<   2012年 09月 ( 13 )   > この月の画像一覧

ソウル☆らぐじゅありーキィジーヌ

a0165235_15134843.jpg今回のソウルは、ちょっとラグジュアリー(?)な食生活でした。
まずは1946年創業の又来屋
看板メニューの平壌冷麺は、お酢と辛子がアクセント。
プルコギ(奥の茶色いお肉。一人前150g)は柔らかくて美味。
合せて一人あたり₩44,000(¥3,080)。
サービス料10%が加算されるだけあって、
店内はゆったりしたテーブル配置。
しゃきっとしたスーツやYシャツ姿のビジネスマンの姿がめだった。
その中で、ちょっと異彩を放っていたのは、
「少女時代」のジュニア版みたいな日本人(9人ではなく6人)
平壌冷麺だけを食べてそそくさと出て行った。



a0165235_15182038.jpgソウル一おしゃれなショッピングエリアと言われるカロスキル。
服部専門学校で修業したというシェフが営むRyuniqueでは、
VERYに出てきそうな優雅な奥様たちが、
フレンチのコースとおしゃべりを楽しんでいる。
アミューズ(真っ白な冷製スープ)
前菜(砂糖漬けみたいに甘いトマトのサラダ)
メイン(写真はカプチーノ仕立てのリゾット)に
デザート・コーヒーで₩15,000(¥1,050)。
表参道あたりなら¥2,940って感じ?
ただ、もうひとつのメインであるボロネーゼリングイネは、
口に入れた途端に韓国焼肉の味が広がった。
それはそれで、そういうものだと思えば、
それなりに美味しいのだけれど。。。

a0165235_15281540.jpg前回Tripから積み残し事項だった韓定食。
仁寺洞のメイン通りからちょっと入った路地には、
韓屋風のこじゃれた店が並ぶ。
中でもヌイジョはとってもヘルシーで本格的。
山野草を活用し、化学調味料はいっさいなし。
10種類を超えるメニューの最後に、
蓮の葉でつつんだおこわとチゲ、
さらに何種類ものお漬物・お浸し風お惣菜。
五味子茶で〆て、
大満足のランチは₩18,000(¥1,260)。


丸の内周辺ならごく普通の値段だが、ソウルではこれがラグジュアリー。
しかも、質・量ならびに店の雰囲気がちがう。コストパフォーマンスで絶対的にソウルが買っている。
何より、街や店員に活気がある。
街のレストラン(というより屋台のほうがメジャーか)が安くて美味しいものを提供し、
サラリーマンは(おそらく)日本より少ない給料でも美味しく楽しく食べられるから、がんばって働く。
そうして韓国企業は、国際競争力のある商品を世界中に展開する。ポジティブスパイラル。
[PR]
by miltlumi | 2012-09-30 15:35 | フォトアルバム | Comments(0)

夕暮れ・二景@ソウル

a0165235_2095316.jpga0165235_20102663.jpg



竹島問題の影響もなく、3ヶ月ぶりに再訪したソウルで日々秋の気配が色濃くなっていく。
先々週に沖縄を襲った台風16号は、そのすぐあとにソウルを直撃した。
当たり前のことだけど、お隣の国は、私たちと同じ季節を分かち合っているのだ。
[PR]
by miltlumi | 2012-09-28 20:19 | フォトアルバム | Comments(0)

お彼岸の次の日

ミルトが山道を思いっきり走っている夢を見た。
旅館に預けていて、もうすぐ時間だから早くしなきゃ、とリードをつけたら、
でこぼこの道なき道をびゅんびゅんと走った。
フェンスにひっかかったときも、前足にしっかり着けているはずのリードを
いつものようにするりと脱ぎ捨て、そのまま走って行った。

夢の中で、ああ、これは夢だな、と思っている。
お彼岸だから、帰って来たんだな。
でも今年のお彼岸は156年ぶりに1日早かったこと、さすがに知らなかったみたいね。
まあ犬だから仕方ない。
ミルトがお彼岸に帰ってきた夢を見たことを、ブログにUPしなきゃ、と思っている。

目が覚めると、昨日の雨がうそのように、
夜よりもほんの少しだけ短くなった昼が始まっていた。
長く伸びるひなたの陽光は、もう勢いを失って穏やかに柔らかく浮かんでいる。
ミルトの名前は、ドイツ語のMilt。優しくて柔和な、という意味である。
そういえば、ルミと父は、夢に登場しなかった。どこに行ってしまったのだろう。
a0165235_73915.jpg

[PR]
by miltlumi | 2012-09-24 07:40 | フォトアルバム | Comments(0)

書くことの効用

 ちょっと、というよりかなり、頭にきたことがあって、相手に手紙を書いた。どんなに邪悪なやつだと思われても、さもしい性格の持ち主だと思われても、それでもこの怒りを絶対に知らしめてやりたい、というどす黒い気持ちがごんごんと湧き出るのを止めることができなかった。感情に流され過ぎず、おどろおどろしくなり過ぎず、適度な客観性と説得力を備え、かつ相手の痛いところにぶすりと突き刺さるよう、持てる日本語能力を全て振り絞って精魂込めて何度も推敲して、2枚の完璧なMicrosoft Wordファイルが出来上がった。
 出来た文章を便箋に手書きで書き写そうかとも思ったが、きっちり大きさの揃った冷徹なMS明朝のほうが、氷の怒りを伝えるには相応しいと思い直し、そのままA4用紙に印刷する。最後に添える私の名前だけを自筆にし、その後ろにご丁寧にも実印をしっかと押し付けた。我ながら、その本気度合が恐い。
 内容証明か配達記録か、あるいは甥っ子に直接デリバリーさせようか。策を練る間、印刷された紙は真新しいクリアホルダーに収納されて、出番を待つ。絶対、ゼッタイやるんだもんね。
 きりのいいところで家事にとりかかりながら、あそこに使った副詞が気になりだす。印刷物を読み返してみると、この動詞もあれに換えた方が迫力が出る。PC画面に再びファイルを呼び出して、さらに推敲を重ねる。かくして印刷及び押印は版3つまで更新される。これでようやく言いたいことは言い尽くした。まあもう少し時間を置いてみようか。

 「書く」という行為は、偉大である。さらにそれを紙媒体に具現化することは、もっと偉大である。粘性の高いマグマのように黒くどろどろしたものをコトバにして、そのコトバをカタチにして机の上に置いて2日もすると、自分のものだったはずの「気持ち」が名実ともに外在化されている。汚いものを出し切った私はすっかり浄化され、出された紙のほうはもう手で触るのも穢らわしいような、えんがちょになる
 あれほど熱かった本気はどこへやら、もう切手代を払うのも阿呆らしくなっているから、いっそ切手を貼らずに差出人住所氏名も書かずに投函しようか、と最後の手段を思いついたところで、本当に、心の底から馬鹿馬鹿しくなった。

 結局、ライターを持って流しに向かう。めらめらと、相手への恨みも私の怒りも全てを焼き尽くしてしまえ、と多少ロマンチックな気分になりかけて、結構な量で立ち昇ってくる煙に探知機が作動するのでは、と我に返る。急いで換気扇のスイッチを入れた拍子に、半分燃えた紙を落としてしまう。プラスチックの洗い桶が溶けるとまずい、と再び我に返る。咄嗟に水道の蛇口をひねると、一気に消沈した炎の後に、黒い煤と3分の1ほど燃え残った白い紙。家の庭で焚火ができた昔が懐かしい。
 夜になって、夕飯の支度をしようとキッチンに入り、排水口にへばりつく黒いカスを見たとき、あら、焼き茄子でも作ったかしら(剥いた茄子の皮とそっくりだったのだ)、と思ってしまった。怒りはすっかり過去のものだった。
 
[PR]
by miltlumi | 2012-09-23 08:36 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

「ための」フォーム

 病院の初診のときに受付で渡されるアンケート用紙みたいなフォームには、最後のほうに「そのほか気になっていること、相談したいことがあればお書きください」という質問がある。既往症やアレルギーのある食べ物など、なぜか妙に緊張しながら書き連ねた末とはいえ、せっかくお医者さんに診てもらうのだから、と丁寧に記入して看護婦さんに渡した。
 結果どうなったかというと、どうもならなかった。予約時間を10分過ぎた頃に、医師がばたばたと診療室に入り、それからさらに10分後に名前を呼ばれ、型どおりの問答と診療が終わると、「はい」と会計提出用の書類を渡されて、おしまい。「気になっていること」を医師が見たことは間違いないはず(なぜなら、医師が私との問答をパタパタ打ち込んでいるディスプレイの上のほうに、フォームの別欄に書きこんだことが、しっかりインプットされていたから)。
 せっかくなら、ちょっとカウンセリングしてくれればいいのに。考えてみれば、他の医院でもフォームに記入したことについて医師が触れる経験はほとんどない。だったら「そのほか…」の欄は何の目的で作ってるのよ。いわゆる「ための」ってやつか。

 ホテルやファミレスに「お客様の声をお聞かせください」というフォームがよく置いてあるが、あれが真面目に読まれて、しかも実際に対策が施される確率はいかほどのものなのだろうか。
 先月、八戸駅近くで1泊したのは、フロントの自動精算機で宿泊代を前払いするようなビジネスホテルだった。だから、ユニットバスが多少汚れていてもLANケーブルの場所がわかりにくくても、フォームに書きこむ手間をかけようとは思わなかった。
 開業間もないリゾートホテルに3泊して、時間と気持ちのゆとりがあったせいかフォームに思いつくまま「よかったこと」「改善すべきこと」をずらずら書いた。その後、自宅にお礼のワインが送られてきたときは、むしろびっくりしてしまった。そのホテルを再訪する機会はまだないが、いくつかは改善されたに違いない。貴重なホテルである。

 そう言っている私自身が、せっせと「ための」フォームを作ってしまいかけたこともある。小さな会社での出張申請書とか、インサイダー取引報告書。リスク管理、と思いながら、ふと我に返ってみれば、ルールさえ決めておけばわざわざ規定のフォームに記入しなくても、メール1本で済む話である。一種の大企業病だと思った。
 従業員が何万人もいる大企業では、基本ルールだけで運営するのは無理だから、やはりフォームを作ることになる。そのフォームが正しく記入されているかをチェックする部署ができる。記入されたフォームを保管する部署ができる。人が増える。サーバーのメモリー容量も増える。

 世の中、「ための」フォームのおかげで、どんどんやることが増えて行く。これも経済の活性化と呼ぶべきだろうか。
[PR]
by miltlumi | 2012-09-21 11:01 | マンモス系の生態 | Comments(0)

味噌とステーキ

 少し前、信州のお味噌をいただいた。これが実に美味しい。いつもは全国区大手メーカーの出汁入りのお味噌で十分満足しているのだが、やはり木桶で1年以上寝かせて作った天然醸造のお味噌は、格別である。
さほど量を入れなくても、十分美味しいお味噌汁が作れる。半透明のお汁に半殺しの大豆と麦の粒が泳いでいるのを見るのも、舌で柔らかい粒々の感覚を味わうのも、いと好まし。
 お味噌汁だけではもったいないので、鮭とキャベツの味噌炒めや鶏とごぼうの味噌煮などでも楽しんだ。

 さらに料理本を参考にして、豆腐ステーキのトッピング用に、生姜と紫蘇のみじん切りにみりんをお味噌に混ぜたものも作ってみた。最初は生姜がきつすぎたが、数日たつうちに素材同士が馴染んできて、なんともまろやかになってくる。これが美味しい。というより、旨い、と言いたくなるような、素朴な美味しさ。
 大したおかずがないなあ、という週末の昼食。ふと思い立って、白いご飯にこのお味噌をのせて海苔で巻いて食べてみた。おいしい。ニッポン人に生まれてよかった。そんな感じ。これだけでおかわりできちゃいそう。
 そういえば、昔の酒呑みは塩や味噌を舐めながら杯を重ねたという。肴は炙ったイカでいい~どころの質素さではない。でもそれは、海からそのまま汲み上げた天日干しの塩だったり、村はずれの蔵でほんの少しだけ作られる天然醸造だったりしたのではないだろうか。

 …などと通ぶったことを言っているが、冷奴や湯豆腐の美味しさに目覚めたのは、ほんのここ数年のことではなかったか。「やっぱり日本食だよね」と思うようになるのは、歳をとるにつれて体重や健康を意識するようになるせいというより、DNAの底の方に潜んでいた大和民族の血が騒ぎ出すためだという気がする。
 日経新聞の土曜版で、月に1回掲載される「食の履歴書」。有名人が食べたいと思う「最後の晩餐」はどれも素朴だ。ふわふわの卵焼きとか梅干しのおにぎりにお味噌汁とかラーメンとか。案外そんなものなんだろうな、と思う。

 母は、「何が食べたい?」と尋ねるとたいがい「トンカツ」とか「ステーキ」と答えるほどの肉好きである。この敬老の日の連休中、甥っ子の分もあわせてロースやサーロインのステーキ肉をデパ地下で仕入れて、保冷剤たっぷりの断熱袋に詰め込んで持って行った。
 兄が合羽橋で仕入れた南部鉄の分厚い鉄板でじゅうじゅう焼いたステーキに舌鼓を打ちながら、ソースはもちろんおろしポン酢。テーブルには母が作った筑前煮と義姉が用意した梅ちりめん&鰹節トッピング冷奴が、しっかりジャパニーズを演出していた。
[PR]
by miltlumi | 2012-09-18 10:10 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

初秋の山中湖

a0165235_2136399.jpg

9月になっても東京はまだ暑いけれど、山中湖は一足早くもう秋の気配。
湖畔では、ねこじゃらしとあざみとひめじょおんが爽やかな風に揺れていました。


a0165235_21324725.jpg

こちらは、揺れている人? 空を舞う鯉???
群青の忍野八海の水面に映る人を上下逆にしてみました。
[PR]
by miltlumi | 2012-09-14 21:42 | フォトアルバム | Comments(2)

最近の兆候

 100円ショップで買いたいものが2つあって、いつ行こうかなあとぐずぐずしているうちに3つめが出てきた。こうなったらすぐに行かなきゃ。念のため行く前に買うものをメモろうとしたら、2つめのところでペンが止まる。頭の中で店内の棚を順に思い描いて、やっと思い出した。

 お味噌汁を作っていて、お豆腐を切ろうと封を開けたら木綿豆腐だった。お豆腐は絹、と決めているのに。どうして木綿豆腐がうちにあるのよ!?と憤ってみたが、それはなぜなら自分で買ったからである。誰のせいでもなく、スーパーで買い間違えた自分の責任である。

 オフィスで席替えがあり、壁に向いたデスクから2人ずつ向かい合わせに座る島に引っ越した。誰かに用がある時、振り返らずにすむから便利である。早速お向かいの人に話しかけようとしたら、苗字が出てこない。PCに向かっている彼女の頭の髪の分け目あたりをしばらく眺めていたら、ぽろっと出てきた。

 炊事手袋の右をよく破く。最近のメーカーは賢くて、右手2・左手1(もしくはその逆)のパックを売っている。珍しく左側を破いて、ストックしてある数枚の手袋を取り出した。どれが左手なのか、今自分が必要としているのがどちらの形なのか、判別できるまで3秒以上かかってしまった。

 土曜日の朝は、髪を洗わずきりりと結わいて、手早く身支度する。スポーツジムに出掛けて汗を流した後、お風呂でゆっくりサウナやシャンプーをするからだ。先週末もそのつもりでボサボサの髪で朝食を食べ、顔を洗うついでに気づいたらシャンプーしていた。ジムに行く意欲が半減した。

 最初の頃(っていつ頃のことだろう)は、それでも少しは「やばいな」「どうにかしなきゃ」と思っていた。
 最近はもう、そういうこと(ってどういうことだろう)を前提にして、ペースダウンするようになってきた。
 自分がどんどんバカになっていく気がしないでもないが(もしかすると「気」ではなく「事実」かもしれない)、今更大学受験をするわけでもないし、生き馬の目を抜くビジネス戦場の最前線で闘っているわけでもないので、大きな支障はない(と自分に言い聞かせているきらいがないでもない)。
 人は、こうやって現実と折り合いをつけて行くのだ。わはははは。
[PR]
by miltlumi | 2012-09-11 11:41 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

重陽の節句 もしくは古今和歌集

お昼ごはんに食べようとズッキーニを切ったら、
その切り口からとっても瑞々しく水滴が浮いてきた。
思わず窓辺に運んで、シャッターを切ってしまった。
a0165235_1626597.jpg

今日はもう重陽の節句。
遠く離れ離れの一族たちが集まる日。
前夜に置いておいた菊にたまった露を身体に振り掛ける日。

外の陽光はまだまだ眩しいけれど、風は秋をはらんでいる。

秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる 
            (古今和歌集169番 藤原敏行)


             (本日のブログは、なんだか 和洋中 ちゃんぽんです)
[PR]
by miltlumi | 2012-09-09 16:38 | フォトアルバム | Comments(0)

消滅したレターラック

 会社の後輩から結婚式の招待状をいただいた。温かな肌触りの封筒の裏には、金色の「寿」のシール。毎日のように郵便受けに舞い込む、透明セロファンのマドから印字された住所氏名が見えている薄っぺらい明細書の類とは格がちがう。ペーパーナイフで開けると、紅白の和紙につるんとした薄い紙に「教科書体」のフォント。おめでたい知らせは、いついただいてもいいものである。
 返信はがきの「ご出席」の「ご」を二重線で消して「出席」に丸をつけて、一言メッセージを添える。あとで出掛けるときにポストに投げ込めばよい。
 紅白の招待状のほうは、会場地図も入っているから当日まで置いておかないと。手にしたまま部屋をぐるりと見回して、レターラックというものがうちの中から消滅して久しいことを思い出す。

 母が趣味で作った籐細工のレターラックを、長い間使っていた。20代前半の頃からだと思う。学生時代、地方の大学に行ってしまった高校の同級生や留学してしまった友達とたまに「文通」していた(そういえば、小中学校の頃に読んだ漫画本の後ろのほうには大概「ペンパル募集」コーナーがあって、「こちらテニス大好き少女。明るく楽しい人を求む」みたいな簡潔な文章がずらりと並んでいた)。
 社会人4年目でトロントに赴任してからは、そのレターラックには親や友達からのエアメールがぎゅうぎゅう差し込まれるようになった。

 レターラックの中身は1年に1度、年末にチェックをかけて、「スペシャル」な手紙だけを選り出し、あとは目をつぶってえいやっと捨てる。すかすかになった途端、年初めにはどかっと年賀状が大量注入される。「スペシャル」レターはどうしても年々増えていくから、数年に1度は「スペシャルのスペシャル」を選び抜いて別の思い出箱に移していた。
 年賀状以外がレターラックに入る頻度ががっくり減っているのに気づいたのはいつ頃だろう。気づけばスペシャルも何も、手紙自体を出したりもらったりすることがほとんどなくなっていた。あるのは、Eメールを使わない叔母から頂き物を受け取って、一筆箋に季節の挨拶とお礼を書いて送るときくらい。
 籐細工は、長年使ううちにしっとりと飴色になるのはいいが、編み目の間に埃がたまるという致命的欠点がある。数年間ほとんど中身が増えない事実も手伝って、とうとう燃えるごみに出してしまったのだ。残っていた「スペシャル」手紙はまとめて「思い出箱」行き。

 今はもう思い出箱に入れるような手紙は来ないし、年賀状は文房具を入れる引き出しに安直に突っ込まれている。代わりに、Hotmailのメールボックスに「Friend」という題名のフォルダーがあって、「スペシャル」なメッセージはみんなそこに入っている。ここ数日Hotmailの調子が悪かったが、Microsoftのサーバーメモリーが回復不能なほど吹っ飛んでしまわないことを祈るのみだ。

 それでも、松竹梅の図柄の切手が貼られた招待状をいただいたときくらいは、それにふさわしい文箱があれば、と思う。
[PR]
by miltlumi | 2012-09-08 14:11 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)