カテゴリ:私は私・徒然なるまま( 221 )

拝啓 小野但馬守政次殿

 政次殿。
 いつか告白しようしようと思いながら今日に至り、ついにその機会を逸してしまいました。こんなに早く(大河ドラマ12月の最終回までまだ4ヶ月もあるというのに)逝ってしまわれるなんて。しかも。

 あなたが、「私ひとりが死ねばいい」とおっしゃったとき、脳裏をよぎったのは「エアフォースワン」のハリソン・フォードでした。テロリストが愛くるしい女性報道官のこめかみに銃を突きつけてカウントダウンを始めたとき、ハリソン演じる大統領は、自分の愛する1人の命と、テロリストの圧政に苦しむ不特定多数の見知らぬ外国民を両天秤にかけ、後者を選んだ。あの決断力。あのときも、映画を観た後、かなり尾を引きました。
 政次殿が選んだのは、ハリソンとちがい、ご自分自身。その高潔で冷静な判断に、私は息を飲みました。
 でも最も大きな、ハリソンとは比較にならないほど次元の異なる大きなちがいは、直虎への愛情。うぇ~ん。

 刑場に足を踏み入れ、そこに直虎の姿を認めたときのあなたの表情。もともと能面のような、それこそがまさに私の愛する、あのお醤油顔が、さらに能面のようになり、けれど瞳だけが能弁にあなたの心の内を物語っておりました。

 そして、誰一人予想していなかった直虎の挙動。

 「おまえは、俺を使え」という政次殿の言葉を、井戸のほとりで考え抜いた末の、あの直虎の行為は、あまりに激烈でした。幼い頃からずっと変わらなかったあなたの深い深い愛情。井伊家の家老としての、文字通り命を懸けた忠誠。
 それを想うとき、どこぞの馬の骨に処刑されるくらいなら自らの手で殺めてやろう、という直虎の決断は、うべなるべし。そして最後まで、最も喪いたくない相手の最期まで、罵詈雑言を浴びせ、政次殿を使い倒そうとする、その直虎の自制心。
 あなたも、さすがにあの直虎の行為は予想だにしていなかったでしょう。けれど、その瞬間、あなたは心の中で快哉を叫んだはず。よくやった。直虎。それでこそ井伊家城主。
 だから、血を吐きながら、直虎の迫真の演技にあなたも同調されました。地獄の底から見届けてやる、という言葉は、本当の本音だったことと思います。
 父上から言われた呪いのような一言が、おそらくは片時も脳裏を離れることがなかったのでしょう。裏切り者の家老の役回りを演じ切ること。あなたは、完璧に、その任務を全うなさいました。

 しかしなお、あれは激烈過ぎました。私には、理解しかねます。承服しかねます。
 そこまで人を愛することができるのか。愛する人のために、あのような形で命を投げ出すことができるのか。
 そして、そこまで自分を愛してくれる人に、刃を突き通す強さは、どこから来るのか。

 それでも、私は私なりに、あなたさまをお慕い申し上げておりました。告白するには、もう遅すぎるけれど。政次殿。心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

追伸:
来週から、日曜日の夜8時に家に居るモチベーションが、ぐんと下がりそうです。あなたのかそけき微笑みを見ることのできない大河ドラマなんて。

追々伸:
蛇足ではありますが、あなたさまの、あの瞳だけで万感の想いを語る演技力と並び、紫咲コウの大根ぶり(鰤大根ではない)も見事でした。槍を突き付けながら叫ぶときの、憎しみしか読み取れない一本調子の視線は、どうにかならなかったのでしょうか。
瞳の端に、一抹の哀しみと愛惜をちらり浮かべることが出来たなら、彼女もようやく「女優」と呼ばれることでしょうに。


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by miltlumi | 2017-08-21 22:17 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

祝・世界遺産登録 宗像・沖ノ島と関連遺産群

 宗像大社の一括世界遺産登録が決まった。よかったよかった。
 というか、そもそも沖ノ島とその周辺だけが「世界遺産」だなんて、仮とは言え、世界遺産委員会が下した判断がオカシすぎた。片手落ち以外の何物でもない。あのニュースが流れたとき、何考えとんねん、と珍しくTVに突っ込みを入れたほどだった。

 神社フェチな私は、もちろん彼の地を訪れたことがある。まず大島に船で渡り、あの小さな島をてくてく横切って遥拝所まで歩き、はるかかなたの沖ノ島を拝んだあと、またてくてく歩いて船に乗って、最後に陸地側の辺津宮に詣でた。
 地図で見るとよくわかるが、辺津宮から大島の中津宮と遥拝所、そして沖ノ島は、まぁーっすぐ北西方向に一直線に並んでいるのだ。
 そのラインをさらに北西に延ばせば、対馬、そして釜山に続く。古代、追い付け追い越せの「世界」が中国大陸とその玄関口である朝鮮半島だった頃の日本にとって、このラインは大きな意味があったのだと思う。
 今でも沖ノ島は女人禁制だし、大島の遥拝所でさえ陸からはけっこう遠い。私を含むこちら側の平民たちは、日常の中では辺津宮から神様を拝むしかない。拝む側と拝まれる側、両方あって初めて成り立つものだろう。

 …という宗像大社の話は、実はただの前置き(笑)。お話したいのは、「遥拝」のこと。これ、最近のマイブームなのだ。拝む相手は、神様ではなくて、私の友達。

 例えば先日、AさんとBさんと私が集まった。1年前までお互い見ず知らずの他人だったのだが、顔の広いCさんが企画したパーティでたまたま集まり、なんのかんのとするうちに仲良くなった。このトシになって、仕事も趣味もカンケーない知り合いが出来るのは結構レア。ましてや、「仲の良い友達」と言える関係になれるのは、僥倖と呼んでもいい。
 そのとき集まったのも、前もって約束していたわけではない。私がAさんを勉強会に誘って二人で参加し、帰りがけAさんが「そういえば、これからBさんと会うんだけど、顔出す?」「え~、そうなんだ、行く行く!」。待ち合わせのエクセルシオールにAさんと一緒にいる私を見て、Bさんは「きゃー、ここで会えるなんて」ってな軽いノリ。
 ひとしきりおしゃべりしながら、3人改めて振り返る。
 「こうやって私たちがここにいるのも、Cさんのおかげだね~」
 いやはや、誠に有難い、というわけで、僭越ながら私が号令をかけ、3人揃って(どこにいるかわからない)Cさんに向かって「遥拝」したのである。

 私にとっての「Cさん」的存在は、他にも何人もおわします。今、私がこのようにここに在るのは彼女(彼)のおかげ、と思うとき、でたらめな方向に手を合わせて、どこで何をしているかわからないその人に、「遥拝」をする。

 遥拝する先があるのは、佳きことである。そう思うだけで、トランキライザーになる。神様がそこらじゅうにおわします国に生まれて、よかったと思う。


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by miltlumi | 2017-07-09 21:00 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

どっちが好き?

 「(サンドイッチは)たまごのとハムのと、どっちが好き?」
 「あかとあおは、どっちが好き?」
 5歳と9歳の女の子が初めて出会ったときの会話に、胸がきゅんとした。といっても、現実の話ではなく、江國香織の小説の中の一節。この人の書く物語の手触りは、いつもあまりに懐かしい。
 具体的な記憶はないけれど、小学校に入って間もない頃、きっと私たちも似たようなやりとりをしたにちがいない。
 「チョコパフェとプリンアラモード、どっちが好き?」
 「ブランコと鉄棒、どっちが好き?」
 「国語と算数、どっちが好き?」
 何を訊かれても、即答していた。選ぶのはカンタンだった。そして同じ質問を相手に返す。その答えが、自分と同じでも違っていても、別にどうでもよかった。単純にその子のことを、知りたいだけだったから。

 カンタンでなくなったのは、中学3年生のときだ。
 「ベイシティーローラーズとクイーン、どっちが好き?」
 別にどっちも好きじゃない、とは言えなかった。何しろクラスの仲良しグループは大体いずれかのファンで、もっと発展家はキッス、というご時勢。さだまさしのカセットテープをひそかに交換し合えるのは、隣のクラスの桃子ちゃんだけだった。
 高校になって、「トシちゃんとマッチ、どっちが好き?」と訊かれたときは、ゼッタイに決してデートできない相手より、同じクラスのK君かT君かのほうが重大でしょ、と思った。でもそんなことを言って、この場に水を差すべきではではない、という常識は、理解していた。

 明らかに苦い「どっちが好き?」クエスチョンは、大学入学早々。新しいクラスメートからこう尋ねられた。
 「トルストイとドストエフスキー、どっちが好き?」
 …。ドストエフスキーという名前は、父の本棚に並んだ全集の背表紙でしか見たことがない。しかし、卑しくも文学部系進学者の面子として、「読んだことないからわからない」と言うわけにはいかない。唯一読んだアンナ・カレーニナを心のよすがに、「トルストイ」と答えたときの忸怩たる思いは、いまだに生々しい。

 「お酒と家電と、どっちが好き?」
 大学4年、就職先の候補会社についての自問自答。自分の好き嫌いより、世間の評判や会社の将来性に女性活躍度合、そして何より、相手が自分を選んでくれるかどうか、がモンダイだった。ちなみに、お酒の会社は1次面接であっけなく落ちた。

 そして今。訪問先でのシンプルな質問。
 「コーヒーと紅茶、どちらがお好きですか?」
 「いえ、どちらでも。手間のかからないほうで結構です」
 答えになってない、っちゅーの。

 「どっちが好き?」というシンプルな質問は、こうやって大勢の意見や常識や面子やはったりや忖度が絡みついて、どんどんフクザツになってくる。
ひと様から見れば、好き勝手やりたい放題に見えるであろう(というか、実際よくそう言われる)私でさえ。
 もしかすると、好き勝手やるからこそ、かもしれない。自分の気持ちに耳をそばだて、好きか嫌いか、すごく考える。ゼロか100でなくても、30:70か55:45か。最終決断はゼロサムにならざるを得ないから、ちょっとだけちがうな、という感覚が残る。でも、この感覚を、私は嫌いではない。
 忙しすぎて、自分の気持ちを知る時間がなくて、もはや何が好きかわからなくなっている人の耳元で、こっそり囁いてあげたい。
 「心の底に眠ってる正直な気持ち、早く起きてくださーい」


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by miltlumi | 2017-07-02 10:15 | 私は私・徒然なるまま | Comments(2)

チャリティーパーティ初体験

 「ドレスコード:ブラックタイ推奨」というパーティに、生れて初めて招待された。ブラックタイ、ということは、女性はイブニングドレス!? やばい。
「ドレス」と言えば、持っているのは四半世紀以上前に着たお手製(!)のウェディングドレスだけ。しかもその後シングルアゲインという決して縁起のよろしくない代物…。というより、そもそもブラックタイのパーティに一人でウェディングドレス着ていくわけにいかないでしょ。
 一生に何度も着ないモノわざわざ買うのもなんだし、レンタルしようかしら、とネット検索する。あ、ドレスだけじゃなくアクセサリーも借りなきゃ、ジェルネイルもちょっと華やかに、ヘアセットはどこでやろう…色々思いあぐねるうち、なんだかヘンな気持ちになった。

 実はこのイベント、全世界で人権保護活動を展開している団体の、チャリティーパーティなのだ。チャリティーが目的なのに、ドレスやヘアサロンにカネを費やしてどうする。その分、寄付金に回すべきではないか。そう思い直して、手持ちの黒のベルベットの膝下丈ドレスで勝負することにした。アップのヘアスタイルだって、自分でやれないことはないと、鏡とにらめっこでねじりヘアの練習をする。

 毎年パーティに出席している人にこの話をしたら、鼻で笑われた。
 「あのなぁ、そんなビンボーくさいこと言うやつは、そもそもこのパーティには来ないの」
 ぐさっ。確かに。イブニングドレスは各色取り混ぜクローゼットにずらり、何はなくとも3日に1度はヘアサロンで髪を整えるような、そういう雲上人の集まりなのだ、きっと。あー、場違いなワタシ。
 しかも、メインイベントのチャリティーオークションでは、1席10万円の円卓を囲む紳士淑女の間で7ケタの金額が飛び交うらしい。うー、レンタル・サロン代かき集めても足りないじゃないか。
 せめてもの彩りに、生花の赤い薔薇をコサージュ(これも手製だ)にして、胸元に飾ることにする。

 当日。紳士淑女はタクシーで、否、お抱えドライバーが運転するベンツやレクサスでホテルまで乗りつけるんだろーなーと思いながら、都営三田線に乗る。
 会場受付に知り合いの顔を見つけ、ほっとする。平日なせいもあり(カクテル・ビジネスも可だったので)ビジネススーツの方もいらっしゃる。さらに、ほっとする。

 400人以上が柔らかな牛肉の赤ワイン煮をナイフとフォークで切り分け、ワイングラスを傾けながら、中東のテロ組織による人権侵害に文字通り命がけで戦う人、アフリカの女性を虐待から救う人の姿が映し出されるスクリーンに見入る。日頃泥だらけで現場を駆けずり回っているその当事者が、隣のテーブルから立ち上がり、タキシード姿で自らの活動報告をする。
 オークションでは、直前に演奏を披露したアーティストが、自らのアリーナチケットを宣伝し、「ついでにあと1名追加しましょう」という大判振舞。有名シェフのお店貸し切り、6ディッシュにワイン飲み放題(?!)のスペシャルディナーは、7ケタの金額で競り落とされる。
 オークションこそ蚊帳の外だが、活動サポートのための寄付金募集は(たったの)3万円から。「ご協力いただける方は、お配りしたパンフレットの裏にある番号札をお上げください」という司会の呼びかけに、連鎖反応的に私も札を掲げた。

 ブラックタイが推奨される意味が分かった気がした。華やかな雰囲気の中で、こうやって着飾って美味しいものをいただける平和の有難味を改めて実感する。その幸せを、少しだけでも、世界におすそ分けする。

#余談ですが、ちょっと嬉しかったこと。イベント後に参加者に限定公開された写真集200枚余りの中に、生花コサージュ写真が♪ 光栄♡

#パーティに出席なさらなかった方も、ネット↓から寄付ができます。





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by miltlumi | 2017-05-26 15:20 | 私は私・徒然なるまま | Comments(2)

足裏の黒いヤツ(下)

 同い年の彼女が、転んでしたたか向う脛を打ってしばらくしたときのこと。
 「びっくりしたわよ~。足の裏が真っ黒になるのよ」
 「げげ~っ、何それ」
 腹の中が黒い、という話はよく聞くが、足の裏が黒いって、どういうことよ。

 …というツッコミはさておき、要は新陳代謝の問題である。内出血した血は、普通リンパの働きで、内出血が浸みだした部分からちゅうちゅうと吸収されていく。が、吸収速度が遅いと、血液が重力に従ってどんどんと降りて行き、ついに足の裏に到達して、それが貯まって黒くなるというのである。
 そんなバカな。多忙な彼女とちがって、私は毎週きちんとスポーツジムに通って鍛えてるもんね。1日の終りに足がむくむなんてこともないもんね。あのときは密かに優越感に浸ったのだが…。
 あれからそれなりに年を重ねてしまった今、私の新陳代謝力や如何。

 遺憾ながら、着実に代謝は落ちていた。しかし、黒くなったのは、足の裏でも、もちろん腹の中でもなく、足の内側の側面。内くるぶしの真下から土踏まずの上あたりがだんだん青黒くなる。黒というか黒紫というか。ああ、もう重力には勝てない。トシをとってしまった。
 改めて、もう若くはないことを自覚する。悲しい。仕方ないけど、やっぱり悲しい。

 そうか。転んだ瞬間、心を満たしたあの悲しみは、無意識のうちに「もう若くない」という認識を持ったせいだったのだ。だいたい、よそ見をして注意力散漫だったことも、咄嗟によける瞬発力がなかったことも、みんな「若くない」ことの証拠なんだ。
 自分の感情の裏にあった無意識の思考が明るみに出て、すっきりはした、けどね。

 こういう悲しい出来事は、自分だけの胸に秘めておくと悲しさが募るので、ブログで公開しようと思い立つ(何でもブログネタにするなんざ、転んでもタダでは起きない精神丸出しである)。いっそのこと黒くなった足の現物も見せたろか、と自虐精神が働き、患部をカメラに収める。しかし、青黒いくるぶしだけが大写しになった画像は、改めておぞましい。
 いくらなんでもこれをブログにUPするのは公序良俗違反だろう。やめやめやめ。

 あれから1週間。
 毎晩の自己流リンパマッサージの努力も虚しく、黒い足からはまだ脱却できていない。

追記:
 昨日、高校時代の友達から「同学年だった〇〇くんって、知ってる?」とFacebookメッセージで訊かれた。
 よく覚えてなかったので、卒業アルバムをひっぱり出してチェックしてみると、〇〇くん、すっきり系の、けっこうステキなタイプである。
 即刻、カメラで撮って送ってあげた。
 …つもりが、誤ってその写真の前に撮っていた、例の黒紫のくるぶし写真をUPしてしまった。
 げげっ!!と思って即座に削除した。
 …つもりが、とき既に遅し。瞬間に見てはいけないモノを見てしまった彼女から、速攻メッセージが。
 「すごい写真送られてきた(^_^;)」(原文のママ)
 Kさん、見苦しいモノを見せてしまって、本当に申し訳ありませんでした。


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by miltlumi | 2017-04-27 17:47 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

足裏の黒いヤツ(上)

 その瞬間、私の心を席巻した感情は、怒りでも驚きでも後悔でも羞恥でもなく、悲しみだった。
 スポーツジムに行こうとママチャリをこいでいて、思いっ切り電信柱にぶっかった。カゴからはみ出したかばんの紐に気を取られた瞬間、正面からぶつかり、横倒しに倒れて、右肘と右膝をアスファルトにしたたか打ちつけた。
 痛い。悲しい。えーん、と泣きたくなる。

 少し前、程よく空いた地下鉄の中で最後尾の車両に向かって歩いているときに思い切りすっころんで、座席に座る乗客の注目を一心に浴びて泣きたくなったのとは、次元の違う悲しさである。
 幸いここには、いいトシした女性がすっころぶ瞬間に目を瞠る他人の姿はない。黙って自転車を起こしながら、肘の下斜めに流れる赤い血に気づく。やだ、みっともない。初めて羞恥心が芽生える。ハンカチもティッシュもないので、血が流れるに任せて、そのままスポーツジムに向かう。

 受付でもらったバンドエイドで応急処置をして、いつも通りのセットをこなす…つもりが、最後のストレッチをしようとして、驚愕。右膝のすぐ下が、大福を張り付けたみたいにでっかく膨れ上がっているではないか。たんこぶって頭にできるものじゃなかったんか。
 膝に負担のかかるポーズは全部はしょってストレッチを終え、シャワーを浴びて服を着ようとしたら、スリムジーンズがはけないほど腫れている。痛い。

 湿布薬を買わなくては。ただでさえたんこぶを圧迫しているジーンズがさらに患部を押し付けぬよう、なるべく右足を曲げず、左足だけでチャリをこいでドラッグストアに向かう。
 ずらり並んだ湿布薬。30枚で498円(特価)と40枚で1980円。1枚あたり単価を計算しなくても、値段差は歴然だ。いくらなんでもこの差はひど過ぎないか。一秒でも早くたんこぶを冷やす必要があるにも関わらず、日頃の論理思考とケチ根性が鎌首をもたげる。
 「2枚の絵、5つの間違い探し」クイズよろしく、2つのパッケージをじぃい~~っと見比べる。ℓメントール(って何だ?)成分は一緒。1980円版はさらに鎮痛成分配合。ふむ。498円の「用途:肩凝り、腰痛、関節痛、筋肉痛、捻挫」に対し、1980円に「打撲」の表示。あ、決まり。こっちこっち。近来まれに見る大盤振る舞いで、お高い湿布薬をGETする。
 うちに帰って慎重にジーンズを脱ぐと、たんこぶは益々固く立派に育っている。まさか骨にヒビがいってるとか。幸い明日は骨盤矯正のため整骨院に行く予定だから、そこで診てもらえる。でも、何事もありませんように。お祈りしながら1枚50円の湿布をぺたんと貼る。

 翌朝、ベッドで目覚めたとたんに、おそるおそる膝を触る。うそのように大福がなくなっている。3倍の値段を出した甲斐があったか。
 整骨院の先生は、かくかくしかじか、私の説明を聞きながら、膝の状態を見てくれる。
 「ああ、骨は大丈夫ですよ。折れてたらそう簡単に腫れは引きませんから。でも、内出血が下に降りていきますからね。ちゃんとマッサージしておきましょう」
 内出血? 下に降りる? あっ。
 記憶の底から、数年前に友達から聞いた禍々しい言葉が浮上した。
 「足裏が黒くなる」                 ・・・(下)に続く

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by miltlumi | 2017-04-27 17:41 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

足裏の黒いヤツ(上)

 その瞬間、私の心を席巻した感情は、怒りでも驚きでも後悔でも羞恥でもなく、悲しみだった。
 スポーツジムに行こうとママチャリをこいでいて、思いっ切り電信柱にぶっかった。カゴからはみ出したかばんの紐に気を取られた瞬間、正面からぶつかり、横倒しに倒れて、右肘と右膝をアスファルトにしたたか打ちつけた。
 痛い。悲しい。えーん、と泣きたくなる。

 少し前、程よく空いた地下鉄の中で最後尾の車両に向かって歩いているときに思い切りすっころんで、座席に座る乗客の注目を一心に浴びて泣きたくなったのとは、次元の違う悲しさである。
 幸いここには、いいトシした女性がすっころぶ瞬間に目を瞠る他人の姿はない。黙って自転車を起こしながら、肘の下斜めに流れる赤い血に気づく。やだ、みっともない。初めて羞恥心が芽生える。ハンカチもティッシュもないので、血が流れるに任せて、そのままスポーツジムに向かう。

 受付でもらったバンドエイドで応急処置をして、いつも通りのセットをこなす…つもりが、最後のストレッチをしようとして、驚愕。右膝のすぐ下が、大福を張り付けたみたいにでっかく膨れ上がっているではないか。たんこぶって頭にできるものじゃなかったんか。
 膝に負担のかかるポーズは全部はしょってストレッチを終え、シャワーを浴びて服を着ようとしたら、スリムジーンズがはけないほど腫れている。痛い。

 湿布薬を買わなくては。ただでさえたんこぶを圧迫しているジーンズがさらに患部を押し付けぬよう、なるべく右足を曲げず、左足だけでチャリをこいでドラッグストアに向かう。
 ずらり並んだ湿布薬。30枚で498円(特価)と40枚で1980円。1枚あたり単価を計算しなくても、値段差は歴然だ。いくらなんでもこの差はひど過ぎないか。一秒でも早くたんこぶを冷やす必要があるにも関わらず、日頃の論理思考とケチ根性が鎌首をもたげる。
 「2枚の絵、5つの間違い探し」クイズよろしく、2つのパッケージをじぃい~~っと見比べる。ℓメントール(って何だ?)成分は一緒。1980円版はさらに鎮痛成分配合。ふむ。498円の「用途:肩凝り、腰痛、関節痛、筋肉痛、捻挫」に対し、1980円に「打撲」の表示。あ、決まり。こっちこっち。近来まれに見る大盤振る舞いで、お高い湿布薬をGETする。
 うちに帰って慎重にジーンズを脱ぐと、たんこぶは益々固く立派に育っている。まさか骨にヒビがいってるとか。幸い明日は骨盤矯正のため整骨院に行く予定だから、そこで診てもらえる。でも、何事もありませんように。お祈りしながら1枚50円の湿布をぺたんと貼る。

 翌朝、ベッドで目覚めたとたんに、おそるおそる膝を触る。うそのように大福がなくなっている。3倍の値段を出した甲斐があったか。
 整骨院の先生は、かくかくしかじか、私の説明を聞きながら、膝の状態を見てくれる。
 「ああ、骨は大丈夫ですよ。折れてたらそう簡単に腫れは引きませんから。でも、内出血が下に降りていきますからね。ちゃんとマッサージしておきましょう」
 内出血? 下に降りる? あっ。
 記憶の底から、数年前に友達から聞いた禍々しい言葉が浮上した。
 「足裏が黒くなる」                 ・・・(下)に続く

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by miltlumi | 2017-04-27 17:41 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

ごみ収集車の「オーライ」の声

 近頃わりと規則正しい生活をしている。朝はTVもつけず、東側の窓から射し込むぴかぴかの朝陽を眺めながら朝食をとり、ゆっくり身支度する。TVをつけないから、窓を閉めていても鳥の声が聞こえる。鳥や私以外に、規則正しい人が活動しているのもわかる。
 ごみ収集の清掃員さんたちである。燃えるごみ収集日の水曜と土曜、8時27・28分になると、必ずマンション地下のごみ置き場に入っていく「オーライ、オーライ」という声が聞こえて来る。

 ごみ置き場は24時間365日いつ出してもいいが、夏の間は生ごみが気になって、収集日の朝に出そうと努力した。しようとしたが、ぐずぐずしているうちにいつも「オーライ」が聞こえて来て、「あ、今日も間に合わなかった」と思いつつ時計を見るようになった。じきにごみは前夜に出す作戦に切り替えたが、「オーライ」の声と時間チェックはもう癖である。それがいつも必ず8時27分か28分。
 その時々の道路状況やごみの量で、まちまちになっても当然と思うのだが、電車やバスでもないのに、判で押したように、とはまさにこのこと。すごい、と思う。

 そういえば、一軒家の実家の近所でも、町内会のごみ収集場所のすぐ横の家が「臭い」と言ってごねまくったら、町役場が7時45分に収集車を回す手はずを整えてくれたという。そしてそれが守られる。まれに時間に遅れると、件の家が騒ぐらしい。
 収集ルートをわざわざ変更した上に、ちゃんとその時間に来るとは、なんと律義なことか。本当にすごい、と思う。

 年末に初めて訪れたバンコクで長距離電車に乗ってみた。始発のファランポーン駅を出発したのは7分遅れ。もちろん、「遅れます」のアナウンスもなければ、騒ぎ出す乗客もいない。そして、目指すアユタヤ駅には、なぜか定刻より3分早く到着した。
 帰りがけ、時刻表どおりに上り電車がホームに入ってきたときは、かえってびっくりしてしまった。周りのタイ人は、もちろん誰も騒がなかった。

 日本人の几帳面、丁寧さは今に始まったことではないが、例の「お・も・て・な・し」発言以来、一気に加速したように思う。デフレ経済下で熾烈な競争を強いられる消費者向け商品・サービスはもとより、モンスター〇〇を恐れる役所や学校、2020年に向けて外国人を呼び込まんと英語表記やウォッシュレット設置に奔走する鉄道各社から、道路工事で迂回路案内をする誘導員の方々も。全く以て、すごい、と思う。

 でも一番すごいのは、それを当たり前と思ってしまう日本人である。しかも、世界一の「おもてなし」大国で、俄然日本人が幸せになったか、というと、そうでもない。
 人間は環境適応能力があるので、改善されてもすぐ慣れてしまう。環境改善による幸せは長続きしないのだ。これは心理学でしっかり証明されている事実である。

 慣れないようにするには、変化が大切。
 たとえば、駅構内や電車内での親切なアナウンスを1日いっさい止めてみるとか。
 12月25日は清掃員さんがサンタさんの服を着て、ごみを収集するかわりにどかどか袋を置いていくとか。
 そしたら「当たり前」が「有難い」になって、皆ささやかな幸せを感じられるだろうか。


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by miltlumi | 2017-01-25 21:59 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

ぬくもりプレゼント

 最近ボクは、とっても疲れていた。
 新しく始めたビジネスを軌道に乗せるためになんやかんややることはたくさんあるし、超後期高齢者の母が入院して毎日愚痴を聞きに見舞いに行かないといけないし、娘は受験だし、おまけに寒い。
 暖冬のはずがこの寒さ。オトコだって手足は冷えるのだ。近頃、男性にも更年期障害があるとかないとか言われるようになり、これって…、と思うことがないでもない。母でなくとも、歳を重ねると心身ともに色々つらいことが増えるのだ。

 その日も、仕事で遅くなったついでにちょいとアルコールをひっかけて、夜中近くに帰宅した。しばらく前から妻とは寝室を別にしている。仲はいい(とボクは信じている)のだが、娘のお弁当作りが毎朝の日課になっている彼女の安眠を、宵っ張りのボクが邪魔してはいけない、という気遣いからだ。
 疲れてシャワーを浴びる気にもならない。寝静まった家の中、足音をさせぬよう、元夫婦の寝室に入り、急いで冷たいパジャマに着替えると、空しく広々としたダブルベッドにもぐりこんだ。

 …と、布団の中、足元に異物感がある。硬いような柔らかいような、丸いような平べったいような、ほんわかと温かい。猫?(って、飼ってないだろ) ちがう。これは…。
 酔っぱらった脳みそが、触覚と記憶と言語中枢のシナプスをつなげて正しい単語を導き出すのに、3秒かかった。

 湯たんぽ。

 うわあぁ。冷え切った足先がほかほかと温まっていくその感触と、言葉の持つ懐かしい昭和な響きが呼応して、心の底から幸せな気分がわき上がる。
 何年ぶり、いや、何十年ぶりだろう。この温かさ。子どもの頃は、母が毎晩用意してくれた。今は彼女は病院だ。じゃあ、一体誰が? 娘、なわけがない。受験勉強真っ盛りなのだから。
 妻だ。あいつ。くぅ。やるなあ。
 銀婚式も過ぎ、お互いのやり口はバレバレ、のはずの相手に、今更ながらノックアウトである。

 すっかり温まった足の裏で、何度もすりすり湯たんぽを撫でているうち、眠りに落ちた。朝、目覚めて、寝ぼけながらもまたすりすりすると、湯たんぽはまだほんのり温かい。
 起きて着替えてダイニングルームに行くと、とっくの昔に娘を送り出した妻は、コーヒー片手に新聞を広げている。
 「ありがとね」
 わざとちょっと素っ気ない声を出すと、ちらりと目だけ上げる。
 「…何が?」
 「湯たんぽ」
 ふっ、と、笑いとも揶揄ともつかないかすかな音を発して、彼女はそのまままた紙面に視線を落とした。
 今夜も、入れてくれるかな。湯たんぽ。朝から、夜を楽しみにしている自分がいる。

***

 先シーズン、知人から聞いた実話をもとに、私が勝手な脚色を加えたものです。
 その場に一緒にいたもう一人の男性は、「うちの女房なんか、そんなことありえない」と羨ましがることしきり。そこで私が提案。
 「それだったら、奥様にやってさしあげたらどうですか? 湯たんぽ」
 やってあげても、やってもらっても、二人とも、ほかほか、にっこり。



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by miltlumi | 2016-11-19 13:14 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

ボブ・ディラン、もしくは学生街の喫茶店

 ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した、というニュースを聞いて、最初に浮んだ歌は「風に吹かれて」ではなく、「学生街の喫茶店」だった。
 ♪学生でにぎやかなこの店の 片隅で聴いていたボブ・ディラン♪
 そして、この歌はすみやかに、小学校5年生のときにもらった初めてラブレターの記憶につながる。 

 送り主は、フィンガーファイブの晃みたいなさらりとした長髪の、でもぽっちゃり系の、隣のクラスのN君だった。親戚の伯母さんからの手紙のような縦書きの便箋に書かれていたのは、テスト問題まがいの3択。問題文は憶えていない。「ぼくと友だちになってください」だったか、「ぼくとつきあってください」だったか。そのあとの選択肢だけ、はっきりと記憶に刻まれている。
 ①はい
 ②いいえ
 ③その他( )
 明快といえば、明快。これほどすっきりしたラブレターはなかろう。11歳の男の子にしては、クールなセンスだ。

 解答を出す前に、母親にその問題用紙、もといラブレターを見せた。1年生の頃からずっと、返ってきたテストや友達とのおしゃべり、その日の学校の出来事は残らず母親に報告するのが日課だったから。
 ガスストーブの熱気でむせるような部屋で、母は洋裁の針を動かしながら、娘の一大事に前のめりになるでもなく、いつものようにその人となりを尋ねた。
 「N君って、どんな子?」
 「んとね、2学期に三重大学フゾク小学校から転校してきた子」
 神奈川県の西の端にある市立の小学校で、中学受験をする子は学年に2・3人、という暢気な環境にどっぷり浸った私たちにとって、なんとか附属小学校、という響きは斬新だった。ただ、母には告げなかったが、私としてはちょっとキューピーっぽい体型がどうもひっかかっていた。
 だから、というわけではないが、①と解答しなかったことだけは確かだ。でも母がどんなアドバイスをくれたのか、最終的に私から彼に、いつどこで何と返事をしたのか、肝心なところがぼやけてしまってうまく思い出せない。

 ただ、彼とはそのあとずっと平和な関係が続いた、ということはやはり答えは②ではなかったのだろう。じきに彼は、キューピー体重はそのままでぐんぐん身長が伸び、私を軽く追い越した。6年の秋、八幡様の本殿の裏で初デートめいたことをしたとき、京都土産のちりめん梅花模様の小さな玉手箱をもらった。
 中学1年の2学期に私が転校してからはしばらく、今となっては死語である「文通」をした。おそらく最初に①の答えで関係を固めなかったおかげだろう。苦いピリオドを打つことは決してなく、何年かに1度、思い出したようにデートとも言えないデートを重ねた。
 音信不通になったのは、初めてラブレターをもらってから実に18年後、私のトロント赴任中。毎年欠かさずやりとりしていた年賀状が宛先不明で海を越えて戻ってきてしまった。それきり、である。

 赤い玉手箱と2・30通の手紙や葉書は、今も手元に残っている。一番大切な初ラブレターだけが、ない。
 あの頃はまだ、あの最初の手紙がこれほど大切なものになるとは知らなかった。未来には、もっともっと華々しくドラマティックなものが待っていると信じていた。
 ♪あの頃は愛だとは知らないで サヨナラも言わないで 別れたよ♪
 ガロの歌声が、脳裏に響いている。


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by miltlumi | 2016-11-02 21:44 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)