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初めてのヒロシマ

ちょいと野暮用の足を伸ばして、安芸の宮島に行ってきた。
NHK大河ドラマのことをすっかり忘れていて、タイヘンなことになっているかと思ったが、
GW直前の観光地は、修学旅行生がどやどやしている程度だった。
が…、楽しみにしていた真っ赤な大鳥居は、なんと工事中でねずみ色の網の中。。。
悔しくて何度も写真に撮って、ついでにおみくじを引いたら、同行者も私も「凶」とは、これいかに。
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それでも、紅葉谷公園のもみじの新緑が、透きとおるようだった。
おみくじの中で、「旅立ち」だけは「よし」だったっけ。
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そして、生まれて初めての原爆ドーム、平和記念資料館。
広島の地を踏む前は、少し躊躇していた。
よほどの心の準備をしないと、受け止めきれない気がしていた。
でもここまで来たら、腹を決めるしかない。
真っ青な空と、この季節だけの初々しい緑に囲まれ、平和そのもののような公園。
きちんと整備された河畔に、あの日の熱地獄を思わずにはいられない。
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by miltlumi | 2012-04-29 22:25 | フォトアルバム | Comments(0)

干し肉活動本格化します

 会社辞めて3年、ブログでマンモス理論(?)をぶち上げて2年3ヶ月、ついに干し肉生活、本格始動である。…などと大げさに言うほどのことでもないが、干し肉作りの中でも特にお気に入り、手作りパワーストーンネックレスを、友人のブティックの片隅に置いていただけることになったのだ。
 北イタリアに移住して干し肉ならぬ、庭の無花果や木苺のジャム作りや葡萄畑の管理を楽しんでいる友人が、地元工房が作るおしゃれなレザーバッグを輸出して、東京にいる妹さんがお店を開いた。昨秋イタリアを訪れたとき、手遊びのネックレスを手土産代わりに差し上げたら、気に入ってくれて、お店の賑やかしに、ということになった。

 これまではもっぱら自分用か親しい人へのギフト用だったから、売るとなるとさすがに緊張する。
 ストーンのお店で、手当たり次第ではなく、きちんと完成品を想定して計画的に種類と数量を選ぶ。これまでは作っている途中でデザイン変更したりしていたが、わざわざEXCELに単価や石の直径や個数をインプットして、長さとコストの計算式を作る。いつもは適当に処理してしまう留め部分も、まだ見ぬお客様の肌を傷つけないよう細心の注意でワイヤーカット。1つ完成するごとに、着実に手際がよくなるのは、手仕事の面白さだ。

 時折指先が滑って石が床に落ちると、あせって探しまくる。直径2㎜の水晶玉の単価は約3円。原価の一部だから、1粒だって無駄にできない(気分はすっかりファクトリー)。
 面白いことに、落ちた石の探し方さえ段々習熟してくる。落ちた瞬間、慌てて動く代わりに止まるのだ。するとトーン、トン、トン、トントンッと、フローリングに落ちる音がして、その音の方向を探せばよい。鳥目がちの目でも、慣れれば2mmの透明石を、目敏く見つけられる。2日でこんなに上達するなんて。
 ふと我に戻り、「床に落ちたビーズ探しが上手になって、イッタイ何の足しになるのか」という疑問が頭をもたげる。…でも次の瞬間、私は自答する。「ビーズを速く探せる」のだ。

 アーティストの友人の影響で、一時コラージュ作りに凝っていた頃、超マンモス系の女友達に「それ作って何にするの?」と聞かれ、絶句したことを思い出す。
 今日日いい歳した健康な大人が、資本主義システムに組み込まれる(知的)労働と関係ないコトに夢中になるなんざあ、というわけである。今度のネックレス作りは、一応コマーシャリズムに乗っかっているから、後ろ指を指される筋合いではない。

 でも再び我に戻れば、ネックレス一つ1時間かけて作って得られる(いつ実現するかわからない)利益を考えたら、その時間をコンサル仕事した方がケタ違いに儲かる。
 …だからね、そういう発想自体がマンモス狩りっていうの。干し肉は、儲けるためではなく、作るのが面白いから作るのだ。たまさかそれがマネタイズできれば御の字、なのだ。
 などと言いながら、それでもつい、原価率を何%にしようか、なんてメーカー魂が蘇ったりして。

 というわけで、浜田山方面にお越しの際は、ぜひ
La Noce http://www.antonella2005.com/shopinfo.html に遊びにいらしてください。
エアデールテリアのつばきちゃん・すみれちゃんも待っています♪
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by miltlumi | 2012-04-25 21:12 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

缶コーヒーを飲むオンナ

 春爛漫、桜の次は銀杏やハナミズキの新芽が初々しい季節。どこか手頃なオープンカフェで束の間憩おうと、待ち合わせの場所に早めに出掛けた。

 ところが、山手線の駅近くならいくらでもあるとたかをくくっていたスタバ、タリーズ、ドトールの類いが、ない…(ちなみに品川駅港南口側である)。延々軒を連ねるのは、昼は定食(ランチ、ではなく)、夜は居酒屋(バールとかトラットリア、ではなく)という、典型的なサラリーマンおじさん(最近は女性会社員も自分を「サラリーマン」と呼ぶらしい)の味方の店ばかり。昼食は済ませてきたから、たとえどんなに鰻丼定食が香り高くても、ほいほいと引き込まれるわけには行かない。
 待ち合わせビル周辺を一回りして、やっぱりおっさん飯屋しかない(一番長い列ができていたのは吉野家だった)のを自分の目で確かめ、今さら品川駅構内のスタバまで戻る気がないことを自分の心に聞いた上で、作戦変更。

 再開発された港南地区のオフィスビルのまわりには、建築基準法に基づいて小綺麗に整備された緑化スペースが点在している。木々の根本にちょこっと置かれたベンチは、ランチ後のつかの間の休息や、ピクニック気分でコンビニ弁当を広げるのに格好の場所である。中でも、品川フロントビルの植え込みはバラクライングリッシュガーデンみたいで、ハナミズキの若葉がひときわ眩しい。ここにしよっ、とつぶやいて、飲み物調達のため、セブンイレブンに足を向けた。
 
 ふと思った。こんなとき、男性は缶コーヒーを買うんだろうな、と。他の飲料と比べ、缶コーヒーという商品カテゴリーの購入者デモグラフィーは、圧倒的に男性だというのをどこかで読んだ気がする。確かに、自販機で缶コーヒーのボタンを押した記憶などほとんどない。BOSSとかFireとかWONDAとか、とても女の子受けするネーミングとは思えない。最初から狙っていないのである。
 だから余計に女性は手を出さなくなる。いっそリポビタンDなら、開き直ったマンモス狩り女子が腰に手を当ててぐびぐび飲むのだろうが(私も「現役」時代はよくお世話になった)、ちょっとカフェインとるだけならスタバのほうがおしゃれだし。
 しかも缶って、飲みにくい。涙型の口とその周りに広がる金属の平面は、口を当てると金属臭いし、何より口紅がべとっとついてしまう。じゃあストロー? まさか。缶コーヒーをストローで飲むなんて、マックバーガーをナイフとフォークで食するようで、TPOに反している。

 結局、カップの上のアルミにストロー突き刺すタイプのマウントレーニア・カフェラテ(砂糖なし)を買って、ベンチに戻った。隣に座った男性が手にしていたのは、BOSSではなくてi-Phoneだった。
 余談だが、WONDAのCMにAKB48が出ているのを知ったのは、このエントリーを書いた後である。やはりマーケティング専門家は先を行っている。
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by miltlumi | 2012-04-24 11:48 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(2)

「産める」

 最近、密かにマイブームになっている言葉がある。それは「産めるわ」。

 毎年4月になると、緊張した面持ちの数名の男女が1列になって入ってくる職場にいた、高度成長期の名残のような平和な時代。「今年の新入社員、オレが入社した年に生まれたんだって」という感慨深げな部長の声を、他人事のように聞き流していた。
 それが、同期の男の子(既に1児の父だったか)と、「今度の新人、私たちと同じ干支だってさ~」といった会話を交わすようになり、後はもう推して知るべし、である。
 幸か不幸か、会社員生活の最後の15年は、学校出たてのホヤホヤが配属されるような部署(もしくは会社)に在籍しなかったので、4月にしみじみした気分に浸ることもなく、するすると時は過ぎていった。

 フリーであれこれ仕事をするようになって、つきあう相手も老若男女種々様々になり、いきなり現実に引き戻された。平成○年入社です、と言われても咄嗟に算数ができない(したくない?)。管理職研修の講師をしていて、受講生全員が年下と気づき、愕然とする。ただ、そんなことは数度経験すれば、すぐ慣れる。もう「お姉様よ」と開き直るしかない。
 
 ところが、その開き直り方も、実はもう通用しない。相手の歳から逆算すると、この人の母親は、もしかして私と同年代かも…。1度もお産を経験したことのない身は、いつまでも若いつもりだが、コドモ(と言ってもおかしくない年代)と仕事してんのか、と何やらフクザツな気分になる。
 世が世なら、私はこんなおっきい子(って、生まれたてはもっとちっちゃかったでしょうが)を産むこともできたんだわ…。いつの間にか、そんな相手に会うたび、心の中で「産めるわ」とつぶやくのが癖になった。

 先日、もっと驚いた。大学の同窓パーティーで、大先輩(定年退職後、とある企業の特別顧問を務めておられる)に声をかけられた。
 「○○さん、紹介しますね、○社の社長の戦略スタッフやってる○○さん。あなたが○社でやってた仕事と同じような役割だから、色々教えてあげて」
 紹介された男性は、肌こそ若さが残っているが、スーツの着こなしも話し方も既に立派なビジネスマン。社長のカバン持ちの大変さと面白さをひとしきり語り合ったところで、何気なく入社時期を尋ねると、「2006年です」
 え。ってことは、今29歳。ってことは、「産める」…。これまでの「産める」とは異次元の感覚。つまり、私が「産める」子が、単に社会人世代になっただけではなく、社長スタッフという、ほんの最近まで私が携わっていた(結構重要だと自負していた)仕事に就くようになったのだ、という感慨。

 正直言えば、この感じ、悪くなかった。それだけ自分も歳を重ねたのだなあ、という妙な達成感。フリーになって週休3日とか4日とか、社会人の義務をサボっているような、後ろめたい気がすることもあったが、コドモがこんなに立派な仕事をするようになったのなら、私も少しは気を緩めてもいいかしら。その分、目の前のこの初々しくも凛々しい青年のサポートをしてあげようか。
 我々の年金を稼いでくれる人口増に貢献はしていないが、着実に世代交代は進んでいる。
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by miltlumi | 2012-04-22 20:26 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

空き箱は、心の琴線に、どのように触れるか (下)

(上)はこちら・・・
 そのオフィスの主である、ダンディーな彼の元には、バレンタインデーになるとわんさかプレゼントが贈られてくる。おしゃれなおじ様に見下されぬよう、女性陣はめいっぱい張り込んだ高級ブランドのチョコやハンカチを選ぶ。そのパッケージの、色も材質も当然一級品である。
 会議中、脇に置いてあるチョコレートの山から、彼が気まぐれにひと箱取り出して「食べる?」と差し出す。ありがたく頂戴しながら、視線は箱の方にひたと張り付く。会議終了後、空になった箱はめでたく私の手の上へ。

 あいにく、そのオフィスには毎日行くわけではない。チョコが何粒か残っている箱を見て、早く食べ終わってくれないかなあ、と思いながら、次に出社したときには箱ごと失くなっている。
 「あの箱どうしたの!?」
 「え、捨てましたけど。あのチョコ、食べたかったですか?」
 「あ、いえ、その、チョコじゃなくて空き箱…」
 ちょっと迷った末、正社員の方々に、空き箱は全て捨てずにとっておいていただけるようお願いした。かくして2月下旬から4月にかけ(何しろプレゼント量が多いので、食べ尽くすまでに時間がかかるのだ)、私はオフィスに行くのが楽しみだった。

 空き箱のモチベーション。本末転倒もいいとこである。しかも、ゴミの一歩手前のブツよりよほど立派な、無印良品のアクリル収納ボックスを買うくらいのお給金はいただいているのに、そのお金より、空き箱がウレシイ。
 大竹氏が、バイト料で新品のキャンバスを買うより、ダンボールに創作意欲を掻き立てられたのと同じ類の思考回路である。どんなことに「そそられる」のかは、人それぞれである。

 付け加えるならば、私にプライバシーを開示してくれるありがたい友人(「整理」と聞くだけで気が遠くなるらしい)について。彼女のうちの整理のため、奮発して100円ショップのプラスチック箱複数種を持参したときのこと。直方体に見えたのに、いくつか並べてみると上部と下部の幅が微妙に違う。どうして?と思ったら、隣で既に気が遠くなりかけていた彼女の目が俄然輝きだし、「それはね、テーパーのせい」と、てきぱき説明を始めた。てぇぱぁ???
 無印のアクリルケースは一見100均と同じように見えるのに、なぜ10倍以上の値段なのか。それは6枚の板材を接着し、端面磨き処理もして手間がかかるから。100均はプラスチック射出成形で、型から抜けやすいようテーパー(角度)がつけてあって、その結果わずかに台形になる。
 モノ作りやデザインの仕事に関わっている彼女にとって、箱から連想されるのは「整理」ではなく「工業デザイン」。

 まったくもって、心の琴線の触れ方は、人それぞれである。

 余談だが、大竹伸朗のエッセイ「既にそこにあるもの」は、なかなか面白い。

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by miltlumi | 2012-04-21 17:11 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

空き箱は、心の琴線に、どのように触れるか (上)

 大竹伸朗という人のエッセイを読んでいた。私はアートや音楽のことはよくわからないのであるが、この人は(有名な?)美術家であるらしい。彼の作品には、さほど心を動かされるわけではないが、エッセイのほうは、とあるページで思わず「わはは」と笑ってしまうほど、激しい共感を覚えた。
 美大の学生時代、カバン屋の棚卸という退屈なアルバイトを数か月続けたのは、いくらでも空き箱をもらえるからだった、というくだり。真新しいキャンバスとちがい、その厚紙ボックスは、色といい臭いといい、本能的に「オレはこの上に何か表現しなければいけない」といった気持ちにさせられたという。ガラクタやゴミから立体作品を創造する(とWikipediaに書いてあった)彼の原点がここにある。バイトに行くモチベーションは、お小遣い稼ぎでもカバン職人の見習いでもなく、ぜぇんぜんちがうところにある、というのがいい。
 そして、私も全く同じような経験を持つ。但し「空き箱」は、ゲイジュツのためではない。

 最近、断捨離とか整理の魔法とか言われて、巷の100均ショップには整理グッズが溢れているが、引き出し整理プロの私には、市販の品なんざあ素人のアソビである。入れる物に100%ぴったりの仕切りを実現するにはミリ単位の調整が必要で、画一的な仕切り箱では、帯に短し襷に流し状態になってしまう。
 そこで活躍するのが空き箱。一つの引き出しにいくつもの空き箱をぴったり並べるには、ジグゾーパズル能力はもとより、様々な大きさの空き箱を日頃からこまめに収集する、平素からの地道な積み重ねが肝要なのだ。微妙にちがう大きさの箱をとっかえひっかえして(例えば、名刺が入ったプラスチック箱は、本体ととフタの大きさが数㎜ちがい、どちらを使うかで微調整が可能)、ぴったりはまったときの快感といったら。

 拙宅は、引っ越してからもう10年以上たつので、家じゅうの引き出しは片付いてしまっている。つまんないから、最近はプライバシーを開示する勇気のある友人の家の引き出しの整理を買って出ている。そういう家には、もとより空き箱のストックなど存在しない。作業当日は、大きな紙袋に詰め込んだ私の愛すべき空き箱たちをカタカタいわせながら目的地に向かう。
 そのような作業が数回重なると、さすがに需要と供給が追い付かず、在庫が手薄になる。自宅の引き出しにちょっとした手直しが必要なとき、空き箱のバラエティーが不足するのは耐え難い

 前置きが長くなったが、そういう私にとって、大竹伸朗のカバン屋にあたるのが、とあるビジネスマンのオフィスなのだ。                        …(下)に続く
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by miltlumi | 2012-04-21 15:53 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

アンチサプリ派の戯言

 毎週1回通っているスポーツジムで、半年に1度体組成測定をしている。先日のマイ計測日、係の人に「ちゃんと定期的に測ってらっしゃるんですね」と褒められた。しかも今回は筋肉量の増加と脂肪の減少が同量という理想的な変換を遂げ、「何かなさいましたか?」と驚嘆された。11月から炭水化物を減らすダイエットを続けた賜物である(以上、前座の自慢話でした)。

 「継続は力なり」を座右の銘とし、続けようと一旦始めたことは大概続ける(だから、新しいことを始めるのは3年に1度だったりする)。そんな私がどうしても続けられない(より正確には、始めてもトライアル期間だけで終わってしまう)ことがある。栄養補助サプリである。
 夕刊の折り込み広告には、つるつるの顔をした50代・60代の女性の写真が並んでいる。今だけお試し価格!の宣伝文句に惹かれて某サプリを取り寄せたことがあるが、1週間かそこら飲んだところで効くわけがない。阿木曜子や草刈民代を信じるならば、3ヶ月続けたら夢のような軽快な毎日が待っているらしい。でも毎月5000円近く払うなんて、元来のケチ根性が頭をもたげるのか、本格購入に至ったためしがない。
 大台に乗り、いよいよ背に腹は代えられなくなってきているはずなのに、それでも踏み切らないのは、単なるケチとは別の深層心理が働いている気がする。

 つまり、本来ならば自然の恵みとして食べ物から摂るべき成分を、人工的に抽出して固めた工業製品の形で飲み込むという発想がキモチ悪いのだ。料理に興味の薄い単身男性とか、ど残業で帰宅がお肌のゴールデンタイムを過ぎる女性とかならまだ仕方なかろう。
 しかし、冷蔵庫の残り物で適当に副菜をでっちあげることに無上の喜びを見出し、遊びの予定がなければ、それらを夜7時のニュースを見ながらいただくヒマ小僧な私が、春菊のごま和えを作らずして、何が悲しくて無味乾燥なタブレットを丸飲みせねばならないのか。
 コラーゲンだって、手羽先5本食べれば1日の所要量を満たすって、知ってました? 

 でも生だと吸収が悪いとかもっともらしい説を唱えて、広告は消費者の不安を煽りまくるが、そもそもナマからちまちまと吸収して、人間は生きてきたんでしょう。それでだんだんしぼんで、死んでいったのでしょう。
 それもこれもどれもひっくるめて、老いていくのが人間の自然ではないか。何度も言うが、私はいつも、いつ死んだっていいと思っている。
 だから、この歳になったらサプリの2つや3つ定期購入してないと、中年の風上にも置けませんぜ、的な広告攻撃は、止めてほしい。平穏な心を不要に乱すだけである。老いる時は老いるし、死ぬ時は死ぬのだ。

 とかいいながら、せっかくの機会なのでちょっと調べてみた。某サプリが誇るセサミン10㎎を摂取するのに必要なすりごまは、単純計算だと小匙半分にも満たない。今月から始めた朝のシリアルに大匙1杯ふりかけていた私は、大いに溜飲を下げた。最近、朝の目覚めがいいのはこのおかげだったか。
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by miltlumi | 2012-04-19 22:49 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

バースデーケーキを求めて

 しつこく誕生日ネタで恐縮だが、きりがいい数で特別めでたい今年、自分に誕生日プレゼントをあげようと思った。ところが昨今物欲が失せていて(この10年に失くしたものの一つだ)、欲しいものがとんと思い浮かばない。
 欲しくもないものに大枚はたいても無駄なので、とりあえずケーキを買うことにした(う~、なんて小市民なんでしょ)。

 いさんで出掛けた日本橋三越。ずらり並んだ洋菓子店は、しかしどれも皆500円以上する。去年8月に友人宅への手土産を買ったときは、こんな値段じゃなかったと思うけど(あの時は東急でしたけどね)。ちょっと前までは400円前後じゃなかったっけ。
 しかも、私の好きなマロン系は少ないし(当たり前か。今は春)、あっても和風なんとかこまっしゃくれた演出がこれみよがしだし、何より小さい。幼少時代は不二家、ティーンエイジャーの頃はコージーコーナーで育った身としては、反射的に大きさにも目が行ってしまう。
 たかがケーキとはいえ、自分の好みにちょっとでも外れた物は買いたくない(という拘りは、この10年に得たものの一つだ)。憮然として、手ぶらでデパ地下を後にした。

 次に向かったのは恵比寿三越。日本橋より規模は劣るが、その分迷わずに済むかも、と思ったが、驚いたことに、食品フロアには目当てのケーキを扱う店が、たった1軒。ロールケーキやホールケーキはあるのに。信じられる?世の中ケーキ人口が激減してるのか。そりゃ、メタボだコレステロールだと騒がれれば、びびるのも無理はないが。
 仕方なく恵比寿アトレへ。駅ビルなら、東急並みの手頃さかと思いきや、これまたしゃれのめしたケーキ達が588円。いつからケーキの相場が500円になったのよ。需要が減った分、開き直って単価上げてんのか?!資本主義の基本を知らないやつめらが。

 こうなったら最後の砦は、絶対美味しい広尾のテオブロマ。チョコレート屋さんだけあって、ここの生チョコクリームは絶品。小ぶりでお高いけど、それだけの価値はある。これなら500円以上でも許す。費用対効果、である。
 ところが夕方のせいか、ただでさえこじんまりしたショーケースには、苺のショートケーキとチョコムースしか並んでいない。チョコスポンジとタルトが欲しいのに。店内に足を踏み入れることもなく、ほとんど泣きそうになりながらママチャリのハンドルを握り直す。

 本日、私は悟った。この世の中にはおしゃれでフレッシュで大きくて500円以下のケーキはもう存在しないのだ。だからって記念すべき○十歳の誕生日に好きなケーキを食べないなんて。
 妥協の産物が、昨日恵比寿三越で無視したHARBS。ここのケーキはでかい。600円以上するけど、それだけの量はある。くるみたっぷりのチョコレートケーキとマロンタルト。理想的な組み合わせ。今夜は夕飯抜きにしよう、と心に決めて家路につく。

 結局お野菜だけの簡単な夕食をとり(最低限の健康意識)、丁寧に紅茶を淹れて、いつもより大きなお皿にどどーんとケーキを2つ。至福だわ~、と食べ始めたが、2/3まで食べたところで、フォークのスピードが落ちた。やっぱだめだ。寄る年波には勝てない。一旦休止して、ようやく平らげた。しばらくケーキの顔は見たくない。
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by miltlumi | 2012-04-16 23:50 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

父の記憶-破戒

 父は、本が好きだった。男性によくありがちな、シリーズものの本をずらーっと本棚に並べて悦に入る、というタイプで、ドストエフスキー全集、バルザック全集、夏目漱石全集、谷崎潤一郎全集、チボー家の人々(これは全集ではないが5巻あった)など取り揃えていた。それらの頁はめくられた跡がなく、実際に読むのは、もっぱらハヤカワミステリ(若い頃はミステリ作家になりたかったらしい)。
 そして、小学生の子供たちには「少年少女新世界文学全集」をあてがわれた。「東海道中膝栗毛」から「ギリシャ神話」「トムソーヤの冒険」などが詰め込まれた30巻ほどの全集の背表紙に、兄と私は「読んだ」印をつけて競い合ったものだ。
 
 コドモ全集から卒業した、中学2年くらいだったと思う。珍しく父が「今、何の本を読んでいる?」と聞いてきた。正直言って、あの頃は父と親しく日常会話をした記憶がない。記憶がない、というよりも、実際にあまり口をきかなかったのだ。よくある話で、あの年代の女の子にとって父は鬱陶しい存在以外の何者でもない。
 「島崎藤村の『破戒』だよ。」私はそっけなく答えた。「それはどんな内容か?」さらに父は聞いてきた。父との会話をとっとと切り上げたかったのだろう、簡潔に要約してちゃちゃっと答えた。
 それに対して、普段はほとんど子供に愛想を言わない父が「そうか。よくわかった。おまえ、頭がいいな。」と感心してくれた。それから後しばらく、父は親戚に会うたびに「こいつは頭がよくて…」とこの逸話を披露していた。

 父に褒められた光景を明確に憶えているのは、後にも先にもこのときだけである。高校や大学に合格したときも、もちろん父は喜んでくれたはずなのだが、「褒められて嬉しかった」という鮮烈な記憶は、なぜかこの「破戒」のときが一番なのだ。
 そのせいかどうか、私は学生時代から就職した後も、文章を要約することが得意である。大学受験では、日本史の「XXXの乱の意義を200字以内で答えよ」といった問題に199文字まできっちり書いたし、大学の講義ノートは、試験前になると見知らぬ学生にまでコピーのコピーが出回った。仕事では、気づくといつも会議の議事録係だった。

 作家志望だった父は、晩年「私の回想録」という最初で最後の本をしたためた。簡易製本機まで買って自分で印刷した本は、家族と彼の姉妹たちにだけ配られた。かなりの部分は自分の生い立ちから仕事の話、退職後の旅行三昧の思い出で占められている。幼い子供が可愛い、みたいなアットホームな話はとても少ない。
 つまんないなあ、と飛ばし読みしていたら、「娘が中学の時、何の本か忘れたが、どのような本なのかと聞いたら、即座に簡潔、明瞭に応えたときには、こいつは頭がいいと思った」という下りに出くわした。
 父と娘は、同じ思い出を、同じように共有していたのだ。子供を褒めるのは大切だが、一生に1回でも、十分な場合もある。
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by miltlumi | 2012-04-12 23:28 | 父の記憶 | Comments(0)

The last 10 years, and the next 10 years

きりのいい数字の誕生日、10年前と今とを比べて、a0165235_21111172.jpg
人生の棚卸をしてみた。
この10年で「得たもの」のほうが、「失くしたもの」よりもずっと多くて、
そのほとんどが、いいことばかりだった。

あまり好ましくないのに得た、最たるものは「白髪」。
目立ち始めたら染めようね、と美容院のお姉さんと言い続けて早何年か。
最近は「貫禄」のうちだと開き直り始めている。

得て好ましいものは、「自転車に乗る運動神経」。
10年前の誕生日の少し前に買ったママチャリは、
最初は片手離しもできなかったけれど、
今ではたいがいの坂もギアチェンジなしでぐいぐい漕いでいる。

本当は、大切なものをたくさん失くしたり、
有難くないものをたくさん得たりしているのだろうけれど、
なぜかあんまり思い浮かばない。
総括してしまえば、右肩上がりの、とてもいい10年だった、と思う。
そういう能天気な自分が、嫌いじゃない。

次の10年は、いよいよ色々と下がっていくことが多くなるかもしれない。
でもそれは、おそらく経年変化というやつで、逆らおうとしても仕方がない。
その分、ちがうものを得ればいいのだから。

だから、これからの10年も、きっといい年月になると思う。
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by miltlumi | 2012-04-10 20:49 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)