充実と充足と満足と幸福

 手術室から出たときに身体に付随していたもの。鼻からイレウス管、口に酸素マスク、胸に心電図、右腕に血圧計、左腕に点滴の針と管、背中に硬膜外麻酔の針と管、右腹から腹水を吸い出す管、そして尿道カテーテル。ついでに膝下はエコノミークラス症候群対策のきつきつハイソックス。それら異物が、当日夜中の酸素マスクに始まり、1日一つずつ外されていく解放感は、何物にも代え難いものだった。
 明日から流動食開始という日の夜中、見回りの看護師さんが針が詰まって点滴の落ちが悪くなっているから、「今夜はもう外しましょう。明日また針を入れますから」と針を抜いてくれた。久方ぶりに腕の管を気にせず寝返りがうてる。ここ数日、ベッドからの立ち上がり方もスムーズになり、リハビリに歩く速度も徐々に上がってきたところだった。
 消灯した部屋の天井を見上げ、思わず「充実~」とつぶやいている自分がいた。

 充実、という言葉には、明らかに「昨日より今日」「今日より明日」という回復の上昇基調の響きがある、と思う。上向き矢印の感覚は、決して「満足」や「幸福」にはない。でもそれが幸福でないかと問われればNoである。そういえば充足という言葉もあった。充実に比べると動きが鈍いというか、ある種の停滞感が想起されるのは私の個人的感覚だろうか
 アスリートがオリンピックに向けて練習を重ねて着々タイムを伸ばしている最中は、満足や充足ではなく充実だろう。金メダルを取った瞬間、上向き矢印がピークに達し、「満足」になる。
つらつらと考えているうち、また眠ってしまった。

 ヒマつぶしに翌朝もつらつらと考える。今の若者はバブルを経験してないから、将来に希望が持てなくて上を目指す欲求がないとかものを欲しがらないとか本当の幸せを知らないとか、てんでに言われるけれど、そうだろうか。
 今日より明日という上昇志向、言い換えれば充実の感覚は、絶え間無い成長を是とする資本主義社会においては奨励されるが、それだけが幸福の必要十分条件ではない。むしろ、ややもすると現状否定になりかねず(背中の針が抜けた喜びより、「まだ腕に針が残っている」という不満が先に立ったり)、現状否定とはつまり今が幸福ではないということだ。
 人は飽きやすい生き物だから、幸福な状態が続くと幸せでなくなってしまう。変化がなければいけない。でもその変化は、必ずしも右肩上がりの必要はない。横滑りでも、もっと言えば下降でも、変化は変化だ。ジェットコースターが下降していくときのエキサイトメントは格別ではないか。
 今の若者は、変化をシンプルに変化と認識し、一つのことに飽きたら、別の楽しいことを見つければいいと思っている。昇進や昇給は必ずしも必須ではない。かくいう私も脱サラして以来昇進や昇給とは無縁だが、常により面白い仕事を求めて色んなことに手を出して、幸せな毎日だ。幸福=上昇、という20世紀型思考の持ち主は、これを「草食系」と呼ぶ。
 それに「上昇」は、他人から見てもわかりやすいから、他人との相対比較に幸福の比重を置く人にとっては、より魅力的な指標なのだ。「草食系」は、自分だけのモノサシを大切にする。

 辞書を引いたら、「充実=必要なものが十分備わること」「充足=十分に満ち足りること」とあった。
 上昇でも下降でも停滞でも、充実していてもしていなくても、その瞬間の自分がMore than enoughと思える時が「幸福」と言えるのかもしれない。
[PR]
by miltlumi | 2014-05-24 12:00 | イレウス奮闘記 | Comments(2)
Commented by scarofheart47 at 2014-05-24 12:30
こんにちは
手術に関する一連の記事、たいへん興味深く読ませていただきました
世の中に手術を受けている人は五万とおれど、
ミルトルミさんのように詳細かつ客観的、おまけにユーモアまで交えて手記を書かれている人はいないのではないでしょうか?
これからいつ何時、自分が手術を受けることになるかわかりません
すごく参考になりました
ミルトルミさんの文章が大好きで
膨大な過去記事を楽しみながら読んでいます
術後のお身体大切にしてください
Commented by miltlumi at 2014-05-25 10:03
scarofheart47さん、コメントありがとうございます! 
入院や手術ってとても非日常的なことで強烈な印象が残るので、多少時間がたっても鮮明に描写できるのかもしれません。
私の文章のことを「大好き」と言っていただけて、こんなに嬉しいことはありません。ご期待に沿えるようこれからも精進してまいりますので、宜しくお願いいたします♪
<< 親族をめぐる統計学 手術室から出る >>