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15才の頃

Sometime I wonder what is my reason for being here.
Then, I think of you.

別に私が作った詩ではない
中学3年生のとき好きだった同級生の誕生日に贈った木のペン立てに書かれた言葉

高校のクラス会に持っていく「思い出の品」を探そうと
昔の日記やら手紙やらが詰まった段ボールを漁っていて見つけた
B4のノートの切れ端の表裏に書かれた鉛筆書き

すっかり忘れていたけれど
エッセイストになりたいと思った きっとそのきっかけのひとつ
ついでにこの時期 英語が得意になった

それにしても
何十年もたった今 あの頃からあんまり進歩していない
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by miltlumi | 2010-10-31 20:31 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

正しい台風の楽しみ方

 今日日、正しく台風を楽しむには、それなりの財力が必要である。高度成長期前夜の、6畳二間続きの南側に半間幅の縁側がついているような昭和の家屋、しかも海の近くの家を手に入れることから始めなければならないからだ。隙間風がどこからともなく吹き込んでくるガラス窓(サッシではない)と、定期的に桟に蝋をぬらないとガタピシする木の雨戸がMust item。

 「台風が接近しています」というTVニュースを見たら、まず蝋燭の在庫を確認する。「キャンドル」ではなく、白い、直径2cm長さ25cmくらいのただの蝋燭でなければならない。アロマキャンドルなんぞで代用すると、ロマンチックな妖しい時間になってしまって邪道である。
 一晩常夜灯代わりにできるだけの蝋燭の本数が確認できたら、次は木の板で雨戸を打ち付ける。その頃はもうじょばじょば雨が降り始めているから、ただでさえほの暗い室内は、昼間っから雨戸をたてたせいで真っ暗になる。
 まだ通っている電気をつけて、先ほどの蝋燭に火をつける。風月堂のゴーフルが入っていた丸い缶のフタ(ない場合は、台風が来る前にデパ地下で購入しておくこと。ここでもささやかな財力が問われる。ゴーフルは食べ終わっておくこと。フタがないとすぐ湿気る)に蝋を数滴たらして、蝋燭をしっかりと固定して立たせる。

 雨脚が激しさを増しているのを確認したら、長靴と雨合羽を着用して海に向かう。近頃は道で転んでも道路公団が訴えられるくらいだから、役所はすごく神経質になっていて、有線放送で「台風で高波が押し寄せているから絶対に海には近付かないでください」と繰り返している。役所と無駄な争いをしないため、「有線放送は聞きましたが、自己責任で海に行きます」というメモをちゃぶ台の上に残して出かけるのがよい。
 人っ子一人いない海は、期待通りの大波がどっぱーんどっぱーんと打ち寄せている。夏であれば雨合羽の下に水着を着ておいて、雨と波しぶきが混然一体となったあたりに駆け出すのも一興。ただ台風の本土上陸確率が一番高いのは10月なので、この季節にそれをやるとさすがに風邪をひく。分別の付いた大人は、防波堤のこっち側で波を眺めるだけで我慢しなければならない。それでも、自然の脅威を体感するには十分なリアリティーである。

 海から戻って、なんとなくせわしない夕飯を済ませた頃に、パッと停電するのが理想的である。「停電の夜に」(ジュンパ・ラヒリ著)は、蝋燭の灯りの元で、別れの発端となる内緒事を夫婦が打ち明け合ってしまう、切ない小説だが、こうならないよう、台風の停電のときはひたすらエンタテインメント性を追求すること。
 すなわち、蝋燭の灯りを顔の下から照らして「幽霊ごっこ」をしたり(思わず笑って鼻息で蝋燭の火を消しても大丈夫なよう、第二の蝋燭をつけておく)、ばば抜きやスピードといったトランプ遊びをする(暗がりだと集中力と真剣度が増す。但しトランプ占いは、ジュンパ・ラヒリの思惑にハマって「相手の真意を探る」モードに発展する恐れがあるので、絶対にNG)

 台風一過の翌朝、雨戸の隙間から細く差し込む朝陽の明るさで目覚めた瞬間の至福。思わず雨戸を繰ろうとして、外から釘で打ち付けてあることを思い出し、玄関から飛びだす。清少納言が「野分のまたの日こそいみじうあはれにをかしけれ」と詠んだ、その光景通りに枝や葉が乱れ飛んだ庭。そう、昭和の家屋には、葉っぱの大きな桐の木や枝が簡単に千切れとぶ萩その他の植栽もMust item。

 水も漏らさぬ二重のサッシ窓が当たり前になり、東京電力の努力でめったに停電が発生しなくなり、沖合で波を調節する「ウォーターフロント」が天然の砂浜に置き換わってしまった今、正しく台風を楽しむのは至難の贅沢になってしまった。
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by miltlumi | 2010-10-30 13:23 | 私は私・徒然なるまま | Comments(2)

会長の名言

人には得手不得手があって、私はどちらかというと細かいことをこちゃこちゃやるのが好きだ。
典型的な「木を見て森を見ない」タイプである。
会社の経営には「森を見る」スキルが不可欠だから、絶対に私には向かない。
とっても大きな会社を経営していた元会長は、今、自分の会社の細かい仕事を私に委ねている。

彼は、森どころか宇宙を見るセンスに恵まれている。
「女はほんとに木を見て森を見ないやつらだな」とからかわれたことがある。
悔しいから、「じゃあ、会長の奥さまはどちらを見るタイプなんですか?」と切り返したら、
刺し違えるどころか、ざっくり即死させられた。

 「彼女は僕を見ているんだよ」
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by miltlumi | 2010-10-29 13:01 | フォトアルバム | Comments(0)

大人のプロムナード

 小学校や中学校の運動会には、「行進」がつきものだった。朝一番の最初の「プログラム1:入場行進」と称して、校庭の後ろの端に設置された入場門をくぐって、1年生からクラス順に整然と行進していく。
 高校の体育祭(小中学校は「運動会」というのに、どうして高校では「体育祭」と呼ぶかというと、運動とは関係ない、大きな立て看板を作ったり仮装したりといった活動が最重点プログラムになるからだ)では、入場も退場も関係ない、へんなタイミングで「行進」があった。昼食が終わった直後あたり「プロムナード」という意味不明な題名の下で、3学年12クラス、1,620人がだだっ広い校庭をぐるぐる回るのだ。

 遅まきながら辞書をひいたら、「プロムナード」とはフランス語で「散歩」の意味だって。あの、「やってらんないぜ」と言いたげなティーンエイジャー達が、土煙をもうもうと上げながら、ばかみたいにどかどか歩き回る、そのどこが「プロムナード」なんだか。へたすると北朝鮮の軍事演習と見紛う代物だったよね、あれは。緑萌えるプロバンスの丘を、ひばりの声でも聞きながら逍遥するのが、本来の散歩ってもんじゃないの。

 話を戻すと、行進練習のときは、こわい先生が皆の足並みをにらみつけている。少しでも回りと歩調がずれると「そこ、足が左右逆!」と怒鳴られる。小学校低学年の頃、何の抵抗もなく右足と右手を一緒に前に出すほど徹底的に運動神経の鈍かった私は、隣の友達と同じテンポで同じ側の足を前に出すという技(というほどでもないのだろうけれど)を習得するのに苦労した。
 左右がずれたとき役に立つのは、スキップをするように右足と左足を半テンポずつで「タッタタン」と動かす、あの小技である。通常の運動神経の保持者はそんなことも不要だから憶えていないだろうが、憶えてる人は憶えてると思う。ちょっと気を抜いていて、みんなが左足を出してるときに右足をだしてる自分に気付くと、あわてて「タッタタン」とやって回りに合わせた。

 今はもう、体育祭も行進も恐い先生もない。大人になってから一緒に歩くのは、1,619人の友達・先輩・後輩ではない。
 「手をつなぐのと、腕組むのとどっちが好き?」と聞かれて、反射的に「どっちも好き」と答える。本当にそうだけど、でも本当はちがう。春か夏にその質問をされたら、答えは「手をつなぐ」で、秋と冬だったら「腕を組む」。そのほうがあったかいから。
 腕を組むとお互いが近くなって、足並みをちゃんと揃えないとぎくしゃくする。どうしたって、男の人の歩幅の方が私より大きい。右左を一緒に揃えたくて、あの「タッタタン」の技が活躍する。
 プロムナード。
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by miltlumi | 2010-10-27 08:25 | 私は私・徒然なるまま | Comments(2)

狐になりたい女の子、虎になりたい男の子

夕方の六本木。a0165235_20462477.jpg
前を歩いている、髪を金色に染めたお姉さんの腰から、
シルバーフォックスのしっぽがぶら下がっていた。
ああ、彼女はケモノになりたいんだな、と思った。

私も、甥っ子がCatsのミュージカルで買ってきた
猫耳のカチューシャを巻き上げたことがある。
黒い髪と黒い耳がシームレスにつながって、a0165235_20464612.jpg
本当に猫になれた気がした。

いつの時代でも豹柄のTシャツやレザーのミニスカートは、
ちょっと不良になりたい女の子の憧れ。
もう少し大人になると、ファーコートに身を包む淑女に憧れる。
でもきっとそれは、遠い昔の血が騒いで、
「動物に戻りたい」というわたしたちの本能。a0165235_2102220.jpg

男の人は自分の気持ちを現すのが苦手だから、
キツネがぞろぞろ歩いている柄のネクタイとか
せいぜいスーツの裏地に虎を跳躍させるくらいが関の山だけど、
そのかわりに、Foxyな女性を虎視眈々と狙う。
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by miltlumi | 2010-10-25 21:03 | フォトアルバム | Comments(0)

両親の結婚記念日にふと思ったこと

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昨日は両親の結婚記念日だった。
2年前に金婚式を家族全員で祝ったあと、ひと月もしないうちに父は入院し、それきり自宅には  戻ることができなかった。
一人暮らしも慣れてきた母に、「お父さんの分も人生楽しんでね」とメールをだした。

この夏に犬のルミが病気になったとき、一足先に天国に行ったミルトのことも世話してくれていた 動物病院の看護婦さんが、ルミに「ミルトの分も長生きしなきゃだめだよ」と声をかけていた。

みんな、生きてる人も犬も、「誰かの分」まで生きている。直接そう頼まれなくても、きっと。
おばあちゃんやおじいちゃんやそのまたおばあちゃんの分も。
自分の分だけで手いっぱいなんて言ってられない。

そうやって考えていくと、ヒトがヒトとして地球上に誕生して以来の、全ての人たちの分も   
生きているんじゃないかという気持ちになってくる。

肩にずっしりと感じる、幾多の命の重み。同時に、大空に無限に広がるような、その軽さ。
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by miltlumi | 2010-10-23 22:12 | フォトアルバム | Comments(0)

父の作業服

 最も古い記憶の中の父は、会社の作業服姿で病院にたたずんでいる。
 私がまだ3歳か4歳のとき。3つ年上の兄が外で遊んでいてけがをしたか何かで、家の近くの病院に運び込まれた。会社に徒歩で通っていた父は、仕事を放り出して駆け付けたのだと思う。私が見た父の姿なのだから、その記憶の画面に自分が映っていることはありえないはずだが、この光景を思い出すたび、父の作業服に抱かれて、心配そうな父と一緒に診察台の上の兄を見下ろしている私自身の姿が浮かび上がる。
 もうひとつ不思議なことに、この記憶の中に、母の姿がどこにもない。母の不在、ということは言わずに、こうした事件が本当にあったかどうか後年母に尋ねたところ、確かに兄がけがをして父が作業服のまま病院に駆け付けたことはあったという。そんな小さな頃の私がなぜそれを憶えているかといえば、「作業服のお父さんが珍しかったんじゃない?」と分析された。

 化学メーカーのエンジニアだった父は、定年退職前は研究所に所属して技術の世界標準化の仕事に携わっていたが、現役時代の過半は製造ラインがオフィスのすぐ隣に併設された、いかにも「モノ作りの現場」という部門に属していた。セラミック製造だったので、製造ラインといっても整然とした部品組み立ての直線的ラインではなく、どおんと設置された巨大な窯の中で目も眩むような真っ赤な炎がごうごうと燃え盛っている、かなりインパクトのある製造現場だった。
 オレンジ色の炎をいつ見たのか、さっぱり記憶にないのだが、病院での父の作業服を思い出すたび、この炎がワンセットになって思い出される。まだ企業秘密とか安全管理とかにこうるさくない平和な時代、父が戯れに子供たちを自分の働く現場に連れて行ってくれたことがあるのだろう。

 それから20年後、別の業界の、でも同じ「メーカー」と呼ばれる会社に就職した時でさえ、オフィスワークを含む全社員に社服の着用が強制されていたくらいだから、高度成長期前夜、戦前に設立された古いメーカーでは当然「制服」が存在し、父は会社に着くとその作業服に着替えていたのだろう。物理的にダーティーな製造現場に出入りする社員にとって作業服は実利的でさえあった。
 朝、出勤するときはきちんと背広にネクタイを締めていたのに、真昼間、突然目の前に現れた父が、上下ねずみ色の「冴えない」いでたちだったことに、幼い私は少なからぬショックを受けたのかもしれない。そして、そのごわごわした肌触りの布地の胸に抱え上げられた時、その驚きはさらに大きなものとなり、「父の作業服に抱かれている自分」という絵柄がそのまま脳みそに刻み込まれたのかもしれない。
 
 父は、文系の私がメーカーに就職したことを、ひどく喜んでいた。
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by miltlumi | 2010-10-22 22:46 | 父の記憶 | Comments(0)

仏の顔は何度でも

珍しく仕事が立て込んで、サラリーマン時代a0165235_2229866.jpg
みたいに残業してしまった。
(正社員じゃないから、そもそも勤務時間が
定められているわけではないので、「残業」
という概念を適用するのもおかしな話だが)。

誰もいなくなったオフィスを施錠して、
静かな廊下を通って、洗面所に立ち寄る。

鏡には、リップスティックがはげて髪が乱れた
凄く人相の悪い顔が映っていた。
思わず笑ってしまう。
なりふり構わず仕事なんて、品がないったら。

優雅に、しなやかに、いつも頬笑みを湛えて。
新しく始まる明日に向けて。

私の大好きな三井寺の如意輪観音菩薩像みたいに。
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by miltlumi | 2010-10-20 22:38 | フォトアルバム | Comments(2)

男友達の友情って

 私は、基本的に友達から頼まれたことは断らない性格で、幹事役を引き受けることも多い。男友達から合コンリクエストがあった。
 「女って、合コンの時に自分よりかわいくて若い子は絶対呼ばないんだよなあ」
 と言われて、それでは、とムキになって干支が一回り下のすっごい可愛い女の子を呼び、彼女が登場したとたん彼は言葉を失う、という快挙を成し遂げたことがある。
 ところが。私がこんなに彼らに尽くしているのに、彼らからは何の返礼もない。飲み会を企画して、「誰かかっこいい男性連れてきてくださいね」と頼んでホントに連れてきてもらった経験は、たった1回限り。連れの男性はホントにかっこよかった(私が言葉を失うほどではなかったが)。でも年下で、飲み会の途中から、年上で仕事一途な彼女にどう結婚を説得すればいいか、についてのカウンセリングになってしまった。

 思い返せば、ずっとそんなことばっかり。大学の同じ学科の男友達は、XX省に入ったけど仕事が忙しすぎて出会いの機会がないと泣きついてきた。会社の後輩を何人か紹介してあげたのに、「足首が太い」とか意味不明な理由で断った上に、ついぞ霞が関エリートを私に紹介してくれることはなかった(別にあの業界は興味ないからいいけど)。
 同じ学科の女友達も、他の男友達に「誰か紹介して」とかなり真剣に頼んだら、「僕じゃだめなんですか?」と言われたと激怒していた。彼はとっくの昔に大学の他の学科の我々と同期の女性と結婚して2児の父となっている。
 またまた同じ学科の、私が一番信頼している男友達(こちらも2児の父)は、はっきりと認めた。
 「XXさん(私)やYYさん(女友達)に男性紹介なんて、絶対するわけないじゃん。自分よりいい男を紹介したらオレの株が下がるし、下の男を紹介したらオレの趣味を疑われる」

 あのねえ、アナタがたは立派な家庭を築いてるんだから、そもそも試合への参加資格ないのよ。独身女性のまだ見ぬ彼氏と競争しようったって、無駄でしょう。それでも、猿山のDNAが騒ぐのか。別に恋愛感情持っているわけでもない女友達のまわりに、他のオトコの影がちらつくのは、本能的に許せないのか。
 こういうのは、まだ経験の足りない同世代のパターンかと思ったら、そうでもない。ずっと年上の男性は、私がフリーのときにはさんざん色々親切に教え諭してくださっていたのに、いざその教えを実践できそうになると、途端にその話題を無視するようになった。

 男友達なんて、そんなもんである。といいながら、来月もまた私は、別の男友達の挑発に乗ってしまい、ムキになって綺麗な女友達に声をかけ、彼らへのサービス飲み会をする予定だ。
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by miltlumi | 2010-10-19 09:46 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

無意識の意識

メーカーと金融機関勤務を経て、去年4月に突然「人事コンサルになる」と宣言して脱サラした。
人事業務の実務経験どころか、その関連の資格もなければ講習の修了証さえないのに、何の脈絡もなく藪から棒にそう思い、色んな人にそう言って回った。その後、知り合いのコネとはいいながら、かぎりなく「人」に関わる仕事に就くことができた。
「どうして会社辞めたんですか?」と聞かれると、「モノの仕事とカネの仕事より、ヒトの仕事がしたいと思ったから」という、誠にもっともらしい、でも実はただの後付けに過ぎないセリフを繰り返すことにしている。

先日、メーカー時代の書類をひっくり返していたら、今から14年前の社内報が出てきた。
「21世紀のXX(勤めていた会社の名前)」という特集の社員インタビューの一人として、顔写真入りで自分の発言が文字になっていた。
「21世は『人』の時代。『技術のXX』から『人のXX』と呼ばれるようになりたい」と書かれていた。

こんなこと、すっかり忘れていた。
人間の無意識というのは恐ろしいものだ。
藪から棒だと思っていたことが、結構自分の心の奥底に横たわっている真意に根差したものだったりする。
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by miltlumi | 2010-10-17 22:48 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)