<   2012年 05月 ( 15 )   > この月の画像一覧

なんちゃって二日酔い

 3晩続けて眠れない夜が続いた。先週風邪で寝過ぎるほど寝たし、今週も活動量をセーブしているから、当然かもしれない。しかし普段は、ベッドに入って、ふくらはぎマッサージ器15分タイマーをかけながら本を読んでいると、タイマー切れとともに眠たくなる身としては、その後30分たっても1時間たっても目がぱっちり冴えて頭の中を荒唐無稽な思いが駆け巡るのは、つらい。本格的な不眠症の方々は、こんな程度で「眠れない」とも呼ばないのだろうが。

 で何をしたかと言うと、2週間ほど前にお客様を招いたとき余った「一番搾り」500ml缶を、開けた。半量近くをグラスに注いで、一気に飲み干す。日頃ほとんどまったくアルコールを摂取しない私にとっては、画期的、というか、自殺モノである。
 急性アルコール中毒で死んだらどうしよう(って、たかだか250ml×5%)、と心配になるが、あんまりとっとと飲んだせいで、酔いが回らないどころか動悸も速くならない。ま、いっか、と再びベッドに横になる。やはりさっきと同じように荒唐無稽なこと(どんなことかは、ヒミツ)ばかり思い浮かぶ。とかいううちに、そのうちめでたく寝てしまった。

 翌朝目覚めたら、目の奥の方の頭の芯がむにむにと痛い。おおお、これが世に言う「二日酔い」だろうか。お酒を嗜まない私は、オトナへのパスポートのようなこの経験をついぞしたことがない。「朝起きるとすごく後悔する」「あのキモチ悪さはたとえようがない」「どうやってうちに帰ったか全然覚えてない」といった私だけ未踏の世界を、楽しげに語り合う友人たちに、ちょっとだけ仲間入りした気分(?)。

 こんな時はアルコールを体外放出するのがイチバン(どんだけ飲んだっちゅうねん)。というわけで、痛いアタマを抱えてスポーツジムに向かう。シニア層をターゲットとする近所のジムは、悠長にも朝10時オープン。熱血サラリーマンが出勤前に汗を流す、というニーズを全く想定していない。
 10時5分にチェックインし、「毎日が日曜日」なおじさん達に交じってバイクをこぎ始めると、隣の顔見知り同士が「昨夜の地震は、結構揺れましたなぁ」「震源は千葉だそうで」と話している。あっ、そういえば。ゆらゆらするのはビールのせいかなあ、と思いながら寝てたっけ。わぁ、昨夜の記憶が曖昧なんて、まるで二日酔いみたい。いよいよ本格的。
 その後ジムを出て、今度はサラリーマンに交じって中華料理屋さんでランチを取っているとき、ふいに思い出した。地震の後しばらくして起き上ったら、頭がグラグラと揺れてトイレで気持ち悪くなったことを。トイレで吐くなんて大学3年以来だわあ、と思ったが、結局何事もなくまた寝たのだった。おおお、記憶喪失2つめ。

 ビールがぶ飲み(じゃないってば)の結果は、この程度であった。一生に一度くらい、ホントに記憶を失くしてみたいものだ。こう言うと、誰もが「じゃあ」と不敵な笑いを浮かべるが、実際にWonderlandに導いてくれた人は、未だにいない。
[PR]
by miltlumi | 2012-05-30 20:23 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(2)

黒いカバンを持って会いに行く

 フリーランスの仕事のいいところは、やりたくないこと、嫌なことはやらない、という選択ができることである。昔、泉谷しげるの「黒いカバン」という歌に「見せたくなければ見せ~ない、それは~当然なのであるからっ」という歌詞があった、あれ。相手がオマワリだろうと社長だろうと、法に抵触しない限り、やりたくないことはやりたくない、というのが人間としての率直なあり方である。それをオマワリにも上司(そもそも存在しない)に文句を言われず実践できる。

 一方まずいところは、その結果、「嫌なこと」に対する耐性が著しく衰えること。会社勤めをしていれば、プチ・嫌なことなど毎日のように発生する。発表者だけが発表のための発表を粛々と行い、出席者一同PCメール処理に勤しむ白けた会議への出席、聞いて何をしてくれるわけでもないのに、聞いてないと「オレは聞いてない」とゴネる上司への報告、「あれ、どうなってる?」と尋ねると「今やろうと思ってました」とむっとした顔をする部下への気遣い、等々。
 この3つを思い浮かべるのに3分もかかるほど、オフィスでの「嫌なこと」はもはや忘却の彼方。去る者日々に疎し。のど元過ぎれば熱さ忘れる。 
 
 ところが、フリーランスとはいえ「嫌なこと」はゼロではない。穏やかな日々にも暗雲は立ち込める。こうなると、弱い。
 くだらない話には、昔なら速やかに脳みそのスイッチをオフにして、美容体操と思って口角をにっこり上げ、一定時間おきに「そうですか」を繰り返す、という条件反射的行動に移ることができた。が、今は「どうしてこの人はこんなつまんない話をするんだろう」という疑念があからさまに顔に浮かびそうになる。面白くないことを「面白いですね」なんて言う、ちょっとした嘘がつけない。相槌の一言さえ出てこない。
 しかも、次にさらに意味のない会議が待っているわけでもないので、その会話が終わった後も、「あれはどういう意味だったのだろう」と、考えてもそれこそ意味のない疑問が心の中を去ってくれない。たった一つの「嫌なこと」がずぅっと尾を引くのだ。普通の社会人なら、とっとと忘れ去るような些細な出来事に、何日も拘ってしまう。要は、ヒマなのかもしれない。

 そして最後は、「もうあの人とは会わない」という極めつけの後ろ向き結論。会いたくなければ、会わない。泉谷しげるを地で行き、黒いカバンで外出すること自体が減る。
 こうやって、「嫌なこと」はやらない→「嫌なこと」への耐性が衰える→「ちょっと」が「すごく」嫌なことになる→てってー的にやらなくなる→さらに耐性が落ちる、というポジティブなんだかネガティブなんだかわからんスパイラルに陥る。さらにヒマが増す。
 でも、ヒマな分「会いたい人と会う」からいいもんね、と開き直る。大体、人生残された時間は長くないんだから。これは、フリーランスとか会社勤めとかいう次元を超えた真理である。


[PR]
by miltlumi | 2012-05-28 20:26 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

正しい風邪の引き方 (下)

(中)はこちら・・・
 風邪3日目は、あいにく朝から仕事の予定が入っていた。書き忘れていたが、風邪を引いたら、初期に病院に行って体温を測った後は、決して再び体温計に手を伸ばしてはいけない。特にどうしても仕事に行かねばならない時はなおさらである。
 体温を測ってみて、まだ37度以上あったりしたら、もうその数字を見ただけでアタマがクラクラして通勤電車に乗る勇気が大いに削がれるし、逆に平熱に戻っていたりしたら、なんだかソンをしたような、仕事のために生きてんのか!?みたいなやけっぱちな気持ちになる。
 だから、ともかく多少頭がふらふらしても、体温を測ってみようなどという往生際の悪いことはせず、とっとと会社に行く。電車の中では、ちゃんと日経新聞を読むこと(昨日とらなかった朝刊と夕刊も含め、ボリューム満点である)。

 仕事中は、気持ちいつもより動作がのろくなるが、それも「あり」だ。会社勤めをしている頃、つらい身体に鞭打って出社して、回転の遅くなった頭を何とか動かして、赤く腫れた喉からしぼり出すしわがれた声でモノを言うと、「そのくらいのペースのほうがちょうどいい」とホメられたものだった。
 ようやく最低限やることだけやって、「風邪なんで」と言いながらオフィスを辞し(ホワイトボードに「早退」と書かずに退社できるのは、しがない業務委託員の数少ない特権である)、遅めのランチをとりに外に出る。ここ数日で何十回目かの「栄養つけなきゃ」をつぶやきながら、それでも入る店がなかなか決まらないのは、風邪のせいで決断力が鈍っている証拠である。やっと入ったカレー屋さんでホワイトソースベースのドリアを注文するのも、やはり的確な判断力が失われているとしか思えない。
 ドリンクバーのグレープフルーツジュースを何杯もおかわりし、喉の痛みが昨日より薄らいでいるのに安心しつつ、ドリアが水臭い、と思わずむかっとする。でも、風邪のせいで味覚がおかしいのかも。風邪は全ての怒りの輪郭をぼやけさせ、和らげる特効薬である。 

 そして4日目。朝、やはり6時過ぎに目覚める。幸い今日は仕事はない。「大事をとらなきゃ」と再び目をつぶるが、8時から後はもう寝られない。とりあえず起きて朝食を食べて、しばらくパジャマのままぐずぐずする。鼻のあたりは、ますます「外在化」が進み、すっかり威力は衰えた風邪菌の最後の1片がくすぶっている。再びベッドに戻りたい気分にならない。病は着実に快方に向かっている。
 着替えて、改めてコーヒーを淹れて、さてどうしようか。真っ先に思いついたことを行動に移す。すなわち、スポーツジムに行って、いつもの自転車と筋トレに加えて、ジャクジーとサウナで汗を流して、体内に残っている風邪菌とクスリのデトックス
 病み上がりに無理すると死ぬよ~、というもう一人の自分の声を遠く聞きながら、サウナで「今日は汗の出がいい」と悦に入る。体重は、病み上がりのくせにいつもより1kgちょっと多かった。「栄養をつけ」過ぎてしまったようである。

 かくして、5月の風邪は4日間でご退散いただいた。なかなか順調な経過であった。明日から、「栄養つける」ための無茶食いができなくなるのが、ちょっと名残惜しい。
[PR]
by miltlumi | 2012-05-26 20:32 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

正しい風邪の引き方 (中)

(上)はこちら・・・
 うちに帰ると、あれこれお惣菜を買ったにもかかわらず、ついお味噌汁を作ってしまう。ねぎと生姜をたくさん刻んで、仕上げに唐辛子までふって、普段の味噌汁茶碗より大きなお椀になみなみついで。風邪のときには身体を温めるに限る。ああ、満足。
 
 お風呂のスイッチを入れ、先ほどいただいた処方薬を飲み、さらに「栄養をとるため」旅先でいただいたおまんじゅう(神戸の満月堂の豊助饅頭。ものすごく美味しい)と常備してあるアイスクリームもいただく。何しろ風邪のときは体力をつけないといけない(って、もともとかなり体力は余ってるのだが)。日頃のダイエットはそっちのけ状態。
 ふと見ると、お風呂のスイッチ盤に異常な表示が。何かと思ってお風呂場を覗いたら。…お風呂の栓をしないままであった。しばらく空しくお湯が注がれては流れ去り、賢明なるリンナイの警報が作動したのだ。このマンションに引っ越してきて11年。初めての失態である。やっぱり風邪でカラダもアタマも鈍ってるんだわ… 風邪って、全ての失敗の言い訳になってくれるから、好き。
 
 いつもの倍の時間をかけて沸いたお風呂にゆっくり入り、明日はおそらく終日寝ていることを想定して、前もってしっかりストレッチを行い、9時過ぎにはおもむろにベッドに入る。といっても、GWから続いている早寝早起きの習慣のおかげで、普段とさほど違いはない。さすがに風邪のせいで、就寝前の読書時間はごくわずかで、寝入ってしまった。

 翌朝。普段のように一応6時過ぎに目覚めるが、案の定カラダはだるい。昨日と打って変わって太陽燦々のいいお天気みたいだが、寝室のカーテンは開けないまま、またまどろむ。さすがに本当に風邪だったようで(当たり前だ)、あるいは昨夜たっぷり食べたおかげか(そうにちがいない)、食事もせずに昼まで眠り続ける。12時過ぎの朝食で飲んだグレープフルーツジュースが、喉にひりひりとしみる。
 いつものように、喉の奥に風邪菌の塊が存在しているのがわかる。ただ今回は処方薬を早めに飲んだおかげで、それが体内に入り込んで咳やくしゃみを醸成させるに至らず、「そこ」にいて、鼻をかむたびに菌をふんだんに孕んだ流動体が体外に放出される(汚くてすみません)。ティッシュペーパー上の、不透明な限りなくゲル状のもの(たびたび汚くてすみません)をじっと見つめながら、「外在化」とつぶやく。
 つい先ほどまで自分の身体の一部だったものを、今、この目で見ている。自己の客観視。日常の些事に哲学を感じてしまうのも、風邪のときの醍醐味である(単に熱でラリっているだけかも)。
                                  ・・・(下)に続く
[PR]
by miltlumi | 2012-05-26 20:25 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

正しい風邪の引き方 (上)

 珍しく、風邪を引いた。せっかく石上神宮で大吉を引いたというのに。「病」のところはちゃんと読まなかったが、「油断大敵」というのを読み落としたのだろうか。
 旅行から帰った翌朝、起きたら喉がいがいが痛かった。夕方仕事のアポが入っている。超ラッキーと、早めに身支度をして出かける。仕事先のすぐ近くにあるかかりつけの病院に行くためだ。
 風邪を引いたと思ったら、即刻病院に行くことにしているが、そのためだけに外出するのはばかげている。まだ引き始めのときに、仕事の合間に行くのが賢い病人のあり方。会社勤めの頃は社内の診療所やオフィスのすぐ近くに健保提携の病院のお世話になっていた。
 国民健康保険組合員になってからは、今日のようにたまたま病院の近くで仕事があるのは、とてもラッキーなことなのだ。しかも以前からのかかりつけ。

 市販の薬より処方薬のほうが断然効きがいいと、私は固く信じている。だから、医師に対面したときの心得は、症状を1.25倍くらい大げさに言い、まだ出てきていない症状まで勝手に頭出しさせて、ついでに「週末から旅行なんです」(帰ってきたばかりだというのに)とかほざいて、しっかり多めに薬をいただくことである。
 今回のように風邪を引いた当日に病院に行くという幸運に恵まれないときは、そうやってちまちまと貯めた薬の在庫から、症状に合った薬を見繕うのだ。もちろん薬局でいただく薬の説明書は、しっかり「お薬手帳」に張り付けてある。
 ところが今回は、受付で渡された体温計がピッと鳴った時点で勝利である。37度4分。立派な「発熱」。意気揚々と診察室に入る。「おや、熱があるようですね」「はい!」「じゃ喉をみせて、あーん。…まださほど腫れてないですねぇ」「え、でもとっても痛いんですっ」「咳は?」「ないです」 
 …しまった。咳も出ると言うべきだった。私の風邪の典型ステップは、喉が痛くなって咳が出て痰が絡んで…というので、今はその第一段階に過ぎないのに。案の定「ムコダイン(痰に効く)」は処方してもらえず、PL顆粒とロキソニンとトランサミン(ダーゼンは廃番になったそうだ)5日分のみ。薬局では「ジェネリックにしますか?」と聞かれなかったことに、後で気づいた。やはり風邪で頭が回っていない証拠だ。

 風邪をひいても食欲が落ちないのが、私の特技である。病院が終わって、仕事のアポまで1時間弱。迷わず近くのエクセルシオールカフェに入り、「風邪のときは栄養をつけなくては」と、炭水化物ダイエットを棚上げにして、キャラメルリンゴのベーグルにクリームチーズとカフェラテ。至福。
 仕事を終えて自宅最寄駅に戻ると、だんだん本格的に火照ってきた身体を感じながら、スーパーに立ち寄る。これから風邪が悪化したら、おいそれと買い物などできないのだから(しかも昨日旅行から帰ったばかりで冷蔵庫はカラに近い)、しっかりと食糧を買い貯めねばならない。                  
                                   ・・・(中)に続く

[PR]
by miltlumi | 2012-05-25 21:15 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(2)

物部氏の氏神

a0165235_2317485.jpg


今、物部氏がちょっとしたマイブームになっている。
だから、今回の旅行で初めて訪れる石上神宮は、楽しみにしていた。
鳥居に対面した瞬間、あ、ここはいいな、と思った。
拝殿の前に来て、その直感を確信した。とてもいいな、と思った。

おみくじを引こう、と思った。
厳島神社のときと同じ、6番。
あらら、と思いながら、巫女さんに番号を告げて、手渡された紙片には「大吉」とあった。

吹く風に 沖辺の波の高けれど 心静けき 我が港かな

大吉のおみくじは持ち帰っていいと言われているけれど、
この清々しい神宮に身代わりを置いておきたくて、結んで、残してきた。
[PR]
by miltlumi | 2012-05-20 23:22 | フォトアルバム | Comments(0)

33年

a0165235_2122499.jpg

高校の修学旅行で訪れたことのある浄瑠璃寺。
バスを降りてから、畦道みたいなところを延々歩いたことと、
鄙びたお堂の前に大きな池がしぃんと静まり返っていたことがとても印象に残って、
いつかまた訪れたいと、ずっと思っていた。

その畦道で地元の人が売っていた焼き芋を、
当時憧れていた同級生の男子生徒が買い食いしていて、
お芋に注がれた強い視線を感じたのか、「やるよ」と食べかけをくれたことも、
このお寺の思い出を忘れ難いものにしていた。

あれから、20回以上は京都・奈良を旅行したが、
最初のうちは浄瑠璃寺がどこにあるのか地図で探せず
(あの頃はYahoo!地図もHPも存在しなかった)、
ガイドブックの地図の端っこに見つけてからも、なんだか遠そうで足を向けることがなかった。

そして今日、ついに。
近鉄奈良からバスで20分強、こんなに近かったんだ。しかもバス停は山門のすぐ近く。
1時間に1本、小ぶりのバスが折り返し運転をする駐車場は、
さすがに540人の高校生を乗せたバスの群れを収容するには小さすぎる。
だから遠いところに停まったのか。おかげで焼き芋にありつけたわけだ。

撮影禁止のお堂に入ると、9体の阿弥陀仏。
一人一人微妙にちがう表情を浮かべておられる。ゆっくり時間をかけて眺める。
高校のときの思い出には、全然登場してこられない、
でも今なら、何時間でもその前に座っていられそうな仏様たち。
正面の仏様の前に座って手を合わせ、「ようやく来られました」と心の中でつぶやく。
そして、あれが33年前であることを、知る。
33回忌、という単語は何やら縁起が悪いようで、実は命の一区切りであることに、思いを馳せる。

次の33年。
もう一度、ここに座ることは・・・
a0165235_21211328.jpg
 
(こちらは浄瑠璃寺から岩船寺に行く田舎道沿いの、小さな磨崖仏です)
[PR]
by miltlumi | 2012-05-18 21:23 | フォトアルバム | Comments(0)

母の干し肉

 一昨日の母の日、それとは全然関係ないテーマで友人たちと集った。ホールケーキの調達担当者によると、7軒もケーキ屋をハシゴしたという。最近はアントルメは予約オンリーというケーキ屋さんが多い上、いかにも「母の日」っぽい家族連れが、次々と丸いケーキを買い求めていったらしい。
 母の日はカーネーション、がお約束だったが、近頃はケーキまでつくようになったのかしら。ことカレンダー上のイベントに関するかぎり、モノが売れなくなったとか消費抑制とかは、どこ吹く風。

 それを聞いて、慌てて母に携帯メールを出した。今年の「母の日プレゼント」は、GW前の旅行代金の一部(全部、ではないところが、なんだかなあ(笑))だったため、すっかり終わった気になっていたのだが、当日は当日でメールの1本でも出さないと、拗ねてるかも。
 すぐさま来た返事は、幸い楽しそうな文面だった。いつものニコニコ顔の絵文字に加え、( )やアルファベットを駆使したVサインまで入っている。ったく、年甲斐もなく…と思いながらも、ほっとする。
 
 去年の4月に、長年住み慣れた実家から兄の隣家に引っ越した引っ込み思案な母は、容易に予想されたことではあるが、新しい環境になかなか慣れなかった。一応、実家も最低限の生活ができるよう家財道具を残したままなので、実家近くのカルチャーセンターに行くときはあちらで1・2泊する、という2重生活が始まって1年。ようやく引っ越し先の方の絵画教室でも友達ができたとか、近所の人がお茶をしに来た、といった報告が入るようになったのは、ここ数か月のことである。
 旅行中、あんたの趣味はビーズネックレスの他に何?と聞かれ、思わず「アナタとちがって干し肉作りばっかりやってるわけじゃないわよ」と心の中でむっとした自分がおかしかった。母には、余計なことを考えるヒマがないくらいたくさん干し肉作りに勤しんでもらいたい。

 子供の心配をするのが親の務め、みたいな母親だったけれど、ようやく子離れし始めたかなあ、と思う。
ごく小さな頃はともかく、子供が小学校中学年くらいになったら、母は「自分の干し肉作り」のほうに軸足を置いてくれたほうが、子供もラクなんじゃないかな、と思う。
 いつまでたっても「お母さんはアナタのために…」と自己犠牲的愛情を注がれるより、母親が女性として、人間として人生楽しんでいる姿を見るほうが、よほど教育的効果があるのではないか。最近のお受験事情その他に全く疎い、門外漢の直感ではあるが。
 
 自分の人生を楽しむために、見方によっては「自分勝手な母」ととらえられるような選択をした友人がいる。「わがままねぇ」と揶揄しながら、私は心の底から彼女の決断に対して賞賛の意を表した。
 彼女の娘が、母のその決断を将来知ることがあるかどうかわからないけれど、きっと、そうした決断ができる母の姿勢そのものに、プラスの影響を受けるに違いない、と思う。
[PR]
by miltlumi | 2012-05-15 20:07 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

「どうせ」と「せっかく」

 昔、同僚達と仕事の話をしていた時のこと。「そんなデータベース作ってどうするんですか?」と言ったら、細い目を吊り上げた年上の男性社員に「そんな、とか言うなよ!!」とどなられてしまった。
 そんな=そのような、の短縮形、くらいに軽く理解していた私は、目を丸くした。彼は、その単語を単なる代名詞的形容動詞とは思わず、「そんな程度のくだらない」みたいな軽蔑的ニュアンスに受け取ってしまったのだ。
 以来、「こんな」とか「あんな」の代わりに、「このような」とか「ああいう」を使うよう気をつけている。でも常に効率を重視する癖のある私は、文字数のより少ない「こんな」を、つい口をついてしまう。

 この相違、本当か調べてみたら、類語辞典にちゃんと説明があった。曰く、「こんな」が、対象を身近に感じている表現なのに対して、「こういう」「このよう」は、より客観的だそう。従って、「こんな人とは思わなかった」は、「人」に対する話者の感想(いい人、腹黒い人、等)を意味し、「こういう人とは思わなかった」は、「人」の状態の説明(自分に親切にしてくれた、いじわるをした、等)を意味するという。
 対象への身近さはマイナスの評価を伴いやすいので、「こんな人」といった場合、ほめる意味ではなく、けなす意味になることが多い、との説明。
 対象への身近さ=マイナス評価、という点に複雑な心境を抱いてしまうが、なんだかわかる気がする。
 
 もう1つ、何気なく使っていたが、本来の意味に含まれるポジティブでないニュアンスに気づいたものがある。どうせ、という言葉。用例は、「どうせ旅行に行くなら、2週間くらいは滞在したい」。
 「どうせ阿呆なら踊らにゃ損損」という有名なフレーズを想起させるが、これは「どうせ」の後に「同じ」が省略されており、踊るも踊らぬも「結局」あるいは「所詮」同じ阿呆なら、踊ったほうがいい、という意味。「どうせ私は阿呆です」という開き直り、なんとなく投げやりなニュアンスを漂わせている。
 先の用例は、「結局」行くわけだから、というつもりで口にしていたが、別のニュアンスが前面に出るとおかしくなる。ポジティブに(?)言うなら、「せっかく旅行に行くなら…」である。
 「せっかく」は折角。朱雲という人が、それまで誰にも言い負かされたことのない、五鹿に住む充宗を易論で言い負かし、人々が「鹿の角を折った」としゃれて評したことから、努力したり力を尽くすときの副詞として使われるようになったらしい。類義語は「わざわざ」。  
 
 書き言葉は、推敲ができるから、よい。話し言葉は口に出したら最後である。つい口をついて出た何気ない一言が、人間関係に傷をつけてしまう。あるいは自分の気持ちが間違って伝わる。
 逆にちょっとした言葉遣いで、相手をほのぼのとさせることもできる。そして何より、自分の脳みそに気持ちよさが跳ね返ってくる。
 きれいな、明るい言葉を、心掛けたい。
[PR]
by miltlumi | 2012-05-11 15:59 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

レバレッジという発想

 前回のエントリーで女性(といってもサンプル数は3だが)の労働時間に対する考え方を紹介したが、例によって、極私的・極小サンプルによる、男性との比較人類学。

 こと報酬に関する限り、男性の辞書には「謙虚」という文字はない。もちろん、だからといって彼らが「水増し請求」をする輩だと告発しているわけでは、決してない。単に、発想がちがうのである。
 某グローバルコンサルティング企業で働いていた男性Cの、当時の単価はB女が設定している金額の○倍。その単価×労働時間(水減らし請求ではなく)でクライアントから受け取った大枚は、もちろん丸ごと彼の懐に入るわけではなく、大企業ならではの間接部門人員コストや高級オフィスビルの家賃や引退したおっさんたちへの年金補填に充てられる。つまり、○倍の単価は、彼にとっての「勲章」なのだ。懐に入るか否かは関係ない。
 だって、勲章って食べられるわけでもないし、質に入れるのもはばかられるし、壁に飾って美しいようなデザインでもないのに、じいさんになると皆欲しがるでしょ。女性がアレをもらいたがってる、という話はあまり聞かない。

 マンモス狩り人種の、もう一つの特徴は「レバレッジ=梃」の発想。いかに少ない時間でいかに大きな獲物をとるか。同じ1本の矢を射るなら、鹿を仕留めるよりマンモスを仕留めたほうが賢いのである。金融業界では、これを「レバレッジ」と呼ぶ。
 B女が、友人のD氏に「そんな労働集約的な仕事してないで、レバレッジがかかる仕事をすべきだ」と説教されたという。レバレッジ。最たるものは、他人からお金を集めて運用して儲かったゲインを他人と山分けする、ファンド事業である。D氏はまさに当該業界人。
 まあね。私もその業界にいたから、レバレッジ効果の凄さはよぉく知ってるけどね。その分、ハイリスクハイリターン。他人のカネ(って、10万や20万じゃないですよ、10億20億円ですよ)を運用する、ものすごぉい心理的プレッシャーに耐えて around the clock で働かねばならないわけで。

 少なくとも女性は、もといA女とB女と私は、No thank youでございます。そういえば、この3人ともう一人、E女の4名は、とりあえずこれだけあれば快適に過ごせるよね、という年収目安が、図らずも全く同額である。
 それで思い出したが、最近話をした元金融マン、現在非ファンド業界独立系のF氏も「レバレッジ」という単語を使っていた。そうでもしないと「貧乏」から抜け出せないから…というので、まあ、この人ビンボウなんかしら、心配しそうになったが、よく話を聞いてみると、彼の「貧乏」は、我々の年収目安の2倍であった。扶養家族がたくさんいるのはわかりますけど、ね。

 まあ、人生イロイロ、である。とにもかくにも、毎日同じ時間に同じ場所に行くだけで、毎月同じ日に同じ金額が銀行口座に振り込まれる会社員って、ほんっとに羨ましいよねっというのが、男女共通の統一見解である。
 そこには、かつての自分たちへの細やかなるノスタルジーと、今の自分たちの何者にも縛られない自由への讃歌が、込められている。
[PR]
by miltlumi | 2012-05-09 22:00 | マンモス系の生態 | Comments(0)