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古本の手触り

 夜、ベッドの中で本を読んでいて、「うわ」と思う文章に出会うと、そのページの端を三角に折ってしまう。参照したい箇所をピックアップするための本(ノンフィクションの歴史や神様・哲学系の趣味本や、ごくたまにビジネス書)は、百均で買った極細付箋の束をあらかじめ見返しにしのばせておくから、それをぺらっと一枚めくってページのその行の上に貼り付ければよいのだが、ただの楽しみに読む小説はふつう付箋準備をしない。つらつら読んでいて、突然これは忘れたくない、と思う一行がはっと心に飛び込んでくる。でもわざわざ起き上ってリビングルームのデスクまで行って引き出しから付箋を取り出すのは面倒なので、ついページを折ってしまうのだ。
 「本のページを折ったらだめだよ」と注意されたことがあるが、あれは借りていた図書館の本だったからだろう。自分の本なら、好きなだけページを折ることができる。
 最後まで読み終わったあとに、折ったページを開いて注目した箇所(そのページの中のどの部分だったかの印まではつけていないが、ざっと見ればどの言葉に感動したのかはすぐ思い出す)をノートに書き出して、折ったページを元に戻す。いくつものページにかすかに折れ跡のついた本を、本棚に並べる。その、手擦れ感が出て少しよれた本のほうが、本当に最後まで読んだかどうかわからないほど丁寧に読まれてつるつるのままの本よりも、私は好きだ。

 もっとあからさまなのは旅行のガイドブックだ。普通の本よりも鞄に入れて持ち歩く時間が圧倒的に長いから、「よれ感」もいや増す。ホテルのコンシェルジェが教えてくれたレストランの名前と電話番号の書き込みとか、カフェでグアバマンゴスムージーを飲みながら眺めたページについたピンクオレンジのかすかなしみとか、幾何学的なページ折りとは比べ物にならないくらいよれよれになった、ガイドブックの質感が好きだ。いかにも本が「ともにあの地を旅しましたね」と語りかけてくるような気がする。
 しばらくたって開いたときに、数年前の年月日が印字された美術館の入場券の半券などがはらりと舞い落ちたときには、もう胸が締め付けられる思いがする。

 よれ感といえば、ジャニーズ系の人気タレントがプライベートではいているジーンズをもう何年も洗濯していない、と豪語していたことを思い出す。自分の身体のようにしっとりと肌に馴染んだその感触は、読み込んだ本やガイドブックが醸し出す親密感に似ているのかもしれない。
 そういえば、昔はLPレコードを買うとプレイヤーで再生するのは二度だけで、二度目はカセットテープのダビングを兼ねて聴いていた。三度目以降はLP原本(とは言わないか)ではなくもっぱらカセットを聴く。A面・B面の曲目とダビング年月日を書き込んだ小さな紙片が、テープを出し入れするうちにだんだんへたれてくる。そのうちテープ自体もよれてくる、その擦り減り具合と、歌詞カードの扱いさえも慎重にしていたLPのぴかぴか感が、不思議な対比を成していた。

 本も旅行ガイドもお気に入りの音楽さえも、すべて01に変換して飲み込んでしまうタブレットでは、決して味わえない手触り感だ。
by miltlumi | 2014-08-27 21:49 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)
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