カテゴリ:私は私・徒然なるまま( 218 )

チャリティーパーティ初体験

 「ドレスコード:ブラックタイ推奨」というパーティに、生れて初めて招待された。ブラックタイ、ということは、女性はイブニングドレス!? やばい。
「ドレス」と言えば、持っているのは四半世紀以上前に着たお手製(!)のウェディングドレスだけ。しかもその後シングルアゲインという決して縁起のよろしくない代物…。というより、そもそもブラックタイのパーティに一人でウェディングドレス着ていくわけにいかないでしょ。
 一生に何度も着ないモノわざわざ買うのもなんだし、レンタルしようかしら、とネット検索する。あ、ドレスだけじゃなくアクセサリーも借りなきゃ、ジェルネイルもちょっと華やかに、ヘアセットはどこでやろう…色々思いあぐねるうち、なんだかヘンな気持ちになった。

 実はこのイベント、全世界で人権保護活動を展開している団体の、チャリティーパーティなのだ。チャリティーが目的なのに、ドレスやヘアサロンにカネを費やしてどうする。その分、寄付金に回すべきではないか。そう思い直して、手持ちの黒のベルベットの膝下丈ドレスで勝負することにした。アップのヘアスタイルだって、自分でやれないことはないと、鏡とにらめっこでねじりヘアの練習をする。

 毎年パーティに出席している人にこの話をしたら、鼻で笑われた。
 「あのなぁ、そんなビンボーくさいこと言うやつは、そもそもこのパーティには来ないの」
 ぐさっ。確かに。イブニングドレスは各色取り混ぜクローゼットにずらり、何はなくとも3日に1度はヘアサロンで髪を整えるような、そういう雲上人の集まりなのだ、きっと。あー、場違いなワタシ。
 しかも、メインイベントのチャリティーオークションでは、1席10万円の円卓を囲む紳士淑女の間で7ケタの金額が飛び交うらしい。うー、レンタル・サロン代かき集めても足りないじゃないか。
 せめてもの彩りに、生花の赤い薔薇をコサージュ(これも手製だ)にして、胸元に飾ることにする。

 当日。紳士淑女はタクシーで、否、お抱えドライバーが運転するベンツやレクサスでホテルまで乗りつけるんだろーなーと思いながら、都営三田線に乗る。
 会場受付に知り合いの顔を見つけ、ほっとする。平日なせいもあり(カクテル・ビジネスも可だったので)ビジネススーツの方もいらっしゃる。さらに、ほっとする。

 400人以上が柔らかな牛肉の赤ワイン煮をナイフとフォークで切り分け、ワイングラスを傾けながら、中東のテロ組織による人権侵害に文字通り命がけで戦う人、アフリカの女性を虐待から救う人の姿が映し出されるスクリーンに見入る。日頃泥だらけで現場を駆けずり回っているその当事者が、隣のテーブルから立ち上がり、タキシード姿で自らの活動報告をする。
 オークションでは、直前に演奏を披露したアーティストが、自らのアリーナチケットを宣伝し、「ついでにあと1名追加しましょう」という大判振舞。有名シェフのお店貸し切り、6ディッシュにワイン飲み放題(?!)のスペシャルディナーは、7ケタの金額で競り落とされる。
 オークションこそ蚊帳の外だが、活動サポートのための寄付金募集は(たったの)3万円から。「ご協力いただける方は、お配りしたパンフレットの裏にある番号札をお上げください」という司会の呼びかけに、連鎖反応的に私も札を掲げた。

 ブラックタイが推奨される意味が分かった気がした。華やかな雰囲気の中で、こうやって着飾って美味しいものをいただける平和の有難味を改めて実感する。その幸せを、少しだけでも、世界におすそ分けする。

#余談ですが、ちょっと嬉しかったこと。イベント後に参加者に限定公開された写真集200枚余りの中に、生花コサージュ写真が♪ 光栄♡

#パーティに出席なさらなかった方も、ネット↓から寄付ができます。





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by miltlumi | 2017-05-26 15:20 | 私は私・徒然なるまま | Comments(2)

足裏の黒いヤツ(下)

 同い年の彼女が、転んでしたたか向う脛を打ってしばらくしたときのこと。
 「びっくりしたわよ~。足の裏が真っ黒になるのよ」
 「げげ~っ、何それ」
 腹の中が黒い、という話はよく聞くが、足の裏が黒いって、どういうことよ。

 …というツッコミはさておき、要は新陳代謝の問題である。内出血した血は、普通リンパの働きで、内出血が浸みだした部分からちゅうちゅうと吸収されていく。が、吸収速度が遅いと、血液が重力に従ってどんどんと降りて行き、ついに足の裏に到達して、それが貯まって黒くなるというのである。
 そんなバカな。多忙な彼女とちがって、私は毎週きちんとスポーツジムに通って鍛えてるもんね。1日の終りに足がむくむなんてこともないもんね。あのときは密かに優越感に浸ったのだが…。
 あれからそれなりに年を重ねてしまった今、私の新陳代謝力や如何。

 遺憾ながら、着実に代謝は落ちていた。しかし、黒くなったのは、足の裏でも、もちろん腹の中でもなく、足の内側の側面。内くるぶしの真下から土踏まずの上あたりがだんだん青黒くなる。黒というか黒紫というか。ああ、もう重力には勝てない。トシをとってしまった。
 改めて、もう若くはないことを自覚する。悲しい。仕方ないけど、やっぱり悲しい。

 そうか。転んだ瞬間、心を満たしたあの悲しみは、無意識のうちに「もう若くない」という認識を持ったせいだったのだ。だいたい、よそ見をして注意力散漫だったことも、咄嗟によける瞬発力がなかったことも、みんな「若くない」ことの証拠なんだ。
 自分の感情の裏にあった無意識の思考が明るみに出て、すっきりはした、けどね。

 こういう悲しい出来事は、自分だけの胸に秘めておくと悲しさが募るので、ブログで公開しようと思い立つ(何でもブログネタにするなんざ、転んでもタダでは起きない精神丸出しである)。いっそのこと黒くなった足の現物も見せたろか、と自虐精神が働き、患部をカメラに収める。しかし、青黒いくるぶしだけが大写しになった画像は、改めておぞましい。
 いくらなんでもこれをブログにUPするのは公序良俗違反だろう。やめやめやめ。

 あれから1週間。
 毎晩の自己流リンパマッサージの努力も虚しく、黒い足からはまだ脱却できていない。

追記:
 昨日、高校時代の友達から「同学年だった〇〇くんって、知ってる?」とFacebookメッセージで訊かれた。
 よく覚えてなかったので、卒業アルバムをひっぱり出してチェックしてみると、〇〇くん、すっきり系の、けっこうステキなタイプである。
 即刻、カメラで撮って送ってあげた。
 …つもりが、誤ってその写真の前に撮っていた、例の黒紫のくるぶし写真をUPしてしまった。
 げげっ!!と思って即座に削除した。
 …つもりが、とき既に遅し。瞬間に見てはいけないモノを見てしまった彼女から、速攻メッセージが。
 「すごい写真送られてきた(^_^;)」(原文のママ)
 Kさん、見苦しいモノを見せてしまって、本当に申し訳ありませんでした。


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by miltlumi | 2017-04-27 17:47 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

足裏の黒いヤツ(上)

 その瞬間、私の心を席巻した感情は、怒りでも驚きでも後悔でも羞恥でもなく、悲しみだった。
 スポーツジムに行こうとママチャリをこいでいて、思いっ切り電信柱にぶっかった。カゴからはみ出したかばんの紐に気を取られた瞬間、正面からぶつかり、横倒しに倒れて、右肘と右膝をアスファルトにしたたか打ちつけた。
 痛い。悲しい。えーん、と泣きたくなる。

 少し前、程よく空いた地下鉄の中で最後尾の車両に向かって歩いているときに思い切りすっころんで、座席に座る乗客の注目を一心に浴びて泣きたくなったのとは、次元の違う悲しさである。
 幸いここには、いいトシした女性がすっころぶ瞬間に目を瞠る他人の姿はない。黙って自転車を起こしながら、肘の下斜めに流れる赤い血に気づく。やだ、みっともない。初めて羞恥心が芽生える。ハンカチもティッシュもないので、血が流れるに任せて、そのままスポーツジムに向かう。

 受付でもらったバンドエイドで応急処置をして、いつも通りのセットをこなす…つもりが、最後のストレッチをしようとして、驚愕。右膝のすぐ下が、大福を張り付けたみたいにでっかく膨れ上がっているではないか。たんこぶって頭にできるものじゃなかったんか。
 膝に負担のかかるポーズは全部はしょってストレッチを終え、シャワーを浴びて服を着ようとしたら、スリムジーンズがはけないほど腫れている。痛い。

 湿布薬を買わなくては。ただでさえたんこぶを圧迫しているジーンズがさらに患部を押し付けぬよう、なるべく右足を曲げず、左足だけでチャリをこいでドラッグストアに向かう。
 ずらり並んだ湿布薬。30枚で498円(特価)と40枚で1980円。1枚あたり単価を計算しなくても、値段差は歴然だ。いくらなんでもこの差はひど過ぎないか。一秒でも早くたんこぶを冷やす必要があるにも関わらず、日頃の論理思考とケチ根性が鎌首をもたげる。
 「2枚の絵、5つの間違い探し」クイズよろしく、2つのパッケージをじぃい~~っと見比べる。ℓメントール(って何だ?)成分は一緒。1980円版はさらに鎮痛成分配合。ふむ。498円の「用途:肩凝り、腰痛、関節痛、筋肉痛、捻挫」に対し、1980円に「打撲」の表示。あ、決まり。こっちこっち。近来まれに見る大盤振る舞いで、お高い湿布薬をGETする。
 うちに帰って慎重にジーンズを脱ぐと、たんこぶは益々固く立派に育っている。まさか骨にヒビがいってるとか。幸い明日は骨盤矯正のため整骨院に行く予定だから、そこで診てもらえる。でも、何事もありませんように。お祈りしながら1枚50円の湿布をぺたんと貼る。

 翌朝、ベッドで目覚めたとたんに、おそるおそる膝を触る。うそのように大福がなくなっている。3倍の値段を出した甲斐があったか。
 整骨院の先生は、かくかくしかじか、私の説明を聞きながら、膝の状態を見てくれる。
 「ああ、骨は大丈夫ですよ。折れてたらそう簡単に腫れは引きませんから。でも、内出血が下に降りていきますからね。ちゃんとマッサージしておきましょう」
 内出血? 下に降りる? あっ。
 記憶の底から、数年前に友達から聞いた禍々しい言葉が浮上した。
 「足裏が黒くなる」                 ・・・(下)に続く

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by miltlumi | 2017-04-27 17:41 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

足裏の黒いヤツ(上)

 その瞬間、私の心を席巻した感情は、怒りでも驚きでも後悔でも羞恥でもなく、悲しみだった。
 スポーツジムに行こうとママチャリをこいでいて、思いっ切り電信柱にぶっかった。カゴからはみ出したかばんの紐に気を取られた瞬間、正面からぶつかり、横倒しに倒れて、右肘と右膝をアスファルトにしたたか打ちつけた。
 痛い。悲しい。えーん、と泣きたくなる。

 少し前、程よく空いた地下鉄の中で最後尾の車両に向かって歩いているときに思い切りすっころんで、座席に座る乗客の注目を一心に浴びて泣きたくなったのとは、次元の違う悲しさである。
 幸いここには、いいトシした女性がすっころぶ瞬間に目を瞠る他人の姿はない。黙って自転車を起こしながら、肘の下斜めに流れる赤い血に気づく。やだ、みっともない。初めて羞恥心が芽生える。ハンカチもティッシュもないので、血が流れるに任せて、そのままスポーツジムに向かう。

 受付でもらったバンドエイドで応急処置をして、いつも通りのセットをこなす…つもりが、最後のストレッチをしようとして、驚愕。右膝のすぐ下が、大福を張り付けたみたいにでっかく膨れ上がっているではないか。たんこぶって頭にできるものじゃなかったんか。
 膝に負担のかかるポーズは全部はしょってストレッチを終え、シャワーを浴びて服を着ようとしたら、スリムジーンズがはけないほど腫れている。痛い。

 湿布薬を買わなくては。ただでさえたんこぶを圧迫しているジーンズがさらに患部を押し付けぬよう、なるべく右足を曲げず、左足だけでチャリをこいでドラッグストアに向かう。
 ずらり並んだ湿布薬。30枚で498円(特価)と40枚で1980円。1枚あたり単価を計算しなくても、値段差は歴然だ。いくらなんでもこの差はひど過ぎないか。一秒でも早くたんこぶを冷やす必要があるにも関わらず、日頃の論理思考とケチ根性が鎌首をもたげる。
 「2枚の絵、5つの間違い探し」クイズよろしく、2つのパッケージをじぃい~~っと見比べる。ℓメントール(って何だ?)成分は一緒。1980円版はさらに鎮痛成分配合。ふむ。498円の「用途:肩凝り、腰痛、関節痛、筋肉痛、捻挫」に対し、1980円に「打撲」の表示。あ、決まり。こっちこっち。近来まれに見る大盤振る舞いで、お高い湿布薬をGETする。
 うちに帰って慎重にジーンズを脱ぐと、たんこぶは益々固く立派に育っている。まさか骨にヒビがいってるとか。幸い明日は骨盤矯正のため整骨院に行く予定だから、そこで診てもらえる。でも、何事もありませんように。お祈りしながら1枚50円の湿布をぺたんと貼る。

 翌朝、ベッドで目覚めたとたんに、おそるおそる膝を触る。うそのように大福がなくなっている。3倍の値段を出した甲斐があったか。
 整骨院の先生は、かくかくしかじか、私の説明を聞きながら、膝の状態を見てくれる。
 「ああ、骨は大丈夫ですよ。折れてたらそう簡単に腫れは引きませんから。でも、内出血が下に降りていきますからね。ちゃんとマッサージしておきましょう」
 内出血? 下に降りる? あっ。
 記憶の底から、数年前に友達から聞いた禍々しい言葉が浮上した。
 「足裏が黒くなる」                 ・・・(下)に続く

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by miltlumi | 2017-04-27 17:41 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

ごみ収集車の「オーライ」の声

 近頃わりと規則正しい生活をしている。朝はTVもつけず、東側の窓から射し込むぴかぴかの朝陽を眺めながら朝食をとり、ゆっくり身支度する。TVをつけないから、窓を閉めていても鳥の声が聞こえる。鳥や私以外に、規則正しい人が活動しているのもわかる。
 ごみ収集の清掃員さんたちである。燃えるごみ収集日の水曜と土曜、8時27・28分になると、必ずマンション地下のごみ置き場に入っていく「オーライ、オーライ」という声が聞こえて来る。

 ごみ置き場は24時間365日いつ出してもいいが、夏の間は生ごみが気になって、収集日の朝に出そうと努力した。しようとしたが、ぐずぐずしているうちにいつも「オーライ」が聞こえて来て、「あ、今日も間に合わなかった」と思いつつ時計を見るようになった。じきにごみは前夜に出す作戦に切り替えたが、「オーライ」の声と時間チェックはもう癖である。それがいつも必ず8時27分か28分。
 その時々の道路状況やごみの量で、まちまちになっても当然と思うのだが、電車やバスでもないのに、判で押したように、とはまさにこのこと。すごい、と思う。

 そういえば、一軒家の実家の近所でも、町内会のごみ収集場所のすぐ横の家が「臭い」と言ってごねまくったら、町役場が7時45分に収集車を回す手はずを整えてくれたという。そしてそれが守られる。まれに時間に遅れると、件の家が騒ぐらしい。
 収集ルートをわざわざ変更した上に、ちゃんとその時間に来るとは、なんと律義なことか。本当にすごい、と思う。

 年末に初めて訪れたバンコクで長距離電車に乗ってみた。始発のファランポーン駅を出発したのは7分遅れ。もちろん、「遅れます」のアナウンスもなければ、騒ぎ出す乗客もいない。そして、目指すアユタヤ駅には、なぜか定刻より3分早く到着した。
 帰りがけ、時刻表どおりに上り電車がホームに入ってきたときは、かえってびっくりしてしまった。周りのタイ人は、もちろん誰も騒がなかった。

 日本人の几帳面、丁寧さは今に始まったことではないが、例の「お・も・て・な・し」発言以来、一気に加速したように思う。デフレ経済下で熾烈な競争を強いられる消費者向け商品・サービスはもとより、モンスター〇〇を恐れる役所や学校、2020年に向けて外国人を呼び込まんと英語表記やウォッシュレット設置に奔走する鉄道各社から、道路工事で迂回路案内をする誘導員の方々も。全く以て、すごい、と思う。

 でも一番すごいのは、それを当たり前と思ってしまう日本人である。しかも、世界一の「おもてなし」大国で、俄然日本人が幸せになったか、というと、そうでもない。
 人間は環境適応能力があるので、改善されてもすぐ慣れてしまう。環境改善による幸せは長続きしないのだ。これは心理学でしっかり証明されている事実である。

 慣れないようにするには、変化が大切。
 たとえば、駅構内や電車内での親切なアナウンスを1日いっさい止めてみるとか。
 12月25日は清掃員さんがサンタさんの服を着て、ごみを収集するかわりにどかどか袋を置いていくとか。
 そしたら「当たり前」が「有難い」になって、皆ささやかな幸せを感じられるだろうか。


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by miltlumi | 2017-01-25 21:59 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

ぬくもりプレゼント

 最近ボクは、とっても疲れていた。
 新しく始めたビジネスを軌道に乗せるためになんやかんややることはたくさんあるし、超後期高齢者の母が入院して毎日愚痴を聞きに見舞いに行かないといけないし、娘は受験だし、おまけに寒い。
 暖冬のはずがこの寒さ。オトコだって手足は冷えるのだ。近頃、男性にも更年期障害があるとかないとか言われるようになり、これって…、と思うことがないでもない。母でなくとも、歳を重ねると心身ともに色々つらいことが増えるのだ。

 その日も、仕事で遅くなったついでにちょいとアルコールをひっかけて、夜中近くに帰宅した。しばらく前から妻とは寝室を別にしている。仲はいい(とボクは信じている)のだが、娘のお弁当作りが毎朝の日課になっている彼女の安眠を、宵っ張りのボクが邪魔してはいけない、という気遣いからだ。
 疲れてシャワーを浴びる気にもならない。寝静まった家の中、足音をさせぬよう、元夫婦の寝室に入り、急いで冷たいパジャマに着替えると、空しく広々としたダブルベッドにもぐりこんだ。

 …と、布団の中、足元に異物感がある。硬いような柔らかいような、丸いような平べったいような、ほんわかと温かい。猫?(って、飼ってないだろ) ちがう。これは…。
 酔っぱらった脳みそが、触覚と記憶と言語中枢のシナプスをつなげて正しい単語を導き出すのに、3秒かかった。

 湯たんぽ。

 うわあぁ。冷え切った足先がほかほかと温まっていくその感触と、言葉の持つ懐かしい昭和な響きが呼応して、心の底から幸せな気分がわき上がる。
 何年ぶり、いや、何十年ぶりだろう。この温かさ。子どもの頃は、母が毎晩用意してくれた。今は彼女は病院だ。じゃあ、一体誰が? 娘、なわけがない。受験勉強真っ盛りなのだから。
 妻だ。あいつ。くぅ。やるなあ。
 銀婚式も過ぎ、お互いのやり口はバレバレ、のはずの相手に、今更ながらノックアウトである。

 すっかり温まった足の裏で、何度もすりすり湯たんぽを撫でているうち、眠りに落ちた。朝、目覚めて、寝ぼけながらもまたすりすりすると、湯たんぽはまだほんのり温かい。
 起きて着替えてダイニングルームに行くと、とっくの昔に娘を送り出した妻は、コーヒー片手に新聞を広げている。
 「ありがとね」
 わざとちょっと素っ気ない声を出すと、ちらりと目だけ上げる。
 「…何が?」
 「湯たんぽ」
 ふっ、と、笑いとも揶揄ともつかないかすかな音を発して、彼女はそのまままた紙面に視線を落とした。
 今夜も、入れてくれるかな。湯たんぽ。朝から、夜を楽しみにしている自分がいる。

***

 先シーズン、知人から聞いた実話をもとに、私が勝手な脚色を加えたものです。
 その場に一緒にいたもう一人の男性は、「うちの女房なんか、そんなことありえない」と羨ましがることしきり。そこで私が提案。
 「それだったら、奥様にやってさしあげたらどうですか? 湯たんぽ」
 やってあげても、やってもらっても、二人とも、ほかほか、にっこり。



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by miltlumi | 2016-11-19 13:14 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

ボブ・ディラン、もしくは学生街の喫茶店

 ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した、というニュースを聞いて、最初に浮んだ歌は「風に吹かれて」ではなく、「学生街の喫茶店」だった。
 ♪学生でにぎやかなこの店の 片隅で聴いていたボブ・ディラン♪
 そして、この歌はすみやかに、小学校5年生のときにもらった初めてラブレターの記憶につながる。 

 送り主は、フィンガーファイブの晃みたいなさらりとした長髪の、でもぽっちゃり系の、隣のクラスのN君だった。親戚の伯母さんからの手紙のような縦書きの便箋に書かれていたのは、テスト問題まがいの3択。問題文は憶えていない。「ぼくと友だちになってください」だったか、「ぼくとつきあってください」だったか。そのあとの選択肢だけ、はっきりと記憶に刻まれている。
 ①はい
 ②いいえ
 ③その他( )
 明快といえば、明快。これほどすっきりしたラブレターはなかろう。11歳の男の子にしては、クールなセンスだ。

 解答を出す前に、母親にその問題用紙、もといラブレターを見せた。1年生の頃からずっと、返ってきたテストや友達とのおしゃべり、その日の学校の出来事は残らず母親に報告するのが日課だったから。
 ガスストーブの熱気でむせるような部屋で、母は洋裁の針を動かしながら、娘の一大事に前のめりになるでもなく、いつものようにその人となりを尋ねた。
 「N君って、どんな子?」
 「んとね、2学期に三重大学フゾク小学校から転校してきた子」
 神奈川県の西の端にある市立の小学校で、中学受験をする子は学年に2・3人、という暢気な環境にどっぷり浸った私たちにとって、なんとか附属小学校、という響きは斬新だった。ただ、母には告げなかったが、私としてはちょっとキューピーっぽい体型がどうもひっかかっていた。
 だから、というわけではないが、①と解答しなかったことだけは確かだ。でも母がどんなアドバイスをくれたのか、最終的に私から彼に、いつどこで何と返事をしたのか、肝心なところがぼやけてしまってうまく思い出せない。

 ただ、彼とはそのあとずっと平和な関係が続いた、ということはやはり答えは②ではなかったのだろう。じきに彼は、キューピー体重はそのままでぐんぐん身長が伸び、私を軽く追い越した。6年の秋、八幡様の本殿の裏で初デートめいたことをしたとき、京都土産のちりめん梅花模様の小さな玉手箱をもらった。
 中学1年の2学期に私が転校してからはしばらく、今となっては死語である「文通」をした。おそらく最初に①の答えで関係を固めなかったおかげだろう。苦いピリオドを打つことは決してなく、何年かに1度、思い出したようにデートとも言えないデートを重ねた。
 音信不通になったのは、初めてラブレターをもらってから実に18年後、私のトロント赴任中。毎年欠かさずやりとりしていた年賀状が宛先不明で海を越えて戻ってきてしまった。それきり、である。

 赤い玉手箱と2・30通の手紙や葉書は、今も手元に残っている。一番大切な初ラブレターだけが、ない。
 あの頃はまだ、あの最初の手紙がこれほど大切なものになるとは知らなかった。未来には、もっともっと華々しくドラマティックなものが待っていると信じていた。
 ♪あの頃は愛だとは知らないで サヨナラも言わないで 別れたよ♪
 ガロの歌声が、脳裏に響いている。


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by miltlumi | 2016-11-02 21:44 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

やみくろの道

  最初は何気なく歩いていた道なのに、近頃はほとんどまったく通らなくなっている道がある。それは、うちから駅に行く路地だったり、公園に行く坂道だったり、あるいはスーパーから帰ってくる道だったりする。
 左に行って右折するか右に行って左折するか、どちらにしてもほとんど同じ距離で、ここに引っ越してきた当初は何気なく「右に行って左折」だったのが、今ではもっぱら「左に行って右折」だとか、そういうささいなちがい。でも、無意識のうちに「右の道はダメだ」ということに感づくときがあるみたいなのだ。一旦感づいたら、もう右に行く道は通れない。自然と足が遠のいてしまう。

 そういう道のことを、ひそかに「やみくろ」と呼んでいる。
 「やみくろ」というのは、村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」に出てくる、地下に生息する邪悪な生き物である。彼らの縄張りに間違って人が近づくと、姿こそ見えね、その邪悪な気配は耳や肌で感じられる。本を読んでいて「やみくろ」の存在を知ったとき、合点がいった。地下鉄や地下道を通っていてなんとなく嫌だな、と感じる場所、あそこには「やみくろ」がいたのだ。やみくろがひそむ場所には、ネガティブな気配が漂っている。
 地上も同じことだ。「右の道はダメだ」と思った、その場所には「やみくろ」がいる。「やみくろ」は、その「場」が持つ負のエネルギーなのだ。散歩好きな友人は、そういうふうに出来れば避けたい道を「気分が盛り下がるから」と表現していた。

 一方で、そこにいると気分が盛り上がるというか、清々とする場所もある。古くからある神社仏閣、大きな木が繁っている並木道。「気」がいい、と思う。そういう場には、ポジティブなエネルギーがあふれている。
 「場」にはそれぞれエネルギーがあって、良きにつけ悪しきにつけ私たちに影響を及ぼしている。普通は気づかないけれど、ふとした拍子に強く感じることがある。それは人間には如何ともし難い自然のパワーだから、へたに逆らってはいけない。建物を新築する際にいまだに行われる地鎮祭は、この「場」のパワーをなだめるための大切な儀式なのだと思う。

 最近は少し落ち着いたようだが、ポケモンGOで大挙して押し寄せる人波に業を煮やした各地の神社仏閣、名所旧跡が禁止令を出した。歩きスマホは危険だから、といった皮相的な話ではない気がする。恐山が、霊場はポケGOに「ふさわしくない場所」と称したように、その「場」が持つパワーとか本来の「意味」みたいなものを無視した振る舞いは、「場」に対する敬意を忘れている。「やみくろ」を怒らせるだけである。

 こういう話を人にすると、その反応はたいがい2つに分かれる。「あー、わかる。そういうの、ゼッタイあるよね」というタイプと、一瞬口をつぐんで、「何わけわかんないこと言っちゃってるの?」という表情を浮かべるタイプ。まあね。「科学的」じゃない、ということはわかっているけれど、ね。
 かくして私は、やみくろと遭遇しないよう、平安時代よろしく「方違え」をしながら毎日を過ごしている。



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by miltlumi | 2016-09-29 10:26 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)

日曜日の夕方に

 日曜日だというのにちょっと仕事をしていたら、夕方になってしまった。昨日DMが来たパワーストーンのお店の閉店セールに行くには中途半端な時間だし、近くのカフェで一息いれようにも既にコーヒーはめいっぱい飲んでしまった。仕事をしたご褒美にケーキを買いたいが、昨日「プラチナドンキ」でチョコとアイスとブラウニーを仕入れてしまったので、これ以上の追加購入は控えねばならない。
 第一、今更着替えて化粧をする気にもなれない。とりあえず最低限アイライナーと口紅だけぬって、バリで買った下駄(正確には木製ヒールのサンダルだが、歩くとカランコロンと思いっきり下駄の音がする)をつっかけて、ふらりと外に出る。

 あてもなく大通りをぶらぶら歩く。前方には、キャスターケースを2つ両手でがらがらと引っ張っていく人がいる。もっと大きなスーツケースひとつにまとめればよいものを、なんとなく不思議な光景である。
 赤信号で立ち止まり、ふと気が変わって、道を渡らずそのまま左折する。知らぬ間に出来たハワイアングッズのお店を覗いたり、歩道脇に生えているトロピカルっぽい木の葉を触ったりしながら、次の交差点まで行く。
 今度はどちらに曲がろうか思案していたら、さっきのキャスターケースの人が隣に並んだ。いつの間に追い越したのだろう。ふと視線を向けようとしたら、あちらから声をかけてきた。
 「エキ、ドッチデスカ?」
 外人だ。思わず「You mean the subway station?」と英語が口をついて出る。ガイジンのカタコト日本語よりは、私の英語のほうがマシである。
 -そう、地下鉄。
 -この道をまっすぐ、それから左。私も駅の近くのスーパー行くから、一緒に行きましょう。
 買い物は今朝済ませたばかりなのに。その時点で、あてのない散歩にピリオドが打たれる。聞けば、住んでいる鵠沼に帰るのだという。
 -私の高校の近くね。 
 -高校の名前は? 
 -湘南High school。
 -ああ、聞いたことあるよ。
 嬉しくなって、日本人相手だったら決して訊かないであろうのに、ついWhat are you doing?と訊いてしまう。「I’m musician.」「Wow!」
 -何の楽器? 
 -ギター。
 -どんな種類の音楽? 
 -いろいろ。主にロック。
 -ギターケースがないけど? 
 -別送したから。
 -ああ、じゃ、この近くでライブやってたの? 
 -そう。明日からアメリカに行って、ツアーなんだ。サンフランシスコ、シカゴ、ニューヨーク…。
 ロックに興味のない私は、アメリカの都市の名前を聞いてセドナのことを思い出す。
 -じゃあ、セドナに行ったことある? 一度行ってみたいの。 
 -あるよ。すごくいいところだよ。
 -どの季節がいいかしら。
 -冬はけっこう寒くなるから、来月あたりかな。ところで、英語、上手だね。 
 -トロントに住んでたから。だから私の英語はカナダ訛りなの。
 -そんなことないよ。

 ようやくメトロのマークが見えるところまで来る。彼は右手をキャリーケースから離して、すいっと差し出す。別れ際は典型的なアメリカンスタイルだ。
 「Thank you very much.」
 「My pleasure. Have a safe trip.」

 別れたあと、スーパーに入ってレジの横にある料理の本を眺めながら、ふと気づく。全米の大都市をいくつもツアーで回るって、もしかして有名なミュージシャンだったのかも。あのときセドナの話なんてせず、名前を訊くべきだったか。でもロックバンドの名前なんて言われてもわからないし。まあ、ライブのあとに一人で大荷物抱えてえっちらおっちら電車で帰るってことは、そんな有名でもないのかも。
 手ぶらでスーパーを出ると、あたりはもう夕闇が迫っていた。秋も間近、見知らぬガイジンとの10分弱は、パワーストーンよりカフェよりケーキより、いい時間だった。


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by miltlumi | 2016-09-04 21:39 | 私は私・徒然なるまま | Comments(2)

NGな8月

 昨日、区立図書館に行ったら、子供向け本のコーナーが賑わっていた。夏休み最後の日であることに、そこで気づいた。長かった夏休み。楽しかった思い出。…というほっこりした気持ちには、私の場合、残念ながらつながらない。

 もともと8月は好きではない。小さい頃は学校が大好きで、友達と会えない夏休みなんて全然面白くなかった。高1の夏休みはほとんど毎日学校に通うことができたが、それは運動音痴で泳げない生徒向けの25mクロール・平泳ぎ(体育の単位取得に必須だったのだ)特訓補講のためだった。大学1年もやっぱり毎日のようにキャンパスにある「計算機センター」に通って、今度は数学の単位をとるべくフォートランのプログラム(パンチカードの読み取り式!)を走らせた。
 体育や数学から解放され、社会人になり、結婚してからも、やはり泳ぎは不得意だし、砂塵の舞い飛ぶ海水浴場はハードコンタクトレンズ着用者にとって拷問以外の何物でもなく、バケーションはもっぱら秋、と決め込んでいた。

 8月が決定的に嫌いになったのは、長らくの結婚生活にピリオドを打つ事件が終戦記念日に勃発してからだ。お盆に終戦、加えて個人的敗戦にむけた開戦(?)記念日。あの日を、心穏やかに過ごせる(というより「今日は15日だ」と意識せずスルーできる)ようになったのは、ここ数年のことだ。
 去年の8月、別の出来事が起きたとき、算命学をよくする友人に見てもらったところ、「アナタ、今の時期はへたに動かないほうがいいですよ」と言われた。日繰りの「天中殺表」を作っていただいて、毎日それとにらめっこしながら行動の可否を判断した。

 そして今年8月。新たな開戦の火ぶたを切るような事件は幸い起きなかったが、なんとなく毎日がブルーである。東京は猛暑日・熱帯夜が少なくてしのぎやすいはずなのに、どうもエネルギーレベルが下がっている。
 たまたま例の算命学の友人と会ってそういう話をしたら、あっさり言われた。
 「Miltlumiさんは8月はだめな月なんですよ」
 あれは、去年に限ったことではなかったのだ。8月嫌いは、持って生まれた運命だったのだ。考えてみれば、上述の2つの事件に限らず、10代最後の失恋も8月だったし、アレもコレもソレも…。14年間、誰よりも何よりも私の心の支えになっていた最愛の犬を亡くしたのも8月だ。
 8月は、ダメなのだ。
 そう思ったら、かえってすごく気が楽になった。

 図書館で宿題に追われる小学生を尻目に短編小説を2冊借りた後、友達のうちに行ってさんざんおしゃべりをして、イタリアンレストランでサマートリュフをたっぷりかけたタヤリンをいただいた。
 8月とは思えない涼しい夕風の吹く中、ちゃりをこぎながら、あと数時間で8月が終わってくれることをしみじみ嬉しく思った。

 というわけで、今日。9月1日。September。新しい季節が始まる。心も衣替えして、しばらくご無沙汰だったブログもちゃんと書こうと思う。


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by miltlumi | 2016-09-01 11:27 | 私は私・徒然なるまま | Comments(2)