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ごみ収集車の「オーライ」の声

 近頃わりと規則正しい生活をしている。朝はTVもつけず、東側の窓から射し込むぴかぴかの朝陽を眺めながら朝食をとり、ゆっくり身支度する。TVをつけないから、窓を閉めていても鳥の声が聞こえる。鳥や私以外に、規則正しい人が活動しているのもわかる。
 ごみ収集の清掃員さんたちである。燃えるごみ収集日の水曜と土曜、8時27・28分になると、必ずマンション地下のごみ置き場に入っていく「オーライ、オーライ」という声が聞こえて来る。

 ごみ置き場は24時間365日いつ出してもいいが、夏の間は生ごみが気になって、収集日の朝に出そうと努力した。しようとしたが、ぐずぐずしているうちにいつも「オーライ」が聞こえて来て、「あ、今日も間に合わなかった」と思いつつ時計を見るようになった。じきにごみは前夜に出す作戦に切り替えたが、「オーライ」の声と時間チェックはもう癖である。それがいつも必ず8時27分か28分。
 その時々の道路状況やごみの量で、まちまちになっても当然と思うのだが、電車やバスでもないのに、判で押したように、とはまさにこのこと。すごい、と思う。

 そういえば、一軒家の実家の近所でも、町内会のごみ収集場所のすぐ横の家が「臭い」と言ってごねまくったら、町役場が7時45分に収集車を回す手はずを整えてくれたという。そしてそれが守られる。まれに時間に遅れると、件の家が騒ぐらしい。
 収集ルートをわざわざ変更した上に、ちゃんとその時間に来るとは、なんと律義なことか。本当にすごい、と思う。

 年末に初めて訪れたバンコクで長距離電車に乗ってみた。始発のファランポーン駅を出発したのは7分遅れ。もちろん、「遅れます」のアナウンスもなければ、騒ぎ出す乗客もいない。そして、目指すアユタヤ駅には、なぜか定刻より3分早く到着した。
 帰りがけ、時刻表どおりに上り電車がホームに入ってきたときは、かえってびっくりしてしまった。周りのタイ人は、もちろん誰も騒がなかった。

 日本人の几帳面、丁寧さは今に始まったことではないが、例の「お・も・て・な・し」発言以来、一気に加速したように思う。デフレ経済下で熾烈な競争を強いられる消費者向け商品・サービスはもとより、モンスター〇〇を恐れる役所や学校、2020年に向けて外国人を呼び込まんと英語表記やウォッシュレット設置に奔走する鉄道各社から、道路工事で迂回路案内をする誘導員の方々も。全く以て、すごい、と思う。

 でも一番すごいのは、それを当たり前と思ってしまう日本人である。しかも、世界一の「おもてなし」大国で、俄然日本人が幸せになったか、というと、そうでもない。
 人間は環境適応能力があるので、改善されてもすぐ慣れてしまう。環境改善による幸せは長続きしないのだ。これは心理学でしっかり証明されている事実である。

 慣れないようにするには、変化が大切。
 たとえば、駅構内や電車内での親切なアナウンスを1日いっさい止めてみるとか。
 12月25日は清掃員さんがサンタさんの服を着て、ごみを収集するかわりにどかどか袋を置いていくとか。
 そしたら「当たり前」が「有難い」になって、皆ささやかな幸せを感じられるだろうか。


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by miltlumi | 2017-01-25 21:59 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

永遠の松田聖子

 元旦が日曜日だったせいで、仕事始めと思ったらすぐ成人の日の3連休。昨日からようやく、街も人も通常のペースに戻った感じがする。毎朝同じ時間に同じ場所に通勤する習慣のない私も、仕事外出のためにきちんと身繕いする作業が再開した。
 出掛けない日はノーメイクの顔を鏡に映して、しげしげと覗き込む。一昨年は、新たなしみやしわを見つけるたび「げげっ」と驚いていたのが、昨年からタメ息に変わり、年末には静かな諦めが浮かぶようになっていた。確実に歳はとっていく。
 とはいえ、1月初めはその諦念がちょっと揺らぐ。なぜかといえば、年末に観たTVのせいなのだ。

 子供の頃から全然TVっ子でなく、今でも夜7時のNHKニュース(すみません、飲み会がない限りこの時間うちにいるんです)、週末はそれに続き「ブラタモリ」、「ダーウィンが来た」から大河ドラマの梯子、くらいがせいぜいである。
 それが、年末年始だけは一変。帰省先の母と兄一家の家では、朝から晩まで50インチの大画面いっぱいに、騒がしい色と音とともに、妙に眉の整った男の子たちや個性があるんだかないんだかわからない女の子集団が飛んだり跳ねたりしている。
 「神ってる」というコトバがそこらじゅうで連発されるのも、ピコ太郎のCM露出度がこんなに高いのも、12月30日に初めて目の当たりにした。

 大晦日の夜は、傘寿を越えた母のために紅白歌合戦と決まっている。それでも彼女は小林明子と美川憲一がいないのが不服そうだ。
 紅白どちらの歌もイントロとともに口ずさみ始める甥っ子の横で、私は「ダーウィンが来た」の珍獣を見るのと同じ視線を投げる。ときたま登場する馴染みの顔にも、「TOKIOもおっさんになったなぁ~」といった感想ばかり。

 とそのとき。出た。松田聖子。

 いつものように(って、年1回、紅白のときしか知らないけど)、こめかみの皮膚を思いっきり引っ張り上げるアップのヘアスタイルで、ぴんぴんの肌。まっ白なデコルテ。
 決して誰も、全然まったく気にもしてないとは思うけれど、何を隠そう、松田聖子は私と同い年なのだ。正確には、彼女のほうが1ヶ月年上である。
 それなのに、なんだこの肌は。キレイ過ぎるじゃないか。
 相手は押しも押されぬ歌手、女優。美肌のためなら世界中どこへでも行く(細胞が生まれ変わる28日周期を早めるためのピーリングを、彼女がLAかどっかでやってると聞いたことがある)財力と根性。同い年というだけで、美しくあることが仕事である彼女と、自分を比べるほうが間違っている。

 それでもやっぱり、気になる。「聖子ちゃんカット」が一世を風靡した頃から、クラスメートとともに同い年の対抗意識を燃やした仲(?)である。結婚も出産も離婚も再婚も、とても他人とは思えなかった。その彼女の、経年変化、のなさ。
 画面に近寄って、まじまじと見つめてしまった。
 所属事務所からの厳命なのか、NHKカメラマンの気配り精神なのか、顔を大写しにしたアングルが2秒以上続くことはなかった…ような気がする。

 というわけで、仕事始めの外出にあたり、経年変化と諦念について、さまざまな思いが胸を去来したのであった。


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by miltlumi | 2017-01-11 15:40 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(2)