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雨の朝

a0165235_9453482.jpg雨の音で目覚めた朝は
今日が何曜日なのか
どの季節なのか
自分がどこにいるのか
これから何をしようとしているのか
わからなくなることがある

雨音ばかりが耳について
私が眠っている間に
もしかしたら世界中が別の星に
引っ越してしまったのではないか
低気圧でぼんやりした頭に
そんな幻想が浮かぶ

                    (大西洋上 Gran Canary島の夜明けです。
                     大瀧詠一の「カナリア諸島にて」の歌に惹かれて
                     行ってみたら、サハラ砂漠の延長のような
                     なにもない島でした…)
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by miltlumi | 2010-07-30 09:52 | フォトアルバム | Comments(4)

おっさん at a glance

 人は外見で判断してはいけない。古今東西言われてきたことだが、でもやっぱり年を重ねるとその人の生き方は顔に出るし、遠目からみた立ち姿などに生活の疲れが如実に表れていたりする。見た目、絶対大切。
 というわけで、「おっさんの定義」シリーズ第二弾(第一弾はこちら)は、一目で判断できる「おっさん」の「見た目」。
 なんとなく、ぷろぶれまてぃっくな内容になってまいりましたので、客観性を担保するために、第三者の発言を引用させていただく。今から3年前、50歳(当時)の男性(もちろん「おっさん」ではない)の名言です。

 「おっさんってさあ、耳の下にぶよぶよした肉がついてるんだよね」

 へ??? 最初に聞いたときは思ったが、たしかに、おっさんらしい顔をなさった方は、大体が耳の下(より正確に言えば、耳と頬の間から顎にかけてのエラのあたり)の輪郭がぶわぶわとぼやけている。例えば、てんけー的おっさん発言として、異性で年下であるところの連立与党の同士党首を「可愛いじゃない」よばわりなさった某氏(URLはこちら)
この、ぶりカマみたいなところの肉(しかもどう見ても脂肪の塊だから、焼いてもじゅうじゅう熔けちゃうだけだろう)は、おっさんにしかつかない。例えば、60歳過ぎてなお現役として活躍なさっているロックシンガー。ね、顎のラインがシャープでしょ。

 どうしてあんなとこに肉がつくのだろう。誠に不思議な現象である。でも、ぶりカマ(トロ)肉つき男性=おっさん、と言ってしまうと、身も蓋もない。きっとおっさんの挙動がカマトロを促成しているにちがいない。
 思うに、おっさんはあまり言いたいことをはっきり言わず、何か言うときも口をあまり動かさずにもごもごと曖昧な音を発するだけだから、頬の筋肉が衰えて脂肪がつくのではないか。言いたいことを言わないのは、圧倒的に中年男性である。
 昨日だって、会社運営改善を議論する会議でトップが「言いたいことがあるならはっきり言え」と(高圧的でなく、真摯に)言ってくれたのに、それでは、と発言したのは女性ばかりだった。自分の面子だか直属上司への遠慮だか知らないが、そんなことでは会社の贅肉は落ちないし、ほっぺたにも肉がついちゃいますよ。

 スポーツジムもいいけど、「ほっぺたダイエット」ジムでも作って、おっさんたちがはっきりモノを言えるレッスンを提供したら流行るだろうか。
 「さあ、みなさん、カマトト止めてカマトロ回避しましょうね~」 …いかん、おっさんになってきた。
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by miltlumi | 2010-07-28 09:01 | サラリーマンの生活 | Comments(0)

結界(是蘭の個展)

 以前家電メーカーに勤めていたのに、家電量販店が積極的に苦手である。掃除機や冷蔵庫売り場はまだしも、特にAV・IT機器コーナーは最悪。ずら~っと並んだ大画面にアタマがくらくらして、いやあな気分になる。あの会社を辞めた理由の一つが「AV機器に興味が持てないこと」だったから、まだそのトラウマを引きずっているのだろうか。
 先日も、マウスが壊れたので有楽町のビックカメラにしぶしぶ足を運んだ。1階のTV売り場は昼前からキンキンした感じで、奥のエレベーターホールまで小走りで駆け抜けたくなる。そのとき、突然気づいた。電磁波だ。
 心身ともにセンシティブな友人が、オフィスでPCの近くに寄ると頭がガンガンして気持ち悪くなる、とエンジニアに訴えたところ、それは物理学的に非常に真っ当な反応である、と言われたそうだ。PCはびしばし電磁波でてますからね。しかも最近のはBlue ToothとかW-LANとか、能動的にホントに電波を発信してる。だよね、と思ってネット検索してみると、電磁波過敏症(Electrical Sensitivity:略称ES)という病名まで出ているではないか。

 振り返ってみれば、無意識のうちに電磁波を遠ざけた人生を送っている。初めて一人暮らしをした海外では3年間TVなしで過ごした(海外赴任して1年後に、「家電メーカーの赴任者の家にTVがなくてどうする!?」とマーケティング責任者に怒られて中古品を1台庫出してもらったが、ケーブルTVを契約しなかったので、結局TVの役割は果たさなかった)。
 電子レンジも、ご飯のお冷やさえまともにムラなく温められない不良品をつかまされて(大阪のP社製だったけど)、アタマに来て捨ててちゃって以来、5年くらいたつ。温めご飯は蒸し器で十分。
 TVもスタンバイモードにせず、いつも元電源から消している(電源コードを部屋の照明スイッチに連動したコンセントに差してるから、全然面倒ではない)。あれもこれも、無意識に電磁波の発生を最小限にしようという動物的行動だったのではないか。
 家電店に足を踏み入れるのが億劫だったりPCだらけのオフィスにいたくなかったのは、業務不履行でも職場放棄でもなく、むしろ労災認定してもらいたいくらいのことだったにちがいない。

 しかし、家電メーカーから足を洗ったといっても、21世紀の東京で電磁波から逃れるのは、おカネなしで生活するのと同じくらい不可能である。こんな殺人的な世の中でSurviveするには、結界を張るしかない。最近、ネガティブな「気」を発している人の近くにいるときに結界を張る練習をしよう、と決意したばかりだったのだ。敵はヒトのみならず。
 そう思っていたら、上述のセンシティブな友人の個展で「界(The boundary)」という作品に出会った。即買いした。是蘭の個展「Yin/Yang 陰陽」です。皆さん、ぜひ足を運んでみてくださいませ。
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by miltlumi | 2010-07-26 22:12 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

褻と晴の文化

 夏はお祭りの季節である。ニュースでは、御神輿を担いだはっぴに褌姿の男たちが、顔を歪めて掛け声をはり上げながら海にじゃぶじゃぶ入って行く映像が映し出される。子供や女性までがつられて水の中に飛び込む。勇壮、というのだろうが、とても私には真似できない。 
 仕事関連で知り合った大阪の男性は、誠に穏やかでコツコツと経理事務をこなす方だが、9月に必ず3日ほど有給休暇をとる。岸和田だんじり祭りのためだ。何しろ1年はだんじりを中心に回っていて、祭りでは人が変わったように暴力的にやるらしい。
 そこまで夢中で打ち込める純粋さが羨ましいが、私自身は、瞬間風速、我を忘れて何かに没頭するのがとても苦手なのだ。

 この性向はお祭りに限らない。学生時代流行ったディスコは、記憶している限り1回しか行ったことがない。先輩の卒業祝パーティの2次会で、もちろん踊らなかった。
 もっと遡ると、中学生の頃に友達が皆こぞってイギリスのロックグループに夢中になるのを、驚異(というか脅威)の眼差しで遠巻きに眺めていた。ブロマイドを集めたり、メンバーの衣装を真似たタータンチェックの筆箱を持ったりするのはまだしも、メンバーの一人がグループを離れることが公になったとき、「Patが辞めちゃう~」と廊下に座り込んでぎゃんぎゃん泣いていた友達は、私にとっては理解を超えた宇宙人のような存在だった。
 
 大学1年の授業で一番印象に残っているもののひとつに、見田宗介先生の社会学がある。柳田国男などを題材に、日本社会の「褻(ケ)と晴(ハレ)の文化」を説いておられた。日本の農耕社会は、生活時間のほとんど大部分を占める普段の生活である「褻」と、年に数回の「晴」に分かれ、多くの人々はその数日の「晴」のために単調な「褻」を淡々と繰り返すというものである。言い換えれば、「晴」の典型的行事である祭りは、変化に乏しい日頃に抑圧されたエネルギーの発散の場なのだ。
 経理マンにとっての岸和田や、りえこちゃんにとってのPatは、まさにその「晴」の具現化。考えてみれば、ディスコも毎日行くものではなく、「特別な日」の「特別なイベント」だった。
 みんなどこかでスパークしたいと思いながら、毎日の単調な生活の中ではワイルドになるきっかけがなかなかない。だから、それが社会的に許される時や場をつくりだす。そこでなら、皆安心して夢中な姿をさらけ出せる。
 
 ということは、子供の頃から「晴」を必要としていなかった私って、どんなつまんない人間なんだろう。と思うのだが、そういえば、私がお酒さえ飲めないのを知った年上の男性に、「ああ、そりゃアナタは酒の助けを借りなくても24時間自分で酔っ払ってるからでしょ」と言われたことを思い出した。セルフ「晴」プロデューサー、と見られているようだ。
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by miltlumi | 2010-07-25 22:45 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

個性、安心感、もしくは夏枯れ

 夏のバーゲン最後の追い込みのこの時期、ランチタイムに丸の内仲通りを散策するのが、ささやかな幸せである。いかにも丸の内のOLをターゲットにした洋服が30~50%引き。店員は、限られた休み時間に効率的にお財布を開けてもらおうと、素早くセールストークを展開する。
 ワールドのSPAであるOPAQUEは、直営店だけあって値引き率が高い。60%引きのカーディガンを手にとると「オフィスの冷房対策に最適でしょう」 私の視線の先にある白いブラウスを即座に認知して「これは身頃が二重になってて肌触りがいいの。とてもよく売れてるんですよ~」 
 その瞬間、生地をひっくりかえそうとしていた私の手がぴたりと止まる。よく売れてる? 丸の内のOLに? ということは、後日この仲通りを逍遥していると、同じ服着た(もしかしたら年代の異なる)女性に鉢合う可能性が高いってこと? じょおおおーーだんじゃない。

 Sachs 5th Avenueで、清水の舞台から飛び降りる思い(って、アメリカには清水寺はないけど)で買ったドレスを着てパーティに出たら、同じ服着た女性を見つけてしまい、舌噛んで死にたくなって会場を飛び出した、というストーリーは、映画だっただろうか、本だっただろうか。
 さほどに、女性にとって同じ服を着た見知らぬ同性(って、異性が着てたらもっとヤバイけど)と鉢合うことほど屈辱的なシチュエーションはない。仲の良い友達なら「私達、気が合うわね~」で笑ってすませられるが、他人同士はそうはいかない。
 女性が洋服に賭ける執念は、男性が職務経歴書にかける熱意と同じくらい強いものなのだ。これまで築き上げてきた実力と個性の「見せ場」なのだ。見せる目的は、前者が「異性」、後者は「仕事」の違いはあるが。

 何年か前に「クールビズ」なる造語が霞が関から発せられ、当局指導に忠実な大手町の金融機関が速やかに「カジュアルフライデー」を導入した。その結果、職場のあちらでもこちらでも「おそろい」のボタンダウンシャツ(って、色違いというしゃれた「おそろ」もあったらしいけど)とチノパンを召した部課長が散見されたそうだ。
 組み合わせまで同じというのは、それがとある店先(今や5兆円企業を目指す某アパレルメーカー)のディスプレイだったからだ。さすが。この戦略はどぶネズミ諸氏には奏功するだろう。彼らにとってオフィスの服装なんてタダの作業着ですから。

 それにしても、丸の内でさえ「よく売れてるんですよ」が売り文句になるのだとすると、「舌噛んで死にたくなる」なんて過激なことを思うOLはまだまだ少数派なのだろうか。個性より、「みんなと一緒」の安心感を優先する子のほうが多いのだろうか。それとも、東京駅周辺は「見せたくなる異性」もいない、万年「夏枯れ」オフィスが多いのだろうか。
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by miltlumi | 2010-07-23 23:30 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

腕時計と指輪による武装解除

 今朝キーボードをたたいていて、突然腕時計が煩わしくなった。メタルが肌に張り付く感じが心地よくないこともあるが、この「重み」に耐えられない、と思ったせいだ。しばらくの間は大丈夫だったのに。

 しばらく、というのは、ここ13年くらいということ。その前もやはり腕時計をする習慣がなかった。日本で暮らしていると、自分の時計を見なくてはならない瞬間はきわめて限られる。世の中は時間で埋め尽くされている。うちの中はもちろん、駅、オフィスの会議室、そしてPCの時計。街中だって、ちょっとコツをつかめば、横を歩いている人の腕時計を読み取ることも可能だ。私は腕時計が嫌いだった。
 偉い人のカバン持ち的業務に就いても腕時計はしなかった。出張で会議が目白押しの時など、社長の手元を覗き込んで「そろそろ次の場所へ…」と促していたが、さすがに同僚から「腕時計くらい買え」と言われ、仕方なく安物のファッション時計(Ann Kleinのバングル型)を買った。ブレスレッドと思えば時計への抵抗感も薄れる。偉い人と出張するたび、Duty Free Shopや機内販売でSwarovskiとかSwatchとか手ごろなアクセサリーみたいな時計を買い集めるうち、20個近くになってしまった。
 ある日突然全てがいやになる、ということがある。毎朝引き出しを眺めてその日のファッションに合わせて選んでいた時計達が、ある日突然うるさくなった。まともなブランドや「思い出の品」を除いた余りを、ごろごろと会社に持って行って後輩の女の子達に千円で売り払ってしまった(タダであげなかったところが、恥ずかしながら私のケチ加減を現わしている)。

 イスタンブールの空港で一目惚れしたミントグリーンのB-zero1が、その売上のおかげだったかどうかは忘れた。あるいはジュネーブの旧市街でみつけたRADOだったかもしれない。少しは年相応のブランドが増え始め、これもまた遅ればせながら買い求めた指輪とともに出がけに身につけながら、「武装完了」と心の中でつぶやくようになった。
 だから、週末は基本的に時計をしない。一人の買い物なら時間に追われるわけじゃない。友達との待ち合わせも、携帯電話を開けば事足りる。「それはいい習慣だね」と感心してくれた人に、ついでに「腕時計は右にしたほうがいい」と教えてあげた。時計などの人工物は、ほんの少し電磁波を出すんだって。人の「気」は普通左から右に向かって流れるから、電磁波を出すものを左につけると、その「悪い波」まで体中に回る。だからせめて右手に着けたほうがいい。逆に、パワーストーンをつけるなら絶対左手。

 毎日心の中まで武装しないといけない日々から脱出してしばらくたつ。時計も指輪も着け忘れてふらりと出勤しても、あせらなくなった。あれは鎧ではなく、本来は自分を美しくみせる装飾品だから。それを重く感じたら、はずせばいい。自由に、身軽に羽ばたけるように。
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by miltlumi | 2010-07-22 21:06 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

真夏の夜の怪談?

 梅雨が明けて夏本番。というせいでもないが、私は生き霊の祟りを信じている。もっと言うと、その生き霊って、ワタシのこと。六条御息所のように恨み殺したりはしないけれど。

 初めてその能力(?)に気づいたのは、小学6年生の2月。自由にチームを編成してクラスの卒業記念会の出し物を考える、という企画のとき、仲間はずれに遭った。誰もチームに入れてくれず途方に暮れた私。担任の先生も自発的チームによる運営をぶちあげた以上、強権発動して私をどこかのチームに入れるわけにも行かない。徒に時間が過ぎて行く。ところが。イベントの直前になって、突然の教職員の集まりだかなんだかで、なんとその会が中止になってしまった。
 あ、これって私のせいだ。藪から棒にそう思った。会が中止になると、友達は何事もなかったかのように再び私を仲間に迎え入れ、卒業式の謝恩会では私のピアノ伴奏で「遠い世界に」を合唱した

 次の大きな事件は高校3年の冬。12月の校内模試直前に同級生からフラれた。呆然としながら、何も受験直前にフラなくたって、という打算的な恨みも重なった。年明けて1月のセンター試験(ホントはあの頃は「共通一次試験」だったっけ)。神奈川県東部の高校生が一斉に「あいうえお」順で試験会場に割り振られる。なのに、横浜国大の巨大な教室で目の前には、1ヶ月前に私をフッた彼のアタマ。「あいうえお」が近かったんです。私達。
 階段状だから、左利きの彼が問題を解くにつれ、身体の左側から答案用紙が丸見え。これじゃあ生き霊もなにも、すぐそこやんけ。後ろから不穏なオーラを出しながら、ついでに答え合わせまでしてしまった。結果、同じ大学を受けて、彼は不合格。私は合格。
 あのオーラがまずかったかな、とちょっと反省したが、卒業式の後、彼が私をふった直接の原因は1年生のカワイイ彼女ができたことだと友達から聞いて、オーラ発信は正しかったと納得した。ちなみに1年後、同じ大学に再挑戦した彼。2次試験会場で、新聞部の記者として受験生の様子を取材する私と鉢合わせた。またも桜は散り、私大に落ち着いた。ごめんなさい。

 近年の例では、こっぴどく私を傷つけてフッた男性。最後のデートから2ヶ月もしないうちに大病を患ったらしい。それを聞いた時、あああ、やっぱり…と思った。その後回復はしたらしいが、あまり元気な噂を聞いていない。

 最近はなるべく平穏に、安寧に、機嫌良く暮らす努力をしているので、邪なエナジー放出はしていない(と思う)。でも最近、仕事のことで久しぶりにものすごく頭にきたことがあり、「おんどりゃあっ、ええかげんにせえやあっっ」って心の中で凄んでいたら、その人との打ち合わせがどたキャンになった。急病らしい。くわばらくわばら。
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by miltlumi | 2010-07-20 21:45 | 私は私・徒然なるまま | Comments(1)

おっさん at the sports gym

 近頃「おっさん」の定義を明確にしようとつらつら考えているのだが、どうもうまくまとまらない。仕方ないので、3連休に2回通ったスポーツジムでの「おっさん」生態系から紐解こうと思う。

 筋トレやエアロバイクのフロアには、準備運動やストレッチのため、2畳弱の正方形のマットが縦横3つずつ、合計9つ置かれたコーナーがある。暗黙のうちに1マット一人というルールがあるのだが、これを無視するのはおっさんしかいない。つまり、マットの境目にでんと腰をおろして、硬くなった背筋をうんしょうんしょと伸ばしているのだ。混んでいるときは誠に迷惑である。

 次のエアロバイクで目撃される「おっさん」は、漕ぎ疲れたんだかなんだか知らないが、サドルに座ったままぼおおーっと目の前のTVにくぎ付けになっている方。休むなら隣のフリースペースで体育座りでもしてくださいよ。そういえば、同様の挙動にでるおばさんは見たことがない。そもそもスポーツジムにくるおばさんは目的意識が高いのか、せっせと目当てのエアロビプログラムに出席し、さっさとサウナに向かう。井戸端会議状態の人もいるが、それはフロント付近のベンチやサウナや化粧室で行ってくださるので、機材の有効活用妨害とは無縁である。
 多分おっさんたちは、せっせと運動してとっととうちに帰るモチベーションがないのだ。独立起業家の男性が外にオフィスを求めるように、週末の短い間でさえ自宅に居場所がない。でもここはスタバじゃないんです。

 さて本番の筋トレ。マシンの錘は小刻みに層を成している。トレーニングを続けるうちに筋肉がついて、選ぶ錘がだんだん下に移って行くのは達成感があって気分がよい。たまに、直前に使っていた男性の錘が私より軽かったりすると、ちょっとした優越感が味わえる。
 それが今日、会社の重役みたいな仏頂面のおっさんが使った直後のマシンに乗ったら、なんと錘がいっちばん下。しかも3つの補助錘まで全てセットされていた。このマシンはとてもきついやつだから、錘の一番下はおろか真ん中へんだって使ってる人はめったにいない。おっさん、自分の実力を次の人に見られたくないからって、わざわざこんなことしなくたって。どういう見栄だ、これって。

 運動後、B2Fのお風呂とサウナでおっさん同士がどんなおっさんぶりを発揮しているかは、残念ながら観察不可である。しかし、汗を流したあと気持ちよく帰ろうと階段に足を踏み入れると、階下からずっと続いている強烈なおっさんポマードの匂いの帯。香水が強い女性も迷惑だけど、あのポマードもどうにかしてほしい。ぺたあっと髪をなでつけて、かっこいいつもりだろうか。日頃の鍛錬による肺活量を試すべく、息を詰めたまま一気にかけ上がる。ぷふは~あ。
 スポーツジムにおける「おっさん」の定義は、傍若無人で見栄はり君か。はてさて。
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by miltlumi | 2010-07-19 21:03 | サラリーマンの生活 | Comments(4)

犬と人、人と人との関係について

 体調を崩していたルミ(犬)が、おかげさまでようやく回復してきた。1週間前は足が立たなかったが、昨夜は2mくらい歩いた。今日、通い入院をしていた病院に迎えに行くと、もっと歩けるようになっていた。ジャニーズ系の若い先生がにこにこしながら診察室から出てきて、「ほら、お母さんに歩けるの見せてあげてごらん。あっち、お母さんだよ」とルミを床におろした。私は思わず自分の笑顔がひきつるのを感じた。
 私は、犬がとても好きだが、犬は犬だと思っている。大切な家族の一員ではあるが、別に戸籍上「長女」と書いてもらいたいとは思わない。しかるに最近は、犬を人間と同一視する傾向がどんどん強まり、犬を散歩させている人間同士が顔見知りになると、「XXちゃんのお母さん」と呼ばれる。すみません、私、毛むくじゃらの四足を産んだ覚えはないんですけど。すべすべ玉の肌の2本足の赤ちゃんを産んだこともないけど、「犬のお母さん」と呼ばれるのは甚だ不本意である。

 思うに、人間は他人との関係を何らかのステレオタイプに規定したがるものではないか。人間と犬との間の無言の愛情なんてわかりにくいから、「お母さん」にしてしまう。私とミルト(2月に亡くなった雄のダックスフンド)&ルミの関係は、決して親子のそれではない。ミルトなんて、人間の恋人より頼りがいのあるパートナーだったもんね。
 人間の男と女もしかり。「恋人」「夫婦」はわかりやすい。「友達」となると、男女の間に友情は成立するのか?という永遠の課題に直面してしまう。それに、一時期恋人もどきな関係だったのがそうじゃなくなったからといって、安易に「友達」とは呼びたくない。逆に、今のところ「友達」なんだけど、1ステップアップするかもなあ、とお互い薄々気づいている微妙な関係は、果たして友達と呼ぶべきか?
 あるいは仕事上の関係。長年一緒に仕事をしているうちに、一種夫婦よりも親密な阿吽の呼吸が生じてくる。また、男性にありがちなのは、奥さんには決して打ち明けない仕事上の悩みというか愚痴というか、そういう微妙な話を、身近にいる女性社員にぽろっと話す、ということ。世間知らずの若い頃なら(今の私は世間を知ってる「若い」者です、念のため)「この人、ワタシに気があるのかしらん」なんてうぬぼれただろうが、さすがに最近は、そういう浅墓な意味ではないことを十分承知している。単なる「上司と部下」とも呼べない、でも仕事の範疇は踏み越えない、絶妙なバランス。

 いずれの場合も、当事者同士にしかわからない信頼関係が存在する。だから一般名詞なんかで規定したくない。固有名詞的なその信頼が壊れないよう、そしてお互いの関係がずっと長く続くよう、願ってやまない。「永遠に続く関係」は決して存在しえない、この世の無常を知っているから。
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by miltlumi | 2010-07-17 22:06 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

夕焼け、もしくは人生の幸せ

 何年前だったか、ものすごくひねくれて、何を見ても何を聞いても「ふん、どうせ私には関係ないもんね」と思った時期があった。
 大学1年のクラス会で、コピーライターから銀座老舗に婿入りして商品企画をしている男子の、「人生の幸せっていうのは、きれいな夕焼けをみて『きれいだなあ』と思うことじゃないの?」という発言に、「ふん、そんなの一緒に見る人がいなきゃ意味ないじゃん」と心の中でひねくれていた。

 昨日、薄暮の空に、梅雨の中休みにしてはめずらしく、うろこ雲のような高い雲が浮かんでいた。きれいだなあ、と思った。一緒にいたのは、14歳の犬。体調を崩して病院から帰ってきた彼女は空を見上げる元気などなかったし、そもそも犬は近眼である。
 ただ、こうして病気の犬に心ゆくまでつきあうことができる自由は贅沢だな、と思った。

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     (注:これは昨日の東京の夕焼けではなく、4年前の沖縄の夕焼けです)
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by miltlumi | 2010-07-16 10:25 | フォトアルバム | Comments(0)