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秋の日

久しぶりに会った友達に、最近幸せだなあって感じたのはどんなとき?と尋ねたら、
あ、うん、あったあった、と言いながら、顎に手をあてて考え込んでしまった。
視線で促すと、えと、なんだっけなあ、たいしたことじゃないんだけど、というので、
そうだよね、ちょっとしたことだよね、と助け舟を出す。

私なんて、朝起きてすぐテレビつけるのやめて、窓開いて朝ごはん食べてたら、
マンションの植栽の木でたくさん鳥が鳴いてるのが聴こえて、あー幸せって思った。
それが、木を剪定したらね、途端に鳥が来なくなっちゃったの。あれ、巣があったのかも。

そうそう、この前犬と散歩してたら、雉の親子が道渡ってたんだよ。母鳥の後、何羽も。
犬、びっくりしちゃってわんわん吠えるもんだから、
鳥もびっくりしてうわあっと飛び上がっちゃってさ、ちょっと悪いことしたなって思った。

あと、大学時代の先輩たちと行った古民家レストランで、
生牡蠣とかアヒージョとかすっごく美味しくて、
あっちのテーブルでは中近東やロシアがどーしたこーしたって時事問題議論してるのに、
こっちはさっきから美味しいねーって言葉しか発してませんね、って笑い合ったの。

それ以外もなんかあったなあ。忘れちゃったなあ。

お互いしばし沈黙し、それぞれ記憶をたどってみたけれど、
具体的な光景は一向に浮かんでこない。
それでもなんだか、ふんわりあったかな気持ちになった、
そのときの感触だけはちゃんと甦っていて、
差し向かいのふたりの間のテーブルの、その上の空気がほろほろと緩んでいく。

うちに帰って、思い出した。
ベランダに置いた、鉢植えのノボタンが一輪咲いたこと。
年下の女性にメッセージ送ったら、読んでて涙出そうになりました、という返事をもらったこと。

今朝、いつものように自転車で職場に向かっていたら、空が秋たけなわの色で、
耳を切る風が、マッフルを付けたくなる前ぎりぎりの冷たさだった。
昨日の友達にメールしようかな、と思いながら、
いつもより少しだけ頑張って上り坂をこいでいった。
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by miltlumi | 2016-10-27 14:44 | フォトアルバム | Comments(0)

無印編 塞翁が馬

塞翁が馬。禍福はあざなえる縄のごとし、とも言う。

福)真夜中に素晴らしいクローゼット収納改造計画を思いついた。
禍)そのために必要な無印の収納ケース6個をなかなか買いにいけなかった。
福)ミッドタウンから平日2日間限定ポイント10倍キャンペーン(つまり10%引き)のDMが来て、対象店舗に無印が入っていた。
禍)金曜日に勇んで行ったら、対応してくれた店員が新人の中国人女性で、こちらの質問にひとつも答えられなかった。
福)代りにやってきた中国人男性の店員が、イケメンだった。
禍)送料節約のためちゃりで運ぼうと、ケースの四隅を養生してくれるよう頼んだら、二人の中国人の梱包材の使い方がめちゃくちゃだった。
福)見かねて自分でやり始め、彼らと応援に入った日本人女性の3人が3個やる時間で私が3個仕上げた。
禍)さすがに6個は持ち帰れないので、まず3個だけ受け取って駐輪場に向かったが、途中で彼らの梱包がぼろりと落ちた。
禍)しかも3個だけでもとてもちゃりでは運べない大きさであることが発覚した。
福)3個を持って店に戻り、配送依頼をしたら、対応した日本人女性店員の感じがとてもよかった。
福)しかも配送料金が予想よりずっと安い金額だった。
禍)最速の配送日が当日どころか3日後の月曜日で、週末に改造計画を実行しようとしていた予定が狂った。
福)無印のためを思い、日本人女性店員に梱包材の件を指摘したら、とても丁寧な謝罪と的確な対応をしてくれた。
禍)月曜日に配送されてきた段ボールが、雨でぐしゃりと濡れていた。
福)中のケースには影響がなかった。
禍)ケースを見ると心がときめかず、実は今使っている小引き出しのキャビネットをすごく愛していること、無印は無駄な買い物だったことに気づいた。
福)じっくり考え、洋服ではなく鞄を入れる案を思いついてようやく心ときめき、整理コンサルのサンプルケースにしようと”Before”の写真を撮った。
禍)鞄を入れてみたら、全然すっきりせず、しかもケースごと置くと棚がかしいでしまった。
福)再度考え直して、鞄ではなくジーンズ類を入れる案を思いついて、これなら絶対今よりすっきりすると確信した。
禍)心が逸り、早速ジーンズを引っ張り出してケースにいれ始めてから、”Before”の写真を撮り忘れたことに気づいた。
福)期待どおりジーンズがすっきり納まり、せめても、ということで”After”の写真を撮った。
禍)収納整理などしているヒマはなく、仕事をしなければならないことを思い出した。
福)PCに向かったとき、この話を「塞翁が馬」シリーズとして、ブログに書くことを思いついた。
禍)ブログなど書いているヒマはなく、仕事をしなければならないことを思い出した。

…かくして、禍福はあざなえる縄のごとく、延々と続くのであった。
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by miltlumi | 2016-10-19 15:29 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(2)

オトコ脳について考える

 男らしい男性と面と向かっていると、なんだか落ち着かない、不思議な気分になることがある。ここでいう「男らしい」とは、胸板が厚いとかハンマー投げがうまいとかマンモス狩りが得意だとかいうことではない。脳みそが典型的に男、という意味である。

 一緒にいて、ふと会話が途切れ、しばらくお互い黙ったまま、という時間が生じる。恋愛関係にない限り、それも火がついてから3ヶ月以内でない限り、そういう沈黙の間、お互いの瞳をじっと見つめ合う、などというこっ恥ずかしい芸当は出来るものではない。
 それぞれアサッテの方向を向き、相手について、あるいはまったくちがう事柄、たとえば「今日の夕飯のおかず、冷蔵庫に何が入っていたっけ」とか「明日の会議のプレゼン、あのページをやっぱり最後に持って行こう」とか、何やら思索に耽る。…と思っていたのだが、男性の場合そうではない。
 そういうとき男性は、何も考えていないのである。

 男脳女脳の話が巷にあふれ、それぞれの思考の遺伝的なちがいがあれこれと取沙汰されている。その中で、私がいちばん驚いたのは、なんと、男性が休んでいるとき、その脳みそ全体の実に7割が、完全に活動を停止するということ。それに対して女性は、脳みその9割が活動状態にあるそうだ。
 もともと人間は脳みその1割しか使っていない云々の議論があり、「脳みそ全体」とは何を指すかという問題はある。ただ、いずれにしろそれは分母の話。分子だけで見て、男が3に対して女が9、というのは、あまりに顕著な違いである。カンタンに言えば、女性は男性の3倍、モノを考えているのだ。
 あなおそろしや。

 黙したまま語らぬ男性に対して、「今、何考えてるの?」と尋ねたことのある女性は、私だけではないと思う。古今東西、そう問われた男性の答えはたいがい同じである。
 「何も考えてないよ」。
 またまた~。考えてないなんてあり得ないでしょ。何か考えてるに決まってるじゃない。隠しごとでもあるかしら。で、そのあとの女性の思考は二手に分かれる。
 やだこの人、私のこと好きになっちゃったのかしら。なんてって告白しようか悩んでるんだわ(楽観タイプ)。
 やだこの人、私のこと退屈だと思ってるのかしら。席を立つ言い訳を巡らしてるにちがいないわ(悲観タイプ)。
 両方とも、ブー。正解は「本当に何も考えていない」。

 心理学者や脳科学者が証明したこの科学的事実を知って以来、私は楽観主義も悲観主義も捨て去り、ただその表情をじっと眺める。この人は今、正真正銘なんにも考えていないのだ。完全停止している脳みその姿を想像する。
 茫洋としたススキ野原の上をそよぐ風。いかん、葉が動いているではないか。
 低い雲の垂れこめる空の下に広がる砂漠。いずこからラクダが…。いかんいかん。
 常に9割動く女性脳を持った私は、「何も考えてない男性の脳みそ」に関して、どうしても何も考えられない。ちがう。「何も考えられない」と考えているのだから、やっぱり何か考えている。男性脳には、決してなれない。

 ちなみに、このブログは夕飯の支度をしているとき思いついた。ワカメを水に入れてもどしながら次はきゅうりを刻もうと計画し、同時にそういえばあの人からメールの返事が来てないなあと思いつつ、である。その間ずっと頭の中にユーミンの「メトロポリスの片隅で」がBGMで流れていた。


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by miltlumi | 2016-10-10 11:59 | マンモス系の生態 | Comments(2)

新聞の切り抜き

 普段スマホを持ち歩かない(データ専用のは最近ようやく購入したが、外出先でどうしてもメールチェックが必要なときかPCのテザリング用で、毎日鞄に入っているわけではない)私は、いまだに電車の中で新聞を縦四つ折りにしてちまちまと読む。サラリーマンでぎゅうぎゅう詰めの通勤電車に乗ることはめったにないので、さほど近所迷惑にはなっていないと思うが、ばさばさと頁をめくっていると、ちょっと時代錯誤な感じで肩身が狭い。
 さらに前近代的なことに、気になる記事があると、ついその場でびりびりと破いてしまう。あとで切り取ろうと思っていても、読み終わって駅に着いたときに反射的にゴミ箱にポイと捨ててしまうから、気づいたその場でやらねばならないのだ。

 クリアホルダーに差し込んだ(外出の際はたいがいクリアホルダーが鞄に入っている)ぎざぎざの切れ端は、うちに持ち帰ったらきちんとハサミで整えて日付を書く。書かれた内容にインスパイアされてブログを書いたり、取り上げられていた本を図書館で予約したり、そういう具体的な行動をすぐに起こせばいいのだが、なかなかそうはならない。
 記事の内容に対して一言モノ申したい気持ちだけは湧き上がるが、どうもうまく言葉にならない。切り抜いた紙片よりもささやかな、ほんのかすかな思考の切れ端が脳裡をよぎるだけで、はっきりした像を結んでくれない。そういう記事が知らぬ間に増えて、引き出しの中でがさがさと貯まっていく。

 父も、そうやってたくさんの新聞の切り抜きを貯めていた。技術者として半導体やリチウム電池に興味があったのはわかるが、オバマ氏とマケイン氏の大統領選(当時)や「SNSで英語学習」、「麹パワー」等々、種々雑多。セブンの業績好調の理由の「タスポ効果」には線が引かれて「?」とある。
きちんとハサミで切り取って、日付は赤いボールペンで記されている。こういうところは本当に親子似ている。
 緊急入院する3日前の切り抜き記事が「人生のエンディング⑫孤独死」というのは、ちょっと出来過ぎな気がする。父はハサミを動かしながら、まさかそれが最期の切り抜きになろうとは夢にも思わなかっただろう。
 だから、切り抜きの束を7年前の遺品整理の際に見つけたときは、どさっと捨ててしまうことができなかった。かといって全て残すには多すぎたから、最期の1ヶ月分くらいだけ、なんとなく自分のマンションに持ち帰ってきてしまった。
 そしてそのまま、今日に至っている。今、見返してみて、このままとっておくかどうか、少し迷う。

 私が切り抜いた新聞記事は、しばらく引き出しでがさごそしたあと、最終的にはどこかしらにファイリングされる。当然ながら増えて行く一方である。
 電子版にしてEvernoteと連動させれば、こんな原始的な処理をしなくて済むことはわかっているが、スマホさえ使いこなせない身として、そこまでのデジタル化にはとても踏み切れない。いずれにしても、父と違って私の場合、自分自身で読み返さない限り、この紙の束はこの先永遠に誰の目にも触れることはない。

 余談だが、同世代との間で話題になった日経記事のことを、後日8歳年下の男性に話そうとしたら、「日経なんて読んでるのは年寄りだけですよ」とばっさりやられた。


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by miltlumi | 2016-10-03 18:20 | 父の記憶 | Comments(0)