カテゴリ:機嫌よく一人暮らし( 270 )

憧れのドーナツ屋さん

 うちの最寄りの地下鉄の駅では、不定期でミスタードーナツの出店が出る。
 夕方から夜にかけての帰宅時間。幅180cm ほどの仮置きテーブルの前で、5つで600円、あるいは9つ1000円のどちらにしようか、人々が思案している。
 ああ、ドーナツ屋さんになりたいなあ、としみじみ思う。

 無事どちらかを選んで、横長ボックスを受け取る人は、スーツ姿のサラリーマンだったり、おしゃれなファッションに身を包んだ若い女性だったりする。だいたいがちょっと照れくさそうに、でもちょっと嬉しそうに、箱を抱えて足早にその場を去っていく。
 ドーナツを買う。しかも1つ2つではなく、片手に余る数のドーナツ。家族3人分か、友達のホームパーティーへの手土産か、あるいは全部独りでヤケ食いか。いずれにしても、そこには必ずや、アンビバレントな思いが交錯しているにちがいない。
 砂糖と小麦粉と油という、最高にカラダに悪い組み合わせの食べ物を大量購入し、消費しようとする、うしろめたさ、背徳感、そしてその禁をあえて破ることへの開き直り、爽快感、Indulgence(耽溺)。

 Indulge、という単語は、トロントで働いていたときに同僚とよく行ったDenny’s(日本にもあるあのファミレスは、米国発祥である)で覚えた。ブラウニーの上にチョコレートアイスクリームが乗っかり、さらにチョコレートソースとチョコチップがたっぷり振りかけられた最強のデザートが、「Indulging Chocolate Fudge 」という名前だった。
 20代だった私は、メタボ気味な同僚の羨望の眼差しを浴びつつ、「Indulging myself…」とつぶやきながらぺろりと平らげたものである。
 
 会社の近所で韓国人がやっているドーナツ屋さんでは、「オレンジクルーラー」が定番だった。クルーラーといっても、ミスタードーナツにある、菊の御紋が風車になったような、噛むとふしゅふしゅっとする、あれとは全く異なる。サーターアンダーギーのタネを3つまとめてワラジ型にして揚げたような不定バクハツ形で、絶対1,000kcalは越えていたと思う。
 カナダ人が皆帰宅してしまった後、静まり返ったオフィスで残業しているとき、ふと思い立ってオレンジクルーラーを買いに行く。「夕飯食べられなくなりそう」などと申し訳程度につぶやくと、お店のおばさんは、「Don’t worry! Be happy!」と、いかにもカナディアンな笑顔を向けてくれた。

 日本のミスタードーナツは、昨今の健康志向のおかげで、すっかりライトになってしまった。それでも、寄る年波で「○○食べ放題」で元を取るのが難しくなってしまった一人暮らしの身には、5つセットも、ちょっときつい。

 だからせめて、あの香りに包まれて、つややかなチョコレートコーティングや華やかなスプリンクルやこんがりココナッツフレークをまとったドーナツを心行くまで眺めていたい。
 嬉し恥ずしの表情で、そわそわ、いそいそと買っていく人たちに、あの韓国人のおばさんのように、「Don’t worry! Be happy!」と声をかける。言われたお客さんは、ぱっと目を輝かせて、にっこり笑う。
 それが仕事だったら、毎日楽しいだろうな、と思う。


[PR]
by miltlumi | 2017-11-27 09:36 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

彩香ちゃんのこと

 年末は何かと慌ただしくなりそうなので、今のうちから少しずつ大掃除に取り掛かることにした。手始めに、ぬいぐるみを洗濯する。中のスポンジが存分に吸ってしまった水をさっぱりと乾燥させるには、今どきのからりとした空気に晒すのが一番である。

 そのぬいぐるみの犬は、彩香ちゃん、という今風の立派な名前を持っている。もう30年近く前、トロントに赴任する私のお餞別にと、大学の友だちがくれたものだ。タグに「彩香」としっかり書かれていた。数年前、プレゼントしてくれた当人にこの話をしたら、ぬいぐるみのことさえ、すっかり忘れていた。

 もらった私がちゃんと憶えているのは、小学校6年のときに好きだった男の子が当時既に「彩香ちゃん」という女の子の父親になっていたからだ。
 …実は今こうやって書いていて、「彩香ちゃん」の父親は小学校のときの彼ではなく、大学時代に付き合っていた男の子だと、これまで思い違いをしていたことに気づいた。よく考えてみれば、大学の彼は、その頃はまだ結婚していなかった(私とは大学卒業後しばらくして別れたけど。って、関係ないか)。私がトロントから帰任した後に生まれた彼の娘は「彩美(あやみ)ちゃん」だったっけ。
 小学校の彼とは、赴任する直前に久しぶりに再会した。そこで彼が結婚して娘がいることを聞いたのだった。トロントと東京で、しばらく文通していた。でもある時から音信不通になってしまい、今に至る。

 彩香ちゃんを筆頭にして、ぬいぐるみをたくさん集めていたことがある。家には、イースター間近に訪れたグアム島のスーパーマーケットに並んでいたピンクや水色や色とりどりのうさぎ全色大人買いで5匹、100円ショップで一目惚れしたたぬき・となかい・くまの3人組、その他大勢。
 オフィスには、ゲーム事業を担当していた隣の部署から盗んだナムコの景品ぬいぐるみや、フジTVからもらった子犬のラフちゃん。アメリカから出張してきた外人が見て、その次に来たときミッキーとミニーのぬいぐるみをくれた。ああいう原色使いより、パステルカラーのほうが好みだったのだけれど。

 あるとき、かさぶたがぽろりとおちるように、ぬいぐるみへの愛情がなくなった。全部まとめて洗濯機に放り入れて、「ていねい・おしゃれ着洗い」モードで洗濯して、近所の保育園に寄付してしまった。
 でも、彩香ちゃんだけは、手元に残した。何しろ「彩香ちゃん」なんだから。

 今日の洗濯は、ちゃんと手洗いである。自慢の握力で頭と胴体をぎゅうぅっと握って、出来るだけ水を絞る。一瞬へちゃむくれ顔になるが、きゅっきゅと形を整えると、元のほんわかした表情になる。
 窓際にハンドタオルを敷いて、その上におすわりさせる。風も弱く穏やかだから、窓を開け放しておいても寒くはない。しばらくして様子を見たら、ハンドタオルがじっとりと濡れていた。

「彩香ちゃん、おもらししたね~」と言いながら、持ち上げたときの、その軽さ。
a0165235_12592173.jpg



[PR]
by miltlumi | 2017-11-06 13:00 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

はっぴいえんど

今朝はまだ台風の雨が本気じゃなかったから、
日経新聞はビニール袋にくるまれていなかった。
松本隆の「はっぴいえんど」と「ロングバケーション」の記事が載っていた。
全部のページにゆっくり目を通してから、週末のルーティンであるスポーツジムに向かう。

***

もしも今ここで、私の一生が終わってしまったなら、ハッピーエンドだったね、と言えるんだろうか。
ハッピーな人生に必要な、あれやこれや、今の私はどのくらい持っているんだろうか。

あのとき、この手のひらの中に持っていたものは、今の私が欲しいものだったのだろうか。

台風の雨が強まる中、真っ白なベンツが水しぶきを上げて私を追い抜いて行く。
私の愛車、水色のママちゃりは今日はお留守番だ。

でも。
四つ輪のクルマがなくても行けるスポーツジムが近所にあって、
じゃばじゃばの雨でもへっちゃらな最強のハンターのゴム長靴があって、
それを履いてぶかぶかと歩ける2本の足があって、
エアロバイクをこぎながら読むお気に入りの本がある。

もしも今ここで、クルマにはね飛ばされて、突然人生が終わったとしたら、
オレンジ色の布バッグと分厚いハードカバーが、車道に飛び散って私の「はっぴいえんど」を飾る。

後悔があるとすれば、もう少しちゃんと化粧をしておけばよかった。
でもまあそれでも、きっと雨で化粧が流されたと思ってもらえるかもしれない。

もちろん、クルマにはね飛ばされることも、車道に転んで顔を雨で濡らすこともなく、
いつものエアロバイクと筋トレをこなして普通に帰ってきて、
今、「ロングバケーション」を聴いている。


[PR]
by miltlumi | 2017-10-29 18:26 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

はっぴいえんど

今朝はまだ台風の雨が本気じゃなかったから、
日経新聞はビニール袋にくるまれていなかった。
松本隆の「はっぴいえんど」と「ロングバケーション」の記事が載っていた。
全部のページにゆっくり目を通してから、週末のルーティンであるスポーツジムに向かう。

***

もしも今ここで、私の一生が終わってしまったなら、ハッピーエンドだったね、と言えるんだろうか。
ハッピーな人生に必要な、あれやこれや、今の私はどのくらい持っているんだろうか。

あのとき、この手のひらの中に持っていたものは、今の私が欲しいものだったのだろうか。

台風の雨が強まる中、真っ白なベンツが水しぶきを上げて私を追い抜いて行く。
私の愛車、水色のママちゃりは今日はお留守番だ。

でも。
四つ輪のクルマがなくても行けるスポーツジムが近所にあって、
じゃばじゃばの雨でもへっちゃらな最強のハンターのゴム長靴があって、
それを履いてぶかぶかと歩ける2本の足があって、
エアロバイクをこぎながら読むお気に入りの本がある。

もしも今ここで、クルマにはね飛ばされて、突然人生が終わったとしたら、
オレンジ色の布バッグと分厚いハードカバーが、車道に飛び散って私の「はっぴいえんど」を飾る。

後悔があるとすれば、もう少しちゃんと化粧をしておけばよかった。
でもまあそれでも、きっと雨で化粧が流されたと思ってもらえるかもしれない。

もちろん、クルマにはね飛ばされることも、車道に転んで顔を雨で濡らすこともなく、
いつものプログラムをこなして普通に帰ってきて、「ロングバケーション」を聴いてみる。


[PR]
by miltlumi | 2017-10-29 18:26 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

最上の「○○ファースト」

 「○○ファースト」という名称は、小池氏の専売特許ではないことを先週知った。ニュージーランドで最大野党と組んだ第3党が「NZ First」。なぁんだ。ということは、私の兄の先月の「名言」は受け売りの孫請けということだ。

 先月、というのは、甥っ子の結婚式のことである。社会人5年目の27歳、相手は大学時代のサークルの同級生。絵に描いたような結婚、と思うのは私たちの世代だけで、今や早過ぎるくらいの年齢だ。その理由が、高校の同級生だった両親(つまり私の兄と義姉)が28歳で結婚したから、だなんて、くぅ、泣かせるじゃないか。

 彼と3歳年下の弟は、両親の愛情を一身に受けてすくすくと、身長179㎝まで育った。二人とも決して私を「おばさん」と呼ばず、常にファーストネームで呼び、お年玉を受け取るときは「お姉サマ」と敬った。
 だから、挙式の前の両家親族紹介の場で、新郎の父が私のことを「新郎の叔母の○○です」と述べたときは、マジで驚愕してしまった。ウソだろ。叔母さんって誰だよっ。思わず隣に座る下の甥っ子に「どういう意味?」と怒りをぶつけると、「まぁまぁ、形式上は一応そういうことなんで…」と宥められた。
 そんな私の不服をよそに、華燭の典はつつがなく進んでいく。お色直しの退場は、新婦新郎の兄弟がエスコートするのが最近の流行りらしい。さっき「叔母」を宥めた子が、今度は花嫁の真似をしてなよなよと新郎にしなだれかかり、新郎友人からやんやの喝采を浴びながら、腰をふりふり出て行った。

 そして迎えた最後の挨拶。両家を代表して新郎の父がマイクを握る。家族水入らずのときは冗談ばかりかましている人が、胸ポケットの原稿も取り出さずによどみなく挨拶をする。花嫁の父でも花婿の母でもない私が、ひとりぐすぐすし始める。そして決定的な一言。
 「○○(息子のファーストネーム)、これからは○○(新婦のファーストネーム)ファーストで行きなさい」
 うゎ~~んっ ついに涙腺全開。
 新郎の学生時代友人のテーブルからも、「おぉお~」「かっこいい~」とどよめきの声が上がる。彼らにとって、おそらく生まれて初めての友人の結婚披露宴出席。「オレもケッコンするぞ~!」と大いに鼓舞されたにちがいない。最高の晩婚化対策である。

 しかし、私の心中は複雑である。
 小学生の頃は、妹の顔を見ればブスだのバカだの言って小突き回していたやんちゃな兄が…。
 その兄にそっくりな天パーのくりくりくせ毛を、高校に入った途端必死にヘアアイロンで延ばしていたあの甥っ子が…。
 でも何よりも、これまでは血を分けた両親から「ファースト」扱いされていた甥っ子が、これまで全く別の家庭に生まれ育った女性を、「ファースト」として扱っていく、その事実に、私は圧倒されていた。
 いや、それはまだ「事実」ではなく、単なる「決意」でしかない。でもだからこそ、その決意をした若い彼と彼女が、正直言って、ものすごく眩しかった。
 
 新郎新婦とその両親が退場し、招待客を見送る準備をする間、スクリーンには二人が生まれたときからの写真が次々映し出される。
 その中に、毎年お正月に撮る家族写真が何枚か紛れていた。兄一家と、まだ元気だった父(今日はバッグに写真をしのばせてきた)と母と私と、父の後を追って逝った私の犬たち、総勢7人と2匹。
 今年のお正月写真は6人きりだったけれど、来年から7人に増える。その人数がさらに増えるのも、そう遠くはないだろう。


[PR]
by miltlumi | 2017-10-23 21:39 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(2)

丁寧な生活 (すり切れたパジャマ編)

 ここのところ整理整頓好きが過熱している。狭いうちの中、クローゼットも食器棚も仕事の書類も、みーんなあるべきものがあるべきところに納まっていて、しかもそこここに余白の美まで登場し始めているのに、整理したい欲求は留まるところを知らない。

 次はどこを整理しようか。家じゅうをぐるぐる見回し、収納スペースの扉を開け、しばし黙考。はたと思いついたのは、幅140cm 高さ2mのどでかいワードローブ。
 遠い将来、ワンルームの介護付き老人ホームに引っ越す可能性を考えると、大きな家具は早めに処分するに越したことはない。ワードローブにはシーズンオフのスーツが入っているが、ベッドルームに作り付けのクローゼットの服を減らして、そちらにまとめてしまえば、家具は不要になる。

 しかし、既に捨てるべき不要な服は全て処分済み。服はもちろん、下着も靴下もパジャマも、(コンマリさん風に言えば)ときめく物ばかり。生来のケチ根性も相俟って、擦り切れたり破れたりしない限り、ぽいぽいステるには忍びない。
 であれば、とっとと擦り切れてくれれば諦めもつくというもの。

 千里の道も一歩から、というわけで、服を地道に着倒して心置きなく捨てられるよう、この夏は同じものばかり繰り返し着用した。おかげで、まずパジャマ(14年前に購入。赤地に白黒の縞々服を着たブタさんが何十匹も飛んでいる)のウェストゴムの部分が、擦り切れた。
 うはは。捨てなきゃ。と思うのだが、お気に入りのブタさんを見るたび、ゴミ袋に直行させる気持ちが萎える。そうだ。擦り切れた部分をカットして股上を少し短くして縫い直したら、まだ着られるんじゃないか。
 ワードローブ撤去に向け、服を擦り切れさせて捨てる作戦はどこへやら、やおら「モッタイナイ」作戦に切り替わる。

 そういえば、同じような断捨離作戦で冬のタイツを履き倒そうとしたときも、無事(?)穴が開くと、反射的に手縫いで穴かがりをしてしまった。
 ロングだったスカートの丈を短く詰めたり、身ごろの幅をかえてシルエットを整えたり、自分で手を入れた服は少なくないし、裾が擦り切れた麻のバギーパンツも、丈を短くしてガウチョ風にすればいいと、いまだにクローゼットの中でスタンバイしている。

 洋裁が好きなのは、母譲りだ。「ときめく服」の中には、母のお手製のコート(高校1年のときに作ってくれた)とフレアのジャンパースカート(同・大学1年)。いずれもシンプルなデザインで飽きの来ないベージュ色だから、いまだに現役だ。

 服のリフォームが得意なことと、整理整頓・断捨離好きは、どうにも相容れない。
 共通点があるとすれば、やっている最中は作業に没頭できることと、やり終わったあと「丁寧に生活している」という感覚を味わえることだ。
 駆け足急ぎ足、スピードアップが常態になりがちな中で、お気に入りの時間、ではある。

 こんな調子では、いつまでたってもワードローブは捨てられそうにない。
 でも、洋裁で手先を使っていればボケずに済んで、ワンルームの介護施設とも無縁かもしれない。であれば、ワードローブを捨てる必要もない。


[PR]
by miltlumi | 2017-10-08 11:40 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

丁寧な生活(生春巻き編)

 少し前、ホームパーティで、久しぶりに生春巻きを作った。何年も前に1度作ったきりだから、作り方のコツを忘れていた。とにかく、心が穏やかなときでないと決して作ってはならない、という教訓だけは深く記憶に刻まれていた。
 だから、当日は準備の時間配分に気を付けて、一番ゆったりできるときに調理に取り掛かった。

 ベトナム製のライスペーパーは、半透明で薄くてパリパリしていて、ちょっと手荒に扱うとすぐパリンと割れてしまう。あーそうだった、と思いながら1枚ずつ袋から取り出す。
 ペーパーがすっぽり入る大きさの大皿にぬるま湯を張って、ゆっくりとペーパーを沈める。袋の指示書には「あまり柔らかく戻さずに」とあるが、どのくらいが適当なのかよくわからない。
 と思っているうち、みるみる柔らかくなり、慌てて(これがダメだっちゅーの)引き上げようとしたら、端がしわしわになってしまった。嗚呼。
 まな板の上に広げて、できるだけしわを伸ばそうとするが、くっついて離れない。無理にやると破れるから、諦める。とりあえず細切りレタスをぎゅうぎゅうつぶしながら、もやしと米麺代わりの素麺とともに、ゆっくりゆっくり巻いていく。一巻きしたら、エビのピンクが表に透けるように配置して、パクチーを散らしてさらに巻く。
 出来た。

 2つめは、ペーパーを横から滑らせるように大皿に浸し、まだ固いかな、と思ううちに、やはり横に滑らせるようにゆっくり取り出す。今度は成功。しわひとつない満月だ。レタスの適量もだいたいわかってきた。
 3つめ。戻しは完璧だったが、レタスを押えるときにちょっと力を入れ過ぎて、少しペーパーが破けてしまった。う~、残念。でも破滅的状態はどうにか免れた。

 やや細め、3本並んだ生春巻きが乾燥しないよう、ラップを密着させて丁寧にくるむ。4時間後、この子たちは5分もかからず3人の食いしん坊のお腹の中に収まった。

 コツを思い出したのに気をよくして、その後も何度か、自分だけのために生春巻きを作っている。慌てずゆっくり、でもタイミングを見計らってすかさず、ライスペーパーをお湯から滑り出せると、とても幸せな気持ちになれる。
 ぷよぷよした地肌を指でつかんで、スイートチリソースをたっぷりつける。エビだけでなく、チキンとアボカドとか、スモークサーモンとクリームチーズとか、好きなものを丁寧に巻いていく。
 
 成城石井で買ったら、たしか500円もしないんだけどね。
 それを言い始めたら、ポテトサラダだってきんぴらごぼうだって麻婆豆腐だって、買ってしまったほうがよっぽど手軽で、時間の節約になる。
 忙しい人にとっては、本当に便利な時代になった。
 
 幸い私はそんなに忙しくない。平日の真っ昼間、うちにいることも少なくないので、昼ご飯のついでににぼしの頭をもいでお鍋の水に入れ、夜ご飯のお味噌汁の準備をしたりする。ありがたいことである。
 いっそ電気釜もガスレンジもなくして、森で倒れ木を拾ってきて薪割りをして火を熾して土鍋でご飯を炊いたり、コーヒー豆を炒ってからミルでこりこり擂ってドリップで淹れたり、そういう生活になったら、一日じゅう忙しいだろうなあ、と思う。
 でも多分、そういう忙しさを、私はきっと愛することができると思う。


[PR]
by miltlumi | 2017-10-08 11:39 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

丁寧な生活(蒸しかぼちゃとお豆腐と青りんご編)

 この秋、北海道産のかぼちゃは「当たり」、ということで、福岡に住む友だちと意見が一致した。彼女がFacebookで「かぼちゃの蒸したの、バター塗って塩ぱらり」とつぶやいたのに私が反応し、同じ時期に同じ産地のかぼちゃを同じ食べ方で食べていたことが発覚したのだ。
 
 昔は、かぼちゃと言えばお醤油とお砂糖で甘辛く煮る、母の受け売り調理が定番だった。それが最近は、そういう手間もかけなくなった。
 1人暮らしにはやや多い半分サイズだが、蒸してまずはそのまま食べる。余りはスライス玉葱やレーズンと混ぜてサラダにしようと思っていても、結局そのままシンプルに塩で食べてしまうことの方が多い。一番低カロリーだし、何しろ甘さが最も引き立つ。
 
 かぼちゃに限らず、最近は何でも「蒸し物」にしてしまう。じゃがいも、さつま芋はもちろん、茄子や玉葱や人参や、鶏もサーモンも豚肩ロースも。でもって、グルメな友だちがくれたざらめのような岩塩とか、お気に入りのアンデスの紅塩とか、クリスマス島の青い塩、などなど。それにレモン、もしくは柚子こしょうかわさび、刺激が欲しいときは豆板醤。う~、たまらん。

 そういえば、お豆腐も、葱のみじん切りと鰹節にお醤油たらして、という食べ方から、塩とわさび、のほうが多くなった。「濃い豆乳の絹豆腐」という謳い文句に惹かれて買ってきたものは、塩もお醤油もなくてもしっかり大豆の味がして、幸せな気分になれる。
 ふと思いついて、スプーンでお豆腐の真ん中に穴を開けてメープルシロップを注ぎ、まわりにほんの少しの塩とごくちょっぴりの柚子こしょうをのせて、三者混ぜながら食べたら、そこらのプリンやパンナコッタよりも慎ましやかで品のいいデザートになった。
 3個128円也のお豆腐が、おかずにもデザートにもなるなんて、なんて賢いんでしょう。ということで、「おかめ納豆」と並んで常備品の仲間入りをした。

 こんな、料理とも呼べないような単純なことばかりやっていたら、ただでさえ一人暮らしの手抜きし放題が、ますます勘がにぶるではないか。…と思うのだが、これで十分美味しいのだから、いいではないか。食べ物の本来の味を感じることができるのは、心身が健康な証拠だ。

 先日、ちょっと仕事の区切りがついて、一人プチ祝いをしたい気分になった。こういうとき、お酒に興味がないのが残念。缶ビールをプシュッという至福(らしい)を味わえないので、食べることしか選択肢がない。
 帰りがけの電車の中でさんざん悩んだ末、昨夜にぼしとかつお節で丁寧にとっただし汁があるのを思い出し、結局スーパーで三つ葉とお寿司を買ってうちに帰る。
 「濃い豆乳の絹豆腐」はおつゆに入れて温かくするとさらに甘味が増す。三つ葉の香り。デザートに、青りんごがあったことを思い出す。紅玉みたいに身が締まっていて、しゃきっと齧ったとたんにあふれる果汁が舌に甘い。8つ298円也のささやかな幸せ。
 
 昔、父が「マグロの刺身と白菜の漬物があれば他は何もいらない」と言うのを聞いて、なんてワンパターンな、つまらない、と思ったものだ。
 今や自分も「季節の野菜と果物とお豆腐」。 そういう年頃になってしまった。


[PR]
by miltlumi | 2017-10-08 11:36 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)

かけがえのない人たち

 今年の初め、筋トレで痛めた筋を治すために駆け込んだ整骨院に、いまだに通っている。肩の痛みはとっくの昔に解消したが、治療師さんの、骨盤矯正の手腕にハマった。30代半ばとおぼしき、すっきり系の面立ち。支払い時、つややかな低めの声で「次どうしますか?」と尋ねられると、ついガラケー(いまだにこれが私のスケジュール管理ツールだ)を引っ張り出して「じゃあ4週間後に」と予約してしまう。

 先週、首のホネをくりくりと調整しながら、彼が低い声をさらに低めて、私の耳元でささやいた。「実はボク…」どきっ。
 「独立することになったんです」
 あ、そういう話。がくっ(笑) 瞬時に気を取り直し、カーテンを隔てた先にいる彼の同僚を憚りながら、私も小声で応じる。
 「今度のお店、どこなんですか?」
 「あの…。まだ本決まりじゃないんですけど。名刺とか、お持ちですか?メールしますから」
 施術が終わり、支払いのクレカと一緒にしゃらっと名刺を渡し、共犯者めいた視線を交わす。

 帰り道、もしも彼のお店が遠すぎて通えなくなったらどうしよう、と思う。彼は、世界中の誰よりも、当の私自身よりも、私の骨格のことを熟知している。そのことに、不思議な気がする。
 大袈裟に言えば、赤の他人に自分の命あずけてる感。そういう人は、他にもいる。

 まず、行きつけの美容師さん。私の髪はくせ毛で、ちょっと見はわからないうねりを計算に入れてハサミを入れないと髪型が決まらない。もうかれこれ25年近い付き合いの彼女でないと、手に負えない(と信じている)。
 しかも2ヶ月に一度は必ず会って、旅行したの離婚したの彼ができたの別れたの、きちんとアップデートしているから、たぶん私のプライベートライフ熟知度も、学生時代の親友の次くらいだ。
 1歳年上で、西麻布の賃貸マンションに一人暮らしで、福島県に親兄姉がいる。もしも彼女が引退して福島に帰っちゃったら、1ヶ月おきに東北新幹線に乗って訪ねて行かねばならない。

 歯科医の先生にも12年間お世話になっている。美容院ほど頻繁ではないが、年に1・2回はかならず詰めたりかぶせたりしたモノがコロリと取れて、駆け込む。詰め物やかぶせ物がしっくり馴染むように調節する、そのきめ細かい技術たるや、お見事なのだ。
 歯科治療という状況の制約上、美容師ほど密な会話は出来ないが、「奥歯がこんなにすり減って…。日中も無意識に歯を食いしばってませんか?」「寝てる時、歯ぎしりしてますね」などと、自分では気づかないもう一人の自分の姿を次々暴かれる。健康だった歯がぽろりと欠けて、「どうしてこうなるんですか?」と尋ねたら、一言。「加齢、ですね」 …。ふん。アンタだって12年分、おんなじだけ加齢してるくせに。
 先生がもしも独立開業してしまったら、これまた追っかけて行こうと心に決めている。

 長く生きれば生きるほど、このような「かけがえのない」赤の他人、が増えていく。もしも彼らがいなくなったら、という不安は、彼らに対する掛け値なしの敬意と感謝の裏返しだ。


[PR]
by miltlumi | 2017-08-11 15:48 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(2)

危機

 昨夜、ついに「若年性アルツハイマー」をググってしまった。いよいよヤバい。危機である。

 先月モントリオールに行ったとき、生れて初めて、前代未聞の失敗をしでかした。ホテルをダブルブッキングしていたのである。
 ダウンタウンでの仕事が16日までだから、翌日から車で1時間半のリゾート地のB&Bで2泊3日のプチ夏休みをとる、つもりが、予約を16日から入れていたのだ。ダウンタウンのホテルの部屋をシェアしていた仲間が旅慣れた人で、「だったら私も1足先に次の目的地に行くわ」と即決してくれ、ダウンタウンのホテルもペナルティーなしで1日早くチェックアウトさせてくれたおかげで、大過なく乗り切れた。
 1泊予約し忘れて宿無しになるより、ダブルブッキングでよかったね~、と彼女に慰められたものの、会社員時代の一時期は年に10回近く海外出張していた身としては、かなりショックだ。
 しかも、最終日の早朝、母からの電話でたたき起こされた。「なんでまだカナダにいるの?今日帰国じゃなかったの!?」と言われ、「時差あるんだから羽田は明日だよっ」と無愛想な声を出したものの、あとで見直したら、旅程連絡メールで帰国日を翌日にするのを忘れていた。これまた前代未聞である。

 時差ボケもなく日常復帰。。。するつもりで、歯医者の予約のあとに仕事の予定をいれた。なのに、当日すっかり歯医者を忘れて自宅でごそごそしていて、予約時間の1時間前に気づいた。慌てて着替えて飛び出し、事なきを得たが、出掛ける前にと思っていたシャンプーをする時間がなかった。髪が多少汗臭くて歯医者さんと仕事仲間に迷惑かけたかも。だけど間に合ってよかった、と自分を慰めてみたが、問題の本質はそこではない。

 それ以外も、友達とのランチで5,700円の割り勘が一人2,750円になったり、この3ヶ月間に5回も自転車で転んだり(これはアルツハイマー的な話とはちがうが)、挙げ始めれば枚挙にいとまはない。しかし、その程度ならまだ単なる「加齢」で笑い飛ばせる。決定打は、これ↓である。

 かなり年下の女性との仕事中。私の正確な年齢を知らない相手に、ちょっと謙遜してみた。
 「私なんてもうかなりトシだから…。お母様、おいくつ?」
 「えっと、うちの母は○○さんと同い年です」
 ○○さんは、日本人なら誰でも知っている有名人だ。そして、私の年齢に縁ある人。
 「あ~、私も、○○さんと同い年なのよ。ということはお母様とも同い年ね」
 「えっ!!!!!」
 相手は驚愕の表情を浮かべる。自慢じゃないが、私は実年齢よりは若く見られることが多い。まあ、悪い気はしない。

 しかし3日後。その仕事のフォローをしていて、突然思い出した。私が同い年なのは、○○さんではなく、○○さんの妻のほうだっ…。思いっきり蛍光灯状態ではあるが、その女性に謝罪と訂正のメッセージを送った。「家でもやもや考えてしまいました」と即レスだった。

 ちなみに、○○さん、の「○○」に当てはまる人名は「安倍晋三」である。
 
 …どこでどういうシナプスを開発すれば、自分が安倍首相と同い年、という思考が生まれるのか。仮に一瞬そう思ったとしても、口に出した瞬間、間違いに気づくだろうが。普通は。もう、私は自分の脳みそが信用できない。

 「若年性アルツハイマー」のチェックリストは、いずれも心当たりがあった。


[PR]
by miltlumi | 2017-08-02 17:45 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)