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父の記憶-西伊豆の12月

 私が幼稚園に入る前から、父の会社の夏休みに2泊3日で東伊豆の海水浴場に旅行するのが我が家の年中行事だった。小学校3年の時、西伊豆の土肥に新しくできた小さなホテルのことを父が知り合いから聞き、沼津から船に乗るという珍しい体験をした。

 その後また東伊豆に戻ったのだが、小学6年生は再び土肥のほうだった。海の見える部屋に落ち着いた私たちに挨拶にきたホテルのオーナーに対して、父は「娘が『たまには○○に行ってあげないと可哀そうよ』というので今年はまた来ました。」と返していた。土肥行きを自分が主張した記憶など全くないのだが、父のこの台詞だけははっきり憶えている。
 この旅行には、両親が新婚時代に可愛がっていた、近所の「千代ちゃん」が同行していた。私より10歳近く年上の千代ちゃんとその妹の小百合ちゃんは、兄や私が生まれる前、子供好きな母を慕って毎日うちに入り浸っていたらしい。彼らの両親が引っ越して往来も間遠になっていたが、久しぶりの千代ちゃんの参加は、家族が5人になったようで、2泊3日の旅行のにぎにぎしさもひときわだった。

 このときの記憶が鮮明なもう一つ理由は、ホテルが顧客サービスの一環として記念写真を撮ってくれたこと。後日送られてきた、普通より大きな判に撮影年月日が入った写真を手に、一番最初に嬌声を上げたのは兄だった。
 「お父さんとおまえ、口元がそっくり~!!」 眩しい夏の陽の下で典型的な「はい、チーズ!」表情を浮かべた5人の中で、確かに父と私は全くと言っていいほど同じ笑顔を浮かべている。そろそろ「お父さん」が煙たくなり始めた年頃の私は「えー、いやだあ。」と拗ねてみせたが、写真を変えることはできない。よく見ると、口元だけでなく、鼻のあたりまでそっくりだった。

 父は定年直前、技術の国際標準化業務に携わっていたが、私が就職したメーカーもその団体に代表を送り込んでいた。あるとき社員食堂で、個人的にほとんど話したことのないちょっと気難しげな主任技師が、つかつかと私に歩み寄ってきた。何事?と構えると、
 「あなた、もしかして○○会社の○○さんの娘さん?」 
 父が主幹する標準化グループに参画していた彼は、姓と顔つきだけで、私が父の娘であることを確信したらしい。以来、彼は私には妙ににこやかだった。

 4年前の12月、あの時以来となる西伊豆旅行にでかけた。千代ちゃんの代わりに、兄の妻と二人の子供が加わった。懐かしいホテルは横を通り過ぎただけで、もう少し規模の大きなホテルに泊まった。そこで撮った7人の記念写真の中で、お互い年をとった父と娘は、やはりお互いそっくりな口元で微笑んでいる。
 私の家族4人全員が揃っている、最後の写真である。
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by miltlumi | 2011-11-29 20:17 | 父の記憶 | Comments(0)

逢瀬の頻度

 友人が、数年前に不本意に別れた彼と復活したらしい。とても久しぶりに逢ったのに、まるで昨日別れたばかりのように「あの話なんだけどね…」と自然に会話がつながり、やっぱり好きなんだなあ、と思った、としみじみ語っていた。
 そうなんだよね。別に彼氏に限らず、しばらくぶりに会ったときの会話の流れは、お互いの関係の深さを無言で物語る。何のしゃちこばった挨拶もなくスムーズに会話に入れると、ああ、やっぱり、私たちは特別だなあ、と実感する。

 大学の頃、ほとんど毎日同じ講義を受けて、トイレに行くのも一緒だった(ティーンエイジャーの女の子って、どうして一緒にトイレに行くのだろう。実践していた私にとっても今や謎である)仲良しの友達がいる。
 卒業後はお互いの赴任や留学が重なり、年賀状以外は疎遠になっていたのが、ここ数年また交流が復活した。久しぶりの待ち合わせ。何をしゃべろうか、ちょっと緊張する。けれど会った途端、それこそ昨日の夕方「ばいばい」と言ったかのように、あれこれと話がはずむ。もちろんその内容は、ボーイフレンドやサークル活動や秋休みの旅行の話ではなく、仕事や健康診断や年老いた田舎の親の話だったりするのだが。
 そして、名残惜しい別れ際、ただ一言「またね」と言い合う。その「また」が1週間後や1ヶ月後でないことは、お互い暗黙の了解。そんなことが数回続いた後、つい私が「1年後っていうのはなしにしようね」と口走ったとき、彼女はちょっと困ったような顔をして「ん~、春、かな」と、半年後の季節を挙げた。

 人それぞれかもしれないが、男女問わずそういう友人と会うのは、結果的に半年から1年に1度、というのがいいペースである。近所に住んでいる友人はもう少し気軽に会えるが、それでも多くて2・3ヶ月に一度。
 共通するのは、「次はいつ会おうか」などという無粋な会話はしないこと(だから、上述の私の発言はちょっとルール違反だった)。必ず顔を合わせる機会のある同じ会社の友人とはちがい、お互い会おうとしなければ会えない相手でも、次の約束はしない。なんとなく会いたくなって「元気?」とメールすると、「私もそろそろ会いたいなあ、と思ってたところ」という返事が返ってくる。その間合いが嬉しい。
 だから、「月に1度は会いたいね」とか「次にいつ会う?」などと真正面から言われると、びっくりしてしまう。会いたくなったら、会う。3ヶ月後でも、3年後でも、お互いの距離に何の変化もなかったかのように。

 昔、友達と恋人のちがいを考えて、「恋人はぬき」と定義したことがある。3ヶ月後に会ったとき、「どうして?」と訊くのは友達。「どうして?」と問い詰めるのは恋人。どうして3ヶ月も私のこと放っておいたの?この言葉をぶつけたい相手がいた。
 友達も恋人も、会う(逢う)回数だけでは、気持ちは測れない。それを知ったのは、ようやく最近のことだ。
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by miltlumi | 2011-11-27 21:27 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

終わることのよろこび

 先週から今週にかけて、気の重い一連の会議があった。やだなーやだなー出たくないなー、と心の中で何度もつぶやく。出たくない、と言っても、自分自身が首謀者なんだから、出ないわけにはいかない。まあ始まれば終わるのだから、と自分に言い聞かせる。
 そして実際に、始まったものは終わる。どうにか結論めいたものが出て、ちょっと気まずい空気が漂う中、会議室を退出する。ビルの外はもう真っ暗。はあ、どうにかなった。まあこんなもんでしょ。ほっとする解放感。
 こんな気分を、ずっと昔に味わった。そう、高校の期末試験だ。

 几帳面で気の小さい(?)私は、一夜漬けという大勝負に出るほどの度胸がなかった。だから、試験前2週間から14日間の毎日の予定表を作成して、ちまちまと試験勉強に勤しんだ。
 それでもやっぱり試験直前はどきどきする。政治経済でどうしても腑に落ちない民主主義の仕組みや、丸のみに記憶するしかない意味不明な物理の公式を強引に頭の中に詰め込みながら、やだなーやだなーと思っていた。
 そんな時、決まって想像したのは、試験が終わったときの解放感。始まってしまえば、あとは終わるだけだ。あと72時間たてば、泣いても笑っても試験明け。あと48時間、30時間…。最終日の朝は、むしろ解放感が先に立って、あとたったの4時間!とるんるんしながら学校に向かった。
 晴れて試験明けのご褒美は、友達と一緒に私鉄1駅分の柳並木をのんびり歩いて(彼女は逆方向に住んでいたので、定期券がなかった)、本屋さんでマンガ本を買って、喫茶店(カフェ、ではなく)でチョコパフェやプリンアラモードを食べること。それぞれ買ったマンガは翌日交換するから、2倍楽しい。

 それから、15年近く前のこと。大規模な社内コンフェレンスのモデレーター役を務めた。本番前3週間で体重が3kg減るという、人生最初で最後の「身を粉にする」経験だった。あの時もやはり、あと72時間で終わる、あとXX時間、とひたすらカウントダウンしていた。
 本番3分前は、心臓が口から飛び出るような緊張状態だったが、ステージに上って最初の一言を発した途端、胃痛は消し飛んだ。そして、終わった時の爽やかさと言ったら。

 終わる喜びは、苦しいこと、つらいことだけではない。楽しくて楽しくて、もう帰りたくない、と思うような旅も、本当に終わらなかったらちょっと困る。いつか終わるとわかっているから、余計に大切に過ごそうと思える。

 人生も同じかもしれない。不老不死の仙薬を追い求めた始皇帝の気持ちは、私にはよくわからない。末期癌患者を数多く看取った医師から聞いた、「人生に終わりがあるのは、いいことだと思う」という言葉は、手のひらにずっしりと重い。
 ただ仕事や旅と違って、人生は、終わってしまった後で、その解放感を味わえるのか、「よかったねえ」と振り返ることができるのかどうか、誰も知らない。
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by miltlumi | 2011-11-25 21:15 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

「勤労感謝の日」の意味

 今日は勤労感謝の日である。国民総サラリーマン・マンモス狩り讃歌のような、ちょっと古臭い昭和の響きが漂う祝日。だが、元々は新嘗祭、つまり収穫を祝う祭りであることを、日本国民の何%が知っているだろうか。
 この時期、五穀はもとより栗や松茸(今年も口にする機会はなさそうだけど)、食用菊に梨柿葡萄と、実りの秋(食欲の秋?)を彩る食材が店先を賑わす。TPPだかFTAだかのおかげで、外国から季節を問わず色んな食材が輸入されようとも、日本古来の食べ物を、しかるべき収穫時期にいただくことは、やっぱり特別な意味があると思う。

 新嘗祭は毎年行われるけれど、天皇が変わるときにしか行われないのが大嘗祭。昭和から平成に改まった前後にカナダにいたせいで、日本人としての歴史的瞬間に立ち会えなかった(ついでに言えば、ちょうど絶頂期を迎えていたバブル経済というものの恩恵にも与かれなかった)ことは、私の一生の悔恨である。
 その平成の大嘗祭(1990年11月)の前後に、「大嘗祭の秘儀」をめぐり、ちょっとした論争が巻き起こったことを知ったのは、ほんの先週のこと。
 それまでは、折口信夫氏の「真床襲衾(まどこおふすま)論」に基づき、大嘗祭は、宮内にしつらえられる寝座=真床襲衾の中での「秘儀」を通じて、新天皇が天皇霊、つまり天照大神を体に取り込むものだとする説が大勢を占めていたそうだ。
 ところが国学院大学の岡田荘司氏が、中世来の解釈に立ち戻って「神膳共進と共食儀礼」つまり天照大神をお迎えして食事を共にする祭りごとのみとした。同様の説を唱えた、かの柳田国男氏は、これを「寧ろ単純素朴に過ぎた」行事と形容している。

 けれども、「一緒にご飯を食べる」という、当たり前で素朴な行為が、新天皇を天皇たらしめる神聖な祭りごととして1500年近くも続いている、その意味こそを深く考えてみたい。 
 四季折々の食材が豊富な日本では、お正月のおせち料理に始まって、七草粥から弥生の節句のちらし寿しに潮汁、端午の節句には粽に柏餅、秋のお月見団子、等々、伝統行事と食べ物が必ずセットになっている。そしてそれを家族揃って食べた。
 食べ物一つ一つに神の力が宿るとされるのだ。「初物食べると75日長生きできる」と祖母がよく言っていた。季節の食べ物を皆で分かち合う喜び。それを国の頂点に立つスメラミコトの神事にまで持ち上げてしまった、日本の神道は、すごいと思う。
 
 思えば、これは日本人だけの専売特許でもない。まさに今週のThanks giving、北米では七面鳥の丸焼きとパンプキンパイが供される。それからイースターのタマゴやうさぎのチョコレートは、キリストの復活だけでなく、生命力溢れる春の到来を祝う意味があるという。
 
 さて、勤労感謝の日。夏の節電による変則勤務の影響で、出勤している人も多いらしい。働いた人は、今宵大いに食べて飲んでください。私の本日の収穫は、秋のりんごでジャム作り。
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by miltlumi | 2011-11-23 17:34 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

秋の野原のマフラー

サラダの国から来た娘を口ずさみながら 編んでるマフラー
先週 金時山から見た景色に なんとなく似ている
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by miltlumi | 2011-11-21 22:19 | フォトアルバム | Comments(0)

サラダの国から来た娘

  季節の変わり目さえ 気づかないほど ぼんやりしているあなたに
  混ざり毛糸あつめて マフラー編んで 秋の野原をかけてあげたい
                            ♪♪サラダの国から来た娘-イルカ♪♪

 ふと思い立って、編み物を始めた。編み棒を握るのは20年ぶり。さほど長く遠ざかっていたけれど、実は、ほんとに編み物が好き、ということを、久しぶりに思い出した。
 最初は編み目の作り方さえ忘れていて、少しあせった。でもちょっと毛糸と戯れるうち、昔取った杵柄というか、三つ子の魂というか、不意にすべてを思い出す。あとは自然と、編み棒がすいすいと動いていく。

 秋の夜長の編み物三昧は、20代前半のほんの短い間。あの頃は1シーズンに3・4枚もセーターを編んだ。過半はボーイフレンド向け。ただの男友達や、先輩に初めて生まれる赤ちゃん向けもあった。演歌好きではないので、着てはもらえぬセーター(津軽海峡冬景色、ね)なんぞ、決して編まなかった。
 プレゼントする相手の喜ぶ顔が見たい、というのもあるが、7割方「編みたいから編む」という気持ちの方が強かった。まさに「マンモスの干し肉」作りの純粋な悦びである。

 あんな単調作業のどこが面白いのか。単調とはいえ、というか単調だからこそ、編み目を落とさないよう、編み目の数がわからなくならないよう、表編みと裏編みの順序を間違えないよう、同時にいくつも気を使わないといけないから、結構集中力が要る。
 あまり力を入れすぎると、ゲージが滅茶苦茶になる。近頃編み物をしなかったのは、編んであげる相手がいなかったからではなく、20代はともかく今じゃ肩が凝るにちがいない、と敬遠していたためだが、実はちがった。肩はもちろん身体のどこにも余分な力を入れないで指先を動かしていくと、何時間やっても肩は凝らないし、編み目もきれいに揃う。
 単調でありながら、適度な緊張と適度な脱力が必要となる、高度な作業なのだ。

 しかも、最初はただひたすら本の編み図に従って表2・裏2…、5段目でクロス、とやるうちに、10㎝くらい編み進むと、規則正しい模様が浮かび上がっている。確かにそれは自分が手を動かした結果なのだが、なんだか魔法を見ているようで、嬉しくなる。
 模様編みでなくても、だんだら色の毛糸でシンプルに編むときは、また違う楽しみがある。毛糸玉からしゅーしゅーと毛糸を引き出すにつれ、微妙なグラデーションが現れる。ああ、この色、好きだなあ。特に色も長さも気まぐれに変わる毛糸は、どんな仕上がりになるのか最後までわからないところが、さらによい。
インクを流して抽象的な画を創作するアーティストが、作品を100%自分でコントロールできないのがいい、と言っていた。まさにそんな感じ。
 
 編むうちに外側だけになって、最後は波平さんのアタマみたいにすけすけになる毛糸玉も、愛しい。

 編み物は、一攫千金を狙うマンモス狩りと根本的に異なり、小さな投資で大きな成果、はあり得ない。1段編むには確実に数分を要する、労働集約型なのである。そのかわり、かけた時間に対する成果は着実に結果として現れる。私の性に、とても合っている。
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by miltlumi | 2011-11-20 20:04 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

秋の遠足

私の小学校は、足柄小学校という名前でした。
足柄山(別名、金時山というそうです)の金太郎、の足柄です。
それなのに、これまで金時山(地図にはこちらの名前がメジャーです)に登ったことがありませんでした。
ついでに言うと、仙石原にも行ったことがありませんでした。

昨日ついに、初めてそこに行くことができました。
金時山の頂上では、山ガールならぬ山のおっさんが、
「今月4回登ったけど、こんなにきれいに富士山が見えるのは珍しい」と言っていました。
初めての登山で、最高の富士山。神様、金太郎様、ありがとう。

紅葉、富士山、すすき。秋、満喫。
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by miltlumi | 2011-11-18 21:48 | フォトアルバム | Comments(0)

好きなことを仕事にする

 友人の大学教授の要請で、就職活動開始直前の大学3年生10人に話をする機会があった。「転職経験をもとに、会社を選ぶポイントは何ですか?」という質問に対し、すかさず「自分が好きなモノ・コトに拘ること」と答えたところ、隣に座っていた教授から「あ、でも、好きなことが何かわからない場合もあるから、まずはやってみて…」というフォローをいれられた。
 超氷河期の今、確かに「好きな」仕事に就けるラッキーな学生は何%くらいいるだろう。そういえば、仕事で出会う他社の人達の中にも、「仕事はつまんないですから」と開き直る人は少なくない。
それでも、本当に真剣に仕事に取り組もうと思ったら、やはり自分の好きなことでなければ、続けていけない、と思うのは、私の驕りだろうか。

 これは、しかし実体験に基づいた私の偽らざる実感である。会社訪問解禁が大学4年の10月1日だった古き良き時代(でも男女雇用機会均等法施行前だった。歳がばれるが)、ノンポリの私は、好きも嫌いも深く考えず、とりあえず4大卒女子が入れそうな会社を適当に選んで面接をし、某家電メーカーに就職した。
 その会社を辞めた最大の理由の一つが、「家電が嫌い」という致命傷。気づいたのはずっと前だった(どうせなら面接前に気づけよ)が、どうにかこうにか自分をごまかしながらやってきたものの、ついに言い訳のタネが払底し、年金権利も早期退職金受給資格もないまま、辞めることになった。

 それでも、嫌いだから辞めるなんて、コドモみたいな行動は社会人としていかがなものか、と言われるかもしれない。しかし幸か不幸か、入社当時の会長の、入社式での常套句が「この会社が自分に合わないと思ったら、とっとと辞めてくれて構わない」というような会社であった。さらに言えば、新人時代の私のチューターは、常日頃から「面白くなければ仕事じゃない」と豪語していた。
 もっと白状してしまうと、新人として配属された当日、課長の訓示を受けた後、「何か言いたいこと、訊きたいことはありますか?」という社交辞令を真に受け、信じ難いことに「私は滅私奉公をするつもりはありませんから」という、サラリーマンとしてありうべからざる失言を吐いた私に対して、その課長は「そういう態度、僕は大好きだ。人生仕事だけじゃない」と褒めて(?)くれたのだ。 
 すごい会社だったな、と改めて思う。22歳のひよっこ時代からそういう環境で育ったおかげで、仕事だからといって、好きじゃないことをやり続ける忍耐力を養う機会を逸した。

 結果、今や気ままな自由業。気持ちよくやっている仕事もあれば、うまく回らないプロジェクトもある。なぜうまく進まないんだろう、と胸に手を当てて考えたら、PJの目的そのものを好きになれないことに気づいた。
 好きでもないことに夢中になれる、あるいは夢中になっているうちに好きになれる、そういうスキルを身につけるにはもう手遅れだ。
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by miltlumi | 2011-11-16 21:09 | マンモス系の生態 | Comments(0)

ダイアリーと日記帳

 今年もまた、新しい年のカレンダーやダイアリーが店先にずらりと並ぶ季節になった。手帳サイズのダイアリーを使い始めたのは20歳のとき。大学時代の最大のコンテンツは、彼氏とのデートと、電話(電話をもらった、あるいはした時刻を、特別のスカイブルーのペンでずっと記入していたのだ)。
 社会人になってからは、仕事の予定は会社で処理していたので、やはりプライベートイベントが中心だが、さすがに彼氏との電話まではつけなくなった。最近は、予定は公私とも全て携帯電話のスケジュール機能で管理し(30分刻みの会議なんかとは無縁になったから、あの程度の機能で十分なのだ)、ダイアリーはもっぱら実績の記録。

 1・2日空白が続くと、ブランクの時間に一体自分はどこで何をしていたのだろう、とテンポラリー記憶喪失に陥ったようで不安になる。だから、何のイベントもなかった平和な日には、「スタバで1時間読書」とか「午後2時間昼寝してしまった」とか書く。
 過去を振り返らない人には信じられないかもしれないが、このくらい記録しておかないと、誰にも会わない日のある自由業者は、殺人犯の疑いをかけられたとき自分の記憶に頼るしかアリバイの示しようがない。
 というより、誰のためでもなく、自分自身のため、どこで何をしたのか、もっと言えば、そのとき自分が何を考えていたのか、カタチに残しておきたいという本能的な欲望だと思う。
 それが証拠に、本や映画の一口感想、外出先でふと感じたこと、印象的な箴言や思いついたブログネタを書いたり、単に「夕焼けがきれいだった」とか「いい夢をみた」とかいう一言まで、あれこれ書き添えている。

 もっと本格的に書きたいときは、日記帳を開く。そろそろ年末の大掃除、整理好きの私にしては珍しく、最近のが3か所にばらかっていたので、ひとまとめにした。中学2年から今日まで、全部で26冊。興味本位でページをめくると、自分が抱いたとは思えないような感情や、逆に数日前に考えたことと全く同じような想いが、混在している。
 そして気づいたのは、他人とひとつ屋根の下に住むようになってから、別れを告げられるまでの8年間が、たった1冊だったこと。もの思いに耽るヒマがなかったのか、あるいは何も考える必要がないほど幸せだったのか。

 ダイアリーと日記帳。両方合わせても段ボール1箱に収まってしまう私の半生。これだけは断捨離するわけにはいかない。最終的には、どうなるのだろう。
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by miltlumi | 2011-11-14 21:00 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

だまし絵-秋の午後

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不思議な形をしたグリーンベルトの道

両脇を彩る並木の紅葉。

でも、奥に見えるビルが

なんだか沈んでいるみたい・・・?





実は、目黒川に映る桜並木でした。
秋の午後のマジック。
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by miltlumi | 2011-11-12 21:36 | フォトアルバム | Comments(0)