カテゴリ:マンモスの干し肉( 38 )

マーケットの定義を変更すること

 昨今の大学受験合格者の実態を引くまでもなく、同年の男女を比較した場合、知的・精神的に女性のほうが優っていることは明らかである。マンモス狩りの時代は、男性は唯一(?)女性に優っていた体力を切り札にして頑張っていた。体力=生活力=男性の魅力、というシンプルな時代だった。
 21世紀の今日、引っ越しで大きな家具を動かすなんてことのない限り、「○○さん、逞しい~♡」という手段には訴えられない。しょうがないから体力以外の手段でどうにかするしかないのだが、へたな行動をとると、同世代の「おませ」な女性には手の内を見透かされてしまう。
 誠に失礼ですが、先日「へたな行動」を思い切り披露してくださった方がいらした。ちょっと笑っちゃったので、口さがない女友達についその一部始終を報告する。あられもないチャットが繰り広げられる。ちなみに、A女は目下5歳以上年下の男性と交際中である。

A: そんな行動、彼だったらゆるせない、というか彼には昇格できませーん。
B: そのとおり!!!こういうオトコは絶対カレにはできない、と私も思いました。
  (中略)X氏はもうどんなにアプローチしてくださってもToo lateだけど。
A: それまたそのとおり。
B: Aさーん、だれかいい男性知りませんか??やっぱりカワイイ年下がいいかな。
A: はい。絶対的に。
B: このお!! のろけ!!
A: あ、ちがうちがう。その心は…。だめでも、許せるから。同年代から上は、ゆるせない。
  あああ、ゆるせなーいっっ、となってしまう。
B: そうそう。下なら、「私より人生経験短いものね」と広い心で見守れる。
  1日でも長く生きてる人には、その分修行を積んどいてほしいわ。
A: そうなのです。彼が小学生のとき大学生だった私が、ここで彼に怒っても恥ずかしい、
  と思えるのです。

 自分を愛してくれることはもちろん、経験豊かで尊敬できて、学べる面をたくさん持っていて、ついでにおいしいレストランや隠れ家温泉を知っている男性というのは、こちらの年齢が上がるにつれ、着実にRed list(絶滅危惧種)並みの希少価値になっていく。
 この広い地球上でそのようなRareな男性を追い求めて(もとい、追い求めていただけるよう、彼らの前にタイミングよく姿を晒すべく)右往左往するヒマがあったら、潔く諦めて生息数のより多い種族にマーケットを広げたほうがよい。

 とはいえ、単にこちらの要求水準を引き下げるだけでは、自分を安売りしているようで情けない。年下の場合、こちらの要求水準を相手が満たさなくても「ま、仕方ないか」と思えるという意味で、一石二鳥である。
 しかも、許容範囲の下限年齢を、こちらの年齢に合わせて切り上げたりしない限り、年々マーケットが広がって行くのである。少子高齢化社会のニッポンでマーケット規模が右肩上がりだなんて、素晴らしい。
 もちろん、下限年齢男性がこちらを追いかけてくれるかどうかは、保証の限りではないが。
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by miltlumi | 2010-08-06 09:30 | マンモスの干し肉 | Comments(1)

個性、安心感、もしくは夏枯れ

 夏のバーゲン最後の追い込みのこの時期、ランチタイムに丸の内仲通りを散策するのが、ささやかな幸せである。いかにも丸の内のOLをターゲットにした洋服が30~50%引き。店員は、限られた休み時間に効率的にお財布を開けてもらおうと、素早くセールストークを展開する。
 ワールドのSPAであるOPAQUEは、直営店だけあって値引き率が高い。60%引きのカーディガンを手にとると「オフィスの冷房対策に最適でしょう」 私の視線の先にある白いブラウスを即座に認知して「これは身頃が二重になってて肌触りがいいの。とてもよく売れてるんですよ~」 
 その瞬間、生地をひっくりかえそうとしていた私の手がぴたりと止まる。よく売れてる? 丸の内のOLに? ということは、後日この仲通りを逍遥していると、同じ服着た(もしかしたら年代の異なる)女性に鉢合う可能性が高いってこと? じょおおおーーだんじゃない。

 Sachs 5th Avenueで、清水の舞台から飛び降りる思い(って、アメリカには清水寺はないけど)で買ったドレスを着てパーティに出たら、同じ服着た女性を見つけてしまい、舌噛んで死にたくなって会場を飛び出した、というストーリーは、映画だっただろうか、本だっただろうか。
 さほどに、女性にとって同じ服を着た見知らぬ同性(って、異性が着てたらもっとヤバイけど)と鉢合うことほど屈辱的なシチュエーションはない。仲の良い友達なら「私達、気が合うわね~」で笑ってすませられるが、他人同士はそうはいかない。
 女性が洋服に賭ける執念は、男性が職務経歴書にかける熱意と同じくらい強いものなのだ。これまで築き上げてきた実力と個性の「見せ場」なのだ。見せる目的は、前者が「異性」、後者は「仕事」の違いはあるが。

 何年か前に「クールビズ」なる造語が霞が関から発せられ、当局指導に忠実な大手町の金融機関が速やかに「カジュアルフライデー」を導入した。その結果、職場のあちらでもこちらでも「おそろい」のボタンダウンシャツ(って、色違いというしゃれた「おそろ」もあったらしいけど)とチノパンを召した部課長が散見されたそうだ。
 組み合わせまで同じというのは、それがとある店先(今や5兆円企業を目指す某アパレルメーカー)のディスプレイだったからだ。さすが。この戦略はどぶネズミ諸氏には奏功するだろう。彼らにとってオフィスの服装なんてタダの作業着ですから。

 それにしても、丸の内でさえ「よく売れてるんですよ」が売り文句になるのだとすると、「舌噛んで死にたくなる」なんて過激なことを思うOLはまだまだ少数派なのだろうか。個性より、「みんなと一緒」の安心感を優先する子のほうが多いのだろうか。それとも、東京駅周辺は「見せたくなる異性」もいない、万年「夏枯れ」オフィスが多いのだろうか。
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by miltlumi | 2010-07-23 23:30 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

仕事の定義

 5歳の夏にしばらく入院したことがある。毎日、赤い藤のバスケットに入れて行ったスカーレットちゃん人形で着せ替えごっこをしていた。看護婦さんに「いつもお勉強してて偉いわね」と言われたとき、生意気にも、これは勉強じゃなくて遊びなのに、と心の中でつぶやいた。今考えてみれば、幼稚園児にとっては、仕事と遊びがイコールだったのだ。もしかすると人生までイコールだったかもしれない。
 今、ワークライフバランスというけれど、ワークとライフを対峙させること自体オカシイ。子供時代のようにワーク=ライフとまではいかなくても、少なくともワークはライフの一部に過ぎない。
 一方で「ライフワーク」という言葉は常にポジティブな響きを人に与える。

 目下、私にとって一番重要な「仕事」はブログを書くことである。エッセイストの練習だと思っている。だから、日々の糧を得る仕事が忙しくてブログをUpできないと、とても機嫌が悪くなる。
 ところが最近まわりから、もっと真面目に「仕事」しろと言われる。具体的な仕事をオファーされて、「でも一番やりたい仕事は、エッセイストなんです」と真剣に訴えたら、陸に上がったシーラカンスがスカートはいて出てきたみたいな顔をされた。んなもんで現代社会の荒波を乗り越えて喰ってけると思ってんのか、オマエは!? いえ、そうは考えてないんだけど。でも。
 そういえば今読んでいる太宰治の自伝的小説。裕福な実家に丸ごと生活の面倒を見てもらいながら、自分の人生そのものを小説という手段で見つめ直そうという苦悩に満ち溢れている。きっと、彼にとって小説を書くという仕事はまさしく「ライフワーク」であり、真剣勝負だったのだ。

 「ライフワーク」と呼ぶに値する仕事は、必ずしも収入を得ることと直結しない。寝食を忘れて没頭しているライフワークでがっぽがっぽとお金が稼げれば、こんなシアワセなことはなかろう。でも、今日日の資本主義社会では、がっぽがっぽは「経済活動」を通してしか実現が難しい。特に小説とかエッセイとか絵画といったいわゆる「文化活動」では、よほど運がいいか、巧みに商業主義を組み入れない限り、清貧な生活を送ることになる。
 この前会った駆け出しのギャラリストが、自分が選んだアーティストの絵はその価値がちゃんと解る人に売りたい、アーティストが魅力的な女性だからといった邪な理由でヘンなおっさんに作品を買ってもらいたくない、と言っていた。それじゃあ生活はできませんぜ、と忠告しながらも、彼女の葛藤に深くSympathyを感じる自分がいた。

 こうやって、ライフとかワークとかバランスとかごちゃごちゃ考えるのは、”Mid life crisis”、つまり「中年の危機」の典型であり、この問題を正面からとりあげたのが”SEX and the CITY”だ、というコラムを読んだ。アラブに行ってめでたく大富豪の玉の輿になれたら、日銭を気にせずにライフワークに打ち込むことができるかしらん。
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by miltlumi | 2010-07-08 17:16 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

両手両足アタマのてっぺん

 GW、女性ばかり5人を拙宅に招いた。全員が揃ったちょうどその時、私の携帯が鳴った。
 「今日何してんの?ヒマならメシでも食わない?」近くに住む男友達からだった。
 「今うちで女6人でパーティー中だけど、来る?」 予想されたことだが、答えはNo thank you。集まったメンバーに話すと、「あら、来ればいいのに」 …来られるもんならね、というP.S.が見え隠れする。男6人に女1人の飲み会というのは珍しくない。なのに逆はほとんど遭遇した試しがない(専業主婦が集うニコタマあたりのテニスクラブ、男コーチを囲んだ平日ランチ、なんていうのはどうか知らないが)。

 両手両足アタマのてっぺんにも花、なんて一度やってみてえよお、とほざく輩に限って、いざとなると怖じ気づく。なぜか。最初に思ったのは、男はCompetitiveだということ。狩りは、獲物が逃げるから、あるいは横恋慕せんとする敵がいるから面白いのであって、上野動物園よろしくシマウマたちが優雅にバケツから草を食む檻の中にアナタ一人でさあどうぞ、と言われても興醒めだろう(あるいは我々が獲物と認知されていないだけか)。
 しかし、宴もたけなわとなるにつれ、そんな複雑な理由でないことに気づいた。ただ単に会話についていけないのだ、絶対。女は男よりコミュニケーション能力が勝っているのは脳生理学で実証済みだが、アルコールが入ると女性はほとんどワープもしくは幽体離脱モードに入る。ノリの同じメンバーだと(今回がまさにそうだった)、誰もそれを不思議にも思わない。話題は話題を呼び、瞬時に1万光年を越え、言葉が肉体を離れて中空を自由に飛び回り、誰が何を言ってんだかワケわからなくなって、6人いれば確実に1テーブル2議題が同時進行でころがっていく。例えば、レスビアンの話からMBAに到達するのに3分かからなかったりする。その実、全員が全ての話題をほぼフォローしている。

 かたや男性は論理的な生き物。三段論法とまでは言わなくても、一定の法則に従って議論が展開されないと居心地が悪い。しかも彼らはCompetitiveな生き物なので、相手が幽体離脱状態とはいえ、他人のロジックについていけないなんてブライドが許さない。頑張って話題をリードしようと足掻いてみるが、5秒後には全然別の(でも女性にとっては極めてナチュラルな流れに基づいた)次の話題に場をさらわれること請け合い。呆然とテーブルを見つめて自らの落ちこぼれぶりに唇を噛む。ましてや、本来自分のほうが追いかける立場にあるはずの、ボクの五体を飾るはずだった当の花々(?)による衆人環視。立場の逆転に耐えきれるはずがない。

 かくして7人目が登場しないパーティーは、ブログではとても公にできないような(って、放送中にモザイクが入るようなのじゃなく、殿方はお聞きにならぬがシアワセであらう、という武士の情け的な)話題で盛り上がり、シャンパン2本とワイン3本半にペリエ2本でお開きとなった。
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by miltlumi | 2010-05-04 20:27 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

人間としてのつきあい

 昨日のブログで頭出しをした「人間としてのつきあい」について。より具体的に言うと、
 (1)相手に一方的に熱をあげて、でも「恋人としてはだめだけど人間としてつきあいましょう」と提案されたときに、素直に受け入れること
 (2)一旦恋仲になった相手と、その関係を解消して「人間としての」関係にソフトランディングすること
ができない男が多い。

 ブログにも登場していただいた友人C・D及び男性Y・Zと飲んだ。
 Yいわく、異性として興味のない女性を1:1のディナーやランチに誘うことはない。そしてY・Zの共通見解として、そうした誘いに女性が応じた場合は、つまり異性として受け入れてくれたと解釈する、というのである。C・D及び私は愕然としてしまった。過去1:1ディナーやランチをしてきた何十人もの男達の顔を思い起こし、あれって、そう受け止められてたの?と大いに困惑。
 そういえば、とCが言うには「1・2回は誘ってくるけど、こちらが一向にその気配を見せないと、3回目のお誘いはついぞ起こりませんでした、というケースって結構多い。私は彼と『友達として』つきあいたかったのに」
 逆に私は、3回目にいきなりプレゼントを差し出されて「当然受け取ってくれるよね」的な態度を示され、びっくりしたことがある。1・2回目にはっきりと「そういうつもりはありません」という雰囲気を醸し出しておかないと、このようにお互い決まり悪いことになる。その相手とは、当然ながら4回目はなかった。いい人だったのに。

 大体、人間としてつきあうためにも、二人きりで会ってお互いをよく知り合うことが大切なのに、1:1でご飯食べないで、どうやって知りあえばいいの?!とCとDが憤慨する。こっちがヒトとして末永くおつきあいしたいのに、結局オトコは我々をオンナor nothingとしてしか見てないということか。

 なぜこのような見解の相違が生じるのだろうか。一つの仮説として、人生80年と言われるようになった今、単に「子孫繁栄」という生物学的な使命を中心とする男女関係だけではなく、「人間としての関係」を築くことの大切さを、女性は十分認識しているからではないか。一方男性は、うまくすれば生涯生物的使命を全うすることができるがゆえに(?)、どうしてもその性(さが)から抜け出すことが難しい。まだ進化の途上なのである。

 けれども、実際にはきっと男性だって、共通の趣味を架け橋に会話を楽しんだり、世間で起こる出来事や本や演劇の感想を述べ合ったり、あるいは自分自身の生な感情を曝け出したり、そういうことを心のどこかでは求めているのではないか。
 いつもオトコとして「たくさんマンモス狩ります!」という態度を示し続けるのは、大変じゃないですか?
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by miltlumi | 2010-04-16 20:59 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

女性A・B・C・Dの分類

 友達X(男性)とケンカしたA(女性)が、友達のB(女性)にその話を打ち明けた。Bの観察によると、XはAが好きなのではないか(つまりケンカの原因は、小学校の男子のスカートめくりに通ずる習性であろう)とのこと。しかし、人生経験がひとケタしかない義務教育期間前期ならともかく、もう何十年も人間やってんだから、そういう見え透いたアプローチは止めてほしい。もう少し戦略練ってよね、って感じ。
 というか、本気で好きになれば、戦略も戦術もへったくれもなく、相手のどんな行動でも好ましく見えてしまうのだろうから、「相手のお手並み拝見」モードになった時点で、ゴールインの確率は極めて低いと言える。それなのにXは、Aが「拝見」しているその目の前で失態を演じてしまったわけで、Bいわく「そんな行動、彼だったらゆるせない、というか彼には昇格できませーん」となる。

 ところで、女性には大きく分けて2種類ある。ひとつは「0.5秒で即決」タイプ。友人C・Dが、口をそろえて言っていた。彼としてのポテンシャルを備えているかどうかは「会って0.5秒で判断できる」と。つまり、会ったその瞬間に「足切り」されちゃうわけね。可哀そうに。でも、それがイコール縁切り、ということではない。異性としては足切りされちゃったけど、「人間として」ならOKな場合もある。その場合彼女達は、足切り男とのツーショットディナーも平気で受諾し、「人間として」楽しくおつきあいする準備はある。(ちなみに、この「人間としてつきあう」という女性の行動を理解できない男性は非常に多く、男女間の誤解の原因の多くを占めている。が、この話を始めると長くなるので、後日に譲る)
 もうひとつの人の種類は、「ある日突然」タイプ。ただの友達として(C・Dの定義によれば「人間として」)あんなにおしゃべりしていたのに、ある日突然お互いの瞳を見つめあって、ついに恋に落ちちゃうパターン。この場合、最初の0.5秒でピピッとくるものは全然なかったのに、結果的にそういうことになる。結果的に、ということは、原因が存在する。その「原因」になるのが、「お友達期間」の「お手並み」なわけです。それは、普段着のBehaviorとか、友達としての何気ない発言。
 「彼に昇格」というコンセプトを是とするBは、まさにこちらのパターン。数年来「人間として」つきあっていた人と、ある日突然ゴールインした。

 だから、Aがもし「ある日突然」タイプであれば、Xにもまだ望みはある。もしXが「彼」の立場をGETしたければ、今はまだ「ただの友達」段階にあることを謙虚に認識して、あらゆる言動を拝見してもらえるように頑張ればよかったのだ。
 もしかすると、XはAが「0.5秒で即決」タイプだと誤解して、会ったその瞬間に熱い視線が交差しなかったことを儚み、やけくそになっていたのかもしれない。
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by miltlumi | 2010-04-15 11:00 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

目標設定

 目標設定がものすごく苦手だ。最初にその傾向に気付いたのは小学校4年のとき。2学期の初めに、皆で「今学期の目標」を作りましょう、ということになり、画用紙を縦半分に切った短冊形を配られた。え、目標… 頭が真っ白になった。1日の猶予が与えられたが、うちに帰っても朝起きても、達成したいことなど思いも浮かばない。学校に行くと、普段授業ではさえない男の子も「一日一善」なんてかっちょいいことを書いている。苦し紛れに書いた私の短冊を見て、担任の廣井先生は、失望の交じった哀しげな表情を浮かべられた。
そうじをしっかりやる」…我ながらあまりに目線が低い。

 会社に入って2年目、「自己申告書」というものを渡された。過去1年の反省はともかく、向こう1年の目標は勿論、「3~5年後の自分の姿」とそれを実現するための「実行スケジュール(月単位)」まで書かれたフォーマットを見て、目の前がクラクラした。反射的に思いついたのは「半年後にお見合い、1年後に結婚式、3年後に第一子出産」だったが、さすがに会社と関係ないことを書くわけにはいかない。
 別の会社に移って、いわゆる「営業目標」を課された暁には、もうダメだと思った。できるわけがない。数値目標そのものもほぼ実現不可能な大変な大きさだったが、そんな数字をぶら下げられて、場末の競馬レースみたいにふがふがと走り回るなんて、はしたないことできるわけない。

 しかし、この傾向は私だけでなく、多くの女性に共通する。楽しく旅行雑誌の編集をしていた友達が編集長の打診を受けたが、部数目標や売上目標にきゅうきゅうとするのがいやで、あっさり会社を辞めてしまった。今はNGOの仕事をしているらしい。クリエイティブ系の仕事をしていた女性が、会社が小さいために営業もやらざるを得ず、コンペで淡々とプレゼンして受注を重ねるうちにトップセールス賞をとってしまい、営業統括に昇格されそうになった。でも正式にノルマや売上目標を課されるのがいやで、やはり会社を辞めて大学で教鞭をとることにしてしまった。こんな例は枚挙にいとまがない。

 女性は、本能的に「足るを知る」人種なのだ。必ず木の実150個集めなければ、なんて思わない。木の実がなければきのこ採るもん。一方男性は、女性に認めてもらうために(?)無尽蔵にマンモスを狩る。
「次々お目当てのジュエリー(目標か?)見つけて無尽蔵に買い漁る女がいるじゃないか」とおっしゃる殿方、それはマンモス肉を捧げてくれるはずの男性が、マンモス狩りそのものに夢中になっちゃって、肝心の女性をほっぽらかしにするから、「振り向いて!」という合図なんです。あるいは、振り向いてくれない輩に愛想を尽かして、別のマンモス男に秋波を送るための準備。
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by miltlumi | 2010-03-25 23:21 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

結婚の条件

(今日のエントリーは、エリート男性はお読みにならない方がいいかもしれません。刺激が強いかもしれないので。)

 聞いた話だが、とても優秀な大学の男子学生が、自分の大学のサークルでとても可憐な女子短大生と知り合った。彼はその大学を優秀な成績で卒業し、超一流企業に就職し、その女性大生と目出度くゴールインして、玉のような女の赤ちゃんにも恵まれ、めきめきと出世し、そして迎えた40代。年頃になった娘に、妻がこんこんと人生訓を説いているのを耳にした。
 「いい? 男は顔や性格じゃありません。学歴と就職先よ! アナタの彼はW大からM商事内定? よし、いいんじゃない。それで行きなさいっっ」
 娘が自室に引き上げたあと、彼はおそるおそる妻に尋ねた。「あのお、俺と結婚したのは、大学と会社のせい?」 妻は間髪いれず「当たり前でしょ」

 これぞパンパース女性の鑑。ここまで割り切れるものかと、恋愛や結婚に(いまだに)ロマンチックな要素を求めている私としては、脱帽するしかない。恋愛は結婚のプレリュード、結婚は子孫繁栄のための社会保障制度。優秀な子孫を残すには、優秀なDNAと掛け合わせるのが、生物始まって以来の鉄則。マンモス狩りの腕でDNAの優劣を測ることが不可能になった今、女は文部省や駿台・代ゼミ、東京証券取引所その他の公的機関による公開情報に基づいてDNA判定を行う。
 ちなみに、彼と彼女が属していたサークルは、同様なカップルが複数誕生したそうだ。フィーリングカップル5:5(古いね)全員がハッピーエンド、みたいな離れ業ができたのは、短大側があらかじめ厳密にアロケーションを決定したおかげ。1人の男性を2人の女性が奪い合うといった無駄なエネルギー消費を、計画的に回避する彼女らの作戦に再び脱帽。

 でもこの男性、「当たり前でしょ」と言われて、ぐわわわんん…と落ち込んだものの、だからと言っていきなり離婚を決意するわけでもない。発端はともあれ、既に20余年の月日を共にした糟糠の妻(古いね)。パンツも洗ってくれるし、一緒に旅行にも行ってくれる(行き先決定権は妻と娘に握られ、唯一自分が握っている財布のヒモも武装解除されて、毎年ハワイでDuty free shopping三昧されてるそうだが)。へたに離婚なんてしたら、この先の給料も退職金も年金もみーんな半分(+娘分)とってかれて、自分は慣れない手つきでお米なんぞ梳いたりして(最近は無洗米があるか)、みじめったらしい。

 結婚とは、恋愛の終着駅ではなく、単なるGesellschaftの一形態。
 「大学と会社」というシンプルな判断基準しか持たない妻は、天下泰平。
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by miltlumi | 2010-03-22 23:26 | マンモスの干し肉 | Comments(2)

時差

 旅行に行くと必ず「ここで暮らすのはどうだろう」と思いを巡らす。風光明媚なところに行くのが普通だから、目的地に着いた途端は「うわあ、空気が甘い。こんな土地でのんびり暮らせたらいいかなあ」と思う。

a0165235_22453046.jpga0165235_2242558.jpgほんの2日間、伊豆高原に行ってきた。今週初めの初夏の陽気のおかげで桜並木の蕾はぷんぷくりんの「ぷんぷく」くらいまでふくらみ、オープンテラスのカフェでコートなしでウグイスの声を楽しめるくらいの穏やかな日和。女友達と一緒に「干し肉ツアー」と称して、タイルモザイクの鍋敷き作りや陶芸体験などを堪能。おかげでかの地に定住(というとまるで登呂遺跡の縄文人みたいで失礼に聞こえるなあ)しているお教室の先生達と色々話ができた。
 いわく。「伊豆は観光で来る人達には親切だけど、東京から引っ越してきた私みたいな者には冷たいわよ。娘も学校で仲間はずれにあっていやになって、高校はオーストラリアに行っちゃったわよ」「主人とは陶芸で知り合ったんです。彼は東京出身。…冬は人が来ないから、夏に備えてテラス作ったり、あ、今外で大工仕事してるぽっちゃりした方が主人。こうやってどうにか耐え忍んでます(笑)」

 ふうむ。いずれも切迫感あふれる貴重なコメント。そもそも2時間のタイルモザイクの体験料が2人で1,600円也。しかもこのあと目地詰めや研磨の作業があり、それを箱詰めにして送ってくれるのだから、彼女の合計労働時間は少なくとも4時間。時給400円!? 陶芸だって、1.5時間で材料費・送料込みで2人で1万円ちょっと払ったけど、今日は気持ちよくろくろ回して形作っただけ。このあと彼女と彼は、私達の名前入れて乾かして釉薬塗って焼いてやすりかけて…。はああ。現実は厳しい。(ところで、「干し肉」とか「日頃の仕事のストレスを忘れてのんびり」とか言ってるわりに、こういうせこい計算をしてしまうこと自体が、既に金融資本主義に心を蝕まれている証拠かもしれない)
 帰りの電車の中、友人と「食費が安いのかなあ」「庭に野菜植えて自給自足?」「ああいう仕事してたらスーツとかパンプス買う必要なくて、ユニクロのTシャツとトレーナーだけでいいからお金かかんないかも」「あとは車のガソリン代か」などと地域経済評論に花を咲かせる。

 夕方自宅に帰ると、海外旅行に行ったわけでもないのに、時差ぼけのようなどんよりした頭の重みを感じる。いきなり携帯電話が鳴って「今度の月曜日、XXさんとXXさんちに行くから一緒に来ない?」というお誘い。友達が近くにいる現実世界。電車で2時間の旅行は、やはり無限大の時差がある異世界だ。
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by miltlumi | 2010-03-18 22:47 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

男らしさ・女らしさ

 友人(男性)から、このブログは「男っぽい文章だ」と言われて、とてもびっくりした。ロジカルで、こんな文章を書く女の人はあまり知らないという。取り上げている話題とか視点は明らかに女性的だと信じているので、おそらく文章構成とか話の展開の仕方が、ということか。
 日頃、仕事上は一応ロジカルに効率的に物事を処理しようと努力はしている。でも、ブログは単に思いついたこと・考えたことを書き散らしているだけ。人様の目に触れることを前提に、わかりやすく、読みやすくしようとか、800~1200字でおさめようとか、一応気は使っているものの、ロジカルにしようと思ったことはない。

 でも、そもそも「男らしい」「女らしい」という言葉は非常に危険である。ロジカルな文章が「男らしい」なら、「女らしい」文はロジックが通っていなくて感情に走ってるものなのだろうか。大体、近頃「女々しい男」が多すぎる(というふうに、突然話題が変わるのが「女らしい」女性の論理展開の特徴です)。
 あまりに多いので、もしかすると、世に言ういわゆる「女々しい」性格、つまりうじうじと過去のことに拘ったり、言いたいことがはっきり言えなかったり、決めるべきときにばしっと決められなくておろおろと悩んだりするのは、むしろ男性の典型的性格として、「男らしい」性格と呼んだほうがいいのではないか、と思ってしまう。

 私事で恐縮だが、離婚して家を出るときに、1カラットのダイヤモンドの婚約指輪を黙って金庫に置いてきてしまった。この話を男友達にしたら「男らしいね」と言われた。そうかなあ。
 別れた彼女に編んでもらったセーターを捨てられずにそのまま結婚して、新妻に詰め寄られて泣く泣く会社に持ってって捨てた(うちのゴミ箱には捨てるなと言われたらしい)という男性を知っている。これってすごく「男らしい」と思う。なぜなら女性の場合、別れた彼氏にもらったものは、気に入っていれば継続して使用するけど、あまり気に入らなかったものはとっとと捨てるもの。つきあっている最中は「この前の誕生日にあげたあのペンダント、どうした?」なんてうざいことを聞かれるから、不用意に捨てちゃうわけにはいかない。
 それから別れを「男らしく」はっきりと切り出せないのも男の特徴。「冷却期間を置こう」と男性に言われたら、それはつまりフラれた、ということだ。やんなったらやんなったって、はっきり言えよ!!と言いたくなる。仕方なく察してあげて、こちらが身を引いたりしたら、今度は未練がましく連絡してきたりする。

 これらは皆、私の身近だけで起こっているごく例外的なケースなのだろうか?
 上記の例において、「男」と書かれた部分を全て「女」に置き換えても通用するのだろうか?
 ところで、今日の文章はロジカルなのだろうか? 
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by miltlumi | 2010-03-16 20:38 | マンモスの干し肉 | Comments(4)