カテゴリ:イレウス奮闘記( 16 )

ぽよよん (その3)

(その1)はこちら・・・
(その2)はこちら・・・ 
 ただし、よほどこのぽよよーんがひどい場合は、やはり再手術という手段があるそうだ。もう一度お腹を開いて、筋膜をぎゅっと縫い合わせる。場合によってはメッシュで裏打ち(!)して筋膜がまたぽよぽよのびてしまうのを防ぐやり方もあるらしい。入院期間は1週間。予想どおり、内臓にメスをいれるわけではないので、この前の手術に比べればお気楽なものだ(たぶん)。
 であれば、しばらくこのまま様子を見て、あまりにみっともなければ手術のお願いをすればいいのだ。もちろん、術後3ヶ月は腹筋運動厳禁。重い物を持ってもいけない。そのルールを踏まえて、手術のタイミングを見計らえばよい。今度はちゃんと万全の準備を整えて入院しよう。9月に再手術するとすれば、年内はスポーツジムはお預けか~。

 あれこれと思いをめぐらせる目前で、医師のアドバイスが続く。
  「腹筋を保護してあげるために、コルセットをするといいでしょう」 
 なに。そんなカンタンなこと、初耳である。傷口の保護というなら、退院直後から装着すべきではないか。もっと早く言ってくれればいいのに。筋膜が伸びちゃったあとにやったって。。。ぶつくさ。しかし、再手術よりはカンタンそうだ。ともかくうちに帰ってPCで「腹筋、コルセット」と検索すると、腰痛対策のコルセットがずらり。とりあえず締めつけ度が「軽度」で夏向きの「軽涼」と謳っている商品を注文する。
 さらに翌日、デパートの下着売り場に行って、何十年ぶりかでガードルというものを探す。バブル時代は、女性もアメフトみたいな肩パットにウェストがきゅっという逆三角形体型がもてはやされたので、ガードルは必須アイテムであった。しかし無理にお腹をしめつけて血行が悪くなるというので、いつのまにか超マイナーな存在になってしまった。
 というわけで、広い下着売り場でもガードルを置いてあるコーナーはごくわずかだった。ワコールの片隅の短いラック半分くらいのスペースに並んだ、じみーな肌色の股上の深―いモノたち。しかもなんと、コルセットより高い。それでも、「試着もできますよ」という親切な店員さんに促されるまま身につけてみると、久しぶりにおなかをがしっとガードされた感覚が、意外に心地よい。血迷って2枚買いそうになるが、まあコルセットの着け心地を確認してからにしよう、と思い留まる。
 コルセットも注文の翌々日に到着。さすがにガードルよりも強力で、サポート力抜群。内臓に押されて、着古したパジャマのズボンのゴムのように情けなく伸びているであろう筋膜ちゃんを、外からぎゅううっと包み込んでくれる。「軽涼」と銘打つだけあって、この暑さでも装着していて不快感はなく、その「守ってくれる感」が肉体的にも精神的にも極めてよろしい。先生、もっと早くアドバイスしてくれればいいのに。

 かくして、そのときどきの気分に合わせてコルセットかガードルのどちらかを装着する日々が始まった。
そして驚くべきことに、「二度と元に戻りません」と言われたぽよよんおなかが、心持ちひっこんできたのである。これなら再手術は必要ないかも。もう少し経過を見た上で、考えよう。

 ということで、以上、開腹手術後のおなかぽっこり、傾向と対策。まあ、こんなブログを読むよりも、単純にお医者様から言われたことを忘れずに、厳守する、ただそれだけ、といえばそういうことではあるが。
ちなみに、開腹手術をしていないのにおなかぽよよんの皆さんにとって、筋膜をぐいっと縫い合わせる手術が効果あるかどうかは定かではない。健康保険が適用されるかどうかは、さらに不明である。
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by miltlumi | 2014-08-14 23:49 | イレウス奮闘記 | Comments(0)

ぽよよん (その2)

(その1)はこちら・・・
 ようやく病院に行く日。「よく歩きましょう」という主治医のアドバイスに従って、病院まで徒歩で出掛ける。予約なしの診察受付時間開始ぴったりに受付をして、診療科の窓口で多少誇張を入れながら事情を説明する。
  「先生の言いつけを忘れて腹筋運動をしたら、傷口が痛むんです」
 診察時間開始後10分で名前を呼ばれた。「こんにちは…」と言いながら、警察に自首する犯人のようにしおらしく先生の前の丸椅子に腰かける。デスクの上のカルテには、先ほどの看護師さんが手書きしたらしき「腹筋運動して、痛み」というメモが乗っかっていて、既に先生は苦笑している。
  「腹筋、やっちゃったんですか?
  「はい。先生から3ヶ月はだめと言われていたのをころっと忘れてまして…云々」
 結論から言えば、腹筋は裂けていなかった。「裂けちゃいますからね」という安直な説明から一転、先生が丁寧に説明してくれる。

 腹筋とは、正しくは腹直筋といってお腹の真ん中を挟んで左右に配置されている。その間を筋膜がつないでいる。私が受けた開腹手術(おへそから10㎝ほど真っ直ぐ縦に切断)では、その筋膜を縦に切ってから縫い合わせたのである。筋膜が完全にくっつかないうちに力がかかると、膜がのびてしまう。のびると、お腹の中の内臓を押さえる力が弱まって、おなかぽっこり状態になる。つまり、腹筋の筋肉そのものが裂けちゃうわけじゃないのだ。ほっ。しかし、ほっとしたのも束の間、次の先生の言葉に崖の下に突き落とされる。
  「一旦のびてしまった膜は『二度と元には戻りません』
 ぐわーん、というより、ぽよよーん、という擬態語が脳裡にこだました。二度と元に戻らない…。せっかくスリムな体重になったというのに、腹だけはぽよよーんと膨らんで5ヶ月のおめでた状態が、この先一生続くのか。。。 
  「そうでなくても、歳をとるとだんだん筋膜が緩んでおなかが出てくるんですけどね」
 慰めだかなんだかわからないような慰めを先生が続ける。
  「とにかく今すぐ急を要するという状態ではありません。本当に筋膜が切れた場合は、そこから腸がぴょっこり飛び出して鬱血する、そうなるとまずいですが、見たところそのような症状ではありません。とにかく、気をつけてくださいよ」

 ということで、質問投稿サイトで皆が嘆き合っている「術後おなかぽっこりが元に戻らない」状態とは、なんらか無理をしたせいで筋膜がのびて、本来がしっと合わさった腹直筋にぎゅっと締めつけられるべき内臓が野放図に膨張し、おなかがぽよよーんと出てしまった、という意味なのであった。そして、そうなったおなかは基本的にもう元には戻らない。ははは。残念でした~(ヒトゴトではない)。
                            ・・・(その3)に続く
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by miltlumi | 2014-08-12 20:27 | イレウス奮闘記 | Comments(0)

腸閉塞の予防について

 退院から1ヶ月余り。会う人ごとに、病後の肥立ちを心配してくださり、ありがたいことである(皆様、本当にありがとうございます)。医師からようやく「何でも食べていい」といわれ、日常に戻りつつある。

 会う人がもう一つ訊いてくるのは、前兆はなかったのかということ。ポール・マッカートニーが同じ病気でコンサートをどたキャンし、10億円超の被害が出たことからも、何の予兆もなくいきなり来るものか?という疑問はちょっと前の国民的関心事(?)だった。
 「いきなりだったのよ~」と答えながらも、そういえばここ1・2年お通じが滞ることがあった、と付け加える。生まれてこのかたその手の悩みとは無縁だったのが、「あれ?」というようになって、青汁やらシリアルやらダイエット茶やらを常用するようになっていた。それらを飲用すれば問題なかったから、深刻にとらえていなかったのだ。

 でも、さっき何気なくダイアリーを見返していて、びっくりした。2月初旬、夜中に吐き気を催して2回もトイレに駆け込んだという記録を見つけたのである。今日の今日までころっと忘れていたが、入院する明け方と似た症状だった。
 そういえば、1月末に行ったバリ島でもおなかが滞り、異国の地で緊張しているせいかと思っていた。3月下旬に実家に帰ったときも調子が悪く、旅行どころか実の母の家でも緊張するのか、とブログのネタ帳に記してさえいた。それもこれもすべて前兆だったのだ。
 やっぱり、身体は正直である。フェイントをかけてくるなんて意地悪はしない。ちゃんとキューを出してくれていたのだ。そして私もそれを自覚的に受け取っていた。

 でもでも、まさかそれが「腸閉塞」の前兆だったなんて、そんな病名、夢にも思い浮かばないよ~っ、と叫びたい。
 そもそもの原因は10年前の子宮筋腫の手術でしょう、と言われたが、当時「この手術受けたら腸閉塞になるかもね」なんて説明を受けた記憶もない(だからその後厚労省の指導が入って、今般の手術前のような懇切丁寧な説明がなされるようになったのだろう)。

 でもでもでも。もし仮に、10年前に腸閉塞の危険性を予言され、数か月前から身体が発していた黄信号を正しくキャッチして「これは腸閉塞の前兆だ」と認識していたとして、私に何ができたというのだろう。だって、腸がねじ曲がって「索状物」とやらが巻き付いて縛り上げてたんですよ。お腹の闇の中で。どんなに器用な人だって、自分の中でねじれた腸をまっすぐにするなんて至難の業だし、魔法でも使わない限り索状物の結び目をほどくことは不可能だ。
 腸閉塞を防ぐには、バカ食いをしない、植物繊維の豊富なごぼうや白滝はあまり食べない、と言うが、根本的な解決策ではない。
 病院に行ったとしても、まだ本格的な腹痛さえないときに「腸閉塞なんじゃないかと思います」と言っても相手にしてもらえないだろう(あんな激痛に苦しんでいる最中でさえ、原因究明中と称して数時間以上放置されたのだから)。

 ここまで考えると、やはりあの入院騒ぎは起こるべくして起こった、と思わざるを得ない。気をつけていてもいなくても罹るものは罹る、そういう運命だったのだ(と開き直る)。

 というわけで、気休めですが、腸閉塞の予防の仕方を。
 おなかの手術をしたことのある人で、日頃順調だったお通じが滞る、食後に吐き気がする、という人は、とりあえず1度に食べる量を減らし、食物繊維を多量に含む野菜やすじ肉など消化しにくいものを避け、どんな食べ物も最低20回は噛んで、万が一に備えてスタンバイしてください。
 急に腹痛に見舞われ、それが激しく波状に繰り返されるときは速やかに救急車を呼んで、「腸閉塞かもしれないのですぐにレントゲンとCTスキャンをしてよおおおーく調べてください」と言いましょう。
 あとは、担当医師がイレウス経験豊富であることを祈るのみです。
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by miltlumi | 2014-06-11 21:08 | イレウス奮闘記 | Comments(0)

充実と充足と満足と幸福

 手術室から出たときに身体に付随していたもの。鼻からイレウス管、口に酸素マスク、胸に心電図、右腕に血圧計、左腕に点滴の針と管、背中に硬膜外麻酔の針と管、右腹から腹水を吸い出す管、そして尿道カテーテル。ついでに膝下はエコノミークラス症候群対策のきつきつハイソックス。それら異物が、当日夜中の酸素マスクに始まり、1日一つずつ外されていく解放感は、何物にも代え難いものだった。
 明日から流動食開始という日の夜中、見回りの看護師さんが針が詰まって点滴の落ちが悪くなっているから、「今夜はもう外しましょう。明日また針を入れますから」と針を抜いてくれた。久方ぶりに腕の管を気にせず寝返りがうてる。ここ数日、ベッドからの立ち上がり方もスムーズになり、リハビリに歩く速度も徐々に上がってきたところだった。
 消灯した部屋の天井を見上げ、思わず「充実~」とつぶやいている自分がいた。

 充実、という言葉には、明らかに「昨日より今日」「今日より明日」という回復の上昇基調の響きがある、と思う。上向き矢印の感覚は、決して「満足」や「幸福」にはない。でもそれが幸福でないかと問われればNoである。そういえば充足という言葉もあった。充実に比べると動きが鈍いというか、ある種の停滞感が想起されるのは私の個人的感覚だろうか
 アスリートがオリンピックに向けて練習を重ねて着々タイムを伸ばしている最中は、満足や充足ではなく充実だろう。金メダルを取った瞬間、上向き矢印がピークに達し、「満足」になる。
つらつらと考えているうち、また眠ってしまった。

 ヒマつぶしに翌朝もつらつらと考える。今の若者はバブルを経験してないから、将来に希望が持てなくて上を目指す欲求がないとかものを欲しがらないとか本当の幸せを知らないとか、てんでに言われるけれど、そうだろうか。
 今日より明日という上昇志向、言い換えれば充実の感覚は、絶え間無い成長を是とする資本主義社会においては奨励されるが、それだけが幸福の必要十分条件ではない。むしろ、ややもすると現状否定になりかねず(背中の針が抜けた喜びより、「まだ腕に針が残っている」という不満が先に立ったり)、現状否定とはつまり今が幸福ではないということだ。
 人は飽きやすい生き物だから、幸福な状態が続くと幸せでなくなってしまう。変化がなければいけない。でもその変化は、必ずしも右肩上がりの必要はない。横滑りでも、もっと言えば下降でも、変化は変化だ。ジェットコースターが下降していくときのエキサイトメントは格別ではないか。
 今の若者は、変化をシンプルに変化と認識し、一つのことに飽きたら、別の楽しいことを見つければいいと思っている。昇進や昇給は必ずしも必須ではない。かくいう私も脱サラして以来昇進や昇給とは無縁だが、常により面白い仕事を求めて色んなことに手を出して、幸せな毎日だ。幸福=上昇、という20世紀型思考の持ち主は、これを「草食系」と呼ぶ。
 それに「上昇」は、他人から見てもわかりやすいから、他人との相対比較に幸福の比重を置く人にとっては、より魅力的な指標なのだ。「草食系」は、自分だけのモノサシを大切にする。

 辞書を引いたら、「充実=必要なものが十分備わること」「充足=十分に満ち足りること」とあった。
 上昇でも下降でも停滞でも、充実していてもしていなくても、その瞬間の自分がMore than enoughと思える時が「幸福」と言えるのかもしれない。
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by miltlumi | 2014-05-24 12:00 | イレウス奮闘記 | Comments(2)

手術室から出る

 目が覚めたら病室だった。朦朧としながらも「ああ、終わったな」と思う。
 10年前の手術のときは意識が混濁し、両親がそばにいるのにひたすら兄を呼び求めた(ブラザーコンプレックスと言われようと、いざというとき頼りにしているのは兄なのだ)。7年前に手術をした父は、手術室から出てきて家族の顔を見た途端、「いかんっ、寝過ごした!」とベッドから起き上がろうとした(手術直後に会社にでも行くつもりだったのだろうか)。

 お酒が飲めないので、意識をなくしたとか記憶にないとかいう失態経験がない私としては、前回や父のような意味不明の挙動には出たくない。麻酔のせいでまだ意識がぶよぶよしているにも関わらず、しっかりしなきゃ、と思った。
 そして一番気になったのは、腹腔鏡手術で済んだのか、開腹したのかということだった。開腹だと術後の快復が当然遅い。そもそもこんなに事を荒立てるつもりはなかったのだ。夜中にお腹が痛くなって7119に電話をしたときには、入院するとは夢にも思わなかった。入院です、と言われたときも、1日か2日点滴を打ってもらえばすむものとたかをくくっていた。イレウス管を入れても、友達の経験談を元に3・4日で解決すると思っていた。そうこうするうちに入院生活3週間。ついに手術と相成ったときも、腹腔鏡ならあと1週間だ、とひたすら軽く済むことを期待していた。
 だから、開口一番そばにいる看護師さんに尋ねた。
  「手術、何時間かかりました?」
  「2時間です」
 ああ。希望がしぼんでいく。手術前の説明のとき、腹腔鏡で順調に行けば1時間、と先生に言われていたのだ。2時間もかかったということは、順調ではなかったということだ。それでも一抹の期待を込めて尋ねる。
  「おなか、切ったんですか?」
 患者を刺激してはいけないと思ったのか、彼女は慎重に答える。
  「あとで先生が説明してくださいますからね」
 この時点で私は観念した。この夏はビキニが着られない

 ここまでまともな会話が出来れば上出来と思われたのか、看護師さんが外で待機していた家族を病室内に呼び寄せる。
  「わかる?」
  「大丈夫?」
  「痛い?」
 母と義姉と甥っ子がかわるがわる声をかける。そんな大袈裟に騒がなくてお大丈夫だよ、と思うが、あとから考えれば、そのときの私は酸素マスクをかぶせられ、ベッドの横には父が癌で亡くなる直前までつながれていたのと同じ心電図が刻々脈拍やら血圧を示しているのだから、大袈裟になるのも無理はない。

 もう夜であった。「夜の付添はしたほうが…」と的外れな心配をする母を、看護師が「付き添っていただくほうが手続き面倒ですから」と諭している。回りで起こっていることを、ちゃんと認識できる。10年前と比べて、自分の意識はしっかりしていると思えることが、何より嬉しかった。
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by miltlumi | 2014-05-21 13:01 | イレウス奮闘記 | Comments(0)

手術室に入る

 イレウス管に比べれば、手術そのものは全然面白くなかった。(まあ、面白がるものでもないけれど)。何しろ全身麻酔だから、当たり前だが何も覚えていない。手術時間が1時間だろうと2時間だろうとおかまいなしにずっと寝ていて、何が起こっているのか皆目見当がつかないのだ。
 唯一面白かったのは、手術室に歩いて行ったことである。10年前の子宮筋腫のときは、直前までぴんぴんしていたのに、病室からキャスター付のベッドに寝かされて仰々しく手術室に出頭した。それが今回は徒歩である。服装こそ手術着に着替えたものの、売店に水でも買いに行くような出で立ちで点滴棒を自分でガラガラと押していく。母と義姉と甥っ子(手術当日も兄は仕事で立ち会えなかった)がぞろぞろとついてくる。歩きながら気になったのは、エコノミークラス症候群対策のために穿かされたハイソックスのつま先がゴム仕様のオープン形態で不必要に長く、足裏でもさもさしていること。エレベーターを待ちながら、イソギンチャクみたいだなあ、と顔をしかめたら、看護師さんが気遣ってくれた。
  「緊張してますか?」
 あ。そうか。ここは緊張すべき場面だったんだ。まがりなりにもカラダにメスを入れる(この時点では腹腔鏡手術で済むだろうとタカをくくっていたが)わけで。でも、緊張していないのにウソをつくわけにもいかない。「いえ」と微笑んで、「気になるのはこれだけ」と、甥っ子に向かってイソギンチャクの足裏を持ち上げて見せた。

 手術室の扉の前で、見送りの三人に向かって「じゃあ行ってきますね~」と手を振る。まるで遠足に行くような陽気さ。ベッドに寝ながらだとドラマみたいな白々しさが漂うところだ。
 ものものしい自動扉を入ると、意外にただの診察室のような空間で、照明も(まだ手術が始まらないせいか)安っぽい蛍光灯である。事前に病室に挨拶に来た看護師の他、麻酔医師が自己紹介する。礼儀正しい。名前も知らないどこの馬の骨ともわからぬ人に命を預けるわけにはいかない。

 手術台も意外に小さく、外来の診察台と対して変わらない。
  「そこに寝て下さい」
 言われて自分で靴を脱いでごそごそと這い上がる。硬膜外麻酔のための針を背中に刺す。麻酔科の先生は冗談好きらしく、「針、太いですよ~」と脅かす。前日、代理の先生に「術後もしばらく細い針を刺したままになります」と説明されていたから、「そんなことないでしょう。細いんでしょう」とやり返す。案の定、大して痛くない(後でわかったことだが、針は本当に太かった)。採血や点滴でさんざん針を刺されているから、もう慣れたものだ。
 あれこれ準備をする間、手術室には重厚なオーケストラが流れている。クラシックは詳しくないが、マーラーとかそんな感じ。せっかくなら私の好きなニューミュージック(古いか)か、せめて小鳥のさえずりとかにしてくれればいいのに。
  「では、行きますよ。この酸素マスクつけたらすぐ寝ちゃいますからね」
  「はい。おやすみなさい」
 きちんと挨拶をして、マスクをかぶせられたら、1も2もなく意識がなくなった。
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by miltlumi | 2014-05-18 19:46 | イレウス奮闘記 | Comments(0)

手術前に不愉快だったこと

 イレウス管のステージが不如意に終わり、手術をすることになった。手術前最大のイベントは、医師から家族と患者本人への説明である。

 余談だが、入院直後の手続書類記入の際、緊急連絡先はご家族でお願いします、とクギをさされた。独身で、親兄弟が遠方にいる場合はどうするのだろう、と思いながら、電車で2時間くらいのところに住んでいる兄の名前を書こうとすると、「お母様は…」と訊かれる。  
  「おりますが、兄ではいけませんか?」
 緊急事態が発生したとき、80歳近い母より兄のほうが頼りになるに決まっている。しかし女性看護師は遠慮がちに畳みかけてくる。
  「お母様とは、あまり連絡とってないんですか…?
 そういう誤解をされるか。心の中で苦笑しながら、仕方なく説明する。
  「緊急のとき、母だと動転するといけないので、兄にしておきたいんです」
 
 あいにく説明の日が平日で兄は仕事が休めなかった。当然のように母は「私が行きます」と言ったが、やはり頼りないというので、義姉が仕事を早退して来てくれた。
  I先生が、入院直後の病状から経過を丁寧に説明していく。どうやら「あとは手術しか手段はない」ということを正当化するためらしい。既にすっかり手術をする気になっているのに、なんだかまどろっこしい。患者によっては、この期に及んでも「手術したくない」とごねる場合もあるのだろうか。潔い私にとっては、いらぬお世話の不要な説明なのだが。

 もっといらぬお世話が「手術リスク」という項目である。前日に麻酔医がA4数ページに亘る説明書きとA5版カラーパンフレットまで使って丁寧に説明してくれたというのに、またぞろ「麻酔でショック症状が出てまれに死ぬこともあります」という不穏な説明が始まる。初めて説明を聞く母と義姉は表情をゆがめる。加えて、手術合併症として、縫合不全、創感染、腹腔内膿傷、腸閉塞(…。腸閉塞の手術が原因で癒着が起こり、また腸閉塞になる可能性があるのだ!)等々。さらに手術が元で肺炎や心不全や腎不全や脳梗塞になる恐れもあり、云々。
 聞いているうち、不愉快になってくる。可能性の話を始めたら、手術中に執刀医のほうが心不全を起こしてメスが私の胸にぐっさり刺さることだって、停電が起こって自家発電装置がうまく作動しなくてお腹を開けたまま放置されることだって、なんだってありだ。そもそも心不全の可能性がないか、事前に心電図を調べて心配なかろうというので手術が決定されたのではないか。
 世の中100%確実なことなどありえないのだから、あとは先生を信じて身を任せるしかないのに。こんな説明を聞いたら、かえって医師への信頼が揺らいで不安になるではないか。その結果、「やっぱり手術しません」という選択肢があるとでもいうのだろうか。

 「重篤な場合は死亡する可能性もあります」
 最後の1行を読み、おまけに「死亡」の漢字のところをボールペンで丸く囲みながら、先生のほうも苦笑する。
 「すみませんね、厚生省のほうで説明するよう指導されているもので」
 なるほど。お役所か。メーカーにPL責任を負わせ、行き過ぎた「使用上の注意」書きを促す。霞ヶ関の過保護的アプローチ。おかげで国民が自己判断能力を失って、何か起こったらどんどん「他人のせい」にする、モンスター化
 事実、そういうモンスター消費者や患者がいるのだから仕方ないのかもしれない。が、大多数は良識ある国民のはずだ。
「様々なリスクを勘案した結果、医師として手術をするのが妥当と判断しましたが、それでも万が一のことは起こり得ます。それらをひっくるめて私を信頼していただけますか? それとも、万が一のことをつまびらかに説明したほうがよろしいですか?」
 手術の覚悟を決めた後で、不愉快なことを延々訊きたいかどうか、患者の判断に委ねるという方法もありうるのではないだろうか。

 術後にお見舞いに来てくれた友人の中に、数年前手術をした人がいた。
  「手術前、色々言われたでしょう? あれ、やだよね~。聞きたくないよね」
 私と全く同じ感想だった。
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by miltlumi | 2014-05-15 17:56 | イレウス奮闘記 | Comments(0)

新しい男女差別

 今回の入院は、10年前の子宮筋腫以来であった。10年ひと昔、入った病院こそ違え、明らかに社会的に変わったことがいくつかある。その際たるものは男性看護師である。
 入院初日、まだ痛み止めの効果も出るか出ないかのうちに、年嵩の女性がベッドサイドにやってきた。
  「内科のシチョウの○○です」
 シチョウ? 市長? 状況から言って彼女が婦長であることは想像に難くないが、それが「師長」であることに気づいたのは数日後だった。女の園であったこの職場に男性が進出した今や「看護婦」という単語は死語であり、「看護師」と呼ばれる。だからそのボスは「師長」。

 病院では昼間と夜勤、1日に二人が交代で一人の患者を担当する。ただ、ナースコールを押したときに担当看護師の手がふさがっていると、別の看護師が来たり、夜の点滴の見回りにちがう看護師が来ることもある。
 夜中、LED懐中電灯を持って猫のように入ってきた看護師が男性だったことが何度かある。うとうとしながら、夜勤は体力のある男性看護師のほうが多いのかなあ、などと勝手な解釈をしていた。

 しかし手術の前日、外科病棟に移って最初の夜担当の看護師が男性だった。男性看護師が女性患者の正式担当になることはないと、なんとなく勝手に思いこんでいたから少し戸惑った。でも丸眼鏡の彼はいかにも優しそうで、同級生になっても絶対に恋愛対象にはならないで、「お友達」になってしまうタイプである。
  「明朝の手術の準備は女性看護師が担当しますので」
 こちらの心のうちを読み取ったかのように、問わず語りにそう告げる。なるほど。この業界では、従事できる業務の差別は男性側にある。ちょっと意地悪な気分で、へへへん、と思った。男女雇用機会均等法施行前年に社会人になった立場としては、入社1年目の工場実習や販売実習に男性新入社員しか参加させてもらえなかったことをいまだに根に持っている。ここでは逆に、女性しか参加させてもらえない業務があるのだ。
 もっと言えば、「男性看護師には看てもらいたくありません」と突っぱねる保守的な女性患者だっているにちがいない。そういうとき、彼はすごすごと引き下がるのだろうか。「オンナなんか相手に出来るか!」とオヤジな社長に門前払いをくらった女性営業職の気持ちを、今日び男性が味わう番である。

 術後、傷口にあてたガーゼを取り換えてもらおうとナースコールを押したとき、やってきたのは男性看護師であった。あられもない話だが、傷口はおへその下である。ややっと思ったが、ここで男女差別をしてはいけない。働く社会人としての冷静さが打ち勝って、あえて私は彼の処置に身を委ねた。
 男女平等で働くこと。それは法制度や企業ルールの整備だけではなく、一人一人の心理的ハードルの問題だ。

 ちなみに、当病院の男性看護師はみな草食系っぽい面持ちで優しそうな表情で痩せ型で、マッチョやら毛深い腕やらごっついタイプは皆無であった。人を外見で判断してはいけない、とよく言われるが、この職業ばかりは男性は顔も採用基準とせざるを得ないだろう。少なくとも完全な男女平等社会になるまでは。
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by miltlumi | 2014-05-12 20:43 | イレウス奮闘記 | Comments(4)

イレウス管の悲喜劇 (その6/最終回)

(その1)はこちら・・・
(その2)はこちら・・・
(その3)はこちら・・・
(その4)はこちら・・・
(その5)はこちら・・・
 これだけ苦労して挿入しただけのことはあって、その日からは1日1リットル近くもずいずい悪い物が吸い出された。お腹がぐるぐる…と来て少しすると、視界ぎりぎりに入っている管の中が動き出す。吸引器につながる管にどどどーっと茶色いどろどろした液体が流れて行く。そこにたまにガスが混じる。本来なら下のほうから「お○ら」として放出されるべきものである。
 その頃にはもう免疫が出来ていて、目の前を「そういうもの」たちが移動して行っても何とも思わない。吸い出されるたび、少しずつへこんでいくお腹をなでながら、「もっと出てね~」とお祈りをする。

 H先生とリケジョ先生の単独サッカー戦ののち1週間、お腹はほぼ元通りになったが、腸液の放出は止まらない。つまりまだ先にもたまっているのである。レントゲンを撮ってみると、小腸の終りまであと30㎝以上あるのに、バルーンを萎めても管がそれ以上先に進まない。最難関の閉塞がそこで起こっているらしい。メルヘンはハッピーエンドではなかった。表情を曇らせたH先生が告げる。
 「I先生と相談します」
 少し前から手術を視野に入れていたH先生の要請で、外科の先生も容態を診るようになっていた。翌日、I先生から宣告が下る。
 「どうも手術したほうがよさそうですね」
 ただ、GWに入ってしまうので、強引にスケジュールを組むと、明後日の25日か、そうでなければ1日(9日後だ)だという。どうしますか?と聞かれ、即答する。
 「明後日にしてください」
 こんなもの、待っていたっていいことはひとつもない。医師にしてみれば、手術という一大事への心の準備が必要だろうとか、家族と相談する時間を下さいと言われるかも、と慮って「どうしますか?」と言われたのだろうが、善(?)は急げ、である。
 「わかりました。ではその方向で」 

 幸い、そのとき立ち会った看護師も服部さんだった。I先生が出て行ったあと、例のビジネスライクなトーンで服部さんが言った。
  「冷静でしたね」
 そうか。「手術」と言われ、普通なら「えー!」とか「成功するんですか?」とか少しはうろたえるべきだったか。しかし出続ける腸液やふとしたはずみでまた張ってくるお腹が、一筋縄ではいかない容態を物語っているのに気づいてはいた。昨日のH先生の表情からも、これは手術かもと思っていたし、やるなら早いほうがいい。
  「なんだか、そういう気がしてたんですよね。自分の身体のことって、なんとなくわかりますでしょう」
  「ああ、そうですね。若い人ならね」
 日頃から平均年齢70歳くらいの患者を相手にしている服部さんにとって、私は若手である。それにしても「若い人」のほうが自分の身体の声に耳を傾けたりせず無茶をしそうであるが、逆に80歳くらいになると感覚が鈍ってくるものなのだろうか。

 手術が終わって食事が再開され、しばらくお休みしていた体内の管が再び働き始める。イレウス管のおかげで、私は悟りを得た。
 人間は、考える管である。
 しかも、ミミズよりも厄介な管であり、厄介であるおかげで管の中でメルヘンやサッカーが繰り広げられる。自分の好むと好まざるとに関わらず。
 宇宙の森羅万象。自分の身体さえも、自分の意思に関係なく動いていく。
                                            (おしまい)
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by miltlumi | 2014-05-08 16:44 | イレウス奮闘記 | Comments(11)

イレウス管の悲喜劇 (その5)

(その1)はこちら・・・
(その2)はこちら・・・
(その3)はこちら・・・
(その4)はこちら・・・
 H先生の浮き浮きをよそに、前回まな板の鯉ならぬミミズ体験をした私としては、気は抜けない。いきなり戦闘開始。前回と同様の会話がH先生とリケジョ史の間で繰り広げられる。
  「そこ、もう少し右に!」
  「まさかUターンしてないよね」
  「大丈夫です、そのまま行ってください」
  「あー、もっと下の方に進んでほしいのにっ」
  「すみません、たたきますよっ」
 きゃしゃそうなわりに逞しいリケジョ史は、前回のオタク助手と同様かそれ以上の強さで腹をもむ、叩く。ここまで来ると、鼻の孔の痛みなど感じられない。でかいままの「ミクロの決死隊」みたいな彼ら二人が無事ミッションを全うするのを、涙を流しながら、ひたすら祈るばかりである。リケジョ史が叫ぶ。
  「ちょっと痛いけど我慢してくださいね」
 下の方からどんどんどんどんと叩く。しかし意外にも腰のツボだったらしく、イタ気持ちいい。
  「大丈夫です、そこは気持ちいいです
 整体に来てるわけではないが、つい本音を漏らす。
  「あと少しなんだがなあ」
  「ちょっとH先生、私が代わります」
  「じゃ僕がこっち守るから。おっ、うまいな。行け!頑張れ!」
 2人の会話を聞きながら、何やらこの状況が可笑しくなってくる。ミクロの決死隊というより、迷路を張り巡らせたフィールドでゴール目指してやみくもにパスをしているサッカーチームのようだ。そこのクランクは右だ! そのまま真っ直ぐ進め! あと少し!
  「行った!」
  「やったー」
 ついにゴールイン。目標としていた箇所に到達したらしい。二人がガッツポーズをせんばかりの達成感に包まれる。腹の中の喧噪が突然なくなった私も、「ゴーーール!」と叫んで彼らとハイタッチしたい気分である。ゴールの瞬間は目にしていないけれど。何たって肝心のゴールは私の身体の中だったのだから。

 迎えに来た看護師さんが、「長くかかりましたね」と同情を寄せてくれた。時間など気にしている余裕はなかったけれど。
  「どのくらいかかったんですか?」
  「入ったのが10時ですから、1時間半ですね」
 ハーフタイムなしの90分、一本勝負であった。
 
 午後、いつもの威厳ある白衣に着替えたH先生とリケジョ史が病室に来た。「相当つらい思いさせちゃったから、心配で見に来ました」という彼女は、H先生の紹介によると立派なお医者さんであった。
  「お二人があんまり楽しそうにやっておられたので、途中から笑いたくなりました。小説が書けそうです」
 そういうと、二人はほっとしたように笑い、それからH先生が付け加えた。
  「匿名でお願いしますね」
                                    ・・・(その6、最終回)に続く

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by miltlumi | 2014-05-07 11:38 | イレウス奮闘記 | Comments(0)