて期待しない、と言い切るのは、人間関係を諦めているようで、ある意味不遜かもしれない。けれど、ティーンエイジャーのケイタイメール三昧やMixi・TWITTER流行り、さらにはGDP世界第2位の国の首相が「絆」などと意味不明にセンチメンタルな言葉を吐く風潮を見るにつけ、表面的なつながりだけで他人とわかりあえた気になっているこの国のコミュニケーションレベルに不安を覚えるのは、私だけだろうか。
 S先生は、こんな21世紀をご覧になることなく、あの言葉を聞いた生徒達が中学を卒業した年の秋に亡くなった。
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# by miltlumi | 2010-02-18 09:56 | 忘れられない言葉 | Comments(0)

手段の目的化

 男性の自慢話をよく耳にする。「XX社とYY社から講演頼まれて忙しくって」「僕の親父は日本で初めてXX事業を立ち上げた草分けで」程度は全然かわいい方である。お祖父さんの代から受け継いだ合気道だか剣道だかが本業で「今の仕事は世をしのぶ仮の姿で… でも会社を黒字にするのも得意ですけど」とか、有名な大企業のサラリーマンが、数年前に社内表彰のなんとか賞をとったので、絶対に「前会長のXXさんは僕のこと憶えてますよ」とか。
 一番のヒットは、初対面の人事コンサル様。還暦に届こうかというキャリアカウンセラーなので、相手の能力を引き出す「聴く&訊く力」にさぞかし長けておられると期待したが、3時間のディナー中、終始一貫自分の経歴自慢に徹し、最後に「これが僕という者ですっ!」…すごくよくわかりました。でも、あなた、私のことわかってくれた?
 中途採用の面接試験なら精一杯キャリア自慢してくれていいけど、ただご飯食べながら会話を楽しみたいだけだから。話を聞かないのは男性の性と諦めるとしても、「すごいですね~」としか相槌のうちようがない話ばかり延々されても…

 一体どういう現象なんだろうと、公私とも経験豊富な年配の男性に聞いてみた。速攻の回答は
「そんなの、求愛行動に決まってるじゃないか
 世界都市東京に生きるオトコたちは、アマゾンの奥地に住むナントカ族のような伝統的求愛踊りは忘却の彼方。もちろん孔雀のようにメスを惹きつける美しい尾羽を持つわけでも、猿山のようにソサエティー全体に周知徹底された序列が決まっているわけでもない。オトコとしての価値・魅力を、公序良俗に反しない形で顕示せねばならない。そう言われてみると、キャリアカウンセラー氏とのディナーはちょっとお見合いセッティングだったかも。

 でも、少なくとも経験の半分以上は、私が光栄にも「女性」と扱われているとは到底思えない、単なる仕事関係の殿方。その証拠に、その後さらに進んだ「求愛行動」は一切ない。よく観察していると、私以外の女性どころか男性に対しても似たような話を開陳している。
 ということはつまり「求愛行動」という手段が目的になってしまったのではないか。特にマンモス度の高い男は、女をGETするために自慢話しているうちに、そのあとに展開されるであろう至福の時に想いを馳せて「パブロフの犬」状態に。もう自慢話するだけでエンドルフィンがぶわぶわ出て気持ちよくなっちゃう。
 獲物もいないのにがんがん自慢しちゃう人達は、明らかに仕事のほうもマンモス系である。そして大概マンモス肉=食事代くらい出してくれる。

 女性陣は「恋愛対象じゃない人にご馳走してもらうのは…」なんて遠慮する必要はない。エンドルフィン出させてあげただけで、彼らは満足なのである。

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# by miltlumi | 2010-02-16 21:34 | マンモス系の生態 | Comments(3)

オリンピック嫌い

 夏と冬、2年ごとにめぐってくるオリンピックは、いつでも私をひるませてしまう。そもそもスポーツはやるのも苦手(小学校のときから一貫して運動音痴)。加えてTV嫌い(大学時代の寮生活でTVがある集会室に足を運んだのは3回くらい、生まれて初めての一人暮らしでは、最初の2年間TVなしでも不自由なかった)。
それでも、プロ野球は「贔屓のチームないの」とにこにこしていればいいし、流行りのTVドラマも「私TV観ないんだ」と言えばまあそれで済んでしまう。
 ところが、オリンピックはそうはいかない。普段は愛国精神なんて死語のはずなのに、オリンピックが始まると皆にわか「日本国民」に早変わり、応援しないと非国民扱いされる。時差も構わずリアルタイムでメダル候補者の決勝戦にかじりつき、翌朝は睡眠不足の目をこすりながら職場で劇的瞬間を反芻しあう。バンクーバーはこの週末に始まったばかりだから職場の光景には遭遇していないが、今日の昼過ぎに行ったスポーツジムのサウナで、私は上村愛子選手が4位だったことを知った。そこで「あら、そうだったんですか?」なんて時差ぼけなコメントをしようものなら、「えっ、まさか、ご覧になってなかったの?」と白い目で見られること必至。

 でも今回、オリンピックを観たくない本当の理由がわかった。トリノや北京のときに比べて時間的・精神的余裕が増えた今回、離れて暮らす母にせっつかれておつきあいで開会式を眺めていたとき。
 選手入場。夫々の国の代表選手たちのエピソードが簡潔に伝えられる。特に開会式当日に仲間を失ったグルジアの選手たちの腕章と笑顔なしの行進。
 カナダの歴史を表現したセッションは、アリューシャン列島から、我々日本人と同じ血を引くエスキモーの祖先がやってくるところから始まる。トーテムポールから、メープルリーフ。英仏による先住民の迫害の歴史を巧みにベールで覆い、「環境に配慮したオリンピック」を印象づける演出。選手入場のときに中央で踊っていた民族衣装の人達は、本当にもう何のわだかまりもないのだろうか。
 そして聖火入場。白い靄の中から現れる車椅子姿。最後の4人が輝く柱に点火したとき、4本目がないことに私は気付かなかいほど、画面にくぎ付けになっていた。

 こうしたプログラム一つ一つが全てドラマティック。最初から最後まで涙が止まらなかった。…そう。オリンピックは、世界の過去・現在・未来が凝縮されていて、多くの人々の人生が切り取られていて、こちら側の心が受け止めきれなくなるのだ。全てを感じとろう、感じたものをもう一度心の中に映しだしてみようとすると、たくさんのエネルギーが必要となって、疲れ果ててしまう。ゆっくり自分のペースで消化するには、2週間のスピードは速すぎる。

 感動するには、エネルギーがいる。だから、自分のエネルギーレベルに自信がないときは、極めて消極的な選択として、「観ない」ということになってしまうのだ。
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# by miltlumi | 2010-02-14 21:51 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)