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コメさえあれば

 以前、うちの中に食材が何もないときどうするか、という主婦的重要課題について友人と語り合っていたとき、彼女が名言を吐いた。
 「コメさえあれば何とかなる!」
 すごい。そうなのだ。食材が「何もない」と言ったって、本当に全然まったくなんにもない、ということは実際にはあまりあり得ない。たいがい、少なくとも米びつには何がしかの米粒は残っている。さらに言えば、冷凍庫には、かちかちに凍って霜まみれになったミックスベジタブルやラップで包んだツナ缶の残り。乾物の引き出しには、封を切って茶色くなってしまった切り干し大根やぽきぽきと折れてしまった春雨。
 コメさえあれば、そうした食材の切れ端と炊いたご飯を一緒に炒めて塩コショウを振り、あるいはお湯を沸かしたお鍋にまとめて放り込んで味噌醤油で味付け、なんちゃってチャーハンでもお雑炊でも、とにもかくにもどうにか主食兼副菜を作ることができる。
 コメさえあれば、ニッポン人の生きるエネルギーは確保できるのである。
 
 最近、冷蔵庫の中にはふんだんに食材があり、コメもパンもパスタもなんでもござれというキッチン環境であるにも関わらず、この言葉の有難味を深く味わう機会があった。ただし、「コメ」の代わりに置き換わった言葉は「自分」。つまり;
 「自分さえあれば何とかなる!」

 一生懸命やっていたことが全然報われないどころか、タダの無駄骨に終わった。結構いい線いってるんじゃない?とひそかに悦に入っていたものが、他人から一蹴された。がっくりぐりこ(死語だね)である。ったくもう、いい歳して何やってんだか、と思わず舌打ちしてしまう。
 あらゆる知識と経験を使い果たしてやったことが水泡に帰してしまった以上、もうネタ切れ、リソース払底である。煮るモノも焼くものももう残ってません。全面的に兵糧尽きました。空腹を抱えて布団をひっかぶってふて寝したくなる。
 しかし、寝て起きたら、頭の中は新たな発想がぎっしり、すべてがバラ色に変わっていた、などという夢物語を期待するほどウブではない。ベッドで仰向けになって天井を睨みながら、結局は自分でなんとかしないといけないんだよね、と気づいた。
 そこで思い浮かんだのが、彼女の言葉だった。
 コメ、改め、自分、さえあれば何とかなる!

 彼女は、とても優しくて楽天的な人だった。人の気持ちに敏感で、私が人知れず落ち込んでいるといつも明るく声をかけてくれた。置かれた環境に抗うことなく、その中でどうにかうまくやっていこうという気概を持っていた。
 コメさえあれば、という彼女は、自分のまわりで使えるリソースがどんなに枯渇しても、ネタ切れになっても、とにかく自分で自分自身をエネルギー源にして、果敢にアクションをとっていた。
 食の多様化が進む今、ニッポン人の台所には必ずコメがある、とは言い切れなくなってきているものの、少なくとも自分には必ず「自分」がある。自分自身が最大のリソースである。  


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by miltlumi | 2016-07-31 22:05 | 私は私・徒然なるまま | Comments(4)

本物の本の匂い

 図書館で借りた本が、殊の外充実した内容だったので、いつものように読んだ後で楽天ブックスで注文した。10時49分に注文して外出し、19時前に帰宅したときにはもう郵便ポストに入っていた。すごい。
 ぷりりり…っとオープナーを引っ張って本を取り出し、ぱらぱらっとめくろうとしたら、
まるで製本所から出てきたばかりのように、ページの紙どうしがくっついている。ページをほぐすと、ついそこに鼻をうずめてしまった。

 以前にもブログに書いたが、本にはそれぞれ独特の匂いがある。長らく本棚の片隅で蹲っていた本の、かび臭い匂いではなく、本を物理的に構成している紙とインクの香り。最近は、インクの質がよくなったせいなのか何なのか、本を開いた瞬間に立ち昇る独特の匂いに気づくことが、ほとんどなかった。
 それなのに、いかにも出来立て、という風合いの本を手にした途端、匂いに対するセンサーのスイッチが勝手にオンになって、勝手に顔が動いた。

 期待どおり、新品の本の匂いがした。胡麻と黄粉をかけたブランのシリアルみたいな、穀物っぽい匂い。最後のページを見ると、大日本印刷。たしか、友人が好きだと言っていた新潮文庫も、あのとき確認したら大日本印刷だった気がする。
 テーブルの上にあった別の本をくんくんしてみたら、微妙にちがう匂いがする。こちらは、まだ熟れていないアンデスメロンのように、少し甘さが混じる。凸版印刷だった。なるほど。
 探究心に火がついて、最近買った、今年の版の本に次々鼻を突っ込んで、くんくんしてみる。いずれもほとんど何の匂いもしない。裏表紙に並ぶのは、萩原印刷。株式会社シナノ。中央精版印刷。みんな、知らない名前だ。

 家電メーカーに勤めていた頃、知的財産を守る部署の手練れの部長がどうやって「ニセモノ」を見分けるのか、その秘訣を人づてに聞いたことがある。税関で差し止められたニセモノ疑惑のVHSデッキとかに思いっきり鼻を近づけて、その部長さんは深―く深呼吸する、というのである。
  「ニセモノは、ニオイがちがうんです」
 ぎゃははっ。うっそ~。ただのギャグでしょ。…と皆で大笑いしたが、そうではない。怪しげな工場で製造された製品は、どんなに外見が似ていても、使っている糊(というかボンド?)の匂いが、ホンモノとちがう、のだという。その糊の匂いをかぎ分けるのだ。

 幸い書籍は、ホンモノとかニセモノとかを見分ける必要はない。著作権侵害しているかどうかは匂いを嗅がなくてもわかる。であれば、あの匂いの違いって…。
 もしかして大手の印刷会社はサブリミナル効果を狙って、独特の匂いのするオリジナルインクを使っているのだろうか。匂いの成分は、門外不出の知的財産として超極秘の企業秘密。頁をめくるうち知らず知らず匂いの虜となって、どんどんその匂いのする本が読みたくなる…?
 印刷会社を確かめてから本を買う人は、まず皆無だろうけれど。


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by miltlumi | 2016-07-26 21:33 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

正しい選択をすること

 映画館で映画を見るときの最大の欠点は、思い切り泣けないことだ。しかも今回の観客はちょっとやそっとでは心を動かされない強者揃いなのか、ここは泣くしかないでしょ、という極めつけの場面でも、ハンカチを探る音も鼻を啜る音も聞こえて来ない。仕方なく、流れ出るものをティッシュで堰き止め、マスカラが落ちないように慎重に押さえる。
 ラスト10分くらいは、もう怒涛の感動。いつもならエレベーターが混むのを避けてクレジットが流れ出す前に席を立つのが、そのままぼぉっと座ったまま。劇場から出たあとも、広場のベンチでしばし余韻に浸ってしまった。
 一夜明けて、ようやく公式サイトにアクセスして(映画を観に行く前に見ないようにしているのだ)この映画の感動ポイントをおさらいしてみて、初めて自分自身の視点がどこにあったのか、に気づいた。

 一言で言ってしまえば、「選択」の物語である。トニーかジムか。故郷か新天地か。あるいは将来を保証された裕福な安定か荒野を切り拓くリスクテイクか。いずれかの選択を選んだ明らかな理由、というよりは自分の背中を押した決定的なきっかけ、後ろ髪を引っ張ろうとする良心、が鮮やかに描かれている。
 でも何よりも、私の涙腺があれほど緩んだ理由は、選択そのものではなく、選択をしたあとのエイリシュの態度にあった。

 港を離れた船上。彼女の胸の内には、これでよかったんだろうか、という迷いがおそらくまだたち込めていたにちがいない。だから、10ヶ月前の自分と同じような、自信なさげな女性に対して、最初は心ここにあらず、とばかり素っ気ない態度をとる。
 でも、「ブルックリン」という地名を聞いたとき、エイリシュの心が、切り替わる。半年前、ブロンドに真っ赤な口紅の女性から自分が教えてもらったこと、船上での、そして入国審査場での振る舞い方を、後輩女性に伝える。さらに、この数カ月で身を以て体験したことから自ら導き出した、出来立てのほやほやの人生アドバイスを加えて。
 そうすることで、自分自身が下した選択の正しさを、改めて自分自身に納得させたのだ。

 あらかじめ100%の確信を持って決断できる選択など、ない。選択をしたあとで、それを口に出して人に伝え、自分で自分に言い聞かせることで、自分の中にようやく自信が芽生える。その自信を慈しみ、育むことで、選択は「正しい選択」に成長する。
 ブロンド女性からエイリシュへ。エイリシュから後輩女性へ。新大陸で生きる知恵と、凛々しい化粧と、そして毅然とした微笑みが、バトンのように、渡されていく。
 そこに自分の姿が重なって、場違いなくらいの感動が押し寄せた。

 今、ビジネスの世界で頑張る後輩女性たちを応援する仕事をしている。自分が下してきた選択とその理由を経験談として語りながら、偉そうなこと言っちゃって、という心の声が自分の中から聞こえてくる。
 でもきっと、それはそれでいいのかもしれない。120%の確信がなくても、エイリシュを見習って、毅然と頷いてみれば、相手を励まし、自分を励ますことができるかもしれない。


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by miltlumi | 2016-07-18 11:58 | みるとるみ版・映画評 | Comments(0)

夏の1泊バスケット

 大学2年のちょうど今頃、藤で編んだバスケットを買った。アタッシュケースのような箱型で、蓋の側についた枝みたいな棒を本体側に編み込まれた輪っかにぐさっと挿して留めるという、徹底的に自然素材のエコなデザインだった。
 バスケットに合わせて、赤い小花がグラデーションに散っている白いレース生地で、襟ぐりをフリルで覆ったブラウスとロングのティアードスカートを縫った。これでつばの広い麦わら帽子をかぶれば、堀辰夫の小説から抜け出したようなオトメ、あるいはモネの「日傘の女性」(日傘じゃないけど)の一丁上がり♡。…あの頃の私は、あくまで少女趣味であったのだ。

 その出で立ちを公衆の面前で披露する機会は、夏休みに入ってすぐに訪れた。高原の風そよぐ軽井沢、ではなく、西伊豆の海岸。同じ大学の女子学生10人くらいで、体育会連中が運営する寮に1泊2日で行くことになったのだ。
 しかし、荷造りの段階でいきなり難題に直面した。バスケットが小さい。夏の1泊旅行とはいえ、海となると水着にビーサンに日除けのパーカーも必要になる。とても入りきらない。
 今も自慢の私の「コンパクト荷造り」能力は、おそらくあの時にわかに習得したと思う。さすがにビーサンはギブアップしたが、とにかくきっちりかっきり洋服類を畳んで隙間なく詰め、化粧品は最低量のミニボトル。天然素材の伸縮性に助けられ、驚くような軽装を実現した。パンパンのバスケットの取っ手を持ち上げたときの、ずっしり、しかし軽やかな感触が、いまだ手に残っている。

 神奈川県の西の端にある実家に帰省していた私は、駅のホームで、友だちを乗せて延々東海道を走ってくる緑とみかん色の電車を待った。16両編成の長い列車がやってくる。窓越しに手を振っているのが、彼氏だったらよかったのに。彼氏イナイ歴20ヶ月目に突入しつつあった私は、それでもにこやかに友達の輪の中に入って行き、私の軽装への感嘆の声を一身に浴びた。

 入り江に面した寮に到着すると、モネを真似てティアードスカートの裾を海風になびかせてみることも忘れて、とっとと短パンにはき替えて砂浜に向かった。
 夜。ハタチ前後の女の子ばかりのおしゃべりは尽きない。どんな話に花を咲かせていたのか、何も憶えていないけれど。ひとつだけ憶えているのは、寮に備え付けられたノート(あの頃の民宿にはたいがい、宿泊者が旅情に任せて想いを綴るためのノートが置いてあった)に書いた一言。
 「今は100人の友達より1人の恋人がほしい」
 運動部の友達が、このあと泊りに来るセンパイ男子学生に読まれたらハズカしい、と騒いだので、余計に記憶に刻まれている。

 スマホやデジカメが発明される前の時代。父が買ってくれた銀塩フィルムのカメラは最初にバスケットからはじき出されたから、バスケットもティアードスカートも、そして10人の友達も、あのときの写真は何も残っていない。
 でも今日、その友達一人と、大学構内に出来たレストランで久しぶりにランチをする予定だ。
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by miltlumi | 2016-07-13 09:17 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(4)

AI雑感

 近頃ビジネスパーソンの流行り言葉は「AI」らしい。寄ると触るとその話になる。ディープラーニングっていうのか、機械がそれまで蓄積したデータから勝手に特徴を抽出して勝手に学習して、勝手にアルゴリズムを創り出す、っていうのが昨今の急速な発展の秘訣らしい。

 ワトソン君がいる会社の友人が、前に勤めていた会社のエンジニアさんから聞いた話によると、その会社が開発するカメラにも当然AIが使われている。最新機能は、写真を撮ろうとすると被写体が「食べ物」かどうかを勝手に認識するというもの。でも、何を元にどうやって「これは食べ物だ」と認識するのか、そのカラクリはエンジニアさんにもわからない。わからないから、バグが生じてもお手上げ。AIが自分で学習して勝手に解決策を編み出してくれるのを待つしかない。
 で、実際に生じたバグというのは、「牛」を見ると、AIが「食べ物」と認識してしまう、というもの。聞いた途端、私は「ええっ」と声を上げてしまった。脳裏に浮かんだのは、八ヶ岳山麓でのんびり草を食む牛にカメラを向けたら、手元の液晶画面に、広々した緑の牧場をバックにビフテキが浮かんでいる画像。んなバカな…。
 ちがうちがうちがう。「牛」を「食べ物」だと誤解したAIさんは、単に「食べ物」撮影に最適な露出とか絞りとか色調整とかを行って、できるだけ「美味しそうな」画質に仕立てるだけのこと。いきなりビフテキ画像を捏造するのではない(やったらスゴいけど)。

 「…ってことなんだよね?」
 念のため確認すると、理系の彼は、そうそう、とうなづいてくれた。結局のところ、風景写真として最適化されるはずの牛さんが「美味しそう」に写るだけのことだから、大勢に影響はない。ユーザーは多分絶対気づかない。なので、そのAIのバグはそのまま放置され、製品化されているらしい。

 画質改善の判断間違いくらいなら笑って済ませられるが、もっと重要な「判断」を下すAIがバグったらどうするのだろう。先日起きたテスラ車の自動運転による死亡事故は、1億3,000万マイルで初めて起きたもので、手動運転なら9,400万マイルに1度だから、それよりは安全なのだ、と記事にあった。事故率が3分の2に減少するのだから、自動運転のほうがいい…? 
 でも、自動運転ばっかりしてたら、その分反射神経や瞬発力や判断能力が劣化するんだよね。ただでさえ致命的に運動神経の鈍い私が自動運転に頼っていたら、それこそ名実ともに運動神経ゼロになってしまうではないか。
 ――そーいうノロマで近所迷惑なやつが事故を起こして周りを巻き込まないよう自動走行システムを開発しているのだ。
 いや、人間として自らの能力を少しでも向上させる努力をするのは、進化の基本ではないか。
 ――バカか。ノロマな私の運動神経が多少よくなることより、AIの技術がぐんぐん発達するほうが、よっぽど人類全体の進化に資するのである。

 牛をビフテキにしちゃう程度の想像力しかない者には、AIの未来をうまく想像することができない。


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by miltlumi | 2016-07-06 17:18 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)