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やみくろの道

  最初は何気なく歩いていた道なのに、近頃はほとんどまったく通らなくなっている道がある。それは、うちから駅に行く路地だったり、公園に行く坂道だったり、あるいはスーパーから帰ってくる道だったりする。
 左に行って右折するか右に行って左折するか、どちらにしてもほとんど同じ距離で、ここに引っ越してきた当初は何気なく「右に行って左折」だったのが、今ではもっぱら「左に行って右折」だとか、そういうささいなちがい。でも、無意識のうちに「右の道はダメだ」ということに感づくときがあるみたいなのだ。一旦感づいたら、もう右に行く道は通れない。自然と足が遠のいてしまう。

 そういう道のことを、ひそかに「やみくろ」と呼んでいる。
 「やみくろ」というのは、村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」に出てくる、地下に生息する邪悪な生き物である。彼らの縄張りに間違って人が近づくと、姿こそ見えね、その邪悪な気配は耳や肌で感じられる。本を読んでいて「やみくろ」の存在を知ったとき、合点がいった。地下鉄や地下道を通っていてなんとなく嫌だな、と感じる場所、あそこには「やみくろ」がいたのだ。やみくろがひそむ場所には、ネガティブな気配が漂っている。
 地上も同じことだ。「右の道はダメだ」と思った、その場所には「やみくろ」がいる。「やみくろ」は、その「場」が持つ負のエネルギーなのだ。散歩好きな友人は、そういうふうに出来れば避けたい道を「気分が盛り下がるから」と表現していた。

 一方で、そこにいると気分が盛り上がるというか、清々とする場所もある。古くからある神社仏閣、大きな木が繁っている並木道。「気」がいい、と思う。そういう場には、ポジティブなエネルギーがあふれている。
 「場」にはそれぞれエネルギーがあって、良きにつけ悪しきにつけ私たちに影響を及ぼしている。普通は気づかないけれど、ふとした拍子に強く感じることがある。それは人間には如何ともし難い自然のパワーだから、へたに逆らってはいけない。建物を新築する際にいまだに行われる地鎮祭は、この「場」のパワーをなだめるための大切な儀式なのだと思う。

 最近は少し落ち着いたようだが、ポケモンGOで大挙して押し寄せる人波に業を煮やした各地の神社仏閣、名所旧跡が禁止令を出した。歩きスマホは危険だから、といった皮相的な話ではない気がする。恐山が、霊場はポケGOに「ふさわしくない場所」と称したように、その「場」が持つパワーとか本来の「意味」みたいなものを無視した振る舞いは、「場」に対する敬意を忘れている。「やみくろ」を怒らせるだけである。

 こういう話を人にすると、その反応はたいがい2つに分かれる。「あー、わかる。そういうの、ゼッタイあるよね」というタイプと、一瞬口をつぐんで、「何わけわかんないこと言っちゃってるの?」という表情を浮かべるタイプ。まあね。「科学的」じゃない、ということはわかっているけれど、ね。
 かくして私は、やみくろと遭遇しないよう、平安時代よろしく「方違え」をしながら毎日を過ごしている。



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by miltlumi | 2016-09-29 10:26 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

正しい葡萄の食べ方

 ネット通販で買い物もしていないのに、宅配便屋さんがやってきた。何かと思ってドアを開け、差し出された箱を覗きこんだら、差出人は仕事関係の方だった。「葡萄ですよ」とお兄さんがわざわざ教えてくれる。わあ、葡萄。いそいそと包みを開けると、大きな実でずっしりぎっしり重いピオーネの房が3つ。わあい、と立て続けに2・3粒、口の中に放り込んだ。

 子供の頃、葡萄といえば薄ぼんやりした海老茶色のデラウェアと決まっていた。ひと粒ずつ枝からむしってちゅっと押えて皮から実だけを吸い込む。大きな口を開けてがぶりとやれば好きなだけ果肉を頬張れる梨やバナナとちがい、あの小ささはあまりに頼りない。両手の親指と人差し指を使って出来る限りの速さで粒をむしっては口に運び…とやっていた。
 ところが隣の兄は、ひと房全部の粒をむしり取ったかと思うと、ざらざらっと一気に口の中に流し込んだ。あっけにとられて眺めていたら、兄はしばらく口をもぐもぐと動かしていたが、ごくりと飲み込んだかと思うと、大口開けてべえっと差し出した舌の上に、平べったい海老茶色の物体が。実だけ吸い取られた皮の塊であった。

 そうなのだ。葡萄は美味しいけれど、あの皮が面倒なのだ。中学くらいからだろうか、マスカットや巨峰が出回り出すと、粒が大きくなったのは嬉しいが、爪の間を紫色に染めていちいち皮をむくのが面倒だし、第一最後にタネをプッと吐き出さないといけない。
 20代後半で赴任したトロントの八百屋さんで「Seedless」と書かれた粒の細長い葡萄を発見したときは感動だった。タネがないだけでなく、皮ごと食べられる。
 野菜も果物も、皮と実の境目のところに一番栄養があるという。葡萄の境目は、実そのものよりほんの少し硬くて、でも甘味と渋味がほどよく調和して、美味しさという点でも絶品。でも指で皮をむくと、どうしてもあの境目の絶妙な部分が皮のほうにくっついていって、あとにはふるふるした薄緑の実しか残らない。
 だから、皮をむく手間もなく、境目ごと丸ごと味わえる北米の葡萄は、最高だった。デラウェアの3倍くらいの大きさのひと房を、ぺろりと一気食べしていた。

 最近の日本の葡萄は、種なし改良こそ進んだものの、皮ごと食べられる品種はまだ少ない。それでも、兄のスーパーな食べ方とトロントでの経験に洗脳されてしまった私は、お行儀の悪いことに、巨峰もピオーネもつい皮ごと口に入れてしまう。口の中で皮と実をくにくにと分けて、舌と上あごと歯を使って例の境目を皮からこそげとり、実と一緒に飲み込む。これぞ、最も正しい葡萄の食べ方である。

 件のピオーネも、そのように口の中でもぐもぐやりながら、不意に気づいた。そもそもこの葡萄、何の理由で彼は私に送ってきたんだろう。お中元や暑中見舞いの季節ではないし、最近何か特別の計らいをした記憶もない。もちろんメッセージカードなど添えられていない。げげ、もしかして、本当は私宛じゃなかったのかも!? 初物のピオーネの実の大きさと甘さへの感動が大きい分、不安が増大する。
 急いでお礼のメールを出したら、「ふるさと納税で葡萄の木を1本持っているので、皆さんに配っています」というお返事。ほっ。
 有難い気持ち新たに、久しぶりに指で丁寧に皮をむいてみた。一番美味しく熟したタイミングで摘み取られた葡萄は、例の薄紫の境目をちゃあんと実のほうに残して、するりとむけた。有難や、旬の味覚。
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by miltlumi | 2016-09-21 17:52 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

正しい葡萄の食べ方

 ネット通販で買い物もしていないのに、宅配便屋さんがやってきた。何かと思ってドアを開け、差し出された箱を覗きこんだら、差出人は仕事関係の方だった。「葡萄ですよ」とお兄さんがわざわざ教えてくれる。わあ、葡萄。いそいそと包みを開けると、大きな実でずっしりぎっしり重いピオーネの房が3つ。わあい、と立て続けに2・3粒、口の中に放り込んだ。

 子供の頃、葡萄といえば薄ぼんやりした海老茶色のデラウェアと決まっていた。ひと粒ずつ枝からむしってちゅっと押えて皮から実だけを吸い込む。大きな口を開けてがぶりとやれば好きなだけ果肉を頬張れる梨やバナナとちがい、あの小ささはあまりに頼りない。両手の親指と人差し指を使って出来る限りの速さで粒をむしっては口に運び…とやっていた。
 ところが隣の兄は、ひと房全部の粒をむしり取ったかと思うと、ざらざらっと一気に口の中に流し込んだ。あっけにとられて眺めていたら、兄はしばらく口をもぐもぐと動かしていたが、ごくりと飲み込んだかと思うと、大口開けてべえっと差し出した舌の上に、平べったい海老茶色の物体が。実だけ吸い取られた皮の塊であった。

 そうなのだ。葡萄は美味しいけれど、あの皮が面倒なのだ。中学くらいからだろうか、マスカットや巨峰が出回り出すと、粒が大きくなったのは嬉しいが、爪の間を紫色に染めていちいち皮をむくのが面倒だし、第一最後にタネをプッと吐き出さないといけない。
 20代後半で赴任したトロントの八百屋さんで「Seedless」と書かれた粒の細長い葡萄を発見したときは感動だった。タネがないだけでなく、皮ごと食べられる。
 野菜も果物も、皮と実の境目のところに一番栄養があるという。葡萄の境目は、実そのものよりほんの少し硬くて、でも甘味と渋味がほどよく調和して、美味しさという点でも絶品。でも指で皮をむくと、どうしてもあの境目の絶妙な部分が皮のほうにくっついていって、あとにはふるふるした薄緑の実しか残らない。
 だから、皮をむく手間もなく、境目ごと丸ごと味わえる北米の葡萄は、最高だった。デラウェアの3倍くらいの大きさのひと房を、ぺろりと一気食べしていた。

 最近の日本の葡萄は、種なし改良こそ進んだものの、皮ごと食べられる品種はまだ少ない。それでも、兄のスーパーな食べ方とトロントでの経験に洗脳されてしまった私は、お行儀の悪いことに、巨峰もピオーネもつい皮ごと口に入れてしまう。口の中で皮と実をくにくにと分けて、舌と上あごと歯を使って例の境目を皮からこそげとり、実と一緒に飲み込む。これぞ、最も正しい葡萄の食べ方である。

 件のピオーネも、そのように口の中でもぐもぐやりながら、不意に気づいた。そもそもこの葡萄、何の理由で彼は私に送ってきたんだろう。お中元や暑中見舞いの季節ではないし、最近何か特別の計らいをした記憶もない。もちろんメッセージカードなど添えられていない。げげ、もしかして、本当は私宛じゃなかったのかも!? 初物のピオーネの実の大きさと甘さへの感動が大きい分、不安が増大する。
 急いでお礼のメールを出したら、「ふるさと納税で葡萄の木を1本持っているので、皆さんに配っています」というお返事。ほっ。
 有難い気持ち新たに、久しぶりに指で丁寧に皮をむいてみた。一番美味しく熟したタイミングで摘み取られた葡萄は、例の薄紫の境目をちゃあんと実のほうに残して、するりとむけた。有難や、旬の味覚。
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by miltlumi | 2016-09-21 17:52 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

自分へのご褒美

 先週後半から今週にかけて、ちょっと時間のかかる仕事に没頭した。日頃はいろんな仕事を支離滅裂にやっているので、のべ何十時間も要するひとつの課題に連日取り組むのは、なかなか新鮮である。考えてみれば、会社員時代も、おんなじ業務を1日中やり続けるなんてめったになかった。
 このようなハードワークには、当然ながら「自分へのご褒美」がつきものである。途中、ちょいと用事で仕事中断して日本橋に行ったついでに、三越でケーキを買う。ずらり名店が並ぶデパ地下でケーキを1個だけ選ぶのは至難の業だ。2個3個買えばいいかというと、それでは「ご褒美」の有難味が薄れる。
 うちに帰ると、仕事を再開する前に先にご褒美を食べてしまった。今夜はもう頑張るしかない。

 …というわけで、トイレにも立たずべったり机に向かうこと3時間42分。気づけば午前様である。やればできるものだ。いやあ、プチ達成感。さすが、BEL AMERのチョコモンブランは効果絶大。
 やっぱり、仕事の後は(も)ご褒美でしょ。しかしケーキはもうない。まあ夜中に食べると胃にもたれるし。代りに、疲れた身体と脳みそを和ませてくれる何か、が欲しい。普通の人なら、頭のクールダウンも兼ねて、お気に入りの音楽を聴いたりゆっくりお風呂に入ったり、ぼんやり画集を眺めたりするのだろう。

 私も、つい好きな趣味に走った。それは、クローゼットの整理収納。…ん!?

 整理整頓が何より好きな私は、日頃からヒマさえあれば引き出し整理をしていて、収納スペースの秩序はほぼ完璧である。なのに、というから、だからこそ、こともあろうに夜も真夜中、余白の美を体現しているクローゼット内の有効利用について、検討を始めてしまったのである。

 そもそも引き出し1つ、ガラ空きじゃん。靴下類が引き出し3つに分散してるのは非効率じゃないか。たたんで縦置きした衣類の高さが引き出しの深さの半分ってことは、ここにデッドスペースがある。
 やおら物差しを取り出し、無印良品サイトとセシールのカタログを見比べながら、最適な引き出しの組み合わせを考える。
 でも、そうやってスペースセーブして捻出した空間を、何に使うのか。う~ん。別室のタンスの中のオフシーズンの服をこちらに集結させれば、衣替えの必要がなくなる。じゃあ、タンスに空いたスペースは。えっと、えっと。
 整理し直す必要のないものを整理しようとしているのだから、ただでさえ疲れている脳みそは堂々巡りするばかり。でもなんだかアル中患者のように、ぐらぐらするアタマの重さが妙に快感で、もうやめられないとまらない。
 ようやくベストな計画が結論づけられたところで、午前2時。まずい、まだ仕事は道半ばだった。明日(今日か)も朝から頑張らねば。

 というわけで、頑張って仕上げた仕事を無事提出し、うきうきと無印良品のお店に向かったのである。帰りがけ、スーパーで久しぶりに夕飯の食材を見繕った後、入口に置かれた鉢植えも買った。
 ベランダに新入りとして加わった深紫のノボタン。鰤カマの塩焼きに秋茄子の煮浸し、ピーマンとしめじの和え物と若芽のお味噌汁。そしてクローゼット収納。会社員時代、ご褒美といえばうん万円の洋服や靴だった身としては、ささやかなものである。


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by miltlumi | 2016-09-15 13:08 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(2)

包丁を持って街に出る

 毎年夏と冬、友達がオフィスにしている瀟洒なマンションでホームパーティちっくな飲み会が開催される。業種も年齢も様々な男女が20人近く集まるが、食材買い出しとテーブルセッティング係はいつもオフィスの所有者であるA氏と私、と決まっている。

 グルメで凝り性のA氏は、銀座三越の鮮魚売り場で立ち止まり、「これうっすーく切ってさ、オリーブオイルとトリュフフレーバーの塩かけると、ワインにすっげー合うんだよなあ」と言いながら、鯛やヒラメのお刺身を必ず柵で買う。うっすーく切るのは、当然のように私の役割である。
 グルメでも凝り性でもないけれど几帳面な私は、うっすーく切るには切れ味に問題のあるオフィス常備の文化包丁に少なからぬ不安を抱く。あれじゃあ、うっすーいどころか、ごしごしやって身がもろもろになって「でんぶ」になっちゃうじゃないか。一度A氏にさり気なく研ぎ器の購入をほのめかしたら、次に行ったとき、カエルの口の部分が刃になっているなんちゃって研ぎ器が冷蔵庫の扉にへばりついていた。これかよ。

 この夏のパーティ。いよいよ私は考えた。うちから包丁を持参すべきか。拙宅にも刺身包丁などマニアックなものはないが、トマトがすぱっと切れなくならないうちに、常日頃から包丁研ぎは欠かさない。
 銀座に出掛ける前、そのヘンケルの特大包丁を手に取ってみる。ずっしりと重い。

 話は飛ぶようだが、昔トロントに住んでいた頃、NY赴任中の友達と、シカゴに留学してきた友達の下宿に集合したことがある。引っ越したばかりで家具の組み立ても済んでいない彼女のため、NYの彼は、わざわざ大工仕事を請け負った。しかしその親切が、ちょっとした事件を引き起こした。
 ラガーディア空港の国内便セキュリティーチェックで、手荷物をスキャンするX線写真に、はっきりとカナヅチの影が映ったのだ。
 「これは、何だ?」
 タフそうな検査官の質問に、何ら後ろ暗いところのない彼は、胸を張って答えた。
 「ハンマーだ」
 「一体、何に使うんだ?」
 「家具を組み立てるんだ」
 No, No, No. 議論の余地なく、その凶器予備軍は取り上げられ、チェックインラゲッジとして彼の手元から隔離されたのである。あったりまえでしょーが。
 まだ9・11が起こるずっと前。別室にしょぴかれなかっただけめっけもんだ。

 あれから20余年。東京の街中でも物騒な事件が起きる昨今。銀座のスクランブル交差点でつい転んじゃって、その拍子に鞄からぽろりと出刃包丁が飛び出したら…。やばいだろうな、やっぱり。
 日本人にしては色が浅黒く、彫りの深い顔立ちをしていたNYの彼を思い出す。彼とちがい私は善良な大和撫子…に見えるかどうか。やはり出刃包丁をしのばせて街をうろつくのはマズかろう。包丁差しにしまおうとして、ほとんど使ったことのない刃渡り10㎝ほどの果物ナイフが目に入る。これなら大丈夫か。

 銀座のデパート入口に幸いセキュリティーチェックは設置されておらず、人混みで転ぶこともなく、無事A氏のキッチンにたどり着いたナイフで、渾身の鯛のカルパッチョを作った。ついでに気持ちよくフランスパンを切っていたら、A氏が「そんなもん使ってないで、ほらこれ。最近買ったんだ」とピカピカのパン切り包丁を差し出した。
 そんなもん買うヒマあるならぁ、あああっ。…とは言わず、にっこり受け取った。


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by miltlumi | 2016-09-09 00:28 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(4)

日曜日の夕方に

 日曜日だというのにちょっと仕事をしていたら、夕方になってしまった。昨日DMが来たパワーストーンのお店の閉店セールに行くには中途半端な時間だし、近くのカフェで一息いれようにも既にコーヒーはめいっぱい飲んでしまった。仕事をしたご褒美にケーキを買いたいが、昨日「プラチナドンキ」でチョコとアイスとブラウニーを仕入れてしまったので、これ以上の追加購入は控えねばならない。
 第一、今更着替えて化粧をする気にもなれない。とりあえず最低限アイライナーと口紅だけぬって、バリで買った下駄(正確には木製ヒールのサンダルだが、歩くとカランコロンと思いっきり下駄の音がする)をつっかけて、ふらりと外に出る。

 あてもなく大通りをぶらぶら歩く。前方には、キャスターケースを2つ両手でがらがらと引っ張っていく人がいる。もっと大きなスーツケースひとつにまとめればよいものを、なんとなく不思議な光景である。
 赤信号で立ち止まり、ふと気が変わって、道を渡らずそのまま左折する。知らぬ間に出来たハワイアングッズのお店を覗いたり、歩道脇に生えているトロピカルっぽい木の葉を触ったりしながら、次の交差点まで行く。
 今度はどちらに曲がろうか思案していたら、さっきのキャスターケースの人が隣に並んだ。いつの間に追い越したのだろう。ふと視線を向けようとしたら、あちらから声をかけてきた。
 「エキ、ドッチデスカ?」
 外人だ。思わず「You mean the subway station?」と英語が口をついて出る。ガイジンのカタコト日本語よりは、私の英語のほうがマシである。
 -そう、地下鉄。
 -この道をまっすぐ、それから左。私も駅の近くのスーパー行くから、一緒に行きましょう。
 買い物は今朝済ませたばかりなのに。その時点で、あてのない散歩にピリオドが打たれる。聞けば、住んでいる鵠沼に帰るのだという。
 -私の高校の近くね。 
 -高校の名前は? 
 -湘南High school。
 -ああ、聞いたことあるよ。
 嬉しくなって、日本人相手だったら決して訊かないであろうのに、ついWhat are you doing?と訊いてしまう。「I’m musician.」「Wow!」
 -何の楽器? 
 -ギター。
 -どんな種類の音楽? 
 -いろいろ。主にロック。
 -ギターケースがないけど? 
 -別送したから。
 -ああ、じゃ、この近くでライブやってたの? 
 -そう。明日からアメリカに行って、ツアーなんだ。サンフランシスコ、シカゴ、ニューヨーク…。
 ロックに興味のない私は、アメリカの都市の名前を聞いてセドナのことを思い出す。
 -じゃあ、セドナに行ったことある? 一度行ってみたいの。 
 -あるよ。すごくいいところだよ。
 -どの季節がいいかしら。
 -冬はけっこう寒くなるから、来月あたりかな。ところで、英語、上手だね。 
 -トロントに住んでたから。だから私の英語はカナダ訛りなの。
 -そんなことないよ。

 ようやくメトロのマークが見えるところまで来る。彼は右手をキャリーケースから離して、すいっと差し出す。別れ際は典型的なアメリカンスタイルだ。
 「Thank you very much.」
 「My pleasure. Have a safe trip.」

 別れたあと、スーパーに入ってレジの横にある料理の本を眺めながら、ふと気づく。全米の大都市をいくつもツアーで回るって、もしかして有名なミュージシャンだったのかも。あのときセドナの話なんてせず、名前を訊くべきだったか。でもロックバンドの名前なんて言われてもわからないし。まあ、ライブのあとに一人で大荷物抱えてえっちらおっちら電車で帰るってことは、そんな有名でもないのかも。
 手ぶらでスーパーを出ると、あたりはもう夕闇が迫っていた。秋も間近、見知らぬガイジンとの10分弱は、パワーストーンよりカフェよりケーキより、いい時間だった。


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by miltlumi | 2016-09-04 21:39 | 私は私・徒然なるまま | Comments(2)

NGな8月

 昨日、区立図書館に行ったら、子供向け本のコーナーが賑わっていた。夏休み最後の日であることに、そこで気づいた。長かった夏休み。楽しかった思い出。…というほっこりした気持ちには、私の場合、残念ながらつながらない。

 もともと8月は好きではない。小さい頃は学校が大好きで、友達と会えない夏休みなんて全然面白くなかった。高1の夏休みはほとんど毎日学校に通うことができたが、それは運動音痴で泳げない生徒向けの25mクロール・平泳ぎ(体育の単位取得に必須だったのだ)特訓補講のためだった。大学1年もやっぱり毎日のようにキャンパスにある「計算機センター」に通って、今度は数学の単位をとるべくフォートランのプログラム(パンチカードの読み取り式!)を走らせた。
 体育や数学から解放され、社会人になり、結婚してからも、やはり泳ぎは不得意だし、砂塵の舞い飛ぶ海水浴場はハードコンタクトレンズ着用者にとって拷問以外の何物でもなく、バケーションはもっぱら秋、と決め込んでいた。

 8月が決定的に嫌いになったのは、長らくの結婚生活にピリオドを打つ事件が終戦記念日に勃発してからだ。お盆に終戦、加えて個人的敗戦にむけた開戦(?)記念日。あの日を、心穏やかに過ごせる(というより「今日は15日だ」と意識せずスルーできる)ようになったのは、ここ数年のことだ。
 去年の8月、別の出来事が起きたとき、算命学をよくする友人に見てもらったところ、「アナタ、今の時期はへたに動かないほうがいいですよ」と言われた。日繰りの「天中殺表」を作っていただいて、毎日それとにらめっこしながら行動の可否を判断した。

 そして今年8月。新たな開戦の火ぶたを切るような事件は幸い起きなかったが、なんとなく毎日がブルーである。東京は猛暑日・熱帯夜が少なくてしのぎやすいはずなのに、どうもエネルギーレベルが下がっている。
 たまたま例の算命学の友人と会ってそういう話をしたら、あっさり言われた。
 「Miltlumiさんは8月はだめな月なんですよ」
 あれは、去年に限ったことではなかったのだ。8月嫌いは、持って生まれた運命だったのだ。考えてみれば、上述の2つの事件に限らず、10代最後の失恋も8月だったし、アレもコレもソレも…。14年間、誰よりも何よりも私の心の支えになっていた最愛の犬を亡くしたのも8月だ。
 8月は、ダメなのだ。
 そう思ったら、かえってすごく気が楽になった。

 図書館で宿題に追われる小学生を尻目に短編小説を2冊借りた後、友達のうちに行ってさんざんおしゃべりをして、イタリアンレストランでサマートリュフをたっぷりかけたタヤリンをいただいた。
 8月とは思えない涼しい夕風の吹く中、ちゃりをこぎながら、あと数時間で8月が終わってくれることをしみじみ嬉しく思った。

 というわけで、今日。9月1日。September。新しい季節が始まる。心も衣替えして、しばらくご無沙汰だったブログもちゃんと書こうと思う。


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by miltlumi | 2016-09-01 11:27 | 私は私・徒然なるまま | Comments(2)