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ピンクに白の水玉模様

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 うちの近くのビルが建て替えられることになった。取り壊しがほぼ終わり、ビルの回りを囲っていたクリーム色のパネルが取り外されていったとき、現れたのは瓦礫と化したコンクリートの塊と、それを取り除くでっかいパワーショベル。
 それがなんとピンクに白の水玉模様。

 思わず膝の力が抜けて、へらへらと笑いそうになった。工事現場にピンク。マッチョな男たちが主役の舞台に、なんという不似合。日立建機は何をふざけているのだろう。いや、おそらく彼らは真剣だ。
 ピンクという色は、言うまでもなく恋の色である。人を優しく愛情あふれる穏やかな気持ちにさせ、恋愛意欲を高める。彼氏募集中の女性は必ずピンク色のものを身に付ける、というのは戦略思考のある女性の常識である。また、ピンク色は攻撃的な感情を抑制すると言われ、外国では刑務所の壁や囚人服をピンクにするところも少なからずあるとか。
 つまり、工作機器メーカーおよび機種選定した建設会社では、苛立たしい騒音にあふれた埃っぽい工事現場の雰囲気を少しでも和らげ、とび職の方々の気持ちを穏やかにして不要な摩擦軋轢を避けるべく、一見場違いなピンクを採用したにちがいない。彼らの思考も、ようやく女性の恋愛戦略並みになったということか。おまけに白い水玉模様まで施す必要がどこまであったかはわからないが。

 男性がピンクのYシャツを着るのが当たり前になったのはいつ頃からだろう。工事現場ような物理的なパワーではないにしろ、権力・知力・交渉力などを駆使した仁義なき戦いが繰り広げられるビジネスの現場で、ピンクを身に纏うのは、自分の気持ちを穏やかに保つためか、相手の戦闘意欲をそぐ作戦か。少なくとも、第三者的立場にいるまわりの女性たちの目には、「優しそうな人♡」と映っていることに間違いはない。
 そしてピンクはついに、近寄るのも憚られるような(?)、ニッカボッカを意気に着込んだ任侠な男たちの世界にまで進出するに至ったというわけである。

 ある意味、すごいことだ。色彩心理学などお構いなしだった世界で、積極的・活動的な赤でも、明るく元気なオレンジ色でもなく、ピンクが採用されたということは、攻撃性よりも愛情を重んずるという大きな価値観の転換である。
これを、ピンク色のポケットチーフを挿したスマートなビジネスマンが決定したのならともかく、赤いネクタイを締めた思いっきりマンモス狩り系なモーレツ野郎が決裁したとしたら、なんともイロニカルなことである。
 
 件の工事現場では、ダンプカー出入りの際の通行者誘導の際、「お気をつけてお通りください」という常套句が、なぜかより優しく丁寧に響いている気がする。
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by miltlumi | 2014-05-30 13:17 | マンモス系の生態 | Comments(0)

親族をめぐる統計学

 私には、父方・母方合わせて20人の従兄弟・従姉妹がいる。父は男3・女3の6人兄弟(加えて赤ん坊のときに亡くなった人が2人)、母は男2・女3の5人兄弟(こちらも幼少で亡くなった人2人、若くして戦死した兄1人)。もちろん婚姻率100%、ほぼ全員がお見合い結婚で、離婚やら再婚やらややこしいことをした人は一人もいない。
 子供の数については、両親を除くと全部で9人の大人から20人を輩出したわけで、人口を維持するのに必要な「1人で2人」のノルマを見事に超えている。

 父は上から3番目だが、母は末っ子のせいか、20人のうち私より年下は3人しかいない。男性9人、女性11人とこれまたバランスのとれた構成で、上のほうはいわゆる団塊の世代に片足を突っ込んでいる年頃だ。未婚は私より2つ年下の女性一人のみ。未婚率のアップが懸念される日本において、40~60代の限定的世代とはいえ、立派なものである。
 それでもって、子供がいないのは、その独身の彼女と私より6つ年上の女性(50歳を過ぎてから初婚で6歳年下のバツいち男性とゴールインした)の2人だけ。結婚したイトコたちの子供の総数33人と、一族で見るとノルマの40人を2割ほど下回る。親世代に比べ、結構な後退である。

 この33人の多くが、既に適齢期を迎えている。先日、母の姉が享年85歳で亡くなり、その適齢期たちを含めた親戚一同が集まった。伯母は3人の子供に恵まれ、5人の孫(うち3人は既に既婚)を持ち、来月出産予定の3人目の曾孫の顔を見るのを楽しみにしていたという。曾孫があと5人生まれれば、彼女のファミリーツリーは完璧だ。
 一方ツリー繁茂の足を引っ張る私は誠に肩身が狭い。結局孫二人で打ち止めになってしまった私の母は、久しぶりに会う自分の兄弟や従姉妹たちとの会話の中で孫の数の話が出るたびに「あら、賑やかでいいわねえ」と羨ましそうな声を出す。
 母に背中をむけながら、私はどの親戚と会話をしようか、部屋の中をぐるりと見回す。「おばあちゃん」になってしまった従姉か、この前会ったときにジェルネイルの話で盛り上がった従姉の娘(30代独身)か。年齢はさておき気持ちとしては明らかに後者との親和性のほうが高い。
 どちらにしても、自分だけがノルマを果たしていない半人前な気分と、「その分税金と年金ちゃんと納めてるし」となかば開き直った気分がないまぜになって、結局まわりの会話に耳を傾けるふりをして黙ってにこにこしている。

 ふと思い出して、最近仕事で関わりのできた婚活会社を、ジェルネイルの彼女とその母に紹介してみた。「1年以内の成婚率が50%らしいから」と受け売りの宣伝文句を口にすると、本人は「いえ、3ヶ月で!」と大乗り気だった。
 間接的にでも、ノルマ達成のサポートをすることはできそうだ。

 ちなみに、うちの一族ではみそっかすの私だが、回りを見回すと、自分の代で一族が潰えてしまう可能性のある友達が少なからずいる。我々にとっては今さらどんな少子化対策を施されても手遅れだが、せいぜいお見合いおばさん役に精を出すとしようか。

*というわけで、成婚率50%の婚活サービスに興味のある方は、ぜひみるとるみまでお問い合わせください♡
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by miltlumi | 2014-05-27 10:36 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

充実と充足と満足と幸福

 手術室から出たときに身体に付随していたもの。鼻からイレウス管、口に酸素マスク、胸に心電図、右腕に血圧計、左腕に点滴の針と管、背中に硬膜外麻酔の針と管、右腹から腹水を吸い出す管、そして尿道カテーテル。ついでに膝下はエコノミークラス症候群対策のきつきつハイソックス。それら異物が、当日夜中の酸素マスクに始まり、1日一つずつ外されていく解放感は、何物にも代え難いものだった。
 明日から流動食開始という日の夜中、見回りの看護師さんが針が詰まって点滴の落ちが悪くなっているから、「今夜はもう外しましょう。明日また針を入れますから」と針を抜いてくれた。久方ぶりに腕の管を気にせず寝返りがうてる。ここ数日、ベッドからの立ち上がり方もスムーズになり、リハビリに歩く速度も徐々に上がってきたところだった。
 消灯した部屋の天井を見上げ、思わず「充実~」とつぶやいている自分がいた。

 充実、という言葉には、明らかに「昨日より今日」「今日より明日」という回復の上昇基調の響きがある、と思う。上向き矢印の感覚は、決して「満足」や「幸福」にはない。でもそれが幸福でないかと問われればNoである。そういえば充足という言葉もあった。充実に比べると動きが鈍いというか、ある種の停滞感が想起されるのは私の個人的感覚だろうか
 アスリートがオリンピックに向けて練習を重ねて着々タイムを伸ばしている最中は、満足や充足ではなく充実だろう。金メダルを取った瞬間、上向き矢印がピークに達し、「満足」になる。
つらつらと考えているうち、また眠ってしまった。

 ヒマつぶしに翌朝もつらつらと考える。今の若者はバブルを経験してないから、将来に希望が持てなくて上を目指す欲求がないとかものを欲しがらないとか本当の幸せを知らないとか、てんでに言われるけれど、そうだろうか。
 今日より明日という上昇志向、言い換えれば充実の感覚は、絶え間無い成長を是とする資本主義社会においては奨励されるが、それだけが幸福の必要十分条件ではない。むしろ、ややもすると現状否定になりかねず(背中の針が抜けた喜びより、「まだ腕に針が残っている」という不満が先に立ったり)、現状否定とはつまり今が幸福ではないということだ。
 人は飽きやすい生き物だから、幸福な状態が続くと幸せでなくなってしまう。変化がなければいけない。でもその変化は、必ずしも右肩上がりの必要はない。横滑りでも、もっと言えば下降でも、変化は変化だ。ジェットコースターが下降していくときのエキサイトメントは格別ではないか。
 今の若者は、変化をシンプルに変化と認識し、一つのことに飽きたら、別の楽しいことを見つければいいと思っている。昇進や昇給は必ずしも必須ではない。かくいう私も脱サラして以来昇進や昇給とは無縁だが、常により面白い仕事を求めて色んなことに手を出して、幸せな毎日だ。幸福=上昇、という20世紀型思考の持ち主は、これを「草食系」と呼ぶ。
 それに「上昇」は、他人から見てもわかりやすいから、他人との相対比較に幸福の比重を置く人にとっては、より魅力的な指標なのだ。「草食系」は、自分だけのモノサシを大切にする。

 辞書を引いたら、「充実=必要なものが十分備わること」「充足=十分に満ち足りること」とあった。
 上昇でも下降でも停滞でも、充実していてもしていなくても、その瞬間の自分がMore than enoughと思える時が「幸福」と言えるのかもしれない。
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by miltlumi | 2014-05-24 12:00 | イレウス奮闘記 | Comments(2)

手術室から出る

 目が覚めたら病室だった。朦朧としながらも「ああ、終わったな」と思う。
 10年前の手術のときは意識が混濁し、両親がそばにいるのにひたすら兄を呼び求めた(ブラザーコンプレックスと言われようと、いざというとき頼りにしているのは兄なのだ)。7年前に手術をした父は、手術室から出てきて家族の顔を見た途端、「いかんっ、寝過ごした!」とベッドから起き上がろうとした(手術直後に会社にでも行くつもりだったのだろうか)。

 お酒が飲めないので、意識をなくしたとか記憶にないとかいう失態経験がない私としては、前回や父のような意味不明の挙動には出たくない。麻酔のせいでまだ意識がぶよぶよしているにも関わらず、しっかりしなきゃ、と思った。
 そして一番気になったのは、腹腔鏡手術で済んだのか、開腹したのかということだった。開腹だと術後の快復が当然遅い。そもそもこんなに事を荒立てるつもりはなかったのだ。夜中にお腹が痛くなって7119に電話をしたときには、入院するとは夢にも思わなかった。入院です、と言われたときも、1日か2日点滴を打ってもらえばすむものとたかをくくっていた。イレウス管を入れても、友達の経験談を元に3・4日で解決すると思っていた。そうこうするうちに入院生活3週間。ついに手術と相成ったときも、腹腔鏡ならあと1週間だ、とひたすら軽く済むことを期待していた。
 だから、開口一番そばにいる看護師さんに尋ねた。
  「手術、何時間かかりました?」
  「2時間です」
 ああ。希望がしぼんでいく。手術前の説明のとき、腹腔鏡で順調に行けば1時間、と先生に言われていたのだ。2時間もかかったということは、順調ではなかったということだ。それでも一抹の期待を込めて尋ねる。
  「おなか、切ったんですか?」
 患者を刺激してはいけないと思ったのか、彼女は慎重に答える。
  「あとで先生が説明してくださいますからね」
 この時点で私は観念した。この夏はビキニが着られない

 ここまでまともな会話が出来れば上出来と思われたのか、看護師さんが外で待機していた家族を病室内に呼び寄せる。
  「わかる?」
  「大丈夫?」
  「痛い?」
 母と義姉と甥っ子がかわるがわる声をかける。そんな大袈裟に騒がなくてお大丈夫だよ、と思うが、あとから考えれば、そのときの私は酸素マスクをかぶせられ、ベッドの横には父が癌で亡くなる直前までつながれていたのと同じ心電図が刻々脈拍やら血圧を示しているのだから、大袈裟になるのも無理はない。

 もう夜であった。「夜の付添はしたほうが…」と的外れな心配をする母を、看護師が「付き添っていただくほうが手続き面倒ですから」と諭している。回りで起こっていることを、ちゃんと認識できる。10年前と比べて、自分の意識はしっかりしていると思えることが、何より嬉しかった。
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by miltlumi | 2014-05-21 13:01 | イレウス奮闘記 | Comments(0)

手術室に入る

 イレウス管に比べれば、手術そのものは全然面白くなかった。(まあ、面白がるものでもないけれど)。何しろ全身麻酔だから、当たり前だが何も覚えていない。手術時間が1時間だろうと2時間だろうとおかまいなしにずっと寝ていて、何が起こっているのか皆目見当がつかないのだ。
 唯一面白かったのは、手術室に歩いて行ったことである。10年前の子宮筋腫のときは、直前までぴんぴんしていたのに、病室からキャスター付のベッドに寝かされて仰々しく手術室に出頭した。それが今回は徒歩である。服装こそ手術着に着替えたものの、売店に水でも買いに行くような出で立ちで点滴棒を自分でガラガラと押していく。母と義姉と甥っ子(手術当日も兄は仕事で立ち会えなかった)がぞろぞろとついてくる。歩きながら気になったのは、エコノミークラス症候群対策のために穿かされたハイソックスのつま先がゴム仕様のオープン形態で不必要に長く、足裏でもさもさしていること。エレベーターを待ちながら、イソギンチャクみたいだなあ、と顔をしかめたら、看護師さんが気遣ってくれた。
  「緊張してますか?」
 あ。そうか。ここは緊張すべき場面だったんだ。まがりなりにもカラダにメスを入れる(この時点では腹腔鏡手術で済むだろうとタカをくくっていたが)わけで。でも、緊張していないのにウソをつくわけにもいかない。「いえ」と微笑んで、「気になるのはこれだけ」と、甥っ子に向かってイソギンチャクの足裏を持ち上げて見せた。

 手術室の扉の前で、見送りの三人に向かって「じゃあ行ってきますね~」と手を振る。まるで遠足に行くような陽気さ。ベッドに寝ながらだとドラマみたいな白々しさが漂うところだ。
 ものものしい自動扉を入ると、意外にただの診察室のような空間で、照明も(まだ手術が始まらないせいか)安っぽい蛍光灯である。事前に病室に挨拶に来た看護師の他、麻酔医師が自己紹介する。礼儀正しい。名前も知らないどこの馬の骨ともわからぬ人に命を預けるわけにはいかない。

 手術台も意外に小さく、外来の診察台と対して変わらない。
  「そこに寝て下さい」
 言われて自分で靴を脱いでごそごそと這い上がる。硬膜外麻酔のための針を背中に刺す。麻酔科の先生は冗談好きらしく、「針、太いですよ~」と脅かす。前日、代理の先生に「術後もしばらく細い針を刺したままになります」と説明されていたから、「そんなことないでしょう。細いんでしょう」とやり返す。案の定、大して痛くない(後でわかったことだが、針は本当に太かった)。採血や点滴でさんざん針を刺されているから、もう慣れたものだ。
 あれこれ準備をする間、手術室には重厚なオーケストラが流れている。クラシックは詳しくないが、マーラーとかそんな感じ。せっかくなら私の好きなニューミュージック(古いか)か、せめて小鳥のさえずりとかにしてくれればいいのに。
  「では、行きますよ。この酸素マスクつけたらすぐ寝ちゃいますからね」
  「はい。おやすみなさい」
 きちんと挨拶をして、マスクをかぶせられたら、1も2もなく意識がなくなった。
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by miltlumi | 2014-05-18 19:46 | イレウス奮闘記 | Comments(0)

手術前に不愉快だったこと

 イレウス管のステージが不如意に終わり、手術をすることになった。手術前最大のイベントは、医師から家族と患者本人への説明である。

 余談だが、入院直後の手続書類記入の際、緊急連絡先はご家族でお願いします、とクギをさされた。独身で、親兄弟が遠方にいる場合はどうするのだろう、と思いながら、電車で2時間くらいのところに住んでいる兄の名前を書こうとすると、「お母様は…」と訊かれる。  
  「おりますが、兄ではいけませんか?」
 緊急事態が発生したとき、80歳近い母より兄のほうが頼りになるに決まっている。しかし女性看護師は遠慮がちに畳みかけてくる。
  「お母様とは、あまり連絡とってないんですか…?
 そういう誤解をされるか。心の中で苦笑しながら、仕方なく説明する。
  「緊急のとき、母だと動転するといけないので、兄にしておきたいんです」
 
 あいにく説明の日が平日で兄は仕事が休めなかった。当然のように母は「私が行きます」と言ったが、やはり頼りないというので、義姉が仕事を早退して来てくれた。
  I先生が、入院直後の病状から経過を丁寧に説明していく。どうやら「あとは手術しか手段はない」ということを正当化するためらしい。既にすっかり手術をする気になっているのに、なんだかまどろっこしい。患者によっては、この期に及んでも「手術したくない」とごねる場合もあるのだろうか。潔い私にとっては、いらぬお世話の不要な説明なのだが。

 もっといらぬお世話が「手術リスク」という項目である。前日に麻酔医がA4数ページに亘る説明書きとA5版カラーパンフレットまで使って丁寧に説明してくれたというのに、またぞろ「麻酔でショック症状が出てまれに死ぬこともあります」という不穏な説明が始まる。初めて説明を聞く母と義姉は表情をゆがめる。加えて、手術合併症として、縫合不全、創感染、腹腔内膿傷、腸閉塞(…。腸閉塞の手術が原因で癒着が起こり、また腸閉塞になる可能性があるのだ!)等々。さらに手術が元で肺炎や心不全や腎不全や脳梗塞になる恐れもあり、云々。
 聞いているうち、不愉快になってくる。可能性の話を始めたら、手術中に執刀医のほうが心不全を起こしてメスが私の胸にぐっさり刺さることだって、停電が起こって自家発電装置がうまく作動しなくてお腹を開けたまま放置されることだって、なんだってありだ。そもそも心不全の可能性がないか、事前に心電図を調べて心配なかろうというので手術が決定されたのではないか。
 世の中100%確実なことなどありえないのだから、あとは先生を信じて身を任せるしかないのに。こんな説明を聞いたら、かえって医師への信頼が揺らいで不安になるではないか。その結果、「やっぱり手術しません」という選択肢があるとでもいうのだろうか。

 「重篤な場合は死亡する可能性もあります」
 最後の1行を読み、おまけに「死亡」の漢字のところをボールペンで丸く囲みながら、先生のほうも苦笑する。
 「すみませんね、厚生省のほうで説明するよう指導されているもので」
 なるほど。お役所か。メーカーにPL責任を負わせ、行き過ぎた「使用上の注意」書きを促す。霞ヶ関の過保護的アプローチ。おかげで国民が自己判断能力を失って、何か起こったらどんどん「他人のせい」にする、モンスター化
 事実、そういうモンスター消費者や患者がいるのだから仕方ないのかもしれない。が、大多数は良識ある国民のはずだ。
「様々なリスクを勘案した結果、医師として手術をするのが妥当と判断しましたが、それでも万が一のことは起こり得ます。それらをひっくるめて私を信頼していただけますか? それとも、万が一のことをつまびらかに説明したほうがよろしいですか?」
 手術の覚悟を決めた後で、不愉快なことを延々訊きたいかどうか、患者の判断に委ねるという方法もありうるのではないだろうか。

 術後にお見舞いに来てくれた友人の中に、数年前手術をした人がいた。
  「手術前、色々言われたでしょう? あれ、やだよね~。聞きたくないよね」
 私と全く同じ感想だった。
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by miltlumi | 2014-05-15 17:56 | イレウス奮闘記 | Comments(0)

新しい男女差別

 今回の入院は、10年前の子宮筋腫以来であった。10年ひと昔、入った病院こそ違え、明らかに社会的に変わったことがいくつかある。その際たるものは男性看護師である。
 入院初日、まだ痛み止めの効果も出るか出ないかのうちに、年嵩の女性がベッドサイドにやってきた。
  「内科のシチョウの○○です」
 シチョウ? 市長? 状況から言って彼女が婦長であることは想像に難くないが、それが「師長」であることに気づいたのは数日後だった。女の園であったこの職場に男性が進出した今や「看護婦」という単語は死語であり、「看護師」と呼ばれる。だからそのボスは「師長」。

 病院では昼間と夜勤、1日に二人が交代で一人の患者を担当する。ただ、ナースコールを押したときに担当看護師の手がふさがっていると、別の看護師が来たり、夜の点滴の見回りにちがう看護師が来ることもある。
 夜中、LED懐中電灯を持って猫のように入ってきた看護師が男性だったことが何度かある。うとうとしながら、夜勤は体力のある男性看護師のほうが多いのかなあ、などと勝手な解釈をしていた。

 しかし手術の前日、外科病棟に移って最初の夜担当の看護師が男性だった。男性看護師が女性患者の正式担当になることはないと、なんとなく勝手に思いこんでいたから少し戸惑った。でも丸眼鏡の彼はいかにも優しそうで、同級生になっても絶対に恋愛対象にはならないで、「お友達」になってしまうタイプである。
  「明朝の手術の準備は女性看護師が担当しますので」
 こちらの心のうちを読み取ったかのように、問わず語りにそう告げる。なるほど。この業界では、従事できる業務の差別は男性側にある。ちょっと意地悪な気分で、へへへん、と思った。男女雇用機会均等法施行前年に社会人になった立場としては、入社1年目の工場実習や販売実習に男性新入社員しか参加させてもらえなかったことをいまだに根に持っている。ここでは逆に、女性しか参加させてもらえない業務があるのだ。
 もっと言えば、「男性看護師には看てもらいたくありません」と突っぱねる保守的な女性患者だっているにちがいない。そういうとき、彼はすごすごと引き下がるのだろうか。「オンナなんか相手に出来るか!」とオヤジな社長に門前払いをくらった女性営業職の気持ちを、今日び男性が味わう番である。

 術後、傷口にあてたガーゼを取り換えてもらおうとナースコールを押したとき、やってきたのは男性看護師であった。あられもない話だが、傷口はおへその下である。ややっと思ったが、ここで男女差別をしてはいけない。働く社会人としての冷静さが打ち勝って、あえて私は彼の処置に身を委ねた。
 男女平等で働くこと。それは法制度や企業ルールの整備だけではなく、一人一人の心理的ハードルの問題だ。

 ちなみに、当病院の男性看護師はみな草食系っぽい面持ちで優しそうな表情で痩せ型で、マッチョやら毛深い腕やらごっついタイプは皆無であった。人を外見で判断してはいけない、とよく言われるが、この職業ばかりは男性は顔も採用基準とせざるを得ないだろう。少なくとも完全な男女平等社会になるまでは。
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by miltlumi | 2014-05-12 20:43 | イレウス奮闘記 | Comments(4)

イレウス管の悲喜劇 (その6/最終回)

(その1)はこちら・・・
(その2)はこちら・・・
(その3)はこちら・・・
(その4)はこちら・・・
(その5)はこちら・・・
 これだけ苦労して挿入しただけのことはあって、その日からは1日1リットル近くもずいずい悪い物が吸い出された。お腹がぐるぐる…と来て少しすると、視界ぎりぎりに入っている管の中が動き出す。吸引器につながる管にどどどーっと茶色いどろどろした液体が流れて行く。そこにたまにガスが混じる。本来なら下のほうから「お○ら」として放出されるべきものである。
 その頃にはもう免疫が出来ていて、目の前を「そういうもの」たちが移動して行っても何とも思わない。吸い出されるたび、少しずつへこんでいくお腹をなでながら、「もっと出てね~」とお祈りをする。

 H先生とリケジョ先生の単独サッカー戦ののち1週間、お腹はほぼ元通りになったが、腸液の放出は止まらない。つまりまだ先にもたまっているのである。レントゲンを撮ってみると、小腸の終りまであと30㎝以上あるのに、バルーンを萎めても管がそれ以上先に進まない。最難関の閉塞がそこで起こっているらしい。メルヘンはハッピーエンドではなかった。表情を曇らせたH先生が告げる。
 「I先生と相談します」
 少し前から手術を視野に入れていたH先生の要請で、外科の先生も容態を診るようになっていた。翌日、I先生から宣告が下る。
 「どうも手術したほうがよさそうですね」
 ただ、GWに入ってしまうので、強引にスケジュールを組むと、明後日の25日か、そうでなければ1日(9日後だ)だという。どうしますか?と聞かれ、即答する。
 「明後日にしてください」
 こんなもの、待っていたっていいことはひとつもない。医師にしてみれば、手術という一大事への心の準備が必要だろうとか、家族と相談する時間を下さいと言われるかも、と慮って「どうしますか?」と言われたのだろうが、善(?)は急げ、である。
 「わかりました。ではその方向で」 

 幸い、そのとき立ち会った看護師も服部さんだった。I先生が出て行ったあと、例のビジネスライクなトーンで服部さんが言った。
  「冷静でしたね」
 そうか。「手術」と言われ、普通なら「えー!」とか「成功するんですか?」とか少しはうろたえるべきだったか。しかし出続ける腸液やふとしたはずみでまた張ってくるお腹が、一筋縄ではいかない容態を物語っているのに気づいてはいた。昨日のH先生の表情からも、これは手術かもと思っていたし、やるなら早いほうがいい。
  「なんだか、そういう気がしてたんですよね。自分の身体のことって、なんとなくわかりますでしょう」
  「ああ、そうですね。若い人ならね」
 日頃から平均年齢70歳くらいの患者を相手にしている服部さんにとって、私は若手である。それにしても「若い人」のほうが自分の身体の声に耳を傾けたりせず無茶をしそうであるが、逆に80歳くらいになると感覚が鈍ってくるものなのだろうか。

 手術が終わって食事が再開され、しばらくお休みしていた体内の管が再び働き始める。イレウス管のおかげで、私は悟りを得た。
 人間は、考える管である。
 しかも、ミミズよりも厄介な管であり、厄介であるおかげで管の中でメルヘンやサッカーが繰り広げられる。自分の好むと好まざるとに関わらず。
 宇宙の森羅万象。自分の身体さえも、自分の意思に関係なく動いていく。
                                            (おしまい)
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by miltlumi | 2014-05-08 16:44 | イレウス奮闘記 | Comments(14)

イレウス管の悲喜劇 (その5)

(その1)はこちら・・・
(その2)はこちら・・・
(その3)はこちら・・・
(その4)はこちら・・・
 H先生の浮き浮きをよそに、前回まな板の鯉ならぬミミズ体験をした私としては、気は抜けない。いきなり戦闘開始。前回と同様の会話がH先生とリケジョ史の間で繰り広げられる。
  「そこ、もう少し右に!」
  「まさかUターンしてないよね」
  「大丈夫です、そのまま行ってください」
  「あー、もっと下の方に進んでほしいのにっ」
  「すみません、たたきますよっ」
 きゃしゃそうなわりに逞しいリケジョ史は、前回のオタク助手と同様かそれ以上の強さで腹をもむ、叩く。ここまで来ると、鼻の孔の痛みなど感じられない。でかいままの「ミクロの決死隊」みたいな彼ら二人が無事ミッションを全うするのを、涙を流しながら、ひたすら祈るばかりである。リケジョ史が叫ぶ。
  「ちょっと痛いけど我慢してくださいね」
 下の方からどんどんどんどんと叩く。しかし意外にも腰のツボだったらしく、イタ気持ちいい。
  「大丈夫です、そこは気持ちいいです
 整体に来てるわけではないが、つい本音を漏らす。
  「あと少しなんだがなあ」
  「ちょっとH先生、私が代わります」
  「じゃ僕がこっち守るから。おっ、うまいな。行け!頑張れ!」
 2人の会話を聞きながら、何やらこの状況が可笑しくなってくる。ミクロの決死隊というより、迷路を張り巡らせたフィールドでゴール目指してやみくもにパスをしているサッカーチームのようだ。そこのクランクは右だ! そのまま真っ直ぐ進め! あと少し!
  「行った!」
  「やったー」
 ついにゴールイン。目標としていた箇所に到達したらしい。二人がガッツポーズをせんばかりの達成感に包まれる。腹の中の喧噪が突然なくなった私も、「ゴーーール!」と叫んで彼らとハイタッチしたい気分である。ゴールの瞬間は目にしていないけれど。何たって肝心のゴールは私の身体の中だったのだから。

 迎えに来た看護師さんが、「長くかかりましたね」と同情を寄せてくれた。時間など気にしている余裕はなかったけれど。
  「どのくらいかかったんですか?」
  「入ったのが10時ですから、1時間半ですね」
 ハーフタイムなしの90分、一本勝負であった。
 
 午後、いつもの威厳ある白衣に着替えたH先生とリケジョ史が病室に来た。「相当つらい思いさせちゃったから、心配で見に来ました」という彼女は、H先生の紹介によると立派なお医者さんであった。
  「お二人があんまり楽しそうにやっておられたので、途中から笑いたくなりました。小説が書けそうです」
 そういうと、二人はほっとしたように笑い、それからH先生が付け加えた。
  「匿名でお願いしますね」
                                    ・・・(その6、最終回)に続く

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by miltlumi | 2014-05-07 11:38 | イレウス奮闘記 | Comments(0)

イレウス管の悲喜劇 (その4)

(その1)はこちら・・・
(その2)はこちら・・・
(その3)はこちら・・・
 しかし考えてみれば汚いも何も、これから先数日間は、その汚いものがこともあろうに自分の鼻先から目の前を通って外に出て行くのである。みっちりしたゴム管越しだから漏れたり臭ったりすることはないとはいえ、しばらく目の前でずうっと「それ」が流れ出てくるのを眺めていなければならないのである。お茶の間のすぐ脇に、絶対割れない透明なガラスの壁でできた汲み取り式トイレが鎮座しているようなものである。
 といっても、背に腹は代えられない。所詮人間は入れて出すだけの存在なのだ。美味しくいただいたものが下から出て行くかわりに上から出てって何が悪い。人間、いざとなればどんな環境の元でも生きられる。

 じきに自然放出型のドレインパックから吸引器に変わり、圧力をかけて人工的に吸い出す作戦に移った。鼻から出てくる「いかにも」な色の腸液を眺めながら数日を過ごしたが、今一つ出が悪い。レントゲンで見ると管がまだ大量にたまっている箇所に到達していないという。

 管の先には直径1㎝くらいのバルーンがついていて、本来であればバルーンが先導役となって腸の蠕動によって管は自然と先に進んでいき、閉塞を起こしたまさにその場所で止まるらしい。多少の狭窄であれば、バルーンをすぼめなくても進んでいって、自然に狭窄を突破して管が貫通する。そうやってそのまま小腸の最後まで行きつけば万事OK。
 そう、今、私のお腹のなかには風船が浮かんでいるのだ。バルーン。そのメルヘンチックなグッズは、管の路肩部に注射器で空気を入れたり抜いたりすることで膨らませたり萎ませたり自由自在なのである。しかしそれは、ぽっかりのんびり青空に浮かぶのではなく、薄桃色の狭い空のもと、うんしょこうんしょこ前進あるのみ。想像するだけで健気な姿ではないか。

 話が逸れたが、ともかく愛しきバルーンちゃんが悪戦苦闘しているというので、再びレントゲン室でトレーニングウェアもどきのH先生と対面した。例の物理的・原始的方法によって管を強引にさらに奥に押し進めようというのである。
 今回の助手はうら若き女性で、しかもH先生のようなトレパン姿ではなく、さすがに白いエプロンこそつけてはいるものの紫のタートルネックにシルバーのネックレス、茶髪を肩のあたりでくるんとさせている。今流行りのリケジョタイプである。気のせいか、H先生もこの前より明るく張り切っているようである。
                                                ・・・(その5)に続く
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by miltlumi | 2014-05-06 10:23 | イレウス奮闘記 | Comments(0)