カテゴリ:マンモスの干し肉( 38 )

空き箱は、心の琴線に、どのように触れるか (上)

 大竹伸朗という人のエッセイを読んでいた。私はアートや音楽のことはよくわからないのであるが、この人は(有名な?)美術家であるらしい。彼の作品には、さほど心を動かされるわけではないが、エッセイのほうは、とあるページで思わず「わはは」と笑ってしまうほど、激しい共感を覚えた。
 美大の学生時代、カバン屋の棚卸という退屈なアルバイトを数か月続けたのは、いくらでも空き箱をもらえるからだった、というくだり。真新しいキャンバスとちがい、その厚紙ボックスは、色といい臭いといい、本能的に「オレはこの上に何か表現しなければいけない」といった気持ちにさせられたという。ガラクタやゴミから立体作品を創造する(とWikipediaに書いてあった)彼の原点がここにある。バイトに行くモチベーションは、お小遣い稼ぎでもカバン職人の見習いでもなく、ぜぇんぜんちがうところにある、というのがいい。
 そして、私も全く同じような経験を持つ。但し「空き箱」は、ゲイジュツのためではない。

 最近、断捨離とか整理の魔法とか言われて、巷の100均ショップには整理グッズが溢れているが、引き出し整理プロの私には、市販の品なんざあ素人のアソビである。入れる物に100%ぴったりの仕切りを実現するにはミリ単位の調整が必要で、画一的な仕切り箱では、帯に短し襷に流し状態になってしまう。
 そこで活躍するのが空き箱。一つの引き出しにいくつもの空き箱をぴったり並べるには、ジグゾーパズル能力はもとより、様々な大きさの空き箱を日頃からこまめに収集する、平素からの地道な積み重ねが肝要なのだ。微妙にちがう大きさの箱をとっかえひっかえして(例えば、名刺が入ったプラスチック箱は、本体ととフタの大きさが数㎜ちがい、どちらを使うかで微調整が可能)、ぴったりはまったときの快感といったら。

 拙宅は、引っ越してからもう10年以上たつので、家じゅうの引き出しは片付いてしまっている。つまんないから、最近はプライバシーを開示する勇気のある友人の家の引き出しの整理を買って出ている。そういう家には、もとより空き箱のストックなど存在しない。作業当日は、大きな紙袋に詰め込んだ私の愛すべき空き箱たちをカタカタいわせながら目的地に向かう。
 そのような作業が数回重なると、さすがに需要と供給が追い付かず、在庫が手薄になる。自宅の引き出しにちょっとした手直しが必要なとき、空き箱のバラエティーが不足するのは耐え難い

 前置きが長くなったが、そういう私にとって、大竹伸朗のカバン屋にあたるのが、とあるビジネスマンのオフィスなのだ。                        …(下)に続く
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by miltlumi | 2012-04-21 15:53 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

仕事は労働ではなく

 トロントに赴任していた頃のメンバーが集まった。幹事の義務として、20分ほど前にレストランに入ると、「既に1名様いらっしゃっています」。私が赴任した時点でもう7年の勤務歴を持ち、すっかりカナダナイズなさっていた大先輩に、先を越された。
 聞けば、年金支給年齢にはまだ少し間があるものの、つい先週会社を辞められたという。だから今は時間は有り余っているんだ、と。
 「わあ、おめでとございます!!」と思わず出した明るい声に、彼はほっと表情を緩めた。
 「だよな。外人に報告するとみんなそうやってCongratulations!と言ってくれるのに、日本人は、これからどうするんですか、とか心配顔で訊くんだよ」
 想像に難くない。日本人とガイジンのちがい。

 つい最近、別の赴任経験者との間でも、似たような話をした。半分趣味で、カナダ(彼もトロント勤務経験者だ)に和紙を輸出している彼は、和紙作りそのものもカナダ人に広めようとしたが、難しいという。日本の和紙職人の、徹底的に品質に拘る姿勢が、どうしてもガイジンには根付かないのだ。
 「そうそう、ガイジンの仕事は、この程度でいっか、ってな感じでどっかいい加減なんだよな。どうしてだろうな」と相槌をうつもう一人の言葉に、どこかで読んだ本の内容をふいに思い出した私は、その聞きかじり説を披露した。

 欧米では、ローマ時代から南北戦争時代以降まで奴隷制度が存在し、労働=奴隷がやること、という考え方が人々の心理に刷り込まれた。21世紀の今も、日々の仕事を「労働」とみなすかぎり、心のどこかで負のイメージがつきまとう。奴隷制度がなかった日本との大きな違いだという。
 だから、必要以上に時間と手間をかけて、漉紙に浮かぶ不純物を取り除いて出来るだけ美しい製品に仕上げよう、といった発想がどうしてもわいてこないのだ。一方でRetirementは、労働というあらまほしからざる重荷から解放されて自由の身となれる、まさに祝福すべき出来事なのである。

 でも、仕事と強制労働は、もちろんイコールではない。もっと言えば、お金を稼ぐことだけが仕事ではない。
 労働=奴隷説に大いに納得してくださった相槌マンも、カナダナイズ氏も、同じ63歳。前者は「寿命80歳として、あと17年。やりたい仕事がいっぱいあるからさあ、オレは一生働くぞ!」と大いに気勢をあげていた。後者は「65まで会社勤めもなんだしさ、まあ“仕事”じゃないけど、やってみたいことがあるから」と胸ときめかせていた。私がおめでとう、と言ったのはまさにその意味だ。
 やりたいことを仕事にできるのが、一番しあわせなことなんだな、と改めて感じた。

 年金がもらえるかどうかもわからない年代だけれども、しかも天命も知る前にとっとと会社を辞めてしまった私だけれど、こんな素敵な人生の先輩を持てたことが、何よりの財産である。
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by miltlumi | 2012-03-15 13:20 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

ネイルサロンカウンセリング

 ネイルサロンでいつも指名する女性は、私より10歳以上若い。お互いの私生活をかなり明細にバクロしあっている仲である。
 いつもはお客様である私の話題が多いが、先日は彼女から語り出した。
 「新婚旅行どうしようか、そろそろ真剣に考えてるんです」
 彼女は、3年一緒に暮らした彼とこの夏めでたく結婚式を挙げたが、新婚旅行はまだ。なのに彼をさしおいて、先月フラダンス友達とハワイ旅行してしまった。さすがに新婚旅行は来年の春くらいにはいかないとまずい。
 「モロッコとかどうかと思うんですけど」
 「わあ、いいじゃない。あそこってフランス圏だっけ。フレンチ美味しいかな」
 お気楽に相槌をうつ私に、今一つ浮かぬ顔。ああいう国では、素朴なバザールで日本には珍しい(かつびっくりするほど安い)雑貨をあれこれ物色するのが一番の楽しみなのだけれど、それだと旦那様より女友達と行ったほうが楽しいんじゃないか、と彼女は思っていたのだ。
 うっ。的を射た悩み。彼女より人生経験の長い私でさえ、パートナーより買い物好きな男性なんて、一人しか知らない。怪しげな市場で、カタコト英語で「1枚$10を$8にしとくよ!」「高い!$5」「無理2枚で$15は?」「3枚買うから$18にして」などと、たかがショールに30分もかけるなんて、普通の男性の理解を超えている。「好きなだけ時間かけていいよ」なんて甘い言葉を信じた暁には、苦虫を噛み潰した彼に出会えること畢竟。
 
 「モロッコ以外だと、彼はどこに行きたがってるの?」
 「スペインとか、南フランスとか…」
 「ああ、それなら新婚旅行としては無難でいいじゃない」
 「だから、モロッコは友達と行って、新婚旅行はそっちにしたいんだけど…」
 年2回の海外旅行、ちょっと贅沢だけど、たまには。と思いきや、さらなる彼女の悩みは、早く子供が欲しいので、旅行はその前にしたい。夏は仕事が忙しいので休めない。となると、来年前半に2回も休暇を申請することになる。この前10日休んだばかりなのに、また…と上司に睨まれるのではないか。しかもその上司は、50代女性。独身。ううう。
 「どうしたらいいと思います?」
 いつになく真剣に私の意見を求める彼女。私は断固として言い放った。
 「年明け、お屠蘇気分のときに『今年は私にとって一生に一度の大切な年なんですっ』って正直に2回休暇をお願いしたら?子供できたら当分海外旅行なんて行けないし、行けても子連れ。今しかないよ。一生に一度って、ほんとだもん。嫌味の一つくらい言われても、クビにはならないでしょ。だめと言われたら諦めればいいだけ」

 海外旅行なんていつでも行ける、と思ったら大間違い。その体力で、その感性を持って異国に触れられるのは、その時しかない。子供だって、欲しくたってすぐできるものじゃないんだから、1日も早く行動(?)に移さないと。50過ぎのミスのヒスを気にする余裕はない。

 やりたいことは、やりたいときに、やる。彼女は大いに勇気づけられたみたいだ。クビになったら、専属ネイリストになってもらうから。
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by miltlumi | 2011-12-10 09:01 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

サラダの国から来た娘

  季節の変わり目さえ 気づかないほど ぼんやりしているあなたに
  混ざり毛糸あつめて マフラー編んで 秋の野原をかけてあげたい
                            ♪♪サラダの国から来た娘-イルカ♪♪

 ふと思い立って、編み物を始めた。編み棒を握るのは20年ぶり。さほど長く遠ざかっていたけれど、実は、ほんとに編み物が好き、ということを、久しぶりに思い出した。
 最初は編み目の作り方さえ忘れていて、少しあせった。でもちょっと毛糸と戯れるうち、昔取った杵柄というか、三つ子の魂というか、不意にすべてを思い出す。あとは自然と、編み棒がすいすいと動いていく。

 秋の夜長の編み物三昧は、20代前半のほんの短い間。あの頃は1シーズンに3・4枚もセーターを編んだ。過半はボーイフレンド向け。ただの男友達や、先輩に初めて生まれる赤ちゃん向けもあった。演歌好きではないので、着てはもらえぬセーター(津軽海峡冬景色、ね)なんぞ、決して編まなかった。
 プレゼントする相手の喜ぶ顔が見たい、というのもあるが、7割方「編みたいから編む」という気持ちの方が強かった。まさに「マンモスの干し肉」作りの純粋な悦びである。

 あんな単調作業のどこが面白いのか。単調とはいえ、というか単調だからこそ、編み目を落とさないよう、編み目の数がわからなくならないよう、表編みと裏編みの順序を間違えないよう、同時にいくつも気を使わないといけないから、結構集中力が要る。
 あまり力を入れすぎると、ゲージが滅茶苦茶になる。近頃編み物をしなかったのは、編んであげる相手がいなかったからではなく、20代はともかく今じゃ肩が凝るにちがいない、と敬遠していたためだが、実はちがった。肩はもちろん身体のどこにも余分な力を入れないで指先を動かしていくと、何時間やっても肩は凝らないし、編み目もきれいに揃う。
 単調でありながら、適度な緊張と適度な脱力が必要となる、高度な作業なのだ。

 しかも、最初はただひたすら本の編み図に従って表2・裏2…、5段目でクロス、とやるうちに、10㎝くらい編み進むと、規則正しい模様が浮かび上がっている。確かにそれは自分が手を動かした結果なのだが、なんだか魔法を見ているようで、嬉しくなる。
 模様編みでなくても、だんだら色の毛糸でシンプルに編むときは、また違う楽しみがある。毛糸玉からしゅーしゅーと毛糸を引き出すにつれ、微妙なグラデーションが現れる。ああ、この色、好きだなあ。特に色も長さも気まぐれに変わる毛糸は、どんな仕上がりになるのか最後までわからないところが、さらによい。
インクを流して抽象的な画を創作するアーティストが、作品を100%自分でコントロールできないのがいい、と言っていた。まさにそんな感じ。
 
 編むうちに外側だけになって、最後は波平さんのアタマみたいにすけすけになる毛糸玉も、愛しい。

 編み物は、一攫千金を狙うマンモス狩りと根本的に異なり、小さな投資で大きな成果、はあり得ない。1段編むには確実に数分を要する、労働集約型なのである。そのかわり、かけた時間に対する成果は着実に結果として現れる。私の性に、とても合っている。
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by miltlumi | 2011-11-20 20:04 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

地図が読める女

 私の自慢は、女性には珍しく(?)地図が読めることである。どこを歩いているときも、頭の中に映し出された地図(北が上)に自分の位置がプロットされている。
 初めての場所に行く、あるいは1日3か所をハシゴする予定の朝は、歯磨きをしながら寝室の壁に貼ってある東京メトロの地図を眺めて、何線のどの駅で乗り換えて、どの道をどう歩いていくか、電車の前のほうに乗るのがいいのか後ろが便利か、色々と確かめる。
 地下鉄の駅構内に貼ってある100㎝×75㎝のあの地図は、誠に便利である。地図の下にカレンダーがついていて、毎年今頃になると、定期券売り場とかで1枚350円で売っている。お目当ては地図のほうだから、カレンダーの部分はその年が終わるとちょきちょき切り取って、地図だけをしばらく活用する。
 だから今うちに貼ってある地図では、東京ミッドタウンや副都心線が「建設中」になっている。2012年版はさすがに新規購入せねばなるまい。

 地図が読めるのは、しかし東京メトロのおかげではない。小学3年生のとき、木造平屋建て4Kの社宅から3階建てのアパート3LDKに引っ越したとき、ダイニングキッチンの壁に大きな世界地図が貼られた。教育的効果を期待した母の作戦にまんまと乗ってしまった私は、毎朝毎晩食事をしながらその地図を眺めていた。
 日本はお決まりの赤で、確かアメリカは明るい黄緑色、ソ連は暗いヨモギ色だった。一番憧れたのは、英連邦王国の同朋のためか、同じピンク色に塗られたカナダとオーストラリア。後年、恋人がオーストラリアに、私がカナダに赴任したとき、やっぱりあのピンクは運命の色だったんだ、と感慨深い思いを抱いた(が、運命は永遠ではなかった)。
 のみならず、南米にはパラグアイとウルグアイという似た名前の国があるとか、グリーンランドはデンマーク領だとか、代表的産油国の一つにベネズエラが含まれるとか、あの地図から仕入れた知識は今でも役立っている。かどうかわからないが、ある種の世界観を私に植え付けてくれたことは確かだ。

 2年後にはそれが日本地図に貼り替えられたが、平野部の緑と山間部の黄土色から茶色という地味で単調な配色に、私の好奇心は一気に萎えてしまった。それでも各県や主要都市の位置が自然と頭に入っただけでなく、地図は北が上、という基本を身につけられたのは、あれら大きな1枚紙がもたらした賜物である。
 
 近頃の海外旅行は、「地球の歩き方」の代わりにネットから印刷したA4の紙を何枚か持って行く人が増えているそうだ。カーナビは「北が上」と「進行方向が上」モードを選択できるし、徒歩用のナビはケータイの人気アプリらしい。
 私はやっぱり、散策や旅行に出掛けるときは、縮尺がちゃんと記されている地図がいい。地図が読める女は、「男脳」というより単に「古い」やつなのかもしれない。


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by miltlumi | 2011-11-01 20:06 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

お見合いおばさんのビジネスモデル

 人間、長く生きていれば色々賢くなるはずなのに、私の場合「そんなことも知らなかったのか」と、世間知らず度を改めて認識させられることが多い。歳をとるほど、世の中の仕組みが分からなくなる気さえする。

 最新の学習は「お見合いおばさんは職業である」。うら若い、いや最近はうら若くもない草食系男女を、あっちとこっちでくっつけるべく奔走する。めでたく華燭の宴までこぎつけた暁には、朝から美容院に行って、しゃっきり黒留め袖で記念撮影に収まることを無上の喜びとする。あれは衣食足りて礼節を知り、ついでに人情の機微も知り尽くした有閑マダムの趣味と信じていた。
 実は違う。カネを取るのだ。しかも、ゴールインしたら、という成功報酬型ではなく、お見合い1回でチャリン、の「あわよくばRecurring(=繰り返し)」型。写真映りがよく、ちょっと奥手で優柔不断な女性をゲットしたら、うはうはである。そこそこの経歴の男性を引き合わせ(顔に多少難があっても、男は顔じゃない、と説得し倒す)、「どう?」「うーん」「ま、そうね、あなたみたいなチャーミングな女性に、彼はちょっと釣り合わないわね、やっぱり」とか言って、すかさず次の写真を引っ張り出すのだ、きっと。
 メーカーに勤めていた頃、1個売ったらおしまい、ではなく、1人の顧客に繰り返し財布の口を開けさせるRecurring型のビジネスモデルを考えろ、と大号令が出たことがある。まさにこれ。

 なぜ今更この常識を学んだかと言うと、私自身が無免許をやりそうになったから(お見合いおばさん業は国家資格でもなかろうが、あれば、管轄は厚生労働省(永久就職)か、内閣府(少子化対策)か、はたまた経済産業省(挙式・新居消費拡大)か)。
 友達の弟が結婚相手を探していると聞き、例の従姉の娘が思い浮かんだ。弟の写真を見ると、彼女に合いそうな、すっきり系の美男子。よし、とばかりに従姉に電話して、ケータイに簡易版釣り書きと写真を転送する。だが不惑をちょっと超えていたため、娘が「すぐ子供が生まれても、成人する前に定年退職じゃない」と冷静な計算の結果、却下。でも従姉は、こちらが戸惑うほどに感謝してくれた。「あなたからお話があるなんて、嬉しいわあ。もう、あのお見合いおばさんに頭下げるの、ママはいやですからねってケンカになってたとこ」
 そこで初めて、私は前述のビジネスモデルの存在を知ったのである。そりゃあ従姉にしてみれば、私の紹介ならチャリンは不要だし、当然最後までまとまることを私も望んでいるから、Recurring狙いのはずがない。

 しかし、世の中何でもおカネ、なんですかねえ。モノの売り買いならまだしも、人の一生を左右するご縁を扱う、神聖かつ厳粛な出雲大社のようなお仕事が、世俗にまみれたRecurringビジネスモデルなんて。やっぱりなんだかよくわからない。
 「また何かお話があったら、よろしくね」という従姉のすがるような声に、私は「きっといい人を見つけてあげよう」と、いつになく真剣に決意した。

 追記:というわけで、35~39歳の背が高くてかっこいい男性、募集中です。こちら33歳、ほっそり系美人です。
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by miltlumi | 2011-08-22 21:18 | マンモスの干し肉 | Comments(3)

最適なオトコを選ぶ確実な方法

 従姉の子供が適齢期に達していて、数か月前に写真と釣り書きをことづかった。「どんな人が好み?」と聞くと、
  「背が高くてかっこいい人」
 だめだこりゃ。道乗りは遠い。18やそこらの小娘ならともかく、三十路を超えたら、こんな幼稚な回答はいただけない。ケッコンは恋愛とはちがう。表参道の欅並木を腕を組んで歩きながら、FENDIのショーウィンドーに映る二人の姿に自己満足してるだけではすまされない。ながーい時間一緒にいていつも楽しい、とまではいかなくとも、気持ちよく過ごせる相手でなくては。それを見極めるには、それなりの場数と経験が必要だ。
 けれど、女子大在学中にお見合いをして卒業と同時に結婚した母親(=私の従姉)に育てられ、自らも短大を出て自宅で家事手伝いをしている箱入り娘には、難しい注文かもしれない。

 ところが先日、友人から朗報を得た。より強い遺伝子を後世に残すのに最適なパートナーとは、自分の遺伝子と最もかけ離れた遺伝子を持つ相手、という進化論的仮説にまず納得してほしい。そして、「かけ離れた遺伝子」の持ち主のかぎ分け方が、文字通りニオイをかぐこと。かけ離れているほど、その人の体臭が好ましく感じられる、というのである。
 逆に言えば、「くっせえ~~」と思う相手は、自分と似た遺伝子を持っている。小学校の頃はいつもまとわりついてきた可愛い娘が、年頃になった途端「お父さん、クサい!」と顔をしかめるのは、アナタの加齢臭のせいではない。わが娘が間違いなく自分の血を引いている、有難い証拠なのだ。とはいえ、物理的にクサいと感じるものに近寄りたいとは思えない。
 かくして神様は、近親相姦を起こしにくくして、劣勢遺伝子の発現による種の弱体化を防いでいるわけだ。素晴らしい自然の摂理。

 このかぎわけ能力は、女性だけに備わっている。そう、選ぶのはいつだって女性の側。選ばれるために、オスは文字通り必死で、きれいな尾羽を広げたりたてがみを振りかざしたり、でかいマンモスを捕まえたり、色々と努力しないといけない。
 努力する気も起きない女性に、満員電車の中で「くさっ」とばかりに顔をしかめられても、逆ギレする必要はない。この子の遺伝子配列はボクと似てるんだなあ、ご先祖様のどっかでつながってるかも、と思えば、見知らぬブスにも愛おしさが湧くだろう。

 話を戻すと、女性が男性を選ぶ際の最も原始的かつ確実な方法の一つが「におい」による判断。もちろん、結婚は子孫繁栄だけが目的ではないから、このやり方が万能というわけではない。でも、一緒にいて気持ち良く過ごせる、という観点でも使えることは使える。これなら、経験豊富でない彼女でも判断できる。
 というわけで、まあ誰か紹介しようかと、引き出しの中から取り出した彼女の写真に、同じ場所に入れてあったサロンパスの移り香が。まいっか、男性の判断基準はにおいじゃないから。
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by miltlumi | 2011-07-24 18:49 | マンモスの干し肉 | Comments(1)

妄想派とリアル派

 女性5人の集まりで、実に過半数が「妄想派」であることが発覚した。妄想派とはすなわち、好きな人と会わなくても彼とのデート場面や何やかんやを色々と妄想して、それで満足できるタイプ。従ってリアルなデートの必要性が徐々に減衰し、結果的に「おつきあい」が続かない(というか、続ける必要がない)。さらには、妄想が作り上げた理想的な彼とのデートを妄想することで自己完結的に幸せになれる、誠に便利な性癖である。
 「え~、リアルじゃなきゃいや~」と声を上げたのは私と同じく少数派の後輩。妄想派に対する「リアル派」は、恋はなんたってリアルでしょ、というタイプ。デートの前にある程度の妄想(というより期待?)は抱くものの、それはあくまで前哨戦に過ぎず、その後に続くリアルな展開の予行演習、もしくは評価基準となるに過ぎない。かつ、抱いた期待は裏切られるのが常であるから、リアル派はできるだけリアルに近い程々の期待を抱くよう自らを律し、勝手に期待して勝手に裏切られて勝手に失望する、という阿呆なサイクルに陥らないよう留意する。

 もちろんリアル派だって、本当の(?)妄想行為がないわけではない。常にリアルな相手を途切らせないためには、慎重に重複期間(俗に言う「ふたまた」)を設ける高度なテクニックが必要だが、倫理的な後ろめたさが否めない。従って、片想いの対象さえ存在しない、潔い空白期間の存在が必然となる。
 そのような期間中、元々憎からず思っていた福山雅治への傾倒度合いが増したことがある。龍馬伝を見ながら、今このテーブル越しに彼が座って私と一緒にお茶を飲んでいたら、どうしよう♪ 明日は仕事さぼって広尾を散歩しよう、などと妄想を膨らませた。
 しかしリアル派のシュールなところは、リアルの対象が登場したとたんにフクヤマへのリリカルな愛が消滅すること。そんなかりそめの妄想は、正統的妄想派に言わせれば腰抜けの邪道もいいとこ。妄想派の一人の知り合いは、もう10年以上堂本光一のおっかけをしているそうである。

 その点、妄想派はいつでもどこでも好きな時に自分一人で幸せになれる。相手への期待は無限大、かつ120%(妄想の中で)実現可能。
 それって、現実逃避じゃないの?というシュールな批判もあろうが、想像力というものは人間に与えられた貴重な財産。いきなりシュールな話になるが、アウシュヴィッツでは、過酷な環境に耐えうる屈強な体力を保持していた肉体労働派よりも、目前の悲惨な現実から目を逸らせて解放後のユートピアを夢想できるひ弱な頭脳労働者のほうが、生き残る確率が高かったという。
 草食系が増えてリアルな対象たりうる屈強な男性が減ってきた今、かつ年を経るごとに対象候補者群に属する人数が(対象者の下限年齢を固定させない限り)確実に減少していく女性にとっては、妄想派的アプローチは生活必需品なのかもしれない。
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by miltlumi | 2011-01-09 13:33 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

パワポでもワードでもエクセルでもなくて

 人には、Visual系(視覚)とAuditory(聴覚)系とKinesthetic(触運動覚)系があるという。NLP(Neuro Linguistic Programing, 神経言語プログラミング)のコミュニケーション論のお話。
 つまり、3つのうち誰もが得意な(好きな)タイプを持っていて、相手がそのタイプに合わせてコミュニケートしてくれると、とても心地よい関係ができる。言い換えれば、相手がVAKのどれに感応度が高いかを観察して、それに合わせると、相手とのコミュニケーションがスムーズになり、ラポールを築きやすくなる、ということ。
 Vは視覚の感性が強いから、絵や図をイメージしやすい(つまりPowerPointですね)話し方をするとよい。Aは聞くだけでなく読み書きも含む。文章や言葉の定義に敏感。そしてKは、テンポがゆっくりで実物に触れ、身体の感覚を大切にする。

 私はAuditory系だと思う。昨年会社を辞めちゃった時、同様にサラリーマンに見切りをつけた男性4人と、人生の来し方行く末を見遥かして次のステップを考える「就職道場」を開いた。
 「人生のテーマ」をA4一枚にまとめよ、という宿題に対し、当然のようにWordの箇条書きを提出した私は、他の人達がいずれもPowerPointなのに驚愕した(彼らのうち3人はビジネスコンサル出身。さすが)。余談だが、私のWordには「二十歳過ぎたら余生」と書かれ、彼らのPowerPointには「45歳で年商XXX億円の社長になる」とか「生涯打ち込めるXX事業を立ち上げる」とか書かれていた。完璧なマンモス狩り系。

 話を戻すと、別にVAKのどれがベターとか進化してる、という話ではなく、相手の特徴を理解して対応するのが大切だということ。それには自分が本来あまり強くない要素も強化したほうがいい。
 就職道場の例を見るまでもなく、Microsoftの周到なアプリケーション戦略のおかげで、社会人のVやAはおのずと補強されていく(ちなみにAはアナログ型とデジタル型に分類され、前者はWord、後者はExcelによって鍛錬できる)。一方Kは、会社で強化しようとすると色々と社会的問題を引き起こしかねない。
 けれども、人間本来のコミュニケーションとしては、多分Kが一番原初的で大切なのではないか。コトバ(A)というのは人間の歴史よりも浅い、いわば後付けツールである。ではVとKはというと、見つめ合うよりも触れ合うほうが強力なコミュニケーションである、多分。

 Auditory系の私は、コトバに魅せられることが多い。最近、とてもきれいな文章に遭遇した。あまりに美しくて、思わずその文字を指で触ってしまった。あああ、こういうことなんだな、きっと。Kは、いちばん深い。
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by miltlumi | 2010-10-10 11:36 | マンモスの干し肉 | Comments(2)

マーケットの定義を変更すること(補足)

 「無友不如己者」
 論語の一節。「己に如かざる者を友とするなかれ」と読む。友を選ぶときは自分より優れた人物を選べ、というのが通常の解釈だが、それだと需給関係上、世の人間は誰一人として友達がいなくなってしまう。ゆえに、というわけでもなかろうが、渋沢栄一は「友なるものは、その徳を友とするなり(友を選ぶときは、何か徳がある人を選ぶ)」という注釈を加えたそうだ。誰にでも何かしらひとつくらいは「徳」があるから、これなら誰とでも友達になれる。
 これを聞いた友人(男性、年下、でも既婚)は、「僕にとっては、花の名前を知ってる人とか、料理ができる人はそれだけで尊敬できます」と言った。やった”V” これまでの人生の過半は庭のある一軒家に住んでいたから花はたくさん植えたし、冷蔵庫にある素材で3種類の料理をひねり出すのはわりと得意技。それで尊敬していただけるなんて、光栄♪

 昨日のエントリーに「自分を愛してくれることはもちろん、経験豊かで尊敬できて、学べる面をたくさん持っていて、ついでにおいしいレストランや隠れ家温泉を知っている男性」と書いたが、実際のところ、ジョーカーみたいなオールマイティーを待ち焦がれるほど私もウブではない。
 しばらく前から、女友達との間で「TPO」がキーワードとなっている。一人の男性に全てを求めるからmission impossibleになってしまうわけで、逆にこちらだって「可愛くて優しくて思いやりがあって自立していてしっかりしてるけど男を立てることをわきまえていて…」とか並べたてられても、対応不可能。
 お互い、用途(?)に合わせて使い分けるのがWin-winの秘訣であろう。映画を見る、おいしいものを食べる、人生について語り合う、仕事の相談をする、旅行に行く、…その分野で気の合う人と、その都度行動を共にする。
 そうすれば、マーケットは無限大に広がる。

 あまりハッピーな結婚生活を送っていない男性が、
 「100点満点っていうのは、難しいよな」と言った。思わず、
 「何を以て100点満点とするか、じゃないですか?」と返したら、尊敬の眼差しで見つめられた。
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by miltlumi | 2010-08-07 11:56 | マンモスの干し肉 | Comments(0)