カテゴリ:忘れられない言葉( 26 )

アン・イベント・フル

 英語で、「un」は否定語、「full」はたくさん。という基本的なことは、大学受験をする前から知っていた。「event」という単語を教わったのは、たぶん中学2年くらいの頃だろう。「メーンエベント」という言葉だと思っていたのが、実はメイン・イベント、「main event」の訛りだと知って、「そうだったのか~」と感心した記憶がおぼろげにある。
 けれど、それら3つの英語がまとまった「uneventful」という単語を初めて知ったのは、授業や受験から解放されて20年近く経ったときのことだ。

 アメリカのメディア企業との事業提携交渉の真っ最中だった。ITバブル最高潮の頃で、ネット企業出身のでっぷり太ったプロジェクトリーダーと、長年コンテンツ業界に身を置いていたセル縁メガネ・もやし小僧みたいな元祖オタク系の男性と、あと数人が、東海岸からコーポレートジェットでやってきた。
 当時はうちの会社でさえ、コーポレートジェットを何機も保有していたが、あれで1回太平洋を越えるのに、何百万円もかかったはずである。しかも、離発着の飛行場への事前登録やらなんやら、普通にANAやJALで飛ぶのよりも何十倍も面倒な手続きが必要だった。搭乗時間の何時間前までに空港に行かないといけない、といった制約がないメリットはあるものの、いかにも成金趣味だよね、とひそかに思ったものである。

 無事に会議が終わり、御一行様がコーポレートジェットで羽田から飛び立ち、ニューヨークに着くころを見計らって会議の議事録を送った。メールの冒頭は、常套句である。
 「I hope you have had a safe flight back to NY.」
 返ってきた返事は、しかし外交辞令ではなかった。
 「Our flight was not uneventful.」
 アン・イベント・フル。出来事・たくさん・ない。辞書を引いて、「波乱のない、平穏無事な」という意味を確かめる。Not uneventful、ということは、色んな出来事があった、というか平穏無事じゃなかったってこと。What’s happened?

 帰国途上で、彼らのコーポレートジェットが米軍からスクランブルをかけられた、のである。カナダのエドモントンだかウィニペブだかの上空を飛行中に未確認飛行物体とみなされ、近くの空港に緊急着陸するよう命じられた。メールに添付された写真には、例のもやし小僧が両手を上げ、ちょっとイッてしまったような目つきで機体の外に出てくる様子が写っている。
 確かにこれは、平穏無事とはちょっと言い難い。Not uneventful。二重否定形は、意味を強調するときに使います、という英語の先生の言葉を思い出す。まさに。

 こんなことをふと思い出したのは、新嘗祭の日。東京大神宮にお詣りに行った帰りに外濠公園を散歩していて、「イベント」の看板を目にしたときだ。もちろん、米軍スクランブルでもメディア企業との事業提携でもなく、キャンドルを灯すイベント、らしい。平和な日本では、自らいろいろとイベントをこしらえたがる人が多いな、と思った。
 市ヶ谷のあたりで、ふと左に曲がって靖国神社まで足を伸ばそうかと思ったが、なんとなく桜の落ち葉のほうを踏み歩き続けた。ちょうどその1時間前にバクハツがあったのを知ったのは、うちに帰ってからだった。
 Uneventful。不穏なイベントが世界からなくなることを祈らざるを得ない。


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by miltlumi | 2015-11-25 11:20 | 忘れられない言葉 | Comments(4)

禅とスケート

 思はしと思ふも物を思ふなり 思はじとだに思はしや君

 沢庵和尚の「不動智神妙録」第7節「有心之心、無心之心」にある古歌である。先頃32年ぶり(!)にスケートをしたとき、この歌を心の中で何度も繰り返したのであった。

 何しろからっきしの運動音痴だから、32年前は日本ランドと呼ばれていた富士山麓でのスケートも友達の手や腰に捕まって引きずられた記憶しかない(滑った、という意識さえない)。この冬港区に期間限定で誕生した屋外スケート場を、散歩の途中でたまたま見つけた連れに「やらない?」と言われた時、カタチだけスケート靴を履いてあとは手すりにつかまって見てればいいや、と思った。
 ところが、連れはなかなかの教え上手であった。氷の上で棒立ち状態の私に「最初はトントンツー」「靴をハの字にして」「足に合わせて手も振って」「膝を曲げて重心を前に」と、ひとつずつ順番に指示をくれる。いっぺんに言われたらコンランするが、ひとつずつならなんとか意識できる。「手を振って」と言われるとつい右足と右手が出ていた(サイテーな運動神経である)のが、意識して左手を出すようにする。そうやって練習するうちに、ふと気づくと、たった20分くらいで若かりし32年前よりもずっとまともに、どうにか「滑る」ことができるようになっていた。おもろいやん。
 教え上手は、褒め上手。「すごいじゃない」「こんなにできると思ってなかった」と言われ、ほくほくする。しかしスカートに薄いストッキングという、およそスケート服装とは言い難い出で立ちゆえ、その日は1時間で切り上げた。

 自らの上達ぶり(?)に気を良くして、もう一度、今度はGパンに分厚い靴下・手袋の態勢を整えて一人で繰り出した。先日言われた指示を一つ一つおさらいする。前回は「片足だけに重心を置いて、片足浮かせる」のが出来なかったから、重点的に意識する。つい腰が引けてしまうのはどういうときか、どれくらい膝を曲げればうまく重心が安定するか、あれこれ考えるが、なかなかうまくいかない。でもあるとき、ふと出来ている自分に気づく。これだ、と思ったとたんにバランスを崩したりする。最初は意識して、次に意識しないように意識して、それから意識しなくても出来るようになれるのだろうか。
 そのとき思い浮かんだのが、沢庵和尚の古歌である。意識しないように、と意識すること自体、まさに意識している証拠である。意識しないようにとさえ思わなくなれば本物。禅の心そのものである。スケートは、禅の悟りに通じていたのだ。

 意識しないようにということさえ意識しなくなる-鈴木大拙は「禅と日本文化」の中でこれを「To be unconsciously conscious(無意識に意識する)」と書いている-ためには、間違いなく絶え間ない訓練が必要なのだが、そのためには「右手と左足」とか「膝を30度曲げて」と言ったテクニカルな訓練はもとより、「Intuitive mode of understanding(直覚的な理解)」(鈴木大拙)に至るような訓練が必要、らしい。

 スケートだけでなくスポーツをする人なら誰でも、おそらくこのような禅的真実(?)をカラダで経験しているのだろう。運動音痴な人間は、人生も折り返し地点を過ぎた頃にようやく禅の切れ端を感得することができた。
 ついでに得たものは、つるり滑ってころんだときの両手両ひざのアザと、スケートリンクで軽やかに滑っていた幼稚園児からの「大丈夫ですか?」という優しい言葉、計4つ

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by miltlumi | 2015-03-04 16:45 | 忘れられない言葉 | Comments(2)

小学校の水道の蛇口と相模湾

 そのカフェの商品受け渡しカウンターの横に貼り紙があって、「トイレ使用の際は鍵が必要です。お申し出ください」と書かれていた。単価が安いカフェチェーンを利用するのは、大概が次の予定までの時間調整兼化粧直し、である。鍵、ということは、カフェ内に化粧室がなく、外部から容易にアクセスできる雑居ビルの一画にある、という意味だ。ドアを開けると自動的にフタが開いてワーグナーの交響曲が流れ出す最新式は期待できそうにない。仕方ない。

 安いわりに美味しいお気に入りのサンドイッチとカフェラテのMを平らげ、カウンター越しに声をかけた。渡されたのは、一昔前の銭湯の下駄箱札のような大ぶりの板にぶら下がった鍵だった。札には「トイレ4階」とある。ものすごく遅いエレベーターが9階から降りてくるのを待って、ものすごくゆっくり4階まで上がって、ものすごく狭いトイレ(でも一応座面は暖かかった)に入って出て、鞄を置くスペースもない「手洗い場」と呼んだほうがよさそうな洗面ボウルに向かうと、なんとその蛇口は先がくるりと回って上に向くタイプであった。
 昔、小学校の「水飲み場」にずらりと並んでいた、懐かしいかたち。いや、中学や高校でもまだあのタイプだった。

 渡り廊下の端、棺桶を長くしたような形の直径3mmくらいの粗くて黒い砂を固めたみたいなざらざらした流し台に、均等に並んでいた銀色の蛇口。休み時間になると、渡り廊下のすのこをガタガタと鳴らしながら走って行って、先っちょがくるりと上に回るのは、水を飲んだりうがいをしたりするのに便利だった。
 けれど、放課後は別の使い道に変身する。放物線を描いて落ちるはずの水が、蛇口の先っちょの98%くらいを指で押さえて水圧を上げれば、固定水鉄砲合戦の武器になるのだ。小学校の掃除の時間は給食のすぐ後だった。「渡り廊下」当番は、いったんすのこを上げてその下のコンクリート敷きに大胆に水を流してモップで泥や埃を地面のほうに押し出し、それからすのこを雑巾で拭く。清々しく掃き清められ、撒いた水も半分乾きかけた渡り廊下は、放課後になると再び乱雑な水しぶきの餌食となった。不思議と、先生に叱られて止めさせられた記憶はない。
 
 ここで記憶の場面がふと切り替わり、ユーミンの「夕涼み」を思い出す。

  Day dream 灼けつく午後
  水撒きしてはしゃいだあのガレージ
  Hey dream ゴムホースで
  君がふと呼び込んだ虹の精

 この歌を口ずさみながら決まって思い出すのは、大学時代につきあっていた人のクルマの助手席で、運転席側ではなくてガラス越しの相模湾に目を向けている自分だ。たぶん、リリースされたばかりのこの「Pearl Pierce」をカーステで聴いていたのだ。
 相手に対して何か気に入らないことがあっても、面と向かって言う勇気がなかった。かといって機嫌のいいふりができるほど大人じゃなかった。彼の顔を見たくなくて黙って横を向いていると、「どうしたの?」と無邪気に尋ねられた。本当の理由はやっぱり言えず、思わず嘘が口を衝いて出た。
 「歌、聴いてるの」

 二度と来ない季節。水撒きしてはしゃぐには寒すぎる二月。
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by miltlumi | 2015-02-14 09:54 | 忘れられない言葉 | Comments(0)

折り畳み傘のたたみ方

 訪問したオフィスに傘を置いてきてしまった。その日初めて紹介された、すらりと背の高いおしとやかそうな美しい秘書さんに電話をすると、既にぬかりなく宅急便の手配をしてくださっていた。美しくて気遣いができる。おヨメさんに最高?
 早速届いた宅配袋を開けると、本来の折り目を気にせず天真爛漫に畳まれた私の傘が出てきた。思わず笑ってしまった。

 高校3年の夏休み、駿台予備校の夏期講習に、ボーイフレンドと一緒に通った。同じ東海道線沿い、私が先に乗った電車に途中駅から彼が合流して、東京駅から中央線に乗り換えて御茶ノ水駅まで。2週間ほどだったか、夏期講習の期間中ずっと二人で往復した。ささやかなデートコース。
 朝方降っていた雨が上がった日。授業中に乾いてしまった彼の折り畳み傘を、東京駅で電車を待つ間、私が畳んであげたことがある。しゃかしゃかと手を動かし、しゅるしゅると巻いて「はい」と手渡したら、彼がその傘を見つめて、
 「さすが女の子だね。きれいに畳むんだね」と感心してくれた。
 そのときの彼の口調と、傘に落とした視線の柔らかさを、いまだによく憶えている。まあ、私ったら「女の子らしい」のかしら。きゃ♡ それまでの人生でついぞ言われたことのない褒め言葉に、私は有頂天だった。しかし結果的に言えば、共通一次試験(現・センター試験もそろそろ名前を変えようかという時代、歳がばれるな)の直前に、フラれてしまった。
 
 しばしば「男らしい」と褒められる私は、自慢じゃないが(と言う枕詞は、決まって自慢したいときに使われる)「女の子らしい」ことは得意なのだ。傘はもちろん洗濯物をたたむむのも料理も皿洗いも好きだし、リネン棚のタオルもクローゼットのTシャツも、きれえーに畳んできっちり積んである。でも、だからといってそれが十分条件でないことはうん十年前に証明済みだ。
 たおやかで、いかにも着物が似合いそうな後輩にホームパーティを手伝ってもらったとき、きれいに焦げ目をつけた伊達巻のカットを頼んだら、まるで「f分の1揺らぎ」の法則に則ったようにばらんばらんな厚さで切られた。それでも社内の「いいお嫁さんになりそうな女性社員」リストの上では、彼女のほうが圧倒的に上位だった、私なんかより。ふん。

 家事が得意なことと「女の子らしい」ことと男性にモテることに、普遍的な相関関係はない。そもそも、もう「女の子」じゃないし。
 そういえば去年の夏、とっくの昔に「女の子」じゃなくなっちゃったのに、小学生の女の子に混じって市営プールの滑り台で思いっきり滑ってはしゃいでいたら、「その滑りっぷりがいい」と褒められた。
 なんでもありだ。「女の子らしい」ことやってもやらなくても、「女の子」でも「女の子」じゃなくても、自分らしけりゃ最高、ってユーミンも歌ってなかったっけ(正しくは、あなたらしけりゃ最高、である)。
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by miltlumi | 2013-07-05 20:53 | 忘れられない言葉 | Comments(0)

ちいばす英語

 港区には「ちいばす」というコミュニティーバスがあって、全区間百円で乗車できる。もちろんSuika・PASMO共通。これまでは、うちから品川駅に行くにはタクシーに乗るか(7・8分で着くが、890円か980円かかる)、長ーいエスカレーターを降りて地下鉄に乗って1駅で乗り換えないといけなかった。ちいばすは1時間に3本だけで、しかも朝8時前から夜8時過ぎの間しか走っていないけれど、うまく時間が合えばとても便利だ。マイクロバスサイズで、都営バスのようにたくさんの乗客は乗れないが、ぎゅうぎゅう詰めということはまずなくて、けっこう快適なのである。

 けれど、乗るたびにすごく違和感を感じることがある。それは車内の英語アナウンス。外人がたくさん居住する港区だから、こうした対処は不可欠なのだろうが、なんだかヘンなのである。最初はなんかヘンだなあ、くらいだったが、何度も乗るうちにそのヘンなセンテンスを覚えてしまった。いわく;
 「We will depart momentarily. Please be careful.」
 もめんたりりー。法的には何の間違いもないのだが、すぐに出発します、というときにこの副詞を使うか? Shortlyとか、Momentを使いたければ in a moment くらいが自然ではないか。ローカルなフリーアナウンサーか、はとバスで英語力を磨いたバスガイドか、どこかジャパニーズイングリッシュな声を聞くたび、RとLの発音の練習を受けている気がしてくる。
 そして、びー・けあふる。日本語の「ご注意ください」を直訳している。これも中学校の英語のテストでは×にはできないだろうけれど、こういう場面では「Please watch your step.」でしょう。昔、仕事でガイジン客を皇居前広場に案内したとき、青々とした芝生に「立ち入り禁止」と書かれた看板を見た彼等に「なんて書いてあるの?」と訊かれ、「Don’t enter」と言ったら、「Oh, I see. Keep out」と言われたことを思い出す。公共の場での常套句というものがあるのである。

 きわめつけはこれ。
 「To prevent the accident, please be cautious 云々」
ビジネスマン(政治家も?)のお気に入りの表現に、Cautiously optimisticという言い回しがある。業績動向や経済環境や景気見通しの判断を下す際に注ぐべき慎重さを、たかがバスに乗る程度の日常茶飯事に動員しなくてもいいと思うけど。
 きっと、Please be carefulというセンテンスをもう一度繰り返すのは芸がないと思ったんだろうなあ。日本語でも英語でも、優れた文学作品は同じ単語の繰り返しより別の表現を駆使することがあるものね。しかし、ちいばすに乗って会社や買い物に行く我々としては、別に車内で叙情詩の朗読に相当するような高邁なアナウンスを期待しているわけではない。

 港区民として、あるいは正しい日本語と英語の使用に心を砕く一国民として、港区役所にボランティアを申し出るべきだろうか。ちょっと迷っている。
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by miltlumi | 2013-04-28 11:31 | 忘れられない言葉 | Comments(0)

山中のキヨコさん

 加賀は山中温泉の旅館に泊った。お約束通り食事前に一風呂浴びて、浴衣に丹前でお食事処の個室に行く。担当のキヨコさんは、茶色いショートヘアが若々しいけれど、明らかに60過ぎのベテランである。

 春らしく、菜の花の昆布〆や桜餅を模した鯛のもち米包みとわらびのお吸い物など、キヨコさんが一つ一つ説明していく。お刺身の後は和牛炭火焼き。ポン酢にお醤油、完璧に和風のしつらえ。ついご飯が欲しくなり、所望した。
 「今日のご飯はあのお、豆ご飯なん…、いえ、豆ご飯じゃないです。蕗と、えーと、蕗…あ、お持ちしましょうか?」
 さすがベテラン。ごまかし方がうまい。蕗と何なんだかわからないけど、まあ持ってきてくれるならいいや。お願いします、と言うと、
 「はい、じゃあお漬物とね」
 その気のまわし方、なかなか。感心していると、お醤油の皿を並べながら「あ、わさび…」とつぶやく。そうね、わさび、あるといいわね。「忘れたんやろ、アンタ」とは言わない。で、蕗ご飯とお漬物とわさびを取りに行くのかと思ったら、
 「あ、そうだ、今日は蟹雑炊でしたぁ。でもちょっとお持ちしましょうね、白いご飯」
 考えてみたら、今日のメインは蟹鍋である。鍋には雑炊でしょ。しっかりしてくれキヨコさん。結局、豆でも蕗でもなく白いご飯が、無事に到着した。お浄めの塩みたいに山盛りになったわさびは一緒だったが、そこに漬物の影はなかった。ま、いっけど。

 そして蟹鍋。半透明の生の松葉蟹をさっとくぐらせる、その薄い琥珀色の出し汁が誠に美味である。
 「このお出汁、すごく美味しいですね。なんのお出汁ですか?」
 何の気なしに尋ねた質問に、キヨコさんが一瞬フリーズする。
 「…わかりません」  …へ、わ、わかりません? と、次の瞬間、
 「あやや、わかりません、ゆうたらいけませんね(ここ、関西風イントネーション)。昆布だし…、あやや、鰹節…」
 どっちやねん、と突っ込む間もなく、キヨコさんは態勢を立て直す。
 「とにかくここの料理は出汁が美味しいと評判なんです。高級な昆布を使うとね、とても美味しくて…」
 なら、メイン料理の出汁の種類くらい板前に聞いとけや、とどやすのも憚られるほど、キヨコさんは朗らかなのだ。

 鍋の後に天ぷらがでて、今度こそ蟹雑炊と思ったら、なぜか酢の物が出てきた。
 「これはほうぼうというお魚でして」
 添えられたウドもたらの芽も春らしいけど、このタイミングで酢の物はないでしょう。キヨコさん、アンタまた出すの忘れてたね。でも60過ぎだもんなあ。物忘れもひどくなるだろうて。わがふりを顧みて、つい寛大な気持ちになる。
 デザートは苺かなあ、と思ったら、案の定それ。プラスその隣に洋菓子の姿。
 「手作りのテラミスでございます」
 それ、ティラミスでしょ。まあ60過ぎだもんなあ。イタリアのデザートの名前なんて舌噛んじゃうよねえ。ハイカラなもん作った板前が悪いよね、キヨコさん。

 翌朝の朝食も、キヨコさんがお給仕をしてくれた。越前鰈の一夜干しに厚焼き玉子その他もろもろ、至福の美味しさ。でも、おしぼり皿の上にはおしぼりがなく、お豆腐の豆乳鍋にはれんげが添えられていない。
 食べ終わる頃になって、鶏肉と大根の治部煮がやってきた。今度はキヨコさん、「忘れてました…」と素直に非を認める。でもその声がとっても哀しそうだったので、「わあ、美味しそう」とばくばく食べた。

 チェックアウトの後、送迎バスまでキヨコさんはお見送りに出てきてくれた。「一緒に記念写真を」と、桜の下に私と二人で並んだキヨコさんは、思いっきりVサインを出した。
 宿のアンケートに「担当の女性が朗らかで楽しかったです」と書いていた連れが、小さくなる彼女の姿を見返りながら、「また来たいね」と言った。
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by miltlumi | 2013-04-08 21:29 | 忘れられない言葉 | Comments(0)

増上寺でのNice talking (下)

(上)はこちら…
 コイシカワに家を持つ父は弁護士で、戦前北京と満州にも事務所を持っていたが、終戦前後に北京に移り住み、彼女もそのまま中国に渡った。日中関係の改善後、1982年になってようやく日本に戻り、こちらに居残っていた伯父伯母や従姉妹の消息を確認したが、今は米国に住んでいて、息子は医師、娘はマイクロソフト。日本に唯一残っている姉の見舞いのため、娘の出張に合せて来日したのだという。

 途中、「日本語が出てこなくなって…」というので「You can speak in English」と促したら、何の衒いもなく英語に切り替え、日英ちゃんぽんで訥々と語り続ける。
 あそこの(と大門のほうをあごで指して)病院はナースが親切で、本当に素晴らしい(聖路加か済生会か)。アメリカではオバマが何でもカットカットで、ナースも患者をケアしないから、ひどいものだ。Nursing homeでは、夜になるとあちこちの部屋から「Nurse」「Nurse」という声が上がるが、Nurseは様子を見に行こうともしない。Overtime paymentが低いから、ちゃんと働く気がないのだ。それに比べて日本のHospitalはいい。本当にNurseが親切に世話をしてくれていて。
 それなら、When you get sick, you can come back here.とつい言ってしまったが、それに対する返事はなかった。
 明日は、娘も一緒にバスに乗って東京をLook aroundするんですよ。それはいいですね。今日は私一人、このあたりを歩いてるんです。ここからコイシカワまでは遠いですよね。ああ、でも、地下鉄に乗ればわりとすぐですよ。
 おばあさんは、少しの間考えていたが、地下鉄路線図を取り出そうとする私に、それ以上の詳細を聞こうとはしなかった。

 「この何十年、いろいろ、ありました」
 炎のほうに顔を向けたおばあさんは、もっとずっと向こうにある何かを、ぼんやりと眺めている。
 「そうでしょうねえ。日本もかわりましたでしょう」
 つやつやとしたおばあさんの頬をみつめながら、ありきたりな相槌を打つ。もう少し気の利いた言葉をかけたいけれど、彼女の横顔には、それをさせない、78歳ならではの尊厳が漂っている。私は目を逸らして、しばらく黙ったまま炎を見つめる。母のベッドルームに鎮座している、次男だった父が最初の住人であるところの仏壇のことを思う。アメリカにあるこのおばあさんの自宅のベッドルームには、仏壇が置いてあるのだろうか。

 「じゃあ、It’s nice talking with you.」
 「Nice meeting, too. Have a safe trip.」
 思い切りアメリカンな別れの言葉が、これほどに重みをもって感じられたことは、初めてな気がした。その重みを軽くかわすように彼女は踵を返し、本堂に入って行った。

 私も程なくお寺を後にしたが、なんとなく真っ直ぐうちに帰る気がしなくて、芝公園のベンチで本を広げてみた。文字の意味がどうもうまく頭に入ってこないのは、11月の陽射しが暖か過ぎるせいばかりではなさそうだ。
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by miltlumi | 2012-11-14 19:20 | 忘れられない言葉 | Comments(0)

増上寺での Nice talking (上)

 増上寺の境内で、仏壇を焼いていた。
 三解脱門をくぐったとき、右手にちらりと炎が見えたから、お焚き上げかしら、と思った。大殿で阿弥陀如来様を拝んで、しばらく椅子に腰かけて堂内で煩悩の整理をして、明るい屋外に出ると、左下にずらりと仏壇が並んでいるのが見えた。

 おおがかりな炎は、くっきり真四角に切られた穴から上がっている。白いYシャツにネクタイ姿の男性が3人、寺の事務員とでもいうのだろうか、いかにも業務中です、というふうにきびきびと動いている。消防署からのお達しなのだろう、一人が律儀に絶え間なく穴のまわりにホースから放水している。あとの二人は、仏壇を抱え上げては穴に投げ入れる。高さ150㎝以上の大きな仏壇は、高層ビルの躯体にでもなりそうな太い鉄棒でぐいぐい押して穴にずり落とす。いずれも火にくべる前、二人揃ってきっちり30度に頭を下げる。敬虔な挨拶のすぐ後に、「せえのっ」といういかにも俗世間的な掛け声が聞こえてくるのが、なんだか滑稽だ。
 最期のときを待つ仏壇の上には、欄干からも判読可能なくらい大きな字で○○様、と書かれた紙が置いてある。檀家なのだろう。古びてしまった仏壇を新しいものに買い替えたのだろうか。近頃の住宅には仏壇が安住できるようなスペースが少ないから、見切ってしまったのだろうか。それとも、年老いたご両親が亡くなって実家を処分することになり、さすがにこれは粗大ごみに出すわけにいかない、ということになったのだろうか。
 頑丈そうな作りでも、意外に火の力は強くて、放り込まれて数分もすると壁面からぼろぼろと焼け落ち、じきに骨組みのほうもばさり、という感じに崩れ去る。あっけないものである。

 「あれはどうして燃やしているのですか?」
 突然、横からおばあさんが声をかけてくる。
 「古くなった仏壇を檀家の人が持ってきて、お寺さんに供養していただくのでしょうね」今しがたまで心の中で想像していたことを口にする。
 「はあ。もったいない。まだ使えそうなのに」
 地方からの観光客だろうか。ポシェット斜め掛け。鼻の下に生えている、産毛というには濃すぎる翳りは、女性ホルモンが減って相対的に増えた男性ホルモンのせいだろう。彼女の年齢を物語っている。白粉っ気のないつるぴかの頬が、髭とは対照的だ。
 「私ね、昔コイシカワ、に住んでたんです。ブンキョウクの」
 23区民には聞きなれた地名を、ぎこちなく慎重に発音する。小春日和の境内を散策する人々は少なくないが、欄干にもたれてじぃっと焚火を見つめている私が、余程暇そうに見えたのだろうか。78歳だというおばあさんは、中国人らしい。問わず語りに、身の上話を始めた。
                                              ・・・(下)に続く
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by miltlumi | 2012-11-13 15:02 | 忘れられない言葉 | Comments(0)

年賀状の季節

 明日何が起こるかわからないから、会いたい人には会いたい時に会わないと、と思うことが、いつか会えなくなる日が来ることを織り込んだ振る舞いのようで、つい躊躇ってしまう。躊躇い続けてもう1年近くになる人がいる。

 中学校時代の英語の先生だったその人は、父より2つ3つ年上だった。卒業後、年賀状のやりとりだけで何十年も過ぎてしまった。父の喪中に寒中見舞いを出した年の春、いきなり携帯電話が鳴った。最初しわがれ声の意味不明なつぶやきで、間違い電話かと思ったら、突然声が替わった。先生と同居している息子さんが「父がどうしても電話したいと申したもので。耳が遠いのですが…」
 先生は父のことをよく憶えてくださっていた。一言お悔やみを伝えたかった、気持ちばかりのお香典を送るけれど、決してお返しはしないように。先生はお元気ですか、私も何とかやってます。普段の半分の速度で大声を出しながら、一度絶対会いに行こう、と心に決めた。

 7月の初め、恩師との再会を実現させた。前の晩、久々に開いたアルバムから先生や私や仲良しグループが写った写真をはがして、手土産の水羊羹と一緒に持って行った。私と同世代の息子さんが庭木を剪定する音を聞きながら、補聴器ごしにゆっくりゆっくり話をした。耳が遠いほかは目も歯も丈夫だし、と言う先生は、  「NEWSの語源はNorth,East,West,South。東西南北の出来事を言う」と教えてくださった頃と同じ笑顔だった。
 だから、翌年の年賀状が先生の息子さんから来た時は本当に驚いた。脳溢血で倒れ、言葉や身体が不自由になったけれど病院でリハビリを続けていると書かれていた。急いでかけた電話口に出たのは、あの時麦茶を出してくださった息子さんの奥様。倒れたのは私の訪問後1ヶ月もしないうちだったと聞かされ、複雑な心境だった。
 入院先が東京から私の実家に行く途中の地方都市だというので、「今度実家に帰るついでにお見舞いに伺いますね」と電話を切ったが、私がのこのこ出掛けて行って、またその直後に何かあったら…という不吉な思いが頭をよぎったのも事実である。
 そんな臆病心を奮い立たせて病院に行ったのは、冷たい雨の降る2月半ば。4人部屋の左手前で、リクライニングを少し起こしたベッドにもたれかかっていた先生は、一瞬そうとはわからないほど表情が変わってしまっておられた。「先生、お久しぶりです。○○です。わかりますか?」と、他の患者さんに遠慮しつつも大きな声を出すと、わかったのかどうか、手を差し伸べてこられた。その手を握りながら、半年前の訪問のことや外の雨のことなどをぽつりぽつりと話す。もとより相槌は期待できないが、先生の眼はじっと私の顔を見つめていた。

 それから2回、息子さん代筆による先生からの年賀状をいただいた。それによると、体制の整った静岡県の病院で静かに過ごしておられるという。新幹線ならさほど遠くもないその病院に、また会いに行こうか、どうしようか、迷っているうちに今年もまた年賀状の売り出しが始まってしまった。
 明日何が起こるかわからないのだから、こうして思い出した時にふらりと会いに行くべきなのだろうが、躊躇いが心の隅で頑なに膝を抱えている。早くしなきゃ、と思うこと自体が不謹慎な気がする。来春もまた息子さんから年賀状が来ることを、すがるような気持ちで願っている。
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by miltlumi | 2012-11-03 16:15 | 忘れられない言葉 | Comments(0)

お金と愛

「お金はちょっと愛に似ている。」

「僕はお金を使わずに生きることにした」という本の最初の1行を読んだ瞬間、私は本を閉じた。

  それなしでは生きていけない、と思うこともあれば、
  人生そんなものなくたって生きていけるさ、と強がりを言いたくなることもある。
  いずれにしろ、うまく付き合っていくためには、ある種の分別が必要だ。


というフレーズが一気に思い浮かんだ。

著者の答えは、こうだった。
  誰もが一生追い求めつづけるわりに、その正体を真に理解する人は少ない。

著者と私には、少なくとも1つの共通点がある。
どちらも、「人生」という枠から「お金」と「愛」をとらえている、ということだ。
この命題は、なかなか面白い頭の体操になる。

  ☆手に入れることより、ずっと持ち続けることのほうが大切で、しかも難しい。
    持ち続けることより、少しずつ増やしていくことのほうが大切で、しかも難しい。

  ☆人をすごく美しくすることができるけれど、すごく醜くすることもできる。

  ☆過度なリターンを期待しないこと、それが肝心だ。

  ☆得ることより与えることのほうが尊いとされる。

  ☆女はそれに現実を求め、男はそれにロマンを求める。

  ☆失うことへの恐れが、自分以外の人間に対する疑い深さを生む。

いくつでも思いつくなあ。
さて、あなたが考える「お金」と「愛」の似ているところは…?

ところで、この本そのものは、お金とも愛とも関係ない、というかそれらを排除した(愛のほうは、お金を排除した結果として消滅した?)ノンフィクションである。
タイトルどおり、イギリス・ブリストル在住の29歳男性が1年間お金を使わずに生活した、その手記である。まだ読んでいる途中だが、非常に興味深い。
Moneyless生活開始に先立ってタダで譲ってもらったトレーラーハウスと、世の中との最低限のコミュニケーションを維持するためのPC(アキバみたいなところで部品を買って組み立て)とプリペイド携帯電話(チャージしないから着信専用)、それらを動かすためのソーラーパネル(中古で£200)と徒歩とヒッチハイク以外で唯一の移動手段である自転車以外は、ほとんど自給自足&物々交換、もしくは肉体労働とのバーター。
ちょっとやってみたくなる。


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by miltlumi | 2012-09-06 14:09 | 忘れられない言葉 | Comments(0)