カテゴリ:マンモスの干し肉( 38 )

フロー状態あれこれ

 最近前に進んでる感がないんですよ、と知り合いの女性が言うのを聞いて、反射的に心の中で眉をひそめた。昔ある人に、「君と一緒にいても前に進んでる感じがなくて嫌なんだよ」と言われた記憶が苦々しく甦ってきたのだ。そんな私的感情を押し殺して、私はにこやかに質問を投げかける。 
 「厳密に言うと好きなのは、前に進んでる感じ? それとも上に上がっている感じ?」 
 即答だった。
 「前に進んでる感じ」 

 働く人の多くは、前に進むこと、あるいは上に昇っていくことに大きな喜びを見出し、そこに「フロー」を感じる。働くこと=上に上がる、つまり昇進昇格昇給、と信じて出世街道をひた走り、何かの手違いで(あるいは客観的評価の結果?)ラダーから脱落すると人生が終わったみたいに自暴自棄になる人さえいる。
 前に進むほうが、上に昇るよりは楽かもしれない。地球の重力に逆らう必要はないし、周りの景色が後ろに流れていくだけでも前に進んでる感は味わえる。単なる横移動でも、まあ進んでると言えば、言える。
 前進や上昇が1次元であるのに対して、2次元型もある。「拡がる感」追求型。古くはアレクサンダー大王からチンギス・ハン、果ては東西冷戦時の米ソ。身近な例では、仕事のやりがい=部下の数、みたいな人もいれば、牡犬のマーキングよろしくちょこっとつばつけて肩書きもらうだけでも、とにかく自分の縄張りが拡がるのが嬉しい拡大志向型は、枚挙に暇がない。

 前進する猪とか上に昇る猿(ブタかな?)とか縄張りに拘る狼とかは、なんとなくマスキュリンな感じだが、フェミニンなフローの典型は、ひたすら「貯める」のが好きなリスかもしれない。
 女性がよく、本職に関係のない資格をやたらめったらとりまくったり、出世を伴う異動を嫌がる一方で「他の業務も勉強したいんです」と単なる別部署への異動を希望する。あれはどう見ても「木の実貯めたい」本能なんじゃないかと思う。
 「会社は学校じゃないんだから、インプットだけじゃ困るのよ。ちゃんとアウトプットを出してもらわなきゃ」と言いたかったけど、むっとふくれて冬眠態勢に入られるとまずいので、我慢したことがある。

 私自身はといえば、猪でもブタでも狼でもリスでもない。アライグマである。仕事をする最大のモチベーションが、「片づけること」なのである。昔から、どんな部署に配属になっても、どんな会社に転職しても、まず率先遂行するのはファイル整理や在庫管理、なんちゃらリストの一覧表作りになんとかレポートの統廃合。個人レベルでは、Eメールの受信ボックスを空にする、というのが何よりの目標である。
 こういうことに喜びを見出すタイプは、前進や上昇タイプに比べてずっと人口密度が低いので、結構重宝されるのだが、仕事人として致命的欠陥がある。つまり、「仕事をする」モチベーションが「仕事を片付ける」ことなので、やればやるほど「仕事がなくなる」のだ。アライグマが一生懸命石鹸を洗って洗って、ふと見ると手に何もなくなっていて、びっくりきょろきょろ。あれである。

 「前に進む」のが好きな人にとっては、何でもさっさと片づけてあとは何もしない私が魅力的に映らなかったのもむべなるかな。そして私も、相手そのものを「片づけて」しまった。身辺整理。すっからかん。そろそろごちゃごちゃにこんがらがった毛糸玉でも探そうか。


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by miltlumi | 2015-04-20 15:55 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

最近の兆候

 100円ショップで買いたいものが2つあって、いつ行こうかなあとぐずぐずしているうちに3つめが出てきた。こうなったらすぐに行かなきゃ。念のため行く前に買うものをメモろうとしたら、2つめのところでペンが止まる。頭の中で店内の棚を順に思い描いて、やっと思い出した。

 お味噌汁を作っていて、お豆腐を切ろうと封を開けたら木綿豆腐だった。お豆腐は絹、と決めているのに。どうして木綿豆腐がうちにあるのよ!?と憤ってみたが、それはなぜなら自分で買ったからである。誰のせいでもなく、スーパーで買い間違えた自分の責任である。

 オフィスで席替えがあり、壁に向いたデスクから2人ずつ向かい合わせに座る島に引っ越した。誰かに用がある時、振り返らずにすむから便利である。早速お向かいの人に話しかけようとしたら、苗字が出てこない。PCに向かっている彼女の頭の髪の分け目あたりをしばらく眺めていたら、ぽろっと出てきた。

 炊事手袋の右をよく破く。最近のメーカーは賢くて、右手2・左手1(もしくはその逆)のパックを売っている。珍しく左側を破いて、ストックしてある数枚の手袋を取り出した。どれが左手なのか、今自分が必要としているのがどちらの形なのか、判別できるまで3秒以上かかってしまった。

 土曜日の朝は、髪を洗わずきりりと結わいて、手早く身支度する。スポーツジムに出掛けて汗を流した後、お風呂でゆっくりサウナやシャンプーをするからだ。先週末もそのつもりでボサボサの髪で朝食を食べ、顔を洗うついでに気づいたらシャンプーしていた。ジムに行く意欲が半減した。

 最初の頃(っていつ頃のことだろう)は、それでも少しは「やばいな」「どうにかしなきゃ」と思っていた。
 最近はもう、そういうこと(ってどういうことだろう)を前提にして、ペースダウンするようになってきた。
 自分がどんどんバカになっていく気がしないでもないが(もしかすると「気」ではなく「事実」かもしれない)、今更大学受験をするわけでもないし、生き馬の目を抜くビジネス戦場の最前線で闘っているわけでもないので、大きな支障はない(と自分に言い聞かせているきらいがないでもない)。
 人は、こうやって現実と折り合いをつけて行くのだ。わはははは。
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by miltlumi | 2012-09-11 11:41 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

もうひとつの収集癖

 シールと並んで、小学校時代に私が夢中になった収集は、タイル。同世代の友人に言うと、「え、タイル?」とけげんな顔をされるが、少なくとも神奈川県西部の市立小学校では、流行っていた。
 住環境が急速に進化しつつあったあの頃、解体した木造家屋から出たのか、お風呂場の床にはられていた大小色様々なタイルが、廃材置き場などに無造作に散乱していた。正方形や卵形はもちろん、台形の四隅を丸くしたへちゃむくれ形もあって、バラエティーに富んでいた。中でも、大韓航空のスチュワーデスの制服のような薄青緑が特に好きだった。ぴかぴかの真っ黒な小粒(今思えば、あれはオニキスの黒だ)も、捨て難かった。

 しかしながら、その非実用度合たるや、シールの比ではない。形も大きさもまちまちだから、おはじきにもならないし(そもそもおはじきという遊びは最初から興味がなかった)、ビニール袋に詰めて漬物石にするには量が不足していた。それこそ左官屋にでもならない限り、無用の長物である(今ならちょっとしたアンティークとして、自分で漆喰壁を塗っちゃうようなDIY好きに売りつけられるかもしれない)。
 だから、というわけでもないが、収集熱が冷めて最後どうなったか、シールの場合とちがって明確に記憶している。アパートの窓から投げ捨てたのである。

 当時、3階建の社宅アパートの2階に住んでいた。私にあてがわれた部屋は北側の4畳半で、窓を開けると、長屋風の物置の屋根と砂利を敷き詰めた裏庭が見えた。その砂利めがけて、集めたタイルすべてをバラバラと放り投げたのだ。
 それまでの収集努力が水の泡、という寂寥ではなく、一体今まで自分は何をやっていたのだろう、どうしてこんなつまらないことに夢中になることができたのだろう、という不可思議感。楽しいことを何の疑問もなく楽しく続けていられれば幸せだったものの、本当の自分の気持ちに気づいてしまった、というような白けた気分。

 今でも、「夢中であり続けられない自分」を持て余すときがある。一瞬すごくのめり込むけれど、ふとした瞬間に「どうして私はこんなことをやっているのだろう」と立ち止まってしまう。その気持ちが浮かび上がったら最後、以前の純粋な楽しい気分は、もう戻ってこない。何も考えずにただ楽しめた、少し前までの自分へのノスタルジーと、また気づいてしまった、やっぱりそうか、という苦笑い。心の底から夢中になっている人々を、傍観者のようにぼんやりと眺めている。

 今でもよく憶えている。タイルを投げた後少しして、もう一度窓の外に顔を出すと、私より3・4歳下の社宅の女の子たちが、「わあ、こんなところにタイルがある!」とはしゃぎながら、夢中でタイルを拾っていた。ああ、彼女たちはあれを楽しむことができるんだ。でも私は、もう卒業してしまった。幼い者への羨望と、諦念。あの瞬間、少し大人になったようなきがした。
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by miltlumi | 2012-06-23 20:48 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

収集癖と実用癖

 収集癖というものは男性の特徴、と以前書いたことがあるが、あれは間違いだ。女性にも収集癖はある。
 小学校の頃夢中になったシール。花や星模様やサンリオのャラクターの小さいシールが10㎝×20㎝くらいの台紙にずらりと並んだ、つるつるした平面。「お気に入り」のシールは、もったいなくて1度もどこにも貼らなかった。
 少ないお小遣いから捻出して買った3枚組のうち1枚を、別の柄を持っている友達と交換したり(「等価交換」という経済の基本原則実行の初体験だ)、シール本体はもったいないからと、型抜き後みたいな回りの部分をはがしてノートに貼ってみたり、ささやかな楽しみ方は色々だった。

 そして、同じ趣味を経験した女友達は、一様に口をそろえて言う。
 「そういえば、あれは最後どこに行っちゃったんだろう」
 あれほど大切にしていたのだから、ノートに貼りまくってオシマイ、というのはありえない。子供っぽい柄に突然飽きて、近所の小さい子にあげちゃったのだろうか。気づいたら、まわりの誰もがシールから卒業していた。休み時間に教室の片隅で物々交換する姿は、もうどこにも見られなかった。

 でも、あの頃以来累々と続いている収集癖がある。それは、リボン。誕生日のプレゼントやおしゃれな洋菓子の包装紙に巻かれた、色も太さも手触り感も千差万別のリボンが、ぎっしりと箱に入れられて、いつの時代もクローゼットの片隅に置かれている。
 封筒の裏に貼る以外は実用的意味のほとんどないシールとちがって、リボンは人に物を差し上げる時などの用途があるから、これほどのロングランなのだろう。
 でも実際には、一番のお気に入りはやっぱりもったいなくてなかなか使わず、友達へのプレゼントにも、2番手を選んでしまったりする。出し惜しみは許されない大切な人の場合も、とっておきのリボンをかけた包みをもらった相手は、パッケージを解いた途端、外側には何の興味も残さない。「このリボン、もらっていい?」と微笑めば、私の手から離れた時間はほんの数分で、再びこちらの所有物となる。

 しかし、貯め込むばかりでは増える一方だ。この歳になり、断捨離の一貫でお気に入り度の低いものからせっせと使おう、と思い立った(このあたり、死ぬまで収集し続ける男性にはない発想だ)。それは、ブランド名の入ったリボン。広告とパッケージに心血注ぐブランド品はリボンの品質も第一級だが、手編みのマフラーや自分で焼いたブラウニーに、イタリアンブランドをかけるわけにはいかない。実は使い道が少ないのである。
 結果、用途はもっぱら古新聞を結わく紐がわり。丈夫だし。今朝の新聞・雑誌は、エルメスとミキモトとセリーヌ。ぎゅぎゅっと縛りながら、屈折した優越感が湧き上がる。無意味な「収集のための収集」が、全き実用に転換する瞬間。マンションのリサイクル置き場で異彩を放つであろう、私の古新聞。
 オンナ(というより私だけか)は、どこかやっぱり実用的で見栄っ張りである。
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by miltlumi | 2012-06-21 21:10 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

当世結婚式2次会事情

 久しぶりに結婚式の2次会に招待されたが、あいにく先約があって行けなかった。出席した同年代の友人に会ったら、「すっごかったぜぇ~っ新婦の友人、髪こぉーんなにしちゃってさあ」と、アタマの上で腕をくねくねと振り回していた。派手に結い上げている、という意味らしい。え、で、それが何か?

 我々の適齢期、新婦の友人と言えば、当時絶頂期だった松田聖子を真似てかどうか、パステルカラーのふんわりドレスに白いハイヒール、髪を花やリボンで飾って場を華やげるのがお約束だった。
 バブルがはじけた頃からすっかり大人しくなり、シンプルな黒のワンピースに大ぶりなコサージュでもつければ事足りるようになったはずだが、今日び、また聖子ちゃんが復活したのかしら。
 
 …なんて当世パーティファッション事情を、彼は言いたかったわけではない。ぽかんとしていた私は、「だからぁ、あいつ、東大財務省だろっ」と言われ、ようやく気づいた。
 新郎は、東大法学部を優秀な成績で卒業し財務省に入省、XX大学への留学を経て海外勤務の経験も積み…、というやつである。たしか新婦はまだ30そこそこ。30代後半まで独身を貫いた彼が惹かれたのは「さばさばした性格」、というから、さぞかしさっぱりと拘らないタイプの女性かと思っていたが、御学友はそうでもないらしい。
 ○○ちゃんが東大卒財務省のエリートと結婚したって!えっ、私、披露宴行く行く! ガンバルぞ~、お互い抜け駆けなしね、ってなもんである。そりゃー、最近のファッショントレンドがどうあれ、着飾らずにおられようか。就活じゃないんだから、目立たず騒がずみんなと一緒の黒スーツ、の真逆を行かねばならない。おのずと髪の毛も逆立つわけだ。すごいなー、見たかったなー、行きたかったなー、私も振袖着て行けばよかったなー。

 アタマが回り出した私は無性に腹が立ってきて、友人に噛みついた。そんな、東大・財務省だって言うだけで、ちょっと物欲しげすぎるんじゃないですか? 安定した公務員が人気って、そんな「寄らば大樹」の発想、嘆かわしい。そもそもオトコに一生食わせてもらおうっていう、その魂胆が気にくわない。
 (ここでなぜか話が飛ぶ)指輪くらい、欲しけりゃ自分のお金で買いなさいよっ。オトコにサイズ言うなんて、品がなさすぎ。(矛先はすっかり別方向)ほいほい買っちゃうオトコに限って、耳に穴開けてない彼女にピアス贈ったりするんですよっ。

 未婚・既婚問わず、経済的自立は女性の武器だと信じている。コレもんのヘアスタイルも、まあ武器と言えば武器だが。
 ひとしきりまくし立てて、ふと我に返る。招待された大学の友人の結婚式での席次、新婦友人と新郎友人、…同数じゃん。こりゃあ「友達の結婚式で頑張る」という発想が出てこないわけだ。既にお気づきの通り、この度の2次会も私は新郎側。
 前回エントリーに次ぎ、今日もただの僻み話でした。
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by miltlumi | 2012-06-10 08:27 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

当世東大女子学生事情

 この春、目出度く東大に入学した女子学生。とあるクラスの全員が既に彼氏持ちだという。な、なんだとぉ~。駒場祭はおろか、夏休みもまだ先だというのに!? つまり東大女子は、彼氏候補が(一般的に)同じキャンパス内にしかほぼ生息しない、という極めて不自由な立場に立たされている。同級生が、カワイくてオンナの子らしい女子大生に食べられちゃう前に、できるだけ急いで狩りをしないといけない、という強迫観念にかられているらしい。
 オトコかオンナか、どちらから先に声かけるのか知らないけど、大体、まだ授業でも3、4回しか顔を合わせていないような相手をどうやって選択できるのか。性格も価値観もわからないまま、多分、顔と(男性の)身長と(女性の)足の太さが基準なんだろうなあ。あ、服装の趣味、というのも点数高いかしら。私の時代は、「ベルボトム(死語…)をくるぶしで穿いている(=ちんちくりんな長さ)」がNGの基準だった。

 でも、急いてはコトを仕損じる、ですよ。アタマのいいあなたたちに、それがわからないかな。まあ、大学1年生のときのボーイフレンドとケッコンまで行きつく確率なんてたかが知れてる、とは思うけど、でもお互い(世間一般のレベルから見れば)真面目で慣れてない二人の場合、ウブな貞操観念が働いて、そのまま「初恋の人とゴールイン」なんてことも、あの大学の場合よくある話なのだ。
 いや、もしかすると打算的に、むしろティーンエイジャーのうちにしっかり結婚相手をつかまえなきゃ、と決意しているのかもしれない。大学にいる限り、とりあえず回りの男性は全員「候補」だけれど、卒業して就職したら、周囲の「東大」比率は当然下がり、魚影は薄くなる。しかも、引く手数多の東大卒男子は、気の利いたやつからどんどん片付いていき、絶対数さえ減る一方。「お見合い」という伝統手法にすがろうにも、舞い込むのは「行き遅れた」奥手中の奥手、みたいな同窓生(のおっさん)。最近の若いモンはしっかりしてるから、学生時代のうちに手を打つのがイチバン、と確信犯的に計算して動いているのかもしれない。

 しかし、そもそも、なんというか、「大学に入ったらカレシがいるべき」とか「自分につりあった学歴の男性とケッコンすべき」といった、紋切り型の考え方に囚われていること自体、東大生、もう少しアタマをつかいなさいよ、と言いたくなる。
 身を焦がす恋愛がしたい、とか、ケッコンこそが人生の目標、と心の底から信じているならいい。でも、「クラスの女子全員」というところが、気に入らないのだ。そのうちの44%は、自分の意思ではなく周りに流されて、慌ててそこらにいる相手とくっついちゃったにちがいない。なんだかねえ。

 ちなみに私は、周囲には関係なく、もちろん後先の打算もなく、純粋に誠実に崇高に恋がしたい、と驀進して撃沈したクチである。上述は全てただの僻みです、はい。懐かしの、19歳の夏。
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by miltlumi | 2012-06-08 21:27 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

黒いカバンを持って会いに行く

 フリーランスの仕事のいいところは、やりたくないこと、嫌なことはやらない、という選択ができることである。昔、泉谷しげるの「黒いカバン」という歌に「見せたくなければ見せ~ない、それは~当然なのであるからっ」という歌詞があった、あれ。相手がオマワリだろうと社長だろうと、法に抵触しない限り、やりたくないことはやりたくない、というのが人間としての率直なあり方である。それをオマワリにも上司(そもそも存在しない)に文句を言われず実践できる。

 一方まずいところは、その結果、「嫌なこと」に対する耐性が著しく衰えること。会社勤めをしていれば、プチ・嫌なことなど毎日のように発生する。発表者だけが発表のための発表を粛々と行い、出席者一同PCメール処理に勤しむ白けた会議への出席、聞いて何をしてくれるわけでもないのに、聞いてないと「オレは聞いてない」とゴネる上司への報告、「あれ、どうなってる?」と尋ねると「今やろうと思ってました」とむっとした顔をする部下への気遣い、等々。
 この3つを思い浮かべるのに3分もかかるほど、オフィスでの「嫌なこと」はもはや忘却の彼方。去る者日々に疎し。のど元過ぎれば熱さ忘れる。 
 
 ところが、フリーランスとはいえ「嫌なこと」はゼロではない。穏やかな日々にも暗雲は立ち込める。こうなると、弱い。
 くだらない話には、昔なら速やかに脳みそのスイッチをオフにして、美容体操と思って口角をにっこり上げ、一定時間おきに「そうですか」を繰り返す、という条件反射的行動に移ることができた。が、今は「どうしてこの人はこんなつまんない話をするんだろう」という疑念があからさまに顔に浮かびそうになる。面白くないことを「面白いですね」なんて言う、ちょっとした嘘がつけない。相槌の一言さえ出てこない。
 しかも、次にさらに意味のない会議が待っているわけでもないので、その会話が終わった後も、「あれはどういう意味だったのだろう」と、考えてもそれこそ意味のない疑問が心の中を去ってくれない。たった一つの「嫌なこと」がずぅっと尾を引くのだ。普通の社会人なら、とっとと忘れ去るような些細な出来事に、何日も拘ってしまう。要は、ヒマなのかもしれない。

 そして最後は、「もうあの人とは会わない」という極めつけの後ろ向き結論。会いたくなければ、会わない。泉谷しげるを地で行き、黒いカバンで外出すること自体が減る。
 こうやって、「嫌なこと」はやらない→「嫌なこと」への耐性が衰える→「ちょっと」が「すごく」嫌なことになる→てってー的にやらなくなる→さらに耐性が落ちる、というポジティブなんだかネガティブなんだかわからんスパイラルに陥る。さらにヒマが増す。
 でも、ヒマな分「会いたい人と会う」からいいもんね、と開き直る。大体、人生残された時間は長くないんだから。これは、フリーランスとか会社勤めとかいう次元を超えた真理である。


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by miltlumi | 2012-05-28 20:26 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

母の干し肉

 一昨日の母の日、それとは全然関係ないテーマで友人たちと集った。ホールケーキの調達担当者によると、7軒もケーキ屋をハシゴしたという。最近はアントルメは予約オンリーというケーキ屋さんが多い上、いかにも「母の日」っぽい家族連れが、次々と丸いケーキを買い求めていったらしい。
 母の日はカーネーション、がお約束だったが、近頃はケーキまでつくようになったのかしら。ことカレンダー上のイベントに関するかぎり、モノが売れなくなったとか消費抑制とかは、どこ吹く風。

 それを聞いて、慌てて母に携帯メールを出した。今年の「母の日プレゼント」は、GW前の旅行代金の一部(全部、ではないところが、なんだかなあ(笑))だったため、すっかり終わった気になっていたのだが、当日は当日でメールの1本でも出さないと、拗ねてるかも。
 すぐさま来た返事は、幸い楽しそうな文面だった。いつものニコニコ顔の絵文字に加え、( )やアルファベットを駆使したVサインまで入っている。ったく、年甲斐もなく…と思いながらも、ほっとする。
 
 去年の4月に、長年住み慣れた実家から兄の隣家に引っ越した引っ込み思案な母は、容易に予想されたことではあるが、新しい環境になかなか慣れなかった。一応、実家も最低限の生活ができるよう家財道具を残したままなので、実家近くのカルチャーセンターに行くときはあちらで1・2泊する、という2重生活が始まって1年。ようやく引っ越し先の方の絵画教室でも友達ができたとか、近所の人がお茶をしに来た、といった報告が入るようになったのは、ここ数か月のことである。
 旅行中、あんたの趣味はビーズネックレスの他に何?と聞かれ、思わず「アナタとちがって干し肉作りばっかりやってるわけじゃないわよ」と心の中でむっとした自分がおかしかった。母には、余計なことを考えるヒマがないくらいたくさん干し肉作りに勤しんでもらいたい。

 子供の心配をするのが親の務め、みたいな母親だったけれど、ようやく子離れし始めたかなあ、と思う。
ごく小さな頃はともかく、子供が小学校中学年くらいになったら、母は「自分の干し肉作り」のほうに軸足を置いてくれたほうが、子供もラクなんじゃないかな、と思う。
 いつまでたっても「お母さんはアナタのために…」と自己犠牲的愛情を注がれるより、母親が女性として、人間として人生楽しんでいる姿を見るほうが、よほど教育的効果があるのではないか。最近のお受験事情その他に全く疎い、門外漢の直感ではあるが。
 
 自分の人生を楽しむために、見方によっては「自分勝手な母」ととらえられるような選択をした友人がいる。「わがままねぇ」と揶揄しながら、私は心の底から彼女の決断に対して賞賛の意を表した。
 彼女の娘が、母のその決断を将来知ることがあるかどうかわからないけれど、きっと、そうした決断ができる母の姿勢そのものに、プラスの影響を受けるに違いない、と思う。
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by miltlumi | 2012-05-15 20:07 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

干し肉活動本格化します

 会社辞めて3年、ブログでマンモス理論(?)をぶち上げて2年3ヶ月、ついに干し肉生活、本格始動である。…などと大げさに言うほどのことでもないが、干し肉作りの中でも特にお気に入り、手作りパワーストーンネックレスを、友人のブティックの片隅に置いていただけることになったのだ。
 北イタリアに移住して干し肉ならぬ、庭の無花果や木苺のジャム作りや葡萄畑の管理を楽しんでいる友人が、地元工房が作るおしゃれなレザーバッグを輸出して、東京にいる妹さんがお店を開いた。昨秋イタリアを訪れたとき、手遊びのネックレスを手土産代わりに差し上げたら、気に入ってくれて、お店の賑やかしに、ということになった。

 これまではもっぱら自分用か親しい人へのギフト用だったから、売るとなるとさすがに緊張する。
 ストーンのお店で、手当たり次第ではなく、きちんと完成品を想定して計画的に種類と数量を選ぶ。これまでは作っている途中でデザイン変更したりしていたが、わざわざEXCELに単価や石の直径や個数をインプットして、長さとコストの計算式を作る。いつもは適当に処理してしまう留め部分も、まだ見ぬお客様の肌を傷つけないよう細心の注意でワイヤーカット。1つ完成するごとに、着実に手際がよくなるのは、手仕事の面白さだ。

 時折指先が滑って石が床に落ちると、あせって探しまくる。直径2㎜の水晶玉の単価は約3円。原価の一部だから、1粒だって無駄にできない(気分はすっかりファクトリー)。
 面白いことに、落ちた石の探し方さえ段々習熟してくる。落ちた瞬間、慌てて動く代わりに止まるのだ。するとトーン、トン、トン、トントンッと、フローリングに落ちる音がして、その音の方向を探せばよい。鳥目がちの目でも、慣れれば2mmの透明石を、目敏く見つけられる。2日でこんなに上達するなんて。
 ふと我に戻り、「床に落ちたビーズ探しが上手になって、イッタイ何の足しになるのか」という疑問が頭をもたげる。…でも次の瞬間、私は自答する。「ビーズを速く探せる」のだ。

 アーティストの友人の影響で、一時コラージュ作りに凝っていた頃、超マンモス系の女友達に「それ作って何にするの?」と聞かれ、絶句したことを思い出す。
 今日日いい歳した健康な大人が、資本主義システムに組み込まれる(知的)労働と関係ないコトに夢中になるなんざあ、というわけである。今度のネックレス作りは、一応コマーシャリズムに乗っかっているから、後ろ指を指される筋合いではない。

 でも再び我に戻れば、ネックレス一つ1時間かけて作って得られる(いつ実現するかわからない)利益を考えたら、その時間をコンサル仕事した方がケタ違いに儲かる。
 …だからね、そういう発想自体がマンモス狩りっていうの。干し肉は、儲けるためではなく、作るのが面白いから作るのだ。たまさかそれがマネタイズできれば御の字、なのだ。
 などと言いながら、それでもつい、原価率を何%にしようか、なんてメーカー魂が蘇ったりして。

 というわけで、浜田山方面にお越しの際は、ぜひ
La Noce http://www.antonella2005.com/shopinfo.html に遊びにいらしてください。
エアデールテリアのつばきちゃん・すみれちゃんも待っています♪
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by miltlumi | 2012-04-25 21:12 | マンモスの干し肉 | Comments(0)

空き箱は、心の琴線に、どのように触れるか (下)

(上)はこちら・・・
 そのオフィスの主である、ダンディーな彼の元には、バレンタインデーになるとわんさかプレゼントが贈られてくる。おしゃれなおじ様に見下されぬよう、女性陣はめいっぱい張り込んだ高級ブランドのチョコやハンカチを選ぶ。そのパッケージの、色も材質も当然一級品である。
 会議中、脇に置いてあるチョコレートの山から、彼が気まぐれにひと箱取り出して「食べる?」と差し出す。ありがたく頂戴しながら、視線は箱の方にひたと張り付く。会議終了後、空になった箱はめでたく私の手の上へ。

 あいにく、そのオフィスには毎日行くわけではない。チョコが何粒か残っている箱を見て、早く食べ終わってくれないかなあ、と思いながら、次に出社したときには箱ごと失くなっている。
 「あの箱どうしたの!?」
 「え、捨てましたけど。あのチョコ、食べたかったですか?」
 「あ、いえ、その、チョコじゃなくて空き箱…」
 ちょっと迷った末、正社員の方々に、空き箱は全て捨てずにとっておいていただけるようお願いした。かくして2月下旬から4月にかけ(何しろプレゼント量が多いので、食べ尽くすまでに時間がかかるのだ)、私はオフィスに行くのが楽しみだった。

 空き箱のモチベーション。本末転倒もいいとこである。しかも、ゴミの一歩手前のブツよりよほど立派な、無印良品のアクリル収納ボックスを買うくらいのお給金はいただいているのに、そのお金より、空き箱がウレシイ。
 大竹氏が、バイト料で新品のキャンバスを買うより、ダンボールに創作意欲を掻き立てられたのと同じ類の思考回路である。どんなことに「そそられる」のかは、人それぞれである。

 付け加えるならば、私にプライバシーを開示してくれるありがたい友人(「整理」と聞くだけで気が遠くなるらしい)について。彼女のうちの整理のため、奮発して100円ショップのプラスチック箱複数種を持参したときのこと。直方体に見えたのに、いくつか並べてみると上部と下部の幅が微妙に違う。どうして?と思ったら、隣で既に気が遠くなりかけていた彼女の目が俄然輝きだし、「それはね、テーパーのせい」と、てきぱき説明を始めた。てぇぱぁ???
 無印のアクリルケースは一見100均と同じように見えるのに、なぜ10倍以上の値段なのか。それは6枚の板材を接着し、端面磨き処理もして手間がかかるから。100均はプラスチック射出成形で、型から抜けやすいようテーパー(角度)がつけてあって、その結果わずかに台形になる。
 モノ作りやデザインの仕事に関わっている彼女にとって、箱から連想されるのは「整理」ではなく「工業デザイン」。

 まったくもって、心の琴線の触れ方は、人それぞれである。

 余談だが、大竹伸朗のエッセイ「既にそこにあるもの」は、なかなか面白い。

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by miltlumi | 2012-04-21 17:11 | マンモスの干し肉 | Comments(0)